JOURNAL

■ 11年04月20日(水)

「南ドイツで見たこと考えたこと」畑中さん[柳沢究]

4/17(日)の久しぶりのスライド会は、参加人数20名強で、ほぼ会場のキャパシティいっぱい。満員御礼です。

常連のメンバーに加え、初めての方では、トヨダヤスシさん、啓明社の戸田都生男さん、棲咲舎の荒井圭一郎さん、滋賀県大や京都建築専門学校の学生さんなど。畑中さんがドイツで知り合い、現在京都で日本語を勉強しているというドイツ青年ウリさんも遊びに来てくれました。
山田協太氏も久々の登場。

講師はなんと7年ぶり(!)2回目の登場の畑中久美子さん。

タイトルは「南ドイツで見たこと考えたこと」


前回は僕が神戸芸工大に着任してすぐの頃、キャンパス内に不思議な土の建築をつくっていた畑中さんに出会ったのがきっかけです。
その後、畑中さんはコツコツと版築の研究に取り組みつつ、同時に祝島の練り塀や篠山での灰屋ワークショップなど、「土」を軸とした幅広い活動を展開していきます(「地域再生としての『土』」)。

スライド会では、そうしたこれまでの取組みから始まり、昨年度彼女が文化庁芸術家派遣制度で訪れたドイツの環境建築設計事務所の話、現地でみた建築についてなど、2時間にわたりお話しいただきました。

神楽岡のスライド会は、質問タイム無しの会場からの即時ツッコミ方式なので、面白い話にはどんどん質問が飛びます。今回は、ドイツでの仕事経験もある久住鴻輔氏がヒートし、話題を展開しました。畑中さんの下宿先の壁の構造からマイスター制度、設計事務所所員の給料まで。
畑中さんと同時期にドイツの工房へ修行にいっていたマエダ木工の前田くんも、話に厚みを加えてくれました。

個人的に印象深かったのは、めちゃくちゃ忙しいと言いつつ17時にはキッチリ仕事を切り上げる事務所のスタイルや、ひろく社会的に共有されている(と思われる)環境意識、「地域熱源」という仕組み、版築の上にコンクリートスラブを積んでしまうという(ホントか?)Martin Rauch邸の話など。

畑中さん、ありがとうございました。

神楽岡スライド会、しばらく続く予定です。
次回・次々回と、写真家の日暮雄一さん、トヨダヤスシさんのスライド会を計画中。

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■ 09年08月09日(日)

報告:佐藤敏宏さんワイワイ会[柳沢究]

8/7(土)8時より(実際にはフライングして7:30から飲み始めた)、佐藤敏宏さんを囲むワイワイ会+プチレクチャー「お前の家は俺の家!」が開催されました。
オフィスビルの中にブルーシートを敷いた会場に、佐藤さんにインタビューされたメンバーを中心に30人超が集まる賑やかな会となりました。飲み物・食べ物持ち込み制だったので、ほとんど花見宴会状態。


オフィス最上階を貸し切った特設会場


レクチャー前のワイワイ


プチレクチャー開始


佐藤敏宏とは何者か、「ことば閲覧」とは何ぞやという話から、「建築は路上だ」を実践した温泉街パフォーマンスの話、建ててから25年経って初めて話したという自宅のこと、「1000」という形のプランをした予算一千万の千万屋、日の丸をモチーフにしたというRCの住宅の話、「お前の家は俺の家!」実践である星座型居住の話などなど。
たぶんこれまでにどこでも話されたことのない(本人がそう仰ってたので)貴重なトピック満載でした。

佐藤さんは建築作品を語る時に、妙にダジャレ的な発想や説明を強調するのだけれど、いずれのプランも、軽薄さとはほど遠い厳格な構成的プランで、遺跡のような建築的魅力がたっぷりという印象。たぶん構成の発想が先というか核にあるに違いないのだけど、それをもっともらしい理屈で「正当化」するのを避けるために、あえてダジャレにするというのが、佐藤さんの人柄なんだろうと理解しました。

レクチャーの最後には「ことば閲覧 in 京都」の被インタビュー者が順番に、それぞれ言葉を閲覧された感想述べる。ふだん理路整然としたコンセプトをビシッと語る若手建築家が、佐藤さんに躱され梳かされした感想を素朴に話している様子が面白かった。
感想タイムを設けようとしたら、「そんなの二次会できくよ〜」ということで、そのまま20人くらい連れだって二次会へ。一部の人は、そのまま朝まで。

佐藤さん、インタビューを受けたみなさん、お疲れ様でした(佐藤さんはこれからばりばり文字お越しでもっと疲れそうですが)。

「ことば閲覧 in 京都」の記録やワイワイ会の様子・感想は、佐藤さんのサイトに、続々とアップされています。

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■ 09年07月18日(土)

佐藤敏宏さんワイワイ会[柳沢究]

ひさかたぶりの企画、やります。

RADさんと合同開催で、福島の建築家・佐藤敏宏さんを囲む、スライド会ともレクチャーとも飲み会ともつかぬ会、「ワイワイ会」です。


>> 神楽岡+RAD合同企画: 佐藤敏宏ワイワイ会+プチレクチャー『建築とか』


佐藤敏宏さんは建築家なんですが、ホームページを見てもらうとわかる(わからない?)ように、きわめてユニークな建築活動=生活を展開されていて、今回はその一つ「ことば閲覧」のインタビューで京都に来られます。

柳沢もいちおうインタビュー対象に入っていて、本企画の主催の一人でもあるんですが、実は佐藤さんには未だお会いしたことがありません。どうなるんでしょう。

会はきっと、いろんな意味で、面白いことになりそうです。
是非遊びに来てください。
飲み物・食べ物は「持ち寄り制」です。

あと、会場もなかなか面白い場所です。
今回はいつもの神楽岡ではなく(注意!)、五条河原町にあるオフィスビル最上階をまるまる貸し切ってやります。

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■ 09年06月03日(水)

SSS解体[柳沢究]

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解体前のSSS

2007年5月に完成したSSS(SAKAN Shell Structure)の解体作業&振動実験を敢行しました。

こちらのサイトにて詳細を掲載しています。

>> SSS解体 @ MEMO:究建築研究室

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■ 09年03月21日(土)

第77回アジア都市建築研究会[柳沢究]

来週、京都大学にて「アジア都市建築研究会」が開催されます。
布野研究室主体の研究会ではありますが、オープンです。ご興味のある方は是非どうぞ。

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■題目
・「砂上の楼閣をこえてーあらたなる東南アジア史のためにー」
   講師 佐藤浩司先生(国立民族博物館) 
・「興亡の世界史ー海洋世界のネットワークー」
   講師 応地利明先生(京都大学名誉教授) 

■日時:2009/3/27(金)14:00〜18:00
■場所:京都大学 吉田キャンパス 本部構内
    総合研究2号館 4階 第一会議室(401号室)
    「京都大学吉田キャンパス本部構内」地図

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■ 09年03月18日(水)

ちょっとご挨拶[柳沢究]

神楽岡の活動、現在あれこれ企画を温め中ですが、今後も京都における建築・ものづくりに関わる人々の結節点となるような、公式・非公式のイベントを不定期に開催していく予定です。

こちらのブログ(JOURNAL)については、これまで主に代表・柳沢の活動報告を発信してきましたが、今後は主にイベント企画時の案内と結果報告を中心として更新していきます。
また、神楽岡主催でなくても何か興味深いイベントがあれば、随時情報を載せていきたいと思ってます。

神楽岡の常連たちは今や多くが一人親方となり、各方面で活躍の場を広げています。その詳細については、是非、FELLOWsのプロフィール(およびこのページの右側のリンク欄)からリンクしている各氏のオリジナルサイトやブログをご覧ください。

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■ 09年01月07日(水)

謹賀新年2009[柳沢究]

新年あけましておめでとうございます。

今年はインド牛写真を活躍させる12年に一度の大チャンス!と、年賀状製作には個人的にたいへん気合いが入りました。年末進行のさなか、牛写真の選定に数時間を費やしたにもかかわらず、結局連れ合いの意見に押し切られ、昨年産まれた娘の写真がメインに採用。インド牛は、宛名側に小さく載るだけに(こんなの)。

さて、サイトでの報告がすっかりご無沙汰ですが、神楽岡では、年末の忘年会・新年の餅つきと、恒例行事を執り行いました。

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こちらでも、子供の存在感が増してきています。忘年会会場、ラトナ・カフェの一画には授乳コーナーが開設されていました。3人はあたりまえ、4人目、という人もちらほら。

神楽岡も8年目ということで、私自身も含め、独立開業をしている人が大多数となりました。幸いなことに(?)、超実体経済に即した小規模事業主なので、大不況の波を直接に体感することは少なく、少子化問題もどこ吹く風。

そんな子供ばっか作って大丈夫なんかという不安もないではないですが、物体の質量は大きい方が安定して運動する、という力学の法則を信じて頑張りたいものです。
(加速度を増すためにはより大きな力が必要となりますが、それが「頑張り」の問題)

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■ 08年08月07日(木)

土嚢建築のマンダラ[柳沢究]

スライド会再会第二弾(暑さ対策として、急遽近所の氷屋さんに頼み氷柱を導入!)、渡辺菊眞氏による「土嚢から建築へ」のスライド会は、流麗かつ怒濤・特濃、「立て板に土石流」という感じの2時間でした。

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スライド会の様子


土嚢シェルター開発者(カリーリNader Khaliliというイラン系アメリカ人建築家)のアイディアとその限界性について評価を加えながら、8年にわたる土嚢建築の試み、さらなる建築的展開への構想を、惜しみなく披露していただきました。また、技術面を担われた天理の河口さんによる試行錯誤の話は、現場の中で技術が育っていく様が生き生きと感じられるものでした。
(土嚢建築の写真などは、Dのサイトでたっぷり見ることができます)

渡辺菊眞氏は僕にとっては、布野研の先輩であり、また京都CDLの運営委員長として、僕の建築に対する考え方に、とても大きな影響を及ぼしてくれた方です。
(以下、不遜を承知で書きますが、)渡辺菊眞氏の建築が発する迫力は、独特の造形言語はもとより、恐るべき稠密さで構造化された空間構成によるところが大きく、さらにその空間構成の徹底ぶりは、「建築の中にマンダラを内蔵させることが自分の職能だ」と自ら断言するように、建築空間を宇宙的秩序(あるいはもう少し身近な言葉で言えば、「認識のレベルが一段上がった場所」)へ接続する回路として実現しようとする、強固な意志に基づいています。(マンダラとは、端的にいえば「宇宙的秩序と人間との媒介装置」であるから、その意味では「建築をマンダラ化する」と言い換えてもいいと思う。そう言ってたかも)。
このような考え方自体は古くからある建築観でもあるし、僕も大いに「共感」もし「憧れ」もするのですが、実践するのはなかなかに難しいこと。
渡辺菊眞氏のすごいのは、この信念というか姿勢というか立脚点が、活動に具体的に活かされつつ、かつほんとうにブレるところがない点です(時々に変奏はあるようですが)。
足下いまだおぼつかない僕なんかは、それを見るといつも、頭が下がるやら背筋がのびるやらの思いで一杯になるのです。


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冷房用の氷柱と門藤氏

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■ 08年07月27日(日)

土蔵扉の実測と九条山と体力の低下[柳沢究]

4月から設計の仕事に専念しはじめ、現在、京都市内と園部の方で二つの住宅設計が進行中。それなりに忙しい毎日を送っております。

3月までは神戸へ毎日往復4時間かけて通勤していたけれど、それがなくなったため一日が非常に長く感じられるこの頃。それはとても嬉しいことなんだけれど、今のところ動いている現場が無いため、一日中一歩も外に出ず座りっぱなしという日がしばしばあり、身体の鈍りに拍車がかかっていてマズイです。


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そんな中、一昨日は久々に現場に出ました。朝一に久住鴻輔親方から連絡があり、とある土蔵の修復現場で窓周りの実測と、その修復用図面の制作を即日でやったのでした。
京都では時々目にする機会がありますが、土蔵の扉というのは、火事の際に隙間から炎が入りこまないように、窓枠と扉が段状の立体的にかみ合うデザインとなっています。左右の扉相互および枠と扉とのクリアランスは、1〜2分(3〜6mm)。これを漆喰の塗り厚で調整するのもすごいが、防火性を追求するが故に厚さ15cm・重量○十kgもある複雑な形の建具を作ってしまう(しかも広く一般化している)という発想も実は驚くべきことである。

 

メス(入隅)の段になった枠と、オス(出隅)の段になった扉

一昨日やった作業は、傷んだ扉を作り直すための図面を、既存の窓枠の実測寸法をもとに書くというもの。炎天下に土蔵の壁に張り付いて、実測に4時間。家に帰って水風呂を浴び、清書と修復用図面書きをシコシコ9時間で仕上げる。(土蔵の実測図面作成は今回で3回目。1回目は骨組みを、2回目は外側の仕上げ(04/5/22)をとった。そろそろ新築の設計も…)

現場で体を使って汗を流し、事務所で頭を使って図面書き。こんなペースの仕事は気持ちがよい。毎日だともの凄くしんどいと思うけれど。


できあがった図面の一部

昨日の夕方は、打合せで山科にある鈴木健太郎氏の事務所まで行ってきた。バイクで行けばすぐのとこを、少しでも体を動かそうと自転車で九条山を越えて行ってきた。九条山なんて大した山でもないんだが、とてつもなく苦しんだ。途中、自転車で行くのをあきらめ地下鉄に乗りなおそうかと考えたが、あまりに情けないのでそれはしなかった。

生活の中に体を動かすルーチンを作ってかないと、そろそろ、いろんな意味で、危なそうである。

ちなみに蹴上・九条山の一帯には、蹴上インクライン跡の他にも見所が多い。
九条山浄水場とか全和凰美術館(廃墟)とか。オススメは日向大神宮。樋口忠彦のいう「隠国(こもりく)」の構造が連鎖する神社コンプレックス。本殿は京都では珍しい神明造(伊勢神宮と同じスタイルのやつ)であり、天の岩戸などもある。

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鈴木健太郎氏の工務店の倉庫・作業所。宙に浮いた板貼の家形が妙に格好いい


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■ 08年07月09日(水)

神楽岡のスライド会[柳沢究]

この間の日曜、森田一弥氏のスライド会は、今後の活動の広がりを予感させる魅惑的なキーワードも披露された、約2時間にわたる迫力のプレゼンテーションでした。

実に1年4ヶ月ぶりのスライド会とあって、また今ノリノリの森田氏の講演とあって、常連職人メンバーの他、東京からやってきた臼田さん、学芸出版の中木さん、神戸から畑中久美子さん、神戸芸工大院OG・石井さん、安井さん他、様々な方が参加してくれました。ちゃんと話せてない人も多いのだけど、ちょっとご紹介。

まず、布野研の先輩・渡辺菊眞氏、後輩の魚谷繁礼氏。お二人ともすでに建築家として激しく活躍中で、次回・次々回の講師をお願いしている。詳細はまた後日お知らせしますが、とびっきり濃い内容になることは間違いない。

修学院の建築論で学位をとられた京都大学田路研の田中明さんは初参加。今年2月の博士論文公聴会がたまたま僕の公聴会と同日で、その時初対面。発表直前の緊張ピークな時間を共有した関係でもあります。5月になって、SSSで協働している小澤雄樹先生の事務所で、たまたま再会。そんな縁もあって、今回遊びに来てくれました。田中さんのスライド会も企画中です。

他に、チベットやラオスで学校や図書館の自力建設をされている、「建築旅人」(と名刺に書いてある)の鈴木晋作さん。バックパッカーとして同じ匂いを感じます。活動の話を詳しくまた伺いたい。
「宮殿師(「くうでんし」と読む。「宮殿」は厨子など仏像を納めるとこ)」の市原聡志さんも、初めて来てくれた方です。「宮殿師」なんて仕事があったのか、というのが率直な感想です。モノがあれば当然それを作るヒトがいるわけですが、そもそもモノ(「くうでん」)を認識していなかった。そういう風に見過ごしてるものは沢山ありそうです。ちなみに市原さんに頂いた名刺はクスノキ製で、擦ると樟脳の香がします。なんとも。


建築系の講演会にもいろいろありますが、小さなボロい町家を会場に、講演と懇親会がシームレスに繋がりかつエンドレスに続くのが神楽岡のスライド会の特徴です。
そのような場所で、建築家とか設計者だけでなく、幅広く建築に関わる方々とじっくり酒を飲みながら話せるのは、なかなか他では得られない機会であることよと、主催者がいうのも何なんですが、久々のスライド会で改めて実感しました。

こう書くとなんだかすげぇ男臭い会みたいに勘違いされそうで、それもあながち間違いではないのですが一応フォローすると、参加者の半分くらいは女子です。それと、エンドレスで飲んでるのは一部です(僕は最近早々に潰れますが)。大半は終電までに帰ります。怖がらないでください。

そんなスライド会も今年で6年目、今後も息切れしない程度に続けていきたいと思ってますので、興味のある方は、是非気軽に遊びに来てください。
毎回の案内は"What's NEW"のほか、メーリングリストでも配信しています。

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■ 08年06月25日(水)

アジア都市建築研究会[柳沢究]

なかなかブログが再開できませぬが、今度、下記のような発表を行います。
明後日(!)ですが。ご興味のある方いましたら、是非お越し下さいませ。

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>> 詳細こちら

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第76回アジア都市建築研究会
「変容する聖地の都市空間:ヴァーラーナシー」

■講師:柳沢究
■日時:2008/6/27(金)17:00〜19:00
■場所:滋賀県立大学 環境科学部

 インドの一大聖地・ヴァーラーナシーの市街地には、数千におよぶヒンドゥー寺院・祠が存在するといわれる。それらの寺院・祠は複数の巡礼路により結びつけられ、いまなお儀礼装置として機能している。しかし、ヴァーラーナシーの「聖地」としてのニ千年の歴史は、同時に人々の生活の場としての「都市」の歴史でもあった。
 本講演では、ヴァーラーナシーの聖地としての側面を概観した上で、都市としての側面、とりわけ街区・住居など居住空間の構成について、スライドを交えながら紹介したい。また、現代の都市空間における両者の重層性について考えてみたい。

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コンペ応募作業に一息つき、これからスライドを整理します。

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■ 08年06月19日(木)

スライド会再開など[柳沢究]

神楽岡スライド会、一年半ぶりの再起動。
今月からはしばらく、京都を中心に活動する若手建築家シリーズとしてお送りする予定です。

再開第一弾は、スペイン帰りでますます絶好調のラテン系、森田一弥氏によるスペイン建築事情の報告です。
どうぞふるってご参加下さい。

>> 「08年07月06日 スライド会:スペインの建築事情から左官技術まで

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■ 08年04月09日(水)

高野口小学校 その2[柳沢究]

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高野口小学校の敷地の周囲は、このような石積みの生け垣で緩やかに囲われている。
石積みには中腹に段が設けられていて、背の低い子供でも生け垣に手が届くようになっている(実際に生け垣の手入れは生徒達がやっているそうな)。こんな細やかなデザインが、校舎のあちこちに見られて気分がよい。

設計者は当時(1937年)、高野口町に出向していた和歌山県営繕課の人とのこと。昔の役人設計者といえば逓信省などが有名だけど、地方でもいいデザインの仕事をしてたんだなあ。話はずれるが、デザインのできる優秀な建築学生が、役所、特に地方自治体の建築行政にすすまないと日本の街はよくならない、というのは布野修司の「タウンアーキテクト論」。これは、地方に密着して活動する町医者的建築家と連動してはじめて機能する。アトリエ系→スターアーキテクトだけが、建築家の道ではないのだ。

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見学の後、小学校の音楽室で平田氏にこの間の保存・改修運動の流れの簡単なレクチャーを受けた。建物の老朽化に伴い、保存改修でいくか新築にするか、いろいろすったもんだがあったらしいが(そのやりとりの様子はNPOの冊子にまとめられている)、今は改修保存の方向が確定し、実施設計がすすんでいるとのこと。
建築そのものもとてもよいし、この活動はもっとメディアに取り上げられてよいはず。なのに、建築メディアにすらほとんど紹介されてないんじゃないか。

教育委員会に申し込めば、見学を受け付けてくれるかもしれないとのこと。見学者が多く訪れるということは、この小学校が世間から注目されていることを。行政にアピールするという意味ももつので、興味のある人は是非トライを。高野口の街も面白いですよ。

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■ 08年04月08日(火)

高野口小学校 その1[柳沢究]

先月末博士論文が一段落した後、芸工大の助手同僚の水島あかねさんにお誘いいただき、和歌山にある高野口小学校の見学に行ってきた。

現地でご案内頂いたのは、高野口小学校の保存・改修プロジェクトに携わっている和歌山大助教の平田隆行氏(平田さんのサイト構成は広範な活動がそのまま可視化されていて面白いな)。平田氏とは、1999年夏にフィリピンのヴィガンという街の調査に一緒に行って、マニラの安宿で飲んだくれた時以来だから、約9年振りの再会である。

で、高野口小学校。

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前庭と正面玄関(当日カメラをうっかり忘れため、水島さん撮影の写真をもらいました)

1937年建設の木造平屋の小学校。プランは櫛形のいわゆるフィンガープラン(ここの航空写真参照)で、それぞれのフィンガーの北側に片廊下が走り、南側が教室という構成になっている。指の間は中庭で、指の付け根は正面玄関と職員室などの管理部門が集まるという明快な構成。
プランで見るときわめて構成的なため、病院や兵舎・刑務所にも通じそうな堅苦しい雰囲気である。しかし実際には、長手方向の壁がほとんど全て開口部になっているため、教室〜廊下〜中庭とのつながりも密で、そのような印象はまったくなし。のびのびとした心地よい教育空間でした。

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廊下と教室(1間ピッチで並ぶ5寸角の柱。方杖がきいている)
廊下も教室も天井高が高く(3.3mくらい?)、空間としては完全にモダンである。

高野口小学校の空間の「のびのび感」は、厳格な空間構成理念が、住宅にも通じる和風のディテール(天井はなんと竿縁天井である)と木の質感でうまく中和されている点が大きい。ディテールと質感が、理念と人間の距離を埋めているといってよいか。これを鉄骨で白く塗ってやってしまったら、こうはいかないだろう。

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中庭

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■ 08年04月01日(火)

「足の裏の米粒」除去[柳沢究]

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(ヴァーラーナシーでの調査風景:2007年06月)

新年度明けましておめでとうございます。

昨年度よりほぼ、丸一年間、神楽岡の活動を休業してきましたが、4月より復帰です。
そんで、この3月で5年間お世話になった神戸芸術工科大学を退職し、しばらくぶりに京都での設計業務に本腰を入れていきます。
芸術工学研究所特別研究員、また民博の共同研究員として、インド都市研究も継続するんですが。
(テーマとしては、今後、対象とする時代を過去から現在へと漸次スライドさせていく予定。対象地もインドから日本へと関係づけていくのが目標)

この一年半は、積年の課題であった博士論文の執筆に没入でした。
30過ぎたとか、職の任期が切れるとか、所帯持ちになったとか、もろもろで尻に火がボーボーつきながら、同じテーマで科研があたったという追い風や、いろいろな方の助けも受け、何とか走り抜けることができました。

12月の草稿の提出から、1月の論文提出、2月の公聴会、3月の最終判定を経て、先月24日に尾池総長から直々に学位記をもらってきました。論文の中身はさておき、「足の裏の米粒」と揶揄される博士号でも、7年越しのそれはそれなりに感慨深いもので、でも、歓喜というよりは安堵、長いマラソンを完走したような、しみじみあはれな、それです(マラソンしたことないけど)。
在学時と違って大半が孤独な作業であったので、修士論文や卒業設計時には考えもしなかった、相談できる先輩や手伝ってくれる後輩、同じ目標に向けて走る同輩の存在のありがたみも、折りに触れて感じました。

博士号の重みも年々と軽くなってきているらしく、また、博士難民の様子を見ても、これがいつか運転免許証ほどにも役立つのかわかりません。ただ、学位そのものよりも、取得にかかる一連のプロセスをくぐりぬけることこそが、仮にも「研究者」を名乗るために不可欠なイニシエーションであるということは(ノーベル賞の田中さんのような例外はありますが)、誰もが言うことですが、強く実感したことであり、また以前には決して理解できないことでした。

ともあれ、まがりなりにも一つの形に研究をとりまとめると、当然問題点が明らかになるとともに、あれこれ楽しい展開が思い浮かんだりもしているのですが、今はもう、研究・論文からはしばし離れ、思う存分建築の世界に遊びたいというのが正直なところです。

そんなわけで、またぞろよろしくおつきあいお願い申し上げます。

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■ 07年09月15日(土)

SSS 雑誌掲載[柳沢究]

先日インドから帰ってきましたが、帰国するなり熱を出して寝込んでしまいました。フィールドで1ヶ月調査しっぱなしというのは、30歳を過ぎるとかなり厳しいものがあります。

さて、この間SSSがいくつかの雑誌に発表されました(昨日、大学に届いていた現物をようやく確認しました)。各誌とも内容は微妙に異なっており、ホームページにはでていない詳細な解説なども記載されていますので。よろしければ是非。

『建築ジャーナル』8月号 「左官技術でセルフビルド型仮設住宅 関西の若手研究者と設計者が試作する『シェル構造』とは」
『新建築住宅特集』9月号 「伝統的左官の技をいかして,仮設住宅を! SAKAN Shell Structure実験中」
『住宅建築』9月号 「左官技術を用いた無筋超薄肉シェルによる仮設住宅モデル」
『コンフォルト』10月号 「左官が構造を担う仮設住宅への試み」(西山マルセーロ氏による評)

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■ 07年08月25日(土)

SSS 読売新聞に掲載[柳沢究]

(インドから更新しています)
23日付の読売新聞(神戸版・尼崎版)に、「風船で、手作り仮設住宅」という題で、SSSが紹介されました。


付記:
神戸総局発・震災復興トピック、ということで、記事では「神戸芸工大・柳沢」の名前が前面に出ていますが、こちらのデータ欄に記載してあるように、この仮設住宅の開発は、SAKAN Shell Structure研究委員会として、小澤雄樹氏(立命館大学)、森田一弥氏(森田一弥建築工房)、山本直彦氏(奈良女子大学)、柳沢(神戸芸術工科大学)の共同で行ったプロジェクトです。また研究の遂行にあたっては、立命館大学の大きな援助を受けています。

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■ 07年08月24日(金)

マドゥライ / 超巨大コーラム[柳沢究]

コーラムも町中で見られます。

僕の名刺に使っているのと同じデザインのコーラムを発見。


これはちょっと複雑。


そして, ミーナクシー寺院の床に描かれていた超巨大コーラム。
そのサイズ4m四方。75×75の配列点上に描かれている。
たぶん一筆描きできる。おそるべし。


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■ 07年08月23日(木)

マドゥライ / 牛[柳沢究]

ゴミ捨て場の牛と映画のポスター

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■ 07年08月22日(水)

マドゥライ / ミーナクシー寺院[柳沢究]

調査で南インド、タミル・ナードゥ州のマドゥライに来ています。
まだ雨季には入っていないので暑いのですが、今年の日本よりは涼しい。
南インドでは、人々の物腰が柔らかくて嬉しい。道ばたで目があうと微笑んでくれる。
ヴァーラーナシーやデリーと違って、なんと心安らかに過ごせることか。

南インド最大のヒンドゥー寺院の一つ、ミーナクシー・スンダレシュワラ寺院
そびえ立つゴープラム。
過剰というべきか豊穣というべきか。


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■ 07年08月07日(火)

ガンジス河の水没寺院[柳沢究]

ヴァーラーナシーは、インドで最も聖なる河とされるガンガー(ガンジス河・恒河)の河岸に展開する都市です。ヒンドゥー教最大の聖地であり、インド国内外のあちこちから数多の巡礼者が訪れます。巡礼者たちが朝日を浴びながらガンガーで沐浴する風景は、テレビなどでもお馴染みでしょう。映画「深い河」では秋吉久美子も沐浴していました。そういえば、長澤まさみが主演のヴァーラーナシーを舞台にした映画 (ガンジス河でバタフライ) があるそうで、つい先月そのロケがヴァーラーナシーで行われたと聞きました。あんなところでバタフライなどして体は大丈夫かしらと、にーにーは心配です。

(2007年6月)

インドにはモンスーンのやってくる雨季と灼熱の乾季がありますが、ガンガーの水面はその間に6〜7mほど上下します。はじめ、河の水面が毎年数mも動くということが信じられなかったのですが、それをものすごくよく理解させてくれる寺院が河岸に建っています。
上の写真は、その寺院を乾季の6月に撮ったもの(6月は雨季直前の最も暑い時期。気温は45度を越え湿度もばっちりあります。きついです)。

これが雨季の終わり頃だと、

(2000年10月)

こうなり、
雨季真っ最中は、

(1999年9月)

こんな感じです。

石造建築とはいえ、そんな毎年毎年水没していて大丈夫なのかしらというにーにーの心配をよそに、聖なるガンガーで沐浴する寺院、しかも擬似的に消滅と再生を繰り返すこの寺院は、聖地ヴァーラーナシーにおいてもとりわけ象徴的な存在であり、篤い信仰を集めていると思われます。
そしていつか、乾季になって水が引いたら寺院がなくなっていた、なんてことになったとしても、この寺院は都市の記憶の中に生き続け、信者は変わらずそこへ参拝にやってくるに違いないのです。そんな場所がヴァーラーナシーにはいくつもあるのです。

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■ 07年08月03日(金)

近況とLonely Planet "Japan"[柳沢究]

論文に集中モードで、それ以外の仕事は極力受けないようにしている今日この頃、神楽岡のイベントもそういうわけで休止中なのです。秋の遠足くらいはやりたいと思っていますが…。

この間のイベントとしては、6月に久々インド調査へ行ってきました。今回はデリーとアーグラ、それにおなじみのヴァーラーナシー(インド旅行のゴールデンコースですね)。
7月後半は、SSSの雑誌発表対応でバタバタしていましたが(8月あたりから、いろいろメディアに登場予定です)、その合間を縫って、ヴァーラーナシー研究会発足第一回の発表者として、仙台に行ってきました。おいおいさかのぼって、更新してみます。

ところで、インドに行ったさいに現地で「Lonely planet」の「Japan」を購入してみました。

 
「Lonely planet」は、オーストラリアの出版社が出している有名なガイドブックシリーズで、まあ「地球の歩き方」の英語版のようなものですが(最近は日本語版も出てます)、内容は格段に詳細です。宿や交通手段などの情報も充実していますが、特に各国の文化・政治・社会の状況について、外国人旅行者の立場にたった解説がされていて、なかなか読み応えがあります。また、障害者が旅行する場合、あるいはゲイの人が旅行する場合のアドバイスなど、日本のガイドブックにはありえない、多様な旅行者を対象とした記述がされているのは驚きます。
(唯一の欠点は厚すぎる点か。辞書並の厚さのためカバンの中でかさばって仕方ない)

インド版では「歩き方」には載ってない小さな町が載ってたりして重宝しているのですが、今回は「日本」はどんな描かれ方をしてるのか、興味があって買ってみたわけです。

まだ拾い読みをした程度ですが、『暴走族』について「モーターサイクル・ギャング。やかましいけれど、大抵、無害harmless」とか、『日本食レストランにて』で、箸の使い方の作法の解説とならび「お会計の時には指で"×"サインをつくりましょう」とか、的確で微笑ましい記述がある一方で、「日本は世界で最も安全な国の一つだが、女性の旅行者にとってはそうではない。…日本に来て(痴漢などの)性的被害を受けない女性旅行者はほとんどいない」というような、耳の痛い指摘もあります。

京都については「刺青」の解説の項で面白い記述がありました。
「刺青は世界の中でも最も芸術的なタトゥーとされている」から始まり、「刺青師の作品を観賞する最高の場所は、裸のヤクザのいる銭湯であろう。京都では『正面湯』」がオススメ、とのことです。
我が家の最寄り銭湯ではないか。

ちなみに「正面湯」は、エレベーターを備えた3階建ての銭湯としても有名で、素っ裸で他人と一緒にエレベーターに乗るという、希有の空間体験をすることができます。
未体験の方は是非。

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■ 07年06月05日(火)

SSS 総括[柳沢究]

SSS(SAKAN Shell Structure)

プロジェクト概要と写真

構造実験および実験棟施工のプロセス

「森田一弥の写真日記」での報告

SSSの原案となった「SHELL-TER」は、地震などの災害時で家が失われた時に、被災者が短期間のうちに自力建設(セルフビルド)でき、なおかつ災害復興が終わっても活用のできる、仮設住宅のモデルを提案でした。

SSSプロジェクトでは、これを元に「京都型」としてのコンセプトを加え、実現へむけてのより詳細な検討を、2年間にわたって行いました。コンピューターによる構造解析、モルタル材料試験、1/3モデルを使っての載荷実験・振動実験、バルーン型枠の開発、足場の組み方、開口部の検討、そして実物大実験棟の建設を行いました。

結果として開発された構法は、容易な施工ときわめて少ない材料で一定の居住空間を確保でき、建設コストも比較的安いものです。仕上げをどこまでするかにもよりますが、必要な建設期間は3〜5名の人数で約1週間ほど。コストも足場代、職人手間代込みで100万もあれば可能です。中に入るとドーム型の天井のため四畳半相当とは思えないほど広々としており、仮設住宅にとどまらず、東屋・イベントブース・遊具・子供部屋・茶室など、様々な展開が考えられます。
防水性・断熱性能の向上、ユニットの連結方法、より施工がしやすく居住性の高い仕上げ方法等、残された課題は少なからずありますが、今後も実験棟を一つ一つ試作しながら、改良していければと思っています。
どなたか作ってみたいという人がおりましたら、お気軽にご相談ください。


なお、本プロジェクトは遂行にあたって、立命館大学COEプログラム、住宅総合研究財団、文部科学省学術フロンティア推進事業からの研究援助を受けています。
空気膜型枠の数値解析と制作は(株)小川テックとの協同で行われました。
構造実験・材料実験に際しては立命館大学理工学部土木教室の設備を使用させていただきました。
左官工事・三和土の施工には久住鴻輔氏の大きな協力を得ました。
リブ型枠の製作ではポチテックならびに前村達也氏にご協力いただきました。
実験棟の仕上げに用いた水硬性石灰は日本NHL委員会から提供していただきました。
またプロジェクトの各段階において、立命館大学小澤研・滋賀県立大学山本研/布野研・奈良女子大学の学生さんにご協力いただきました。
最後になりましたが、以上、ここに記して御礼申し上げます。


SAKAN Shell Structure 研究委員会

※本サイト内のSSSに関する文責:柳沢究

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■ 07年05月26日(土)

SSS打ち上げ[柳沢究]

吹きすさぶ雪の中、凍えながらバルーンを膨らませた(しかも失敗して膨らまなかった)のも遠い思い出。すっかり新緑の濃い季節になりました。
この日は朝10時に滋賀県立大集合。SSSの一連の作業の締めと打ち上げを行いました。

>> "WORKs/SAKAN Shell Structure"に写真を追加しています。


まずSSSの表面に微細なクラックがはいっていたので、全体に消石灰クリーム(消石灰を水で溶き、化成糊、増強剤などを加えたもの)を刷毛で塗りヒビ埋めと美観上の化粧をしました。この作業はもし恒久化するのであれば、年一回はやるとよいのでは。続いてタタキ表面の埃を押さえる作業を行う。

 

最後に開口部にあらためて膜を設置。これで、完成。
作業後には竣工写真の撮影を行い、打ち上げとしてバーベキューを開催。

 

SSSの中でもやってみる…

膜に映る木陰がなかなか風情があってよろしい。

暗くなると、内部のロクタ紙やタタキの粗い表情が綺麗。
実際に居住するのであれば、床には韓国のオンドルのように油紙を貼るか、ペルシャ絨毯のような厚い絨毯を敷き詰めるとよいのではと思う。

 

夜景・外観。内部の人影が映る。
阪神大震災の仮設住宅では、老人の孤独死が大きな問題となりました。仮設住宅では、このように内部の気配が、ある程度外からも伺えることも大切だという考えです(もちろんクローズな部屋も必要ですが)。

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■ 07年05月05日(土)

SSS内装仕上げ作業・その3[柳沢究]

明けて5月5日、内部の床の施工を行いました。
施工指導はおなじみの久住鴻輔氏。

床は三和土(タタキ)で作ります。その最大の理由は、居住者自身を施工主体として想定するからです。

仮に木材を用いた高床とする場合は、一定の熟練した施工技術が要求されます。特に曲面となるシェルの足元部分の取り合いには、高度な加工が必要となります。
しかし、土と少量の石灰を混ぜて叩き締める三和土であれば、左官職人の指導のもと、非熟練労働者による施工が可能です。また主材料となる土は現地調達が容易であり、交通が遮断される災害時の材料供給の点からも有効な方法と考えられるのです。

まず、かさ上げのために内部に砂利を敷き詰めて、足で踏みしめます。
床は地面から12センチくらい上がって来る予定。

 

材料を練ります。タタキには「三和土」という漢字が当てられますが、それは本来タタキの材料を土に石灰とニガリを混ぜてつくることから来ていますが、今回実際に使った材料は、消石灰2、砂6、土1、砂利2、水1.2(ニガリは今回は使用していません)。

今回の三和土は、通常の施工に加え、表面2センチほどには、(外装仕上げにつづき)日本NHL委員会からご提供いただいたNHL(Natural Hydraulic Lime:天然水硬性石灰)を実験的に用いています(NHLを用いた三和土というのは、おそらく国内では初の試みかと思われます)。

材料を敷き詰め、水平にならしていきます。

叩きます。
ゴザを敷いているのは表面を滑らかに仕上げるため。

親のカタキのように叩きます。

よってたかって叩きまくります。
三和土は、これだけぶっ叩くから「タタキ」と呼ぶのだ、ということがよくわかります。

完成。
(ブルーシートをかぶせて1週間くらい養生します)

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■ 07年05月04日(金)

SSS内装仕上げ作業・その2[柳沢究]

そして本日(5/4)、内装の紙貼り作業を行いました。

絶好の晴天にめぐまれ、大いに日焼けしました。シェルターも、強い陽射しにひときわ凛々しく見えるような気がします(親バカ)。地中海の島にもっていったら、とても馴染みそうです。あと、ナメック星とかも。


紙貼り作業。GW真っ只中だとういうのに、立命館小澤ゼミの皆や滋賀県大の学生が大勢手伝ってくれて感激。しかし思い返してみると、学生時代にはGWは意外に暇な時期なのだった。なんとなれば平日に動ける学生は、わざわざ人だらけのGWに出かける必要はないのだから。とはいえ感謝感謝。

まずはこんな風に、下地となる紙を貼っていきます(ホームセンターで買った障子紙。1×7mで300円。安い)。内側も曲面なので、皺がよらないように紙を小さく切る必要があります。なかなか手間ですが、少しずつ仕上がっていく作業は楽しい。

 

下地貼り完了。ランダムなカバーリングが意外な迫力を生んでいる。

続いて、仕上げとなるロクタ紙を貼っていく。ロクタという植物の繊維でできたネパール産の和紙(ネパール紙)。凹凸のある粗い表情が味わい深い。値段も高からず(とはいえ0.7×0.4mで障子紙7m分よりは高い。購入はこちらの会社にお願いした)。
自分でやる場合、貼り方のポイントは2点。
1.
切る場合は紙に折り目をつけ、そこを湿らせてから、繊維が乱れるように手でちぎる。カッターできれいに切ると、重ね貼りした時に継ぎ目が目立ってしまうから。
2.
糊は普通のクロス用を用いた。糊を裏につけた後、霧吹きで表をやや濡らしてから貼ると、曲面にぴったりフィットする。

 

仕上げ貼り完了(左は天井貼りを一手に担った滋賀県大中濱君)。
パンテオンか石窟寺院か、はたまたイヌイットのイグルーか、とにかく組積造のムードが不思議。足元は翌日の三和土(タタキ)施工のために残してある。

最後に恒例の記念撮影。小澤先生と小澤研の皆さん。


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■ 07年05月03日(木)

SSS内装仕上げ作業・その1[柳沢究]

滋賀県大に建つSSS(Sakan Shell Structure)実験棟の内装仕上げ工事がスタート。
その手始めに(もう1ヶ月前のことですが)、内装のモルタル塗り工事を4月10日に行いました。

※SSSの概要解説アップしました >> "Works/SAKAN Shell Structure"

前回までの作業で外側はかなり綺麗に納まったのですが、室内側には躯体施工時のモルタルの下地となった麻布(これにモルタルがくっついて、シェルが出来上がっている)が露出しており、住居というにはあまりにダイナミックというか、殺伐とした表情でした。そこで、居住環境にふさわしい内装仕上げとするために、まずは内装にモルタルをこすりつけ、滑らかにならすしたわけです。これはプロの仕事。


 

Before → After
トップライトの開口に木枠を設置し、エッジがきりりと引き締まりました。

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■ 07年03月26日(月)

スライド会の様子[柳沢究]

IMG_2349.jpg

3/25のスライド会の様子。

鈴木健太郎氏所有の丸太が山積みになっているため、いつにも増して密度が高い神楽岡。そこへ30人超の来場がありたいへん賑やかな状態に。
土間・床・丸太と三段階の床レベルからなる立体的な観賞空間となりました。

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■ 07年03月20日(火)

中国山西省・大院めぐり[柳沢究]

15〜19日と、中国山西省に調査へ。

 

曹家大院・渠家大院・常家大院・喬家大院という、一連の「○○大院」と呼ばれるこの地方の商人の大邸宅を梯子する。昨年、一昨年と大学院で調査した王家大院との比較のためだ。
「大院」はいわゆる四合院が何十と集合して、ひとつの町のようなスケールでできあがっている。そのためどこをどう歩いても金太郎飴のように、囲われた中庭の風景が反復していくのは、ある種の力強さを持った、気分の悪い空間体験ではある。最後の方はかなり疲弊した。


 

大院めぐりの拠点としたのは平遙の町。世界遺産にも登録されており、2〜300年前くらいから凍結した街並み。城壁に囲まれた、石炭の匂いが立ちこめる暗い湿った(これは季節と天候のせいもある)石と土の町。ここはおすすめです。右の写真は泊まったホテル。

曹家大院にて。すべて「寿」という字のバリエーション。

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■ 07年03月15日(木)

SSS実物大実験棟施工・その3[柳沢究]

足場が外れた完成写真が届きました。
非常にマイルドな雰囲気に仕上がってます。

 

内装仕上げはこれから。

とりあえずの仕事を終えたバルーン。
次の出番はいつどこでか。

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■ 07年03月14日(水)

SSS実物大実験棟施工・その2[柳沢究]

10日の作業に引き続き、SSS実験棟のシェル仕上げ工事。

現場に着くと、バルーンは萎み、シェルはばっちり固まっておりました。山本先生によると、前回の施工後48時間後にバルーンの空気を抜いたとのこと。

 

仕上げには、森田氏と久住氏の提案により、通常の漆喰よりも耐水性の高い天然水硬性石灰(NHL)という素材を用いた漆喰を使うことに。国産の材料はなくフランス(ベルギー?)からの輸入品のためかなり高価なのですが、久住氏を通じて日本NHL協会の方にご協力をいただきました。


材料を練り、上塗り仕上げにとりかかる。砂を多めに使っているからか、NHLの色なのか、やや褐色がかった白色。スポンジケーキに生クリームを塗るように、塗っていく。左官職人は実にパティシエなのだ(英語の“パテ putty”には「上塗り漆喰」という意味もあるのです)。


並行して、バルーンとバルーンを固定していたベースプレートの撤去を進める。

開口部周りのリブを除き、上塗り完了。モルタルだけの時よりも大分やさしい風合いになってきました。たしかこんな色合いのカブトムシがいた気がする。

 

内部空間の様子。平面はおおむね3m四方(方丈)で4畳半くらいの広さ。ドームの頂部高さも同じく3mあり、一つの空間の単位としてふさわしい、狭からず広からずの非常に心地よいスケール感。


仕上げの続き。ある程度固まってきたところを、スタイロでこすって形を整え仕上げていく久住氏と、リブ部の仕上げにとりかかる森田氏。

 

その間に、開口部の膜材をとりつけていく。左は真ん中にファスナーのついた出入り口タイプ。右は窓タイプ。メッシュがついて夏も安心。


最終仕上げとして、スポンジで表面を滑らかに整える。円を描くように。
そうして作業が完了したのは日没間際。シェルの施工はとりあえずこれで一段落。
バルーンの精度や、プロの組んだ足場の使いやすさ、山本先生・林君の膨大な事前準備作業、森田氏・久住氏の段取り、小澤研の皆さんや川井君の協力などのおかげで、いくつかの反省点は残しつつも、今回の施工は当初の予想をはるかに越えた成功であったように思います。

最後に記念写真。

足場がはずれた完成像は、また明日。

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■ 07年03月12日(月)

久々の研究発表[柳沢究]

ヴァーラーナシーにあるとあるヒンドゥー寺院の建物。真ん中に見える茶色い塔が寺院。しかし1階部分はお店になり、上には建物が増築され、おまけにそこへ塔の先端が突き刺さっている。
周囲の増改築によりこんな状態になった寺院が、ヴァーラーナシーではしばしば見られます。寺院が都市の中でどういう存在なのかを物語る、実に興味深い現象です。

という話とはあまり関係ないのだけれど、12日には万博公園の民族学博物館の研究会で、久々にインド研究の発表をやりました。

題目は「モハッラと都市空間:ヴァーラーナシーを事例に」。

『モハッラ mohalla』というのは、北インドの都市の近隣・街区単位であり、かつては地域コミュニティの単位でもあった(元々はアラブ起源の概念)。そのモハッラがヴァーラーナシーにおいては、どのような構成をもって都市空間に配されているのか、というテーマを現地での調査を元に話した。僕の博士論文の一部をなすものでもある。
都市の一つの構成単位であるモハッラの特徴を把握することで、ヴァーラーナシーという町のなりたちや特徴が見えてくるのではないか、という筋書きである。

モハッラについての研究は、社会学や歴史学分野に若干の研究があるものの、その空間的側面にはまだまだ明らかではない。そんなこともあってか、発表は(ゲストに対するリップサービスはもちろんあったにせよ)けっこう好評であったように思います。文化人類学的視点からの鋭い質問もたくさん頂いて、異なる視点からの批評をもらうことや、期に応じて研究を取り纏めていくことの大切さを改めて実感したのでした。
感謝合掌。この勢いで…。

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■ 07年03月10日(土)

SSS実物大実験棟施工・その1[柳沢究]

滋賀県大で行った、SSS=左官シェルストラクチャーの1/1スケール・実験棟施工の様子です。

プロジェクト開始から約2年、元になったコンペ作品(Shell-ter)から数えると約6年がたったことになります。アイディアコンペの作品がこのようにリアルに立ち上がることになったのは、ひとえに滋賀県大・山本直彦先生の手腕によるところが大きいが、それ以外にも各方面さまざまな方のお世話になり、ここまで辿り着きました。それだけでも感慨深いものがあります。


さて、広大な滋賀県大キャンパスの一角に足場屋さんに組んでもらった八角形の足場。
6日の準備作業でバルーンがうまく膨らまなかったのは、地面の凸凹のためと考え、きっちり地ならしをしたうえで、バルーンを設置する。さらに空気を逃がさないように足下を土嚢袋で押さえてから、送風機で空気を送り込みます。

 

今度は見事に美しい楕円形ドームに成長。
中に入るとこんな感じ。空気をパンパンに送り込んでいるので、気圧で耳がツーンとします。あまり長く入っていると目がチカチカして気分が悪くなり危険。写真はSSSプロジェクト・構造担当の立命館大・小澤雄樹先生。

 

次に開口部の型枠となるリブ材を設置すると、素晴らしい精度でドームと合体。まさに計算どおり。嬉しい。

 

頂部にはパンテオンよろしくトップライトを設置する。トップライトはポリカーボネート製のサラダボウルである。
続いて養生のためにバルーンをビニールシートで覆っていく。

その上に、麻布をかぶせていく。これがモルタルの引っかかりとなる。

 

足下には砂利を埋込み、簡易な基礎とする。
そしてモルタルを練る。

 

ついに左官工事開始。塗手は森田一弥氏と強力助っ人の久住鴻輔氏。左官は時間との勝負。もの凄いスピードでモルタルが塗られていく。
その脇では、材料を切らさないように、ひたすらモルタルを練り続ける。これが意外に重労働。写真は滋賀県大・川井操君と立命館・小澤研の学生さん。

 

あっというまに第1段階の施工が完了。


 

モルタルがおおむね固まってきたところを見計らい、第2段階に突入。載荷実験、振動実験の結果をふまえ、下半部には厚めにモルタルを塗りつける。赤いジャケットは、今回バルーンの製作にご協力頂いた小川テックの廣澤部長。東京から駆けつけてくれた上に、工事の手伝いまでしてもらいました。

日没とほとんど同時に第2段階の施工が完了。雨が降りそうだったので、10m×10mの巨大ブルーシートで覆うと、妙にアナーキーなオブジェのように。
この後、足下のモルタルが剥落したりして、その修復作業(と恒例の中国語勉強会)が深夜(夜明け)まで続いたのですが、全体としてはきわめて順調であったと言ってよいでしょう。

とはいえ、気温が非常に低いため、モルタルの乾きが予想よりもかなり遅い。いつになったらモルタルが十分に硬化してバルーンの空気を抜けるのか(何せバルーンを膨らませている間は、ずっと送風機を可動させ続けているのであるから)、一抹の不安を抱えながら、後事を山本先生と林君に託し、11日早朝に一旦解散。

仕上げは14日。

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■ 07年03月08日(木)

人力観覧車?[柳沢究]

来週の発表の準備で、7年前のインド調査時の写真を見ていたら面白い一枚がありました。ヴァーラーナシーの街を訪れた巡回遊園地(!)の「人力観覧車」(あれ、でもこれは「観覧」車ではないよなぁ。どう考えても。「回転ブランコ」は水平回転だし、何と呼べばよいのかわからない)。

回転軸部分に3人の屈強な男が入り、交互に全体重をかけて車軸を回していく。ちょうど自転車のペダルを漕ぐような要領である。彼らが疲れるとゆっくりに、乗客の反応がよくて気分がのると猛スピードで加速するというヒューマンな乗り物。
動画で見せられないのが残念ですが、最高速時はかなり速いです。数秒で一回転します。

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■ 07年03月06日(火)

SSS型枠仮組み[柳沢究]

朝から滋賀県立大学にて、SSSのドーム型枠を設置し膨らませるテストをやった。

ドーム型枠は今回の実験のために特注した、直径3.6mの巨大な袋状の物体(写真の黄色いの)。材料は塩ビなんだけど、なかなかに重く(50〜60kgはあるのではないか)、所定の位置に広げ固定するだけでも一苦労。3人がかりで1時間以上かかりました。
おまけに彦根は午後からずっと吹雪いて、気温は0℃以下だし…

その寒さの故か、膨らましテストはあまり上手くいかず、週末の本番作業に向けていくつかの課題が残ったのでした。

一方、先週からpotitekの工房をお借りしてつくっていた開口部まわりの部材は、いい感じで組みあがりました。(前村くん、戸田さん、お世話になりました)


 

左:これが入り口の枠になる。右:ドーム状の型枠に取り付けるため接線は三次元曲線を描く


部材製作作業の様子(助っ人の前村くん

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■ 07年03月04日(日)

『無有』竹原義二[柳沢究]

だいぶ久々で更新の仕方を忘れていました。
ようよう論文に腰が入りつつも、SSSの実験が山場を迎えていたり、3月に民族学博物館で発表することになったり、12年振りで歯医者に行ったり、ついに花粉症デビューしたりの2月でした。神楽岡スライド会の段取りもなかなかできていませんが、今月からまたやります。

ところで、一年以上前から構成役として制作に関わっていた本が、つい先日、完成・出版の運びとなりましたので、ご案内。


無有』 著:竹原義二/写真:絹巻豊 (学芸出版社)

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(書名は「むう」と読みます)

広葉樹や土・石などの自然素材を独特の感覚で使いこなし、緻密な平面をもった住宅作品に定評のある建築家・竹原義二氏の初の単行本です。
単なる作品の解説にとどまらず、「手仕事の痕跡」「ズレ」「間合い」「廻遊」「素材の力」など、竹原作品に通底するキーワードを軸に、これまでの住宅設計の軌跡や、竹原氏の原点となっている様々な日本の伝統的建築の空間体験、職人と向き合う姿勢などが熱く語られています。
複雑なアプローチや境界のデザイン等を解読できる図面やスケッチも数多く収録され、なかなかに読み応えのある一冊ではないかと思います。
(書店には10日頃から並ぶそうです)

あと、関連イベントとして現在、大阪のINAX the TILE spaceというところで、「101+1のイエ」という展覧会が開かれています。自邸「101番目の家」にいたるまでの全101作品の模型と青焼き図面(手描き)がズラリです。

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■ 07年01月04日(木)

餅つき[柳沢究]

3日:恒例企画となった餅つき。
今年はご近所の方やちびっ子達やスイスからの留学生(町家の保存を研究)も含め、20人くらいが集まりました。

路上にイスを並べ、一斗缶のコンロに2×4材の薪をくべ、羽釜で米を蒸し、代わる代わるに餅を搗く。そのかたわらで、ちびっ子たちは神楽岡裏庭にある露天風呂(製作:樋貝・山田両氏)にフリチンで飛び込み、しばらく裸でそこら中を走り回っていた。その時あたり一帯には「昭和」の雰囲気が実に濃厚に漂い込めており、通りがかりの人々も思わず足を止め、引き込まれていったのでした(黒豆やお焼き、抹茶の差し入れを頂きました。ごちそうさまです)。

餅の出来映えはなかなかよし。一昨年→去年のような革命的前進(前日から米を水に浸すことの発見)は無かったものの、着実に進歩している。

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■ 07年01月02日(火)

謹賀新年[柳沢究]

よき春をお迎えのこととお慶び申し上げます。
旧年中のご厚誼に感謝を申し上げるとともに、本年もどうかひとつよろしくお願い致します。

さて2001年にスタートした神楽岡という運動というか集団というか場所というかは、今年の春で7年目に突入するそうで。開始当初に生まれた子供ももう小学生というわけで、神楽岡でも結婚したり子どもが生まれたり、独立して仕事を始める人がいれば、海外に飛び出していく人もいるわけです。
多々の反省とともに感慨深いものがあるわけですが、あの頃ぴかぴかの博士課程一年生だった私は、まだ学位論文を完成させていないわけで、そんなことを考えていたら新春早々薄ら寒くなってきました。今年の課題はとにかく論文です。フィールドであるインドにも久々に行きます。

インドといえばこの年末年始で、インド西部での大地震から4年、インド洋津波から2年、パキスタン地震から1年が経ちます。なにも災害に限らずとも、日本におけるインド・南アジアに対する注目はこの数年で飛躍的に高まってきました。島耕作もインドに行き専務になりました。
だからといって私の研究に取り立てて影響があるわけもないのですが、同じインドの都市について考えていても、7年前とは自然と異なった意義を自分で再発見するようになったりします。もうすぐインドの街も日本の高度経済成長期のようにとんでもなく変わってしまうのではないか、急いで論文をまとめなければなどと心配もするのですが、いやいやヴァーラーナシーのベンガリートーラの路地などは、100年後も(100年前からも)たいして変わらずが歩いているのではとも思います。
ともあれ、今年は瓢箪のくびれ2年目です。

(写真はヴァーラーナシー、アッシー・ガートの風景)

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■ 06年12月28日(木)

"Google Scholar"と"Google Book"[柳沢究]

論文モード始動ということで、参考文献・論文をリストアップしては整理するという日々。

ネットで論文検索をかけては、アブストラクトを見たり所蔵図書館を調べたり。PDFファイルで本文がまるまる手に入る場合も多い。インターネットでは大概のことは驚かなくなってきたものの、いやー、世の中便利になったもんだなーと実感しています。ネットでの論文情報の収集のしやすさは、修士論文をやってた頃(5年前)に比べてさえ、すでに隔世の感があります。

中でも最近知って重宝しているのは、Googleの提供する、研究者向け論文検索の"Google Scholar"と書籍内容検索の"Google Book"。

どちらも、現時点でどれだけの範囲をカバーしているのか分からないから、これだけ使えば大丈夫とはいかない。しかし少なくとも英語の文献に限れば、個々の論文・書籍検索サイトの編み目を縫って、かなり細かなところまで拾ってくれるし、PDFの本文情報へのアクセスが明快なところがありがたい(Google Scholarの特徴については、こちらのサイトが詳しい)。
Bookの方は、目次までなら見られる本が多いのは助かる(和書は全然カバーされてないけれど)。著作権切れの本だと、全文が読めるものも結構あって驚く。著作権ありの本は印刷ができないのが困りものではあるが。

それにしても、Google Earthの3D化にせよ、いったいGoogleは何をどこを目指しているのだろうか。全世界の情報のデジタル・データベース化なんだろうけども。その先は?

もう一つの最近知った重宝ツールは、iTune
言わずと知れた音楽プレイヤーであるが、実はPDFファイルも管理できるのだ。Web上で拾い集めたPDFを、MP3ファイルを扱うのと同じ感覚で、一括して整理・分類できるのでとっても便利です。
>> 詳細はこちら

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■ 06年12月27日(水)

秋の遠足5・百済寺[柳沢究]

12:00
1時間半近くも見ていたのに、全然時間足りず。門藤氏なぞは自転車を借りて公園内を走ろうよー、などと言う。そんなことをしてたら、今日の遠足はここで完結ではないか。
名残惜しくも、青年の城を出発。
走り初めてすぐ、車の一台のタイヤに故障が発生したため急遽ガソリンスタンドにピットイン。近所の回転寿司で食事。

14:00
第三目的地、湖東三山の一・百済寺に到着。
紅葉の名所ということでもの凄い人出でした。

 

百済寺は、まず参道がよかった。
なだらかーに登り、緩やかーにくねる、土の道。両脇に木々が並び、程よいスケールの石垣が道に沿う。これまでに見てきた中でも、ワンノブザベスト参道である。


そんな参道を登ること20分。息が上がりかけてきたところで、本堂につく。石段の突き当たりから一旦曲がり、一段上がって境内に入るアプローチがにくい。


庭園。池を中心とした庭園が建物と築山によって囲いこまれていて、箱庭に入ったような空間感覚が独特であった。水谷氏は手入れが悪すぎると酷評。とにかくすごい人出で落ち着けなかったのは残念だったけれど、まるでベルトコンベアーのごとく人の流れる様に、「回遊式」庭園の真価(?)を垣間見たのでした。

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■ 06年12月26日(火)

秋の遠足4・青年の城2[柳沢究]

論文モードのエンジンはようやく暖気されてきた感じです。
遠足報告はだいぶ間が空いてしまった。年内完結を目指して駆け足で行こう。


 

左:飛び出した3階部分からピロティに舞い降りる螺旋階段。
  こういうの学生の頃作りたかったんだよなぁ。
右:ちょんぎられた青年のシンボル=「青年の塔」


  

左:トイレ。トップライトに注目。ピンクなのは女子用だから。
中:廊下
右:螺旋の階段室。螺旋の中心の吹き抜け部分に蛍光灯を配したポールが吊られている。
  とっても簡素で経済的なデザインなのだが、実に格好いい。
  のぞき込むとこんな感じ


飛行機のジェット・エンジンを彷彿とさせるエントランス。
脇にはさりげなくあの人が佇む。さすが滋賀。


丸窓に群がり喜々としてカメラのシャッターを連射する一行。ほとんどアイドル撮影会。
職員の方の怪訝な視線も気にせずに。

時代のデザイン傾向をあまりに濃厚に反映しすぎたがゆえ、「青年の城」を眺める目には、昔の記念写真アルバムを開く時のような、ある種の「笑い」がつきまとわざるを得ない。建設から40年も建っていることだし、塔の解体に代表される設計上の破綻も少なからず目に付く。
とはいえ、そのデザインの密度には目を見張るばかりである。時代がかった細部のデザインに目が行きがちであるが、平面計画もとてもよく練られている。
「青年の城」という施設は如何なる建築であるべきかを問い、それに対して、「使い手にまかせます」とかいうスタンスではなく、設計者自らが徹底してデザイン的に答を出していくという姿勢は、(たとえそれが誤答であったとしても)敬意を表してしかるべきものだと思うのである。

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■ 06年12月24日(日)

忘年会2006[柳沢究]

P1010731.jpg

23日、2006年の神楽岡忘年会を恒例のラトナカフェにて開催。
初めての方からお久しぶりの方まで、いろいろ忙しい年末に皆様お集まりいただきありがとうございました。今年は何やら目出度いことも多く。2001年からやってるから今年で神楽岡は6年目というわけですが、さて来年以降どうなっていきますか。

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■ 06年12月04日(月)

秋の遠足3・青年の城[柳沢究]

9:20
近江神宮を出発。寝坊した庭師・水T氏は、二日酔いで完全にグロッキー。僕の運転だと酔って吐きそうだから、自分で運転するとのことで運転手交代。実は僕も二日酔いだったのでありがたい。
途中、石山寺付近に鮒寿司の名店があるとの情報を元に商店街をさまようが、結局発見できず。なんのこっちゃ。

10:40
そうして第二目的地、青年の城に到着。あらかじめ見学の申込みをしていたら、職員の方がわざわざ資料を用意して配ってくれた上に、たいへん丁寧に館内を案内してくれました。

「青年の城」は、「滋賀県希望が丘文化公園」内の一施設である。
頂いた資料(「希望が丘文化公園:建設の記録」滋賀県企画部発行、1976年)によれば、この公園は1968年の京大西山夘三研による報告書「滋賀県における文化公園の構想に関する基本調査研究」に基づいて計画された。東海道新幹線や名神高速の開通などにともない激変しつつある国民の生活様式、それにふさわしい新たなるレクリエーション施設とは如何なるものか、というのがその研究テーマである。報告書では3つの敷地についてケーススタディが行われ、その中から現在の希望が丘地区が選定され、実施に移されたのである。具体的な敷地計画、施設設計は、当時京大助教授であった上田篤の指導のもと、都市科学研究所(中島龍彦)が行っている。竣工は1972年。
以上、基本情報。

青年の城を訪れると、まずはその敷地の広大さに驚く。琵琶湖の東南にある丘陵部の山麓・谷間部に830haにおよぶ広大な敷地が広がっている。すぐ北に東海道新幹線、すぐ南に建設当時は計画中であった名神高速道路が走っており、ここらへんが敷地選定に際して大きな決定要因となったのではと推測される。実際、車であれば大津から30分もかからない。高速を使えば京都からもすぐだ。敷地は山に囲まれ、広大な芝生が文字通り見渡す限り広がっていて、なかなかに贅沢な場所。

 

玄関から入ったホール(と、そこに何故かそびえたつダビデ像)。設計主旨の文章によれば、この2層の吹き抜けとなった線状の空間が「みち」、そこに接続する研修室や宿泊室などの諸室が「いえ」とされ、全体が「まち」に見立てられる。だから照明も街灯風だし、空のように明るいガラス屋根で覆われている。空に浮かんでるロケットみたいなのは、たぶん空調の吹き出し口。

 

左:
この吹き抜けにある、高さ10m近くはあろう巨大な鉄製の防火扉。たとえ法律上防火区画を設けなければならなくとも、決してこの「みち」を塞ぎたくはなかったと見える。制度と強固な意志の衝突から生み落とされる規格外のデザイン。
右:
かつてあった「青年の塔」へと登る入り口。なんだか可愛らしい顔をしている。塔は昨年10月に解体されたばかり。その理由は、老朽化(コンクリートの剥落があったとか)の他に、風で塔が揺れた時の振動がガラス屋根に伝わって、ガラスが割れてしまうことがあったのだとか。

うーん、いかん。この調子で書いてると終わりそうにないぞ。

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■ 06年11月30日(木)

秋の遠足2・近江神宮2[柳沢究]

 

一番下の段にある手水舎と二段目にある旧大津裁判所本館車寄(現在の名前は「自動車清祓所」ということだから、車のお祓いをする場所になっているようだ。車路もそのまま残っている。かつての形態と移転先の事情を融合させた見事なコンバージョンではないか)。
どちらも四隅に3本の柱がL字形に配されているのが目を引く。このような柱の造形は寺社では初めて見た。スケールに比して妙にマッチョな印象はあるが、なかなかに格好よい。


外拝殿の袖部分。モデルは桃子嬢。柱の足下をつなぐ横材(部材名を何と言うんだったか、腰長押?)の高さが、腰をかけるのに丁度よい高さになっている。アンコールワットの窓も似たようなスケールを持っていたが、こういう使い手にフレンドリーなさりげない設計配慮は嬉しいものです。近寄りづらいイメージの寺社建築だとなおさら(ツンデレ効果)。

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■ 06年11月29日(水)

秋の遠足1・近江神宮[柳沢究]

2006年11月26日(日)に決行された、神楽岡秋の遠足(KAE)シガテラ・ツアーの報告です。春秋あわせて6回目の遠足。秋はこれまでの2回とも奈良でしたが、今回は矛先を滋賀に転じました。
さて行く先を検討してみると、意外といっては滋賀の方に怒られますが、見所満載。さしあたり今回は大津近辺と湖東にターゲットを絞りました。

8:00
出町柳に集合。天気は泣きべそ寸前の大曇天。
約一名が寝過ごしたのを除き、皆さんパンクチュアルに集合。今回の参加者は11名。2台の車に分乗し出発。途中、銀閣寺にて寝坊した庭師を拾い、山中越え経由で滋賀をめざす。


8:40

 

滋賀は近い。早くも第一目的地・近江神宮に到着。
近江神宮は皇紀2600年にあわせて造営された近代神社。祭神は大化の改新の立役者にして、飛鳥から近江への遷都を行った天智天皇。なるほど。
設計は明治神宮や平安神宮など近代神社の主要作の多くを手がけた角南隆と谷重雄。琵琶湖に面した山麓斜面を敷地を活かして、境内が階段状に構成されており、階段を上る毎に次の建物の門がせり上がってくるシーンの展開が参拝気分を高める。内拝殿から本殿にかけても同様の段状構成となっているらしいが、残念ながら通常参拝者はそこまでは見られない。
(写真は外拝殿の見上げと、外拝殿から内拝殿とその先の本殿を見る)


とはいえ外拝殿と内拝殿の間にある中庭も、宗教的空間として興味深い。
四方を建築に囲まれその奥に山を臨むこの空白地は(何らかの儀式に使われるという機能的な側面もあるだろうにせよ)、山中他界観的な聖地の原型を思い起こさせる。くだけて言えば、ここから天に向かって昇ってしまうような(あるいは、山の上から何かが降り立ってきそうな)垂直性を感じさせる場所、ということだ。中庭から一段と上がった内拝殿とさらに奥へと上がる登廊が、その感覚を煽る。周囲の廻廊は山中の木々の建築化と見なせよう。このような中庭をもった神社が他にあるかは詳しくないが、実に意識的に構成された聖性の演出手法である(ソーラーパネル付きの照明はご愛嬌)。
単に白川砂を敷き詰めただけの何もないスペースでも、こうすれば場に力が宿る。先だって見た龍吟庵の「無の庭」と比較すると面白い。

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■ 06年11月25日(土)

龍吟庵の裏[柳沢究]


龍吟庵の裏手の山の方には、手水鉢や石臼が野ざらしで山積みされていました。物供養の一種でしょうか。手水にたまった雨水に水草が群生して、いとをかし。一個くらい分けてくれないだろうか。

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■ 06年11月20日(月)

ミテキテツクッテ伏見稲荷[柳沢究]

18・19日:
京都CDLのミテキテツクッテ・伏見稲荷学区編開催。
昨年と同じくフル参加で、伏見稲荷の街を歩き、設計ワークショップで作品をつくり、翌日は審査員としても参加。去年の敷地である粟田口に比べると、伏見稲荷の街には飛び抜けた面白さは少ないが、それでもじっくり歩き読みんでみると、微地形への対応や道の形などに地区独特の特徴が見えてくるのが面白い。思わず声をあげてしまうような面白い住宅も発見した。
準備したみなさん、ほとんど手伝えなくて申し訳なかったですが、お疲れ様でした。

↑は、もんのすごく狭い路地の最奥部に佇むローテク半透明住宅。「何かきれいでオサレじゃん」とか抽象的な「透明性」とかいったものではなく、物理的な明るさへの切実な想いから(実に切実な)、可能な限りの透明性を追求している。
透明な建築ってほんとはこういう薄暗い場所にこそ必要なのでは?と考えさせられてしまう(ちなみに中を覗くと洗濯物が干してありました)。

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■ 06年11月19日(日)

スペインの日本人建築家[柳沢究]

13日:
後輩の長野君と手がけていた祇園のお店がオープン。四条花見小路の「祇園 ゑん」というお店。豚しゃぶがメインの日本料理店。お酒も美味しいです。

15日:
芸工大大学院にて、スペイン公認建築家・鈴木裕一さんによる特別講義。ヌーヴェルやサンチャゴ・カラトラヴァ、エリアス・トーレス、伊東豊雄など、最近めっぽう熱いスペインの現代建築事情について。伊東豊雄の巻き貝は、設計に現地の技術が追いつかないため、現在工事が中断されている由。スペインの荒涼とした平野に佇む巻き貝の写真がえらくシュール。鈴木さんは石山修武のダムダンにてセルフビルドの修行をして、その後単身スペインに留学、そのまま住み着いて事務所を開設し、スペインでアーキテクトビルダーの実践をしているという。うーん・・・

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■ 06年11月17日(金)

龍吟庵[柳沢究]

映画の帰りに、東福寺・龍吟庵の特別拝観に寄った。
重森三玲の庭が3つある。

  


「龍の庭」は、庭にしては実にわかりやすい庭なんだけど、よく見ていると石の形や配置・砂利の黒/白のバランスなどに緊張感が感じられて面白い。
「無の庭」には疑問符。何も無い庭はそれはそれでよいのだが、手前がからっぽの分、背景の漆喰壁がやけに目立って白々しいのが気になる。
「赤の庭」は文字通りイロモノの感はあるが、雨に濡れた赤い石の色と銅版の屋根や植物の緑色とのコントラストが綺麗で、個人的には一番お気に入り。何故赤なのか分からないが、他の2つの庭もあわせて、重森三玲の実験精神は存分に感じられる。

庭に気をとられてしまいがちであるが、建物の方もなかなかに見応えがある。たしか現存最古の方丈だったはずだ。骨太の構造と、線の細い蔀戸や一本筋の障子などの繊細な組み合わせが綺麗。

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■ 06年11月16日(木)

ヨコハマメリー[柳沢究]

先週末のことだが、みなみ会館にて「ヨコハマメリー」を見た。

高校まで横浜で暮らしていたので、中学校の頃に(伊勢佐木町に遊びに行きだす年頃だ)ごくたまにメリーさんのことが話題に上っていたことは覚えている。ホワイトオバケとか白い婆さんとか呼ばれていたように思う。僕自身も関内あたりの洋館を背景に一度だけ目撃したような記憶があるが、実体験なのか後から捏造されたものなのか判然としない。

様々な証言(舞踏家・大野慶人の振り付きの証言がとりわけ印象的だった)と切り取られた町の風景を織り交ぜ、実態の見えない伝説的存在を、様々な角度から照射し浮き彫りにしていく。そのようなドキュメンタリーの手法は、音声と映像が一体になった映画作品に最もふさわしい手法に思われる。結びそうでなかなか結ばない焦点が、最後になって意外にも当たり前のように結ばれた時、意外にも涙が出た。泣くような映画じゃないと思って見てたんだけれど。これはとっても予期せぬことで、しばらく何故泣いたのか考え込んでしまった。

それはさておき、この映画をみれば誰もがわかるように、これはメリーさん個人を追った映画ではなく、メリーさんが存在したとある時代のとある都市の姿を描いたものだ。メリーさんは、ある時代の横浜という都市の記憶を体現した、一つの現象なんだろう。都市は人が生きてこそ都市なのだという、至極当たり前の事実をあらためて噛みしめる。

僕らが研究対象として都市を扱う時、個々人のライフヒストリーといったあまりに儚いものは捨象せざるをえず、物理的な「形」としてそこにある建物とか道、あるいは史料を通じて都市を見る。文化人類学的アプローチはだいぶん生活にクローズするが、対象としているのはやはりある程度一般化された集団的な人間像であり、個人への接近には限界があるだろう。しかし実のところ都市は、そのような捉えがたい個々人の記憶においてこそ生きられているのであり、そのことを忘れた都市論は虚しい(『京都げのむ』の連載・「京都私的探求」で試みていたのは、そのようなごく個人的眼差しからの京都の発掘であった)。

横浜が懐かしくなると同時に、ヴァーラーナシーの雑踏が思い起こされた。インドにはたぶん、まだ沢山のメリーさんがいる。もちろん京都にも。

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■ 06年11月13日(月)

水引[柳沢究]

先日、国際会議の件でご協力いただいた水引館さんへ、借りていた水引作品の返却とお礼に伺った。


こちらの水引はとんでもないクオリティー。しかも伝統工芸品の範疇におさまらない新しいデザインを次々に創作している。作り手である伊予水宝さんは、とても優しそうな方で、望外にも作品を前にして水引についてのいろいろお話を聞かせてもらいました(伊予水宝(本名:鈴木セツ子)さんの話は、最近出た『京都職人−匠のてのひら−』にも紹介されています)。

水引飾りというのは、ご祝儀袋や結納の際に用いられるように、非常に儀式的・呪術的意味合いが強い。装飾とはすべからくそういうものだが、こういった一見すると意味不明な物事に(なぜご祝儀に「水引」なのか答えられる人、また「水引」という言葉の意味を知っている人がどれだけいるだろう?)、時間と手間すなわちコストを惜しまずかけられるのが、「人間」らしいことなのだなぁと思ってしまうこの頃。

いつかコーラム紋様をモチーフにした水引を作ってもらいたいものです。

そういえば、水引館では後継者の募集もされているようです。たぶんとっても大変だとは思うけど、芸工大や京都の芸大生で誰か、我こそという人がいないかしら。

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■ 06年11月10日(金)

SSS おばQ解体[柳沢究]

施工実験体(おばQ)の解体の様子が届きました。

「キュキュキュキューッキュキュッキュQ太郎はね、

頭に毛が3本しかないんだよ」↓








破壊。

跳び蹴りしても壊れなかったので、コンクリートブロックを投げつけて壊したそうです。
赤い線は、クラックの様子を記録するため、マジックでなぞったもの。
とりあえず、空気膜を型枠にして、コテでモルタルを塗りつけることが可能、ということが確認できたわけで、大きな一歩です。

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■ 06年11月05日(日)

太秦・広隆寺と木嶋神社[柳沢究]

4日は、さすがに休息。

…のつもりだったが昨晩の懇親会の流れで、国際会議に参加していたスリランカの学生2人を長田さんとともに京都案内することになる。

…はずであったが、その2人は今朝になって急に東京に行きたいと言いだし、そのまま新幹線に乗って東京に行ってしまったので、何故か長田さんと一緒に京都観光。

スリランカ人を案内するつもりで、三十三間堂や清水などのベタベタコースを考えていたのだが、長田さんはそれなりに京都経験ありということで、太秦の広隆寺と木嶋神社(蚕の社。三柱鳥居がある)というやや渋めのセレクト。

聖徳太子の建立になる広隆寺は弥勒菩薩像で有名だが、本堂の軒先には大工集団の奉納した額がたくさん掛かっていて面白い。聖徳太子は大工の神様だと思い出した。「曲尺(かねじゃく。差金)を発明したのは聖徳太子」というまことしやかな伝承もあるらしいが、あまり信憑性のある話ではない。
そういえば、屋号によくある「カネ●(『かねさ』とか『かね吉』とか)」の「カネ」の記号はL字形をしているが、あれは差金ではないのかしらん、などと考えながら境内を散歩する。

木嶋神社には「元糺の池」やそこで行われる御手洗祭があり、下鴨神社との関わりが非常に深い。足利健亮によれば、木嶋神社と河合神社(下鴨神社境内にある)はそれぞれ平安京の西と東の境界を示す(鎮護する)施設であり、両社は平安京の成り立ちに関わる極めて重要なスポットである。秦氏・賀茂氏の関わりなど、そこら辺は突っ込みだすと大変おもしろい。
(余談であるが、同じく秦氏創建と伝えられる松尾大社の本殿は比叡山に向けて建てられており、比叡山頂と松尾大社とを結んだ軸線上に木嶋神社と下鴨神社がきれいに重なるのは、一つの興味深い事実である。参考

ところで木嶋神社の向かいには、写真のような水路の上に長ーい屋根のかかった不思議な構造物がある。なんでしょうかこれは。単なる水場にしては、柱ごとに電気照明とスイッチがついているのがモノモノしいのですが。

 

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■ 06年11月04日(土)

コーラム国際会議終了[柳沢究]

3日、国際会議当日。朝6時起床。幸い風邪はやや回復。冷や汗まみれでスライド仕上げて、10時頃出発。電車の中で発表の英語を考える。もういやこんなの。発表はなんとか終了。英語はひどかったが、一応伝えたいことは伝わったのではないか。

他の発表で興味深かったのは、やはりシコウ君の組み紐理論による解析。扱っている問題は、僕と同じく「ある配列点において描きうる一筆書きパターンの総数はいかほどか?」というものだが、僕のやったPERLによる力技での解析と違い、数学的に定式化してスマートに結果を導いている(あんまり難しいので半分くらいしか理解できてないが)。
それでも「理論的には6百億とおり以上存在するパターンのうち一筆書きは約1千万(0.017%。実際には一桁目までちゃんと数字がでてる)しか存在しない」という結果が、両者の解析で寸分たがわず一致したのは幸いというか素晴らしいことであった。

コーラム研究はとりあえずこれで一区切り、と思っていたのだが、こうやって集まって話をするといろいろ面白そうなテーマや課題がどんどん出てくるのは、嬉しいようなムニャムニャ。
形の文化会の論文集に投稿するという宿題も増える。
自分の発表で手一杯で、形の科学会大会の方の発表をあまり聞いている余裕がなかったのは残念。

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■ 06年11月03日(金)

講演会と発表会と国際会議、風邪でダウン[柳沢究]

10月中旬から先週までの業務日誌を、さかのぼって更新しました。

28日:
昼頃からSSS報告書の仕上げに取りかかる。祇園会館でやっていた「ヨコハマメリー」を見に行きたいと思ってたのだが断念。終了翌朝5時。もう少し計画的・効率的にやらねばならないと反省。

29日:
眠気をおして、1ヶ月前から予約していた高校生向け講演会「ゾウの時間 ネズミの時間」を聴きに京大時計台へ。歌う生物学者・本川達雄先生の話。同名の新書は15年ほど前のベストセラー。中学生の頃に読んでたのを覚えている。あれだけ専門的な話を中学生にもわかるように書いているというのは、いま思うと凄いことだ。印象的なフレーズは、「子どもを作らない若い人は、生物学的には全くアウト」「人間の生物的な寿命はちょうど孫ができる35歳くらい」「医療の発達によって誕生した50歳超の人間は、一種の人口生命体」など。
晩からコーラムの英語論文とスライド制作に着手。本番は3日。遅すぎる。

30日:
科研費申請書の手直し、再提出。

31日:
大学院の発表会準備でアタフタ。合間にSSSの件で業者と打ち合わせ。

1日:
朝から7時頃まで大学院総合プロジェクト発表会。今年新築された500人収容の大ホールで行う。学生が主体となった町作り支援の継続的取り組みはすごく画期的なものだと思うのだが、世の中にあまり知られていなさそうなのは残念。といいつつ僕もまだ覗きに行けていないのだが。こんなのです。国際プロジェクトは今年行った河回マウルの共同調査報告。韓国、中国の大学の先生も来日し、来年の調査候補地や成果のまとめについて討議。来年の今頃は恐ろしいことになりそうな予感。
帰京後ほぼ徹夜でコーラムの発表準備。

2日:
朝から風邪気味。昼、大学院の会議。終了後、国際会議の会場準備のため大阪大学へ。長田さん、インドからのロビンソンさんらと若干打ち合わせ。
この日は芸工大で布野研の先輩でもある青井哲人先生のトークセッションがあり、ものすごく参加したかったのだが、時間がどうしても合わなかった。最近、著書である「植民地神社と帝国日本」を読んでいたところだけに残念。この本は青井先生が30歳頃に執筆した博士論文をもとにしているが、フィールドから問題を発見し組み立てていくその視点の鋭さ、論理展開の正確さ、学術的視野の広範さを見て、参考になるとともに、彼我の力量差に暗澹とする。ほんとは一緒に比較する土俵にも立っていないのだが。
夜、風邪が悪化しどうにもダウン。スライド出来上がってないのに。

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■ 06年10月29日(日)

コーラム論…6/交差とすれ違い[柳沢究]

コーラムの描画規則をふまえた上で、そのバリエーションの生成システムについて考えてみたい。

まず最初に考えたのは、コーラムのパターンを何らかの記号や数値に置き換えることができないか、ということだ。前に示したように、コーラムの描線が通る道筋は下図のようにかなり限られている(この緑の点線を、描線の通りうる経路という意味で、仮に「仮定経路」と呼ぶことにする)。



そこで、この図をじっくり眺めていると、コーラムの様々なパターンというのは、この仮定経路の交点(斜行格子の交点)部分の形状が、「交差(2直線の直交)」となるか「すれ違い(背反する2円弧)」になるか、の組み合わせでできていることに気付いたのである。

例えば仮定経路の各交点の形状を下図のように、●を「交差」、○を「すれ違い」として設定してみると、

このようなパターンになるというわけだ。


ちなみに全てを「交差」にすると左図、すべてを「すれ違い」にすると右図のようになる。

 

※すれ違いの方向は可能性としては2種類ありえるのだが、前述の描画規則(2)によって必ず点を中心とするように定められていることに注意。


ある配列点が与えられた時、仮定経路は自動的に定まる。
交点の位置と数も同時に定まる
交点の形状は2つに1つである。

ということは、仮定経路の各交点に「交差=1」と「すれ違い=0」という具合に値を割り当てやれば、すべてのコーラムのパターンを二進数の数値で表現できるということである。
数値化できるということの有効性は、例えばコンピューターを用いた網羅的な分析が可能になるということであり、例えばナンバリングによるコーラム紋様のデータベースなんてものがつくれるということだ。これは我ながら重大な発見であったと思う


次回は、数値化の具体的プロセスについて。

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■ 06年10月28日(土)

近況とヤモリ[柳沢究]

論文に集中する、と宣言してからというもの、人に会うと「論文進んでる?」とよく聞かれるようになり、たいへんプレッシャーを感じるこの頃です。
目下逃避作業の傍ら、論文以外の仕事を片付けて身辺整理というか環境整備にエネルギーを注いでいます。こんな時に限って設計や講師の話があるのも困ったものです。いや、とってもありがたいんですが。引き受けたい誘惑と激しく戦いながらも、別の方を紹介させてもらいました。
今月後半は、科研費の申請書類とSSSの報告書とコーラムの英語論文の執筆が同時に重なってやってきて、ヒーヒー。コーラムの方はまだ終わってません。提出は金曜日朝です。プレゼンのスライドも作らねばなりません。

その一方で、20日の竹中大工道具館での研究会、21日にスフェラであった永山さんの講演会、22日の稲岡君の神楽岡スライド会など、いろいろな方に会い刺激をたくさんもらっています。なかなかここには書けていませんが。


そんななか心温まる出来事としては我が家にヤモリちゃんが初登場したことでしょうか。パスタを作ろうと鍋を手に取ると、中に小さなヤモリの子っこがいました。どこから入り込んだのかわかりませんが、ステンレスの鍋は滑りがよいため吸盤がくっつかず、脱出不能になっていたようです。もう少し発見が遅ければヤモリの干物ができていたことでしょう。気付かずにそのまま湯を沸かしていたら、茹でヤモリのパスタができあがったことでしょう。よかったです。

鍋の色に合わせて、やや灰褐色の保護色になっています。尻尾をふくめた体長7cmほど。

ヤモリちゃん愛好家は世界に多いようで、こんな動画がありました(ある愛し合うヤモリの悲劇)。

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■ 06年10月27日(金)

スライド会とSSS報告書[柳沢究]

22日:
ホームページから相談のあった内装の仕事の件で、畑中さんとともにお店へ伺い初顔合わせ。今度はロシア関連です。神楽岡にコンタクトをとってくださる方は、インターナショナルな方が多い。晩、神楽岡での恒例スライド会。稲岡氏によるインド、ルーマニア等でのアートインレジデンス体験について。初参加の方が結構多かった。アートイン…は、一昔前のパブリックアート行政のような町おこし的要素が強いのかと勝手な想像を抱いていたが、インドの事例ではアートと「町の住民」との関わりのあり方を真摯に捉え直そうとしている姿勢が感動的ですらあった。

23-24日:
SSSの報告書担当分に着手するも、大学での諸業務で時間が細切れになり、進展せず。行き帰りの電車の中では某本の原稿校正をしているが、酔うのであまりよろしくない。

25日:
大学院にて博士論文予備発表会。自分の論文に引きつけて聞く。岡部憲明先生の空港研究は迫力があった。

26-27日:
SSS報告書にようやく本格的に時間をとる。たった2ページなのだが、この間やってきたことを系統だてて整理するのはなかなか骨が折れる。勉強勉強と念じながら作業を進める。結局図版作製で丸1日かかってしまった。27日晩は、久々の助手会。報告書が終わってたら朝までコースだったけど、やむなく終電で帰京。寝過ごして山科まで行きタクシーで家まで。

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■ 06年10月21日(土)

科研費申請と研究会、永山さん[柳沢究]

18日:科研費申請書の学内〆切だったのだが徹夜して、

19日:朝、申請書を1日遅れで仮提出。11月末の大学院作品展関連の準備や打ち合わせでアタフタして、夕方に湊川であった神戸ビエンナーレのプレイベントに顔出すも眠すぎて途中退席。

20日:
午前中休んで、午後から竹中大工道具館の研究会へ。発表者の清水郁郎さんは京大アジ研以来の数年振り。タイ、ビルマ・ラオス国境のゴールデントライアングル地帯に住み込み調査をしていたというから驚く。フィールドから久しく遠く離れた我が身を省みる。
終了後の懇親会はとても楽しく刺激的。学問的な議論の場に身を置く機会を意識的につくらねばならない。帰りの阪急で寝過ごして気付いたら梅田行き列車に乗っていた。慌てて桂で降りる。

21日:
SSSの報告書、コーラムの英語論文をやらねばと思いつつも進展せず悶々。
晩、スフェラで行われた永山祐子さんの講演会へ。「家の中には誰も入れないような場所をつくりたい」という話に共感。語り口はほんわかしていながら、あきれるほど明晰な設計プロセスに唸る。しなやかな剛腕という印象。アイディアのネタ本(?)の紹介などもあり。
懇親会でボンサイストの川崎仁実さん、馬場さんらとご一緒。布野研の後輩・柳室君にも久々。スイスに行っていたとか。途中からシコウ君も合流。岡山、京都、東京を行ったり来たりで、なんともアクティブ。森田氏は明日早朝からポルトガルへ出発だが荷造りはまだとか。

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■ 06年10月18日(水)

コーラム論…5/描画のルール3[柳沢究]

【コーラムの描画規則 3】

前回、前々回と、7つの描画規則を紹介してきたが、ここであらためて補足というか注記しておきたい。

これら7つの規則は、南インドの道ばたで見られるコーラムや、販売されている教本などの多数のサンプルを眺め、それらに共通する「慣習的な描画作法(あるいは一般的傾向)」を我々が抽出・整理したものである(インドの教本や描き手が描画規則をどこまで意識しているかは、今のところわからない)。

それゆえ、これらの規則に当てはまらないコーラム紋様は(紐タイプであれ)少なからず存在する。そもそも民俗紋様であるのだから、描き方は基本的に描き手の自由にまかされている。

したがって前述の7つの項目は、コーラム一般についての「不文律」ではなく、私がこの論考で扱う「コーラム紋様」の「定義」に近い。つまり、様々なコーラムの中でも紐タイプのコーラムを、その中でも特に、これらのルールに則って描かれたものだけを、今後の考察の対象にしますよ、ということだ。
随分都合のよい設定のように思われるかもしれないが、そうでもしないとあまりに多様で取っ掛かりがないから、これは仕方がない。分析というのは、まず定義と分類から始まるのである。

とはいえ、(1)正方格子上の配列点については、紐タイプを含むほぼ全種類のコーラム紋様に共通している。この配列点の秩序は、コーラムの思想的根本に関わる大原則と考えられる。
また、(3)(4)円環則(5)点の囲い込み(7)滑らかに描くについても、紐タイプコーラムにおいてはほとんど例外をみない。(2)双方格子からの逸脱は時折見られる程度。

であるからして、これらをもって「コーラムの描画規則」と言っても、おおむね間違いはなかろうと思うのである。


ただし、(6)一筆則については、これを満たさないもの(=一筆書きでないコーラム)がしばしばある。だからこれは「規則」に含めるのではなく、(紐タイプ)コーラムの中に、一筆で描けるものと、そうでないものがある、と分けて考えた方がよさそうである。

私たちは前者を「無限コーラム」、後者を「重合コーラム」と呼んでいる(これは浅野哲哉氏による命名)。


次回は、多様なパターンの生成システムについてそのうち書きます。

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■ 06年10月17日(火)

コーラム論…4/描画のルール2[柳沢究]

【コーラムの描画規則 2】

昨日のつづきです。

(3) 描線は閉じる(始点と終点が一致する)
(4) 一度描いた描線をなぞってはならない

これはわかりますね。描線は交わることはあっても、重なることなく元の場所に戻ってくる。
「円環則」とでも名付けましょうか。


(5) 描線が閉じた際に配列点の全てが描線によって囲まれる

こういうのはダメ、ということ。


(6) 一本の連続した描線によって描く

一筆で紋様全体を描ききりましょう、ということ。
ちなみに一筆ではないものには以下のような例があり、これはこれでなかなか綺麗なのである(どちらも3筆=描線が3本ある)。

 


(7) 描線は滑らかに描く

これは分かりにくいのですが、描線を描く時に直角に曲がったりしてはいけません、ということ。
この条件を外すと、たとえば下図左のものを、右のように描いて、一筆とすることができる。しかし、コーラムにおいてはそれは禁じ手である。下図左は「二つの描線がタスキがけになったもの」と見なすのである。


*****

コーラムの描画規則とは、ザッとこんなところである。
こう書き連ねてみると「なんやエラク複雑なルールやんけ」という印象だが、要は一筆で全部の点を囲むように描きなさい、ということである。慣れてしまえば実にシンプルなルールだ。
しかしルールは簡単でも即興でコーラムを描くのは、それほど容易ではない。

よろしければ以下の配列点を例に、上記7つの規則に従いながら、試しにコーラム紋様を描いてみてほしい。一筆で描ききるのが意外に難しいことを、分かってもらえるのではないかと思う。

(※緑の点線は規則(2)の図を重ねたもの。この点線をガイドに描いてみましょう)


また、明日につづく。

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■ 06年10月16日(月)

コーラム論…3/描画のルール1[柳沢究]

【コーラムの描画規則 1】

では、コーラムの描画法における規則性とはどのようなものか。
一目見て自明と思われるものも含め、確認してみましょう。


●構成要素
まずは、コーラム Kolam 紋様の構成要素とのその命名。


(1) 点の行列(図中の赤丸)
 …以下、個々のものを「点 point」、行列となった一群のものを「配列点 array of points」と呼ぶ

(2) 直線と円弧からなる線(図中の黒線)
 …以下、「描線 drawing line」と呼ぶ

構成要素はこの二つのみ。とってもシンプルですね。


●描画規則
次に、描画における規則について。規則は全部で7つあります。
これはちょっと長いですよ。頑張って憑いてきて下さいね。

(1) 点は正方格子[格子A]の交点上に配列する

配列の形は菱形とは限りません。3×3の正方行列になる場合もあれば、長方形や、三角形など自由です。


(2) 描線の直線部は格子Aから45度傾いた双対格子[格子B]に従って、描線の円弧部は最寄りの点を中心として、描く

 

図の緑点線上をなぞって、描線を描いてくださいということ。
これはインドの方でもよく間違えるところですから、注意が必要です。


以下、明日につづきます!

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■ 06年10月15日(日)

栗原邸(旧鶴巻邸)・その2[柳沢究]

旧鶴巻邸の屋上には、こんな干からびた方がいました。

 

尻尾が切れているので最初はトカゲかな、と思いましたが、このふくよかなお腹と首のくびれ、指の感じからするとヤモリちゃんに間違いない。私はヤモリが大好きです。
カメラのホワイトバランスを間違えて電球仕様に設定していたため、妙に幻想的な写真になりました。
(※ は虫類が嫌いな人は注意→トカゲヤモリの比較)

ひょっとしたら次回の公開(10/28)にも、まだ居るかもしれません。
階段から屋上に出たすぐの足下です。踏みつぶさないように注意。

前の道にはカタツムリのなる木がありました。一本の木に数え切れないほどのマイマイがうじゃうじゃと。樹液を吸っているのか、木の節のあたりにへばりついているので、幹の一部かと間違えそうになるます。久々に蝸牛を見たなぁ。

そんな自然豊かな(?)場所にある旧鶴巻邸、次の特別公開は10月28日(要・申込み)です。

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■ 06年10月14日(土)

栗原邸(旧鶴巻邸)・その1[柳沢究]

10日の井上さんの案内にもあった、近代化遺産の全国一斉公開の一環である「栗原邸(旧鶴巻邸)」の一般公開に行ってきました(10月7日)。
設計は本野精吾、1929年竣工(サヴォア邸と同年)。
「中村鎮式コンクリートブロック」と呼ばれるL字形のブロックを組み上げ、その中にコンクリートを充填するという構法でつくられている。外観は装飾も少なく、一見ごく普通のコンクリートブロック造に見えるが、藤森照信によれば、コンクリートをそのまま見せて仕上げに用いた建築としては世界的にみても最も初期の部類に入るものとのこと。

.1  .2 

1. アプローチ。写真がうまく撮れなかったけれど、前庭とアプローチがとてもよい。砂利敷きの上に点々と植物が生え、庭木をかいくぐるようにして、ポーチに到達。

2. 外観のアクセントとなる玄関ポーチ。ビシャンで仕上げられたコンクリートの円柱は大理石にも負けてないぞ。

.3  .4

3. 写真.2の中。室内の天井から連続する薄い庇、網戸のはいったスチール・サッシュ、雨上がりの陽が差し込む室内。とてもモダーンな雰囲気。
ただし、この部屋の窓を除けば内部はかなり古典的な雰囲気。インテリアはかなり傷んではいるもののほとんど改装がされておらず、往年の雰囲気がほぼそのまま残っていると思われる。しかし戦後、進駐軍にしばらく接収されていたらしく、台所や洗面所は汚くにペンキで塗られていたりする。うーんアメリカ人はペンキ好きだなぁ。

4. 開口部まわり、戸袋のディテール。


少し不思議に感じたのは、京都高等工芸学校(現・京都工繊大)の学長であったという施主が、1929(昭和4)年という時期に、疎水沿いとはいえ何故こんな奥まった不便な(失礼!)敷地を選んだのかという点。当時であれば、市街周辺にはまだまだ土地が残っていただろうに。山科から松ヶ崎は結構遠いぞ。車で通ってたのかな。

・・・というようなことを考えながら、でも当時は松ヶ崎ではなかったのかもしれないぞ、と思い調べてみたら、昭和5年まで京都高等工芸学校は左京区吉田、京大の西側にあったらしい。(「当時、京大と高等工芸の間は狭い道で、その上を樹がうっそうと繁って、昼でも薄暗い所であった」という。この「狭い道」とは現・東大路通り)。
しかも、さらにその西には京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸大)があったとは知らなかった。立命館も寺町広小路(現在の京都府立医大の場所)にあったのだから、寺町今出川の同志社とあわせれば、今出川界隈はまさに大・学生街だったというわけだ。うーむ。

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■ 06年10月12日(木)

コーラム論…2/何故コーラムか[柳沢究]

【何故コーラムか】

前回は、いろいろあるコーラム紋様の中で、特に下図のような紐タイプのコーラムに注目するというところまで話をした(以後、単に「コーラム」といった場合は、この紐タイプのコーラム紋様を指す)。

kolam_sample.gif

この紐タイプに注目した理由として、他のタイプに比べ図形としての抽象度が非常に高いこと、円弧と直線のバランスが幾何学的に美しいことなどがあるが、最大のポイントはなんといっても、一筆書きとして描くことができるという点である。


コーラムは、浅野さんの美しいアニメーションを見てもらえばわかるように、かなりの規模と複雑性を備えている。このような複雑な紋様が一筆で描かれることにも驚くが、しかもその描き方は一見して明らかに何らかの規則に則っており、直線と円弧の組み合わせを微妙に変化させていくことによって、そこから無数の一筆書き紋様が生み出されうるのである。そのことに気付いた時、僕は非常な衝撃を受けた。

(一筆で描くことのできる美しい幾何模様には他に、五芒星ケルト紋様アラベスクなどがあるが、それらとの比較はまた別の機会に)

ある限られた要素が一定の(比較的簡単な)ルールに従って関係づけられることによって、複雑多様な形のバリエーションが生み出されるという、ヴァナキュラーな集落やイスラーム都市、あるいはDNAにも似た構図。それが、この南インドの紋様に内包されているのではないか、という直観である。しかもそのバリエーションは、一筆書き=円環という、無限の循環を象徴する全体性をも備えている。これはただ事ではない、と感じたのだ。

marrakech.jpg 


ちょっと興奮してきたので,あらためて整理する。僕がコーラムという紋様に注目するようになった理由は、主に以下の3点である。

(A) 描画法に規則性がある(らしい)こと、
(B) そこから無数のバリエーションが作られる(らしい)こと、
(C) しかもそれらが一筆書きであること。

したがって、さしあたっての考察の焦点は以下のようなものとなる。

(1) 描画の規則性とはどのようなものか、
(2) なぜそこから無数のバリエーションが生成されるのか、
(3) バリエーションにはどれほどの幅(数)が存在しうるのか、
(4) それらは図形としてどのような特質を備えているのか。


以下、つづくはず。

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■ 06年10月04日(水)

コーラム論…1/コーラムとは[柳沢究]

11月3日の開催を控えた紋様国際会議。ここで発表するコーラムに関する研究について、そろそろ問題意識、成果、課題等を整理していきたいと思っているのです。
というわけで唐突にコーラム連載開始。いつまで続くか知りませんが。


【コーラムKolamとは】

こちらをみてください…というわけにはいきませんが、僕が把握している限りでなるべく簡潔にまとめると、コーラムとは以下のようなものです。

・主として南インド各州(タミル・ナードゥ、ケララ、カルナータカ、アンドラプラデーシュなど)において見られる装飾紋様の一種である。

・「コーラムkolam」とは、そのような紋様を指すタミル・ナードゥ州における(タミル語の)呼称であり、他の州ではいろいろな呼び方がある(コーラムの他に一般的なのはランゴリRangoliというヒンディー語の呼称)。


kolamascher_12.jpg

・毎朝、主に玄関先(=境界部分)に米粉などの粉体を用いて描かれる。
(粉で描くため、風や雑踏により夕方には消えてしまうのである)

・描き手は、家庭内の女性成員、特に若い女性(娘やお嫁さん)である。
(秋野不矩による「朝の祈り(冒頭の画像)」は、まさにそのコーラムを描く女性を描いたもの)

・紋様の伝承は、各家庭において母から子あるいは嫁へと教授され継承されてきたものらしいが、その歴史的起源は定かではない。
(古く紀元前からという説もあるが、現在見られる図像が確認できるのはせいぜい19c頃までであり、比較的近代の風習であるというインドの研究者もいる。間接的なルーツとしてはおそらく古代インドの砂マンダラまで遡りうるであろう。近年では町の書店において様々なコーラム教本が販売されている。購買層は主に10代の女性であり、男が購入するとかなり怪訝な顔をされる)

・紋様のもつ機能/意味としては一般に、女神ラクシュミーLakshmi(吉祥天)に結びつけられた招福(happy come come)、あるいは魔除けのシンボルとして理解されている。


butterkol.jpg kolam1.jpg

・紋様の様式にはかなりの多様性があるが、大きく「具象的なもの」と「幾何学的なもの」の2種に分類することができる。前者は象、孔雀、壷、蓮花などの吉祥図像をモチーフとして用いて描かれ、後者は単純な直線や円弧・多角形の組み合わせとして描かれる。ただしどちらの場合でも、ある規則的に配列された「点」をガイドラインに描くことは、注目すべき共通点である。



このように一口にコーラムといっても、それが指す内容はかなりの広がりをもつのであるが、僕や共に研究をしている仲間達が注目しているのは、その中でもカンビKhambi(紐状の)・コーラムと呼ばれる上の図のようなタイプのものである。
その理由というか、この種のコーラムの魅力については、下のアニメーション(浅野哲哉氏による作)をじ〜っと眺めてもらえれば、何となく分かってもらえるのではないかと思うのですが。



以下、つづくと思う

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■ 06年10月03日(火)

論文副作用[柳沢究]

ついに10月から論文執筆を生活の「中心」にすえることを決意したのであるが、そうと決めた途端、それ以外の仕事ばかりが異様にはかどりだすのは、いつものことながら、困ったものである。このJOURNALがいきなり更新されたのもまた、その余波に他ならない。しばらく後にまたも更新が途絶えたなら、ああ論文に集中し始めたんだなと温かく見守って頂ければ幸いである。
とりあえず昨日は机の上を論文仕様に片付け、今日は参考文献を脇に平積みにした。明日はそのページを開くはずである。
文献を横目に、大学の諸業務をしつつ、コーラムの国際会議の件であちこちにメールを送り、SSSの開口部まわりの大見積もりを仕上げ、科研費(!)の申請説明会に出席していたら、休憩を一度も入れないままあっという間に晩。
論文逃避作用による諸業務能率化の効力は、実に端倪すべからざるものがある。

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■ 06年10月02日(月)

SSS 施工実験(おばQ)[柳沢究]

施工実験体のその後の様子。

 

なんかウォーズマンというかメットというか、
一番しっくりくるのは、おばQ。

とりあえず、しっかりとは建っています。

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■ 06年09月30日(土)

SSSモルタルシェル施工実験[柳沢究]

朝10時に滋賀県大に集合し、SSSの実験作業。借りてきたカプセル形の樹脂製バルーンを型枠として、モルタルを塗りつけ、シェルをつくるというもの。

まずは、底が半球形のバルーンを地面に落ち着かせるための穴掘りから。県大周辺は広々と田圃が広がっているから、さぞ地面は軟らかいのではと思ってしまうが、さにあらず。大学建設時の敷地造成の際に大量の礫が投入されていたらしく、30cmほど掘ると、下は石や瓦礫だらけで堅い硬い。昨晩から山本直彦先生や林君が頑張って掘ってくれていたが、まだ深さが足りないため、午前中いっぱいかけてツルハシをふるい腰と手が痛くなる。

 

午後バルーンをふくらませ、ビニールシートとモルタルの掛かりしろになる麻ネットをかぶせ、森田氏によるモルタル施工作業開始。僕はハンドミキサーを回してひたすらモルタルつくり。
途中、麻ネットがずり落ちそうになったり、バルーンがモルタルの重みに耐えきれず倒れかけたり、という危機があったものの(セメント約10本分の材料に水を約200l使ってるから、単純に計算してみても、モルタルシェルの重みは600kg近い)、終わってみればほぼ満点の出来ではないですか。予想外の問題に臨機応変に手作業で対応できる技術はすばらしい。

モルタルが硬化し自立できるまでの数時間はバルーンを膨らませておかなければならないということで、なぜか麻雀大会が開催(わざわざ牌とマットを買いに行った)。滋賀県立大院生の川井操君(「げのむ」5号に『現代西安建築事情』と『ヤオトン調査記』を執筆)は、つい一昨日西安への留学から帰ってきたところで、もう二度と中国は行きたくないですと言いながら、倍満を自模あがる。さすが中国帰りのハングリー精神。一人勝ち。

最終的に1時頃にバルーンから空気を抜き、意識朦朧とした森田氏のトラックで京都へ。みなさまお疲れ様でした。

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■ 06年09月07日(木)

ヒツジをこなしているウワバミの図[柳沢究]

『星の王子さま』の冒頭に、「ゾウをこなしているウワバミ」を描いた有名な挿絵がある。しかし、あの詩情豊かな絵が現実の情景として展開されると、まさかこんなことになろうとは…


>> ヒツジをこなしているウワバミの図


あまりの図像に思わず更新。

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■ 06年07月19日(水)

シュワーベ氏の幾何学パフォーマンス[柳沢究]

casper.jpg

なんか最近お知らせばかりで恐縮ですが…。

神戸芸術工科大学大学院が発行するレクチャーシリーズの6冊目「ジオメトリック・アート─幾何学の宇宙教室─」の出版を記念して、著者であるカスパー・シュワーベ氏によるパフォーマンスが、22日に三宮ジュンク堂にて開催されます。
会場(ジュンク堂の一角)はちょっと狭い感じですが、シュワーベ氏のパフォーマンスはすごいですよ。特に建築をやってる人は一見の価値あり。

→詳しくはこちら


※参加費不要・事前申し込み不要

●日時:2006年7月22日(土)15:00〜15:30 / 17:00〜17:30 (2回開催)
●会場:ジュンク堂書店三宮店4Fギャラリー
(神戸市中央区三宮町1-6-18 TEL 078-392-1001)
※7/16〜8/10 『ジオメトリック・アート』刊行記念 「幾何学を楽しもう!」フェア開催中
主催:工作舎

■カスパー・シュワーベ氏プロフィール
スイス、チューリッヒ市生まれ。科学博覧会のアートディレクターとして国際的な活動を展開するデザインサイエンスの研究者。自ら作りあげた幾何学モデルを紹介するパフォーマンスも好評。2002年から03年まで神戸芸術工科大学特任教授、現在講師。2004年からは倉敷芸術科学大学教授。

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■ 06年06月21日(水)

京都げのむ6号 ついに発刊![柳沢究]


↑ブルーが眩しい6号の表紙。完成が遅れた結果、期せずして初夏にふさわしいものに…

今月上旬「京都げのむ」第6号が、長い長い編集作業の果てに、やっとようやくついにとうとう満を持して、完成しました。

限られた人数の中でなんとか中身の濃いものを作ろうと、約9ヶ月にわたるフィールドワークと試行錯誤の編集を繰り返した結果、発行が当初の予定よりも大幅に遅れてしまい、たいへんお待たせしてしまいました。
しかしながら1〜5号までの経験を活かし、これまでになく密度の高い一冊に仕上がったのではと思っています。

書店に並ぶのはもう少し後になりますが、それまでの間こちらのサイトで少しずつ内容紹介をしていきます。興味をもった方は、是非ご購入を!(ネット販売はもう開始しています→購入フォーム

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■ 06年06月17日(土)

春の遠足4 後楽園と流店[柳沢究]

遠足ラストは後楽園とその中の流店。

 

曲水宴の建築化といえばそれらしいが、要は、建物の中に川流しちゃえという、なんともお大名らしい単純極まりない子供じみた思いつきを、実際にやってしまうことの偉大さ。素直な発想がこんなにも清々しいものを生むのかと驚いてしまう。「流店」という名前もいい。リュウテン。

ところで、このような実際に住んだり使ったりできない建築を、短い訪問時間の間に味わうには、少し想像力がいる。たぶんそれは人それぞれにやり方があるんだろうけど、僕の場合は、月夜の晩にここで酒を飲んだら…というのと、ここで人目を忍ぶ逢瀬を待ったら…という二つのイメージ(妄想)を思い描くことが多い。これをやると、建築をググっと自分の体に引き寄せて感じることができるのです。ぜひお試しを。

そんなこんなで後楽園に日は暮れて、岡山を後に。
帰京後は京大近くの中華料理で打ち上げして解散。とても充実した、実に遠足らしい遠足となったのでした。

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■ 06年06月16日(金)

春の遠足3 吉備津神社[柳沢究]

遠足もそろそろまとめてしまおう。

3つ目は吉備津神社。あいにくと数年にわたる屋根の檜皮葺替え工事中で、本殿には覆いがかけられていたけれど、事前にお願いして現場の中を見せてもらった。これまた貴重な体験である。
吉備津神社は外観からして大艦巨砲の戦艦っぽく、ガンダム心がくすぐられるものがあったが、覆いの内部はまさに兵器製造ドックの趣き(実際に修理ドックなんだけど)。

 

「檜皮がないようだが…」
「あんなの飾りです!偉い人にはそれがわからんのですよ!」

いやいや…


ちょっと真面目な話もしておこう。
吉備津神社の構造形式(比翼入母屋造あるいは吉備津造と呼ばれる)は他に比類のない独特の形状ということだが、何故この形状が生まれたのかというのは、手元の文献を見てみてもよくわからない。
本殿の平面は、三間社流造(下鴨神社のような形で、最も一般的な神社建築様式の一つ)の内陣・内々陣の周囲に、庇が二重にまわった入れ子状の構成をしている。
これを素直に立ち上げ屋根をかけると、やや庇の長い入母屋になると思うのだが、ここでは何故か棟が前後に細胞分裂している。双子だ(奥の棟は内々陣、手前の棟は朱の壇の上部にあるようだから、両者を同等に扱おうとしたのかという想像もできるが、さらにその前方に拝殿がズコーンとくっついてくると、もうよくわからない)。
断面は断面で、拝殿から奥にすすむにつれ床が上がり、その最上段に内々陣があるという、まことにヒエラルキカルな構成をもつ。
つまり吉備津神社は、平面は入れ子状、断面は階段状、そして立面(屋根)は双子の同形並置、というそれぞれ異なった構成原理を組み合わせて空間がつくられているという、何とも不思議な建築なのだなぁ。


檜皮葺き替えの様子。数年かけて材料を調達しながら直していくというのは、あらためて考えると凄いことである。


ガンダムで思い出したけど、岡山にはとんでもないモノがあったようだ。事前に知っていたら絶対遠足に組み込んだのに、残念。
制作者のインタビュー(←インタビュアーの質問が妙にマニアックで面白い)

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■ 06年06月15日(木)

庭師の訪欧記[柳沢究]

少し前からこっそりと右側の「リンク」欄に追加しておいたのだけど、神楽岡の某庭師が、現在ワールドカップ&観光でヨーロッパに出かけており、旅先からのブログを立ち上げている。
現在イギリス。なんだか優雅な旅のようでいて、早くもヨーロッパに飽きてきている様子… 先は長いぞ。

>> 庭師の訪欧記

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■ 06年06月06日(火)

6/25のスライド会[柳沢究]

今月のスライド会には、建築家+左官屋=森田一弥氏が久々の登場です。
森田氏がつい先月訪れた、モロッコはマラケシュでの熱い体験を数々のスライドともにお話いただきます。

■日時:
2006年6月25日(日)19:00〜

■テーマ:
「モロッコの左官職人 〜石で磨くマラケシュの漆喰技術〜」


詳しくはWhat's NEWをご覧下さい。

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■ 06年06月02日(金)

旧大國家住宅について・追記[柳沢究]

なるほど文化財指定にもいろいろ大変な裏側があるようで。
事情はよく知らないけれど、仮にお金が目的で国指定にしたのだとしても、文化財を維持・管理していくためにコストがかかるのは当然のことであって、指定のプロセスにどこぞの審査のような不正や問題がない限りは、少しも非難されるべきものではないですよね。


ところで、旧大國家住宅が文化財として認められた理由というのは、調査報告書によれば、(1) 比翼入母屋造という極めて特殊な屋根形状をもつこと、(2) 創建以来たびたび行われた増改築の経緯を示す資料が豊富に残っていること、の2点である。

(1)の単に他に例を見ない特殊な造形だけでは、珍しいね、というだけで、あまり意味がない。保存や調査に値するとすれば、その特殊な造形がもの凄く魅力的な空間を生んでいるか、あるいは、その特殊性が形成されるに至ったプロセスから一定の一般性を持った知見(当時の社会状況や建築技術、住宅観など)が導き出せる/出せそうな場合のどちらかである。大國家の場合、この点を(2)が保証している。

大國家の空間的魅力に関しては、悪くはないがそれほどでもない、というのが正直なところ。民家としてのプリミティブさであれば箱木千年家に及ばないし、柱梁架構の美しさ・迫力では吉島家日下部家が勝る。
しかし大國家が面白いのは、たび重なる増改築の結果、内部空間がえらく込み入っている点だ。比翼入母屋造という非常に複雑で象徴的な屋根をわざわざ作っているくせに、屋根形状と内部構成が全然対応しておらず、柱があるべきところに無かったり、台形に歪んだ部屋があったりする。母屋の隣にある蔵座敷の一階は、細かに仕切られた部屋が複雑に組み合わされ、まるで畳の迷路空間である。一体何を考えてこんな家をつくったのか、理解に苦しむほどに錯綜している。
大國家の増改築が、当時盛んに信奉されていた「家相」に大きく影響されていることは分かっており、方位等を書き込んだ増改築計画図面が何枚も残されている。しかし前近代の建築を機能性だけで説明することができないのと同じく、実際に住まわれる住居の空間を「家相」だけで読み解くのは現実的ではないだろう。今後、残された資料により詳細な検討が加えられれば、これまでにない当時の住居観や生活像が見えてきそうである。

昔は一軒の家を建てたら、火事で燃えたり地震で崩れてしまわない限り、時々の要求に応えるための増改築を重ねながら、何代にもわたり執念深く住みこなしてきたと考えられる。大国家はその痕跡を今に残す希少な事例という点で、価値ある「文化財」なのだ。
そもそも建築とはそのように増改築されながら使われ続けるものである(かどうか)、という議論はひとまず置いておくとしても、時代を経て複数の人間の手が加えられてきた建築の方が、ある時代に一人の人間が考え完成させた建築よりも、時に魅力的であることはよくある話。新築が難しくなり、今すでにある建物を如何に使うかがテーマになりつつある時代において、旧大國家住宅はなかなか示唆に富む建築ではないかと思うのである。

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■ 06年05月26日(金)

伝統文化における紋様国際会議[柳沢究]

11月に大阪大学で開催される、第62回形の科学シンポジウムにて、世界に広く見られる一筆書き/紐状パターン・・・Kolam(南インド)、ケルト紋様(アイルランド)、SONA(アフリカ)、 水引・組み紐(日本)、宝結び紋(日本・中国・モンゴル・チベット)、アラベスク(中東)など・・・をテーマとした、研究交流の国際セッションが開催されます。

僕自身のコーラム研究(このところあまり進展していませんが)の成果も、この機会にあわせてまとめて発表する予定です。興味・関心のある方は、ぜひともご参加ください。

詳細は以下をご覧ください:
形の科学会
KASF(Katachi/Kolam/Knot Arts and Science Forum)
形の文化会
科学芸術学際研究所

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■ 06年05月25日(木)

春の遠足2 旧大國家住宅[柳沢究]

旧大國家住宅というのは、閑谷学校からほど近い和気町尺所にある。吉備津神社本殿と同じ「比翼入母屋造」というえらく凝った屋根をもつ、一風変わった民家だ。創建は1760年という。

 →ぐるぐる動く旧大國家住宅

初めて本格的に実測・調査されたのが2003年(広島大学三浦研究室による。←なんだかとても楽しそうな研究室)、その調査報告を受けて国の重要文化財に指定されたのが2004年。このように文化遺産として整備され始めたのがかなり最近のことなので、建物は内外ともほとんど修復されておらず、あちこちに傷みがみられる。しかしそれが逆に、一つの住居が二百数十年の間住まわれ続けてきた(平成14年まで実際に大國家の人が住んでいた)ということの、厳しさ生々しさを直截的に感じさせてくれる。これは綺麗に復原・修理され、一般公開されている民家からは想像しづらいものだから、なかなか貴重な体験であったと思う。

 

ちなみに、旧大國家住宅は通常一般公開はされていないけれど、事前に和気町の教育委員会に申し込めば、見学できたりできなかったり。

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■ 06年05月22日(月)

春の遠足1 閑谷学校[柳沢究]

たいへんご無沙汰しております。
3〜5月前半は「げのむ」の仕上げやら引っ越しやらが重なり、ヒーヒーでした(言い訳)。そんなこともありHPでの案内はできなかったのですが、この間の日曜日に恒例の「春の遠足」を決行しました。今年は閑谷学校、旧大國家住宅、吉備津神社、後楽園を巡る備前・岡山ツアー。滋賀県大・山本先生の飛び入りもあり、総勢20名の賑やかな遠足となったのでした。

まずは、閑谷学校
山間の道を抜けるとスカッと拡がる敷地、備前焼の屋根瓦と眩しいほどに白い漆喰壁が新緑に映え、何とも爽やかな風景。この爽やかさは、小高い山の懐に抱かれた平地というロケーション(風水的に選ばれたと聞く)もあるが、植栽のメリハリによるところが大きい。植物の繁茂しやすい日本では、ふつう建物周りは植物が全然なしの砂利敷か土、あるいは鬱蒼とした木々に囲まれてしまいがちなのだが。建物間の距離をほどよくとり、石塀や火除山、排水溝などの曲線が柔らかくめぐる。この澄明で端正な敷地計画には、ちょっと日本離れした感覚を感じてしまう。これは後楽園をも計画したという津田永忠のセンスなんだろうか。
ちなみに右の写真は昨年の冬に訪れた時のもの。緑の中に浮かぶような春と、周囲にとけ込むような冬。季節が違うと受ける印象はかなり異なるものの、どちらも見事に敷地と呼応していて驚く。

 

ちょうど我々が訪れたとき、地元の中学生と思しき子供らが、講堂に正座して(足の痺れに耐えながら)論語の復誦をやっていた。「子曰わく、過ちて改めざる、是れを過ちと謂う(子曰 過而不改 是謂過矣)」
講堂の床は入れ子になっている母屋の部分だけ、漆が丹念に拭き込まれ、鈍く光っている。火灯窓から外へほわーっと誘い出されるような感覚がある一方で、講堂の中心に意識がぎゅーっと集まるような求心性もあり、開放感と緊張感の同居した、まこと勉学に相応しい環境というべきか。

 

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■ 06年05月18日(木)

SSS 振動実験[柳沢究]

振動実験のために、ふたたび生産された1/3スケール試験体(3号と4号)。
4〜5mm厚のシェルの薄さが際だつ。

立命館大学の実験施設にて。まな板の上のSSS。

 

実験の様子と崩壊の瞬間。
0.5Gの振動は耐え抜き(3号)、阪神大震災クラスの1Gの振動では鉛直載荷実験と似たように、足下が砕けるように崩壊した(4号)。この結果をふまえ、実物大実験棟のシェル厚を決定していく。

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■ 06年02月27日(月)

3/19のスライド会[柳沢究]

3月の神楽岡の案内を載せました。
詳細はこちらをば。

テーマは「ヨーロッパにおける“森”と“庭”の意味の変遷─整形式庭園からエコロジカル・プランニングまで」。
ヨーロッパの庭園史からランドスケープ・デザインの最新動向までを踏まえながら、「森」や「庭」というものが人間にとってどのような存在であったのか、またこれからどのような関わり方があるのか、というような話をしてもらいます。講師は神戸芸工大の同僚でもある九州男児・上原三治氏です。

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■ 06年02月21日(火)

「怖い京都」アンケート[柳沢究]

現在編集中(なかなか終わらない…)の「げのむ」第6号にて、下記のようなアンケートに基づく記事を作成しています。
是非ともご協力下さい!
(ちなみに質問1の回答例は僕自身の体験です)


京都げのむ・アンケート「怖い京都」


…なぜ『怖い京都』という設問なのか?

ここでも何度も書いてますが、6号のテーマは「境界」。
「境界」とはある領域と領域の狭間であり、双方に属しているようでもあり、どちらにも属さない場所であるともいえる。それゆえ「境界」は様々な束縛やルールから比較的自由な場所であり、領域の「内部」では起こりにくいような興味深い事象が発生しやすい。これが境界に注目する理由。

では、眼に見える境界・地図に現れる境界は分かりやすいが、そうでない境界を発見する有効な手法はあるのだろうか? 新たな境界を発見することは、都市をみつめる視線の深化につながるのだから、これはあながち意味の無い問いではない。

ところで、やや一般化して言えば「境界」とは「日常」のルールが通じない場所である。そしてそんな場所で生起する事柄は、「非日常」=「ここではない世界」=「異界」のものであり、我々がそれを体験した時におぼえる感覚は、「驚異」あるいは「恐怖」と呼ばれるものであろう。

つまり逆に考えると、常識や日常感覚を超越する「怖い」「おそろしい」体験を誘発しやすい場所や事物があるとすれば、そこには何らかの境界性が見いだされるのではなかろうか?、という仮説がたてられる(実際、多くの怪談話は川や橋、辻、現代でいえばトンネルなど、都市の境界部分を舞台とするのである)。

…というのが、少々大げさになりましたが、このアンケートの意図です。けれどもまぁ、あまり深く考えずに気軽にお答えいただければ幸いです。


アンケートを元にして、↓こんな記事ができる予定。

「京都午前零時〜夜は何でできているか?」
(『京都げのむ』創刊号所収)

P1-2.  P3-4.

※画像ちょっと重いです。

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■ 06年02月17日(金)

パキスタン仮設住宅提案[柳沢究]

版築の畑中さんとKstudioの田島喜美恵さんが、昨秋に行ったパキスタンでの調査および仮設住宅提案の展覧会とシンポジウムを行うそうです。
東京は来週から、大阪は4月とのこと。大阪会場はなんと中之島公会堂だ(田島さんの企画の速度と実行力にはいつも驚かされる)。

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■展覧会「写真と仮設住宅提案からみるパキスタン地震 ―“1+αtemporary housing”の可能性」
震災発生1ヶ月後にパキスタンへ向かい、パキスタンの住形式と地域性に沿った仮設住宅プラン“1+αtemporary housing”を提案した。本展は仮設住宅提案から見えてくるパキスタンをメディアとは違う側面でとらえ伝える。
・会場:大手町カフェ(東京メトロ大手町駅すぐ/千代田区大手町1-6-1大手町ビル1F)
・期間:2/20(月)〜2/25(土)

■連動企画シンポジウム「大震災からの復興への道のり」
・会場:大手町カフェ
・開催日:2/25(土)14:00〜16:00(1:30受付開始)/当日先着順100名
・講師:田島喜美恵(Kスタジオ・滋賀県立大学)、畑中久美子(畑中久美子デザイン室)、松川淳子(生活構造研究所代表)、渡辺斉(長岡市復興管理監)
・参加費:1000円(ソフトドリンク付き)

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■ 06年02月14日(火)

旧金比羅大芝居・金丸座2[柳沢究]

舞台裏の中二階部分にある、集中力が高まりそうな役者控え室。
丸太の梁と漆喰壁、そこに差し込む光が、ちょっと出来過ぎ君では。

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■ 06年02月13日(月)

旧金比羅大芝居・金丸座[柳沢究]

年末に行った香川・岡山で、実は一番よかったかもしれない建築。
現存唯一の江戸時代の芝居小屋、琴平の金丸座

 

近年の改修で一部鉄骨で補強されたそうだが、それでも木造柱梁による大空間はちょっと他に類をみない迫力である。現在はもちろん電気照明が入っているが、年一回の公演の際には、高窓からの自然光とロウソクの灯りのみで演じられるという。高窓の外側(屋根の上)には照明係さんが控えており、暗転時にはバタバタと人力で板戸を閉ざすのだそう。
天井は竹を格子状に組んで透かしてある。これだけでも空間に深みがでてカッコいいが、芝居のクライマックスにここから紙吹雪が舞い落ちるという演出もあるという。枡席と舞台の親密な距離感は、現代の椅子式のホールとは大違い。役者は舞台・花道を駆けめぐるし、客席からもヤイヤイと声が飛ぶ。上演時には建築全体が濃ゆい演劇空間となるのだろう。一度味わってみたいものである。

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■ 06年02月12日(日)

土曜日の一日[柳沢究]

恒例の下鴨現場。壁もおおかた仕上がり、木部の塗装も引き締まってきた。今は外構工事が山場を迎えている。かねてから庭を造りたいと意欲を燃やしていた久住氏の指揮のもと、神楽岡の庭師衆が総動員でとりくんでいる。写真は水谷&松崎氏が玄関前の石を据えているところ。形をあわせながら、丁寧に、少しずつ。


午後、学芸の仕事のため、竹原義二氏の全作品資料に目を通す。竹原氏は「住宅特集」登場回数NO.1らしく、なんとも膨大な作品数。一人の建築家の図面をここまでじっくり読み込むのは久しぶりだが、図面を引く機会の少ない今の自分にとって、とてもよい頭の体操になる。

夕方には、芸工大を出て東京の南洋堂に勤める新宮君が京都に帰って来ているというので、漆の東端唯さんのアトリエでの個展打ち上げパーティに一緒に行く。板の間の床に座って、ドンペリとかソーテルヌとかを場末の居酒屋のように飲みながら、曽根造園の若い職人さんや照明作家のムーランさんと話す。いいねぇ。

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■ 06年02月11日(土)

右回り/左回り[柳沢究]

先週3日に高木先生と話していた時、「左回り/右回り」の話になった。

ヒンドゥー教や仏教の巡礼や参拝は、必ず右回り(進行方向に対し右が中心に向くという意味。=右肩回り、時計回り)で行うものとされている。ヴァーラーナシーの巡礼路も四国のお遍路もチベットのマニ車も、みんな右回りである。では何故「右回り」なのか?

諸文化には、たいてい「左/右の優位性」問題があるのだが、おおむね右を優勢(=尊、浄、善)とするところが多い。「人種を問わず右利きが多い」というのは、どうやら統計的に事実らしいので、これが理由であろうかとも思う。しかし、生理的制約や身体の機能性といった観点からすれば、格別右利きが優越である根拠はないそうで、右利きが多いのは実は社会的に矯正・固定された結果という指摘がある(例えば猿の左右の利き腕の差異はかなり流動的という)。ともあれ、人間には「右」を好む文化的傾向が何となくあるようなのだが、興味深いのはRing-Wandering(【独】Ringwanderung)という現象。

Ring-Wanderingとは、目印が何もないところを歩いていると、人間は自然に左回りの弧を描き、最終的に同じ箇所を円環状に巡るという行動現象をいう(たとえば夜に吹雪で視界のきかない原っぱで道に迷った人は、まっすぐ歩いてるつもりがグルグル回っていて、ついに力尽きてしまうというようなこと)。利き足でない方(=左足)が軸になりやすいからとか(陸上のトラックはこの理屈で左回り)、左側にある心臓を内側にするためとかいう説があり、確定的な理由は知らないけれど、人間は身体的には左回りする傾向がある、と考えていいようだ。
ちなみにコリオリの力を受けて北半球で発生する台風や渦が左回りになることとは、ほとんど関係ないらしい(運動速度が小さすぎるからか)。

では宗教儀式などに際して、左回りと右回りどちらの動きが、よりふさわしいということになるんだろう。
左回りが生物として「自然」な動きであるとすれば、右回りに動く事にある種の神秘的な価値を見いだしたのは、人間としてとっても「自然」なことのように思われるのだが。

ところでメッカのカーバ神殿の礼拝は左回りだそうです。
(オチもマトメもないです。すいません)

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■ 06年02月10日(金)

論文終了後の日々[柳沢究]

27日:論文は結局仕上がらないまま、徹夜明けで夕方よりCDL事務局会議。

28日:朝から大阪・森ノ宮へ。学芸の本の仕事で竹原義二氏の事務所へ行き、初顔合わせと簡単なインタビュー。終了後、山崎邸のパーティへ。昼間ということか山崎君の趣味か、コーヒー・紅茶にケーキ、クッキーが並ぶテーブルにたじろぐ。甘いモノばかりでほとんど飲み食いできず。理研で理論物理学をやっているというシコウさんにコーラムのことを話したら興味をもってくれ、組み紐理論(乱れた麻を断つのではなく、如何にほどくか。あるいはどれだけ複雑に絡まっているかを考える理論)を用いてはどうかとアドバイスをもらう。

29日:午後重森三玲邸へ。座敷から眺めると、室内に庭が入り込んでくるような迫力はあるが。年末に見たイサムノグチの庭を思い起こしつつ、「モダン」とは何なのかなどと考える。夕方電器屋めぐり。寺町はさびれつつある。デジカメを5年振りに新調。

  

30日:いまだ終わらぬ論文にとりくみつつも未完でダウン。

31日:修士論文提出。みなさんご苦労様。打ち上げのキムチ鍋会に顔を出すが、論文があるのでと早々に退出。大学院棟の廊下に流れるニンニクの香りに気をとられつつ久々に徹夜。

1日:論文ようやっと仕上がり深夜発送。

2日:神戸市営地下鉄が架線事故とのことで、朝10時頃とまる。学位申請論文発表会。

3日:論文にとりくんでいる間、ほったらかしにしてたメール返信、事務書類書き等で一日終わる。晩は高木先生の部屋でゼミ。久々にヴァーラーナシーについて話した。牛の一日行動調査記録(6頭分)、いつになったら日の目を見ることやら。

4日:午前下鴨打ち合わせ。毎度のことながら壁が仕上がるとぐぐぐっといい感じになる。午後は家の片付け。寒い。ネズミがあちこちを跳梁跋扈している。晩ビューティアム改装の打ち合わせ。のち日知庵HATI-HATIへ。アラックのソーダ割り美味し。

6日:事務処理でほとんど終了。修論発表会の準備。JRまたも遅れる。焦って事故を起こすよりもずっといいけど、新快速が15分くらい遅れるのは日常的になってきた。

8日:一日かけて修士論文・作品発表会。今年はファッションの作品がよかった。

9日:片付けやら採点票の集計やら3時間超の会議やらで疲弊。合間を見てSSSの足場や型枠についての検討。

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■ 06年01月26日(木)

22日の反響[柳沢究]

22日のスライド会については、コメントの他にも、

「絵に描いたような酔っぱらいが見られて楽しかった。…色んな意味で、稀に見る非常に楽しく興味深いスライド会でした」
「過去最高と絶賛のスライド会に酔っぱらいは絡むは、骨マニアは絡むは、絡む絡む。それらみんな含めてとても楽しかった」
「冷静に淡々と語る講師と、会場の乱れ具合のギャップがおもしろかった。 あんな、コントに出てきそうな酔っ払い、初めて見ました。いろんな意味で貴重な会を、ありがとうございました」

などなど、いろいろな方から温かい感想(フォロー?)を頂きました。ありがとうございます。とはいえ、そもそも自分が何をやってたかという記憶が断片的なので、あんま喜んでもいられないのですが。とにかくいい会になったということで…

…というような、普段書かないことを書いているのは、今月中に仕上げねばならない論文から逃げているから。あぁもう。

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■ 06年01月25日(水)

イサムノグチ庭園美術館[柳沢究]

年末の話に戻る。
栗林公園の後はうどんを食って、牟礼のイサムノグチ庭園美術館へ。

往復ハガキで申し込まないといけなくて、でも直前まで日程を決めてなくて、慌てて速達で申し込んで、なんとかいけた。
中は写真撮影禁止なので敷地外からの一枚。この地域でとれる庵治石が円弧を描くように野面積みされていて、旧アトリエはその内側にある。中はちょっと高台になっているので、敷地内に入るとこの石垣によって綺麗に外界から切り離されて、写真奥にある山(庵治石の採石場がある)に向けて空間がひろがっていくのだ。彫刻作品ももちろんいいけど、この石垣に囲まれた屋外作業場(現・彫刻展示場)や、イサム家(居住棟)の庭に漂う柔らかな緊張感が、とても印象的だった。
宇都宮の大谷町もそうだけど、たとえ日本であっても石の産地一帯というのは、完全に石の文化圏ができあがっているように思う。京都なんかでの石の使われ方と、もうまったく感覚が違うのだ。

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■ 06年01月22日(日)

メディアとしてのミュージアム[柳沢究]

新年一発目のスライド会。
夕方から雪が降り出したためか、いつもより若干少な目の人数でしたが、それを補って余りある(むしろ何でこんな日にみんな来ないんだというくらい)面白い内容でした。

この日の講師・図師宣忠氏は京都大学で中世フランス史を専攻し、現在学位論文に取り組んでいる。僕と大学の同級生でもあるのだが、知り合ったのは実は一昨年くらいのこと。ゴリゴリの研究をやる一方で視野が閉じていなくて、自分の研究分野のことも門外の人間にわかりやすくかつ面白く話せるという、研究者だったら当たり前のようでいてなかなかできない事を、さらりとやる。憎い。というわけで、付き合いは短いのだけれど、妙に波長があって最近仲良くしている。

前置きが長くなったが、今回のスライド会は彼のサブ・テーマである「ミュージアムにおける恐竜の展示方法の変遷」をやってもらった。ミュージアムといいながら、建築のことはよくわかりませんといいながら、パノプティコンの絵からスタートするところが、さすが。近代のミュージアムは知識を分類整理し一望監視型の構造にはめ込むところから始まるという話から、近年の結論ではなく過程そのものの展示へ至る道筋を、熱烈な「恐竜愛」とともに語ってくれた。
詳しい内容は後で独立のコンテンツとして書き下ろしてもらう予定なのであまりふれないでおくが、世界をいかに把握し表現するかという方法には、様々な分野にわたって共通する時代的な構図がある。その大枠を意識しながら個別の差異を吟味するのが他分野の事を勉強する面白味の一つなんだと思う。

もうちょっと小さな感想としては、マニアはやっぱおもしれーということ。注いだエネルギーに比例した知識の厚みと熱がある。おかげで話を聞きながら酒がすすむすすむ。すすみすぎて途中からわけのわからなぬ状態に突入してしまったのは反省であるけれど。図師氏や参加していただいた方にはちょっと(だいぶ?)ご迷惑をかけてしまったようでスイマセン。でもそれも彼の話があまりに面白かったためと、寛大なるご容赦を願いたい(いつもはあんなじゃないんです)。

その様子については(自戒の意味も込めつつ)、参加者の一人であるカナヱさんの文章(と写真)をお借りしてお伝えしておこう。

「(スライド会は)二時間以上ノンストップの長丁場で、後半は氏の恐竜への深い造詣と愛を熱く語っておられたのですが、このあたりになると、私の隣で焼酎ビール割りを一人ガンガン飲んでおられた主宰者のQ氏をはじめ、約数名は完全に良い具合となっておりました。笑
Q氏の大きなしゃっくりが響く中、呂律の回らぬ口調で野次とも言える質問を浴びせられ、それに困りながらも一生懸命応える図師さん。彼の純粋な恐竜への思いは、酔っぱらい達の野卑な笑い声にかき消されていくのでした・・・嗚呼・・・。笑


  

写真左:スライド会の様子
写真中:酒盛り中
写真右:恐竜標本に興奮した酔っぱらい要員S氏が披露してくれた骨コレクション」

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■ 06年01月21日(土)

缶詰バー&沢田マンション[柳沢究]

中崎町のコモンカフェで行われる「けんちくの手帖」へ顔を出すために大阪へ。

イベントの前に、堀江にある缶詰バー・kansoへ、ちょっと寄り道。最近よくある「イロモノ店舗」かなと行く前は思ってたけど、酒屋の店先で飲んでるような雰囲気で、なかなかまったりできる。ビニールシートで囲まれたやや寒い屋外スペースで、石油ストーブにあたりながら、牡蛎のスモークとうなぎの肝の缶詰でビールを少々。場所が場所だけに地代は高そうだが、それ以外のランニングコストはかなり押さえられるだろうなぁ。通勤途中にあったら毎日立ち寄ってしまいそうである。

今回の「けんちくの手帖」のテーマは沢田マンション(通称:沢マン)。高知にある有名なセルフビルド・マンションだ。

建物の詳細はこちらの本に出ているので省くとして、面白いなと思うのは、一見行き当たりばったりの無計画な造りでセルフビルドらしいヴァナキュラーな雰囲気を醸しているんだが、そこに使われている建築言語は、ピロティ、屋上庭園、フラットルーフ、屋上まで続くスロープ、ドミノシステム、大量生産の規格化部材などなど、実は近代建築のボキャブラリーそのものじゃないか、ということ。近代建築の「造形」にとらわれず、その「システム」「理念」を融通無碍に用いていったら、こんなこともできてしまうのだという、いい証拠である。少々短絡的かもしれないが、同じように白く塗られたサヴォア邸の発展型として沢マンを位置づけてみると、近代建築の意外と面白い可能性に気づかないだろうか(そういえば吉阪隆正自邸もそんな感じだ)。

もう一つ。セルフビルド建築の楽しさは、ブログや個人サイトの楽しさに似ている。
発信メディアとしてのインターネットの普及は、恐るべき多様さと密度と深さを持った「素人」が、世の中には沢山いるのだということを知らしめた。同じように、もしセルフビルドがもっと手軽で一般的なものになれば、世の中にはもっともっと面白い住まい方や空間感覚を持った人間がいることが、きっと明らかになるだろう。たとえば「TOKYO STYLE」「賃貸宇宙」などの都築響一の仕事からは、インテリアレベルではあるが、そんな可能性の一端がうかがわれる。

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■ 06年01月19日(木)

人生、焼きが大事[柳沢究]

いやぁ、いいコピーだなぁ。

「山田脩二の軌跡―写真、瓦、炭…」展

カワラマン・山田脩二氏の展覧会が、2月4日(土)〜兵庫県立美術館で開催される。

なぜか美術館のサイトには載ってないけど、下記のような関連イベントが催されるらしい。個人的に大注目なのはやはり3/17の田中泯・独舞。あんな美術館の中で踊るなんて相当やりにくいと思うのだけど、山田さんの作品と絡みながら果たしてどんな異空間を創りだしてくれるのか。安藤忠雄、伊東豊雄という面子よりも、そっちの方がずっと気になるぞ。
展覧会の内容については、神戸新聞のインタビュー記事に詳しい。

● トークショー
2月5日(日)午後2時
「都市、建築、写真」 多木浩二(評論家)×伊東豊雄(建築家)×山田脩二
2月25日(土)午後2時
「環境−再生と創造」 安藤忠雄(建築家)×山田脩二

● 公開制作&ギャラリートーク
3月3日(金)
「いけばな×かわら」 吉田泰巳(華道家)×山田脩二
公開制作:午後2時 [光の庭]にて。ギャラリートーク:午後5時

● 記念舞踏公演
3月17日(金)午後6時開演
「独舞・日本村」 田中泯(舞踏家)
※当日朝、午前10時から整理券を発行。(定員300名先着順)

● 山田脩二によるギャラリートーク&ドキュメント上映会
2月10日(金)午後5時 ギャラリートーク
3月19日(日)午後2時 ギャラリートーク/午後3時 ミュージアムホールにて上映会

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■ 06年01月17日(火)

箱松 - 栗林公園3[柳沢究]

箱松 

栗林公園の名物の一つ、箱松。
盆栽技術を駆使し輪郭を箱形に整えた松の並木。裏から見ると、ねじまがりまくった枝と松葉が綺麗なスクリーン状になっていて、ちょっと他では味わったことのない半透明感。箱松をつくるには数十年かかるということだから、自分の庭に欲しくてもそうできるもんじゃないけど、木の枝葉をスクリーンに使うアイディアはいろいろ応用がききそう。スフェラ・ビルのファサードは、まんまといえばまんまだが、この感じがよくでていると思う。

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反芻する牛の口[柳沢究]

  

脳内アニメーションでどうぞ。


反芻について調べてたらこんなのが。
>> 肥育牛における反芻行動の特徴について
>> 簡便で精度の高い反芻咀嚼行動計測システム

反芻は牛の休息の一部であり、体調の変化がその時間、回数に如実に表れるようだ。
いろんな研究をしてる人がいますなぁ(人のことは言えんが)。

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■ 06年01月16日(月)

本の仕事[柳沢究]

朝、神戸に行く前に学芸出版社によって打ち合わせ。
編集の知念靖広氏から、とある建築家の作品集+建築論の本を作る手伝いをやらないかと、先週お声がかかったのです。今年は論文を石に齧り付いてでも…という思いから、なるべく仕事は受けないようにするつもりだったのだが…。

その建築家の作品や設計手法にかねてから興味をもっていたこともあるけれど、年末に訪れた閑谷学校イサムノグチ庭園美術館をその本の中で取り上げるという妙なシンクロ感にも後押しされて、勉強させてもらうつもりでやってみることにした(こう書くと、その建築家が誰か、分かる人には分かるかもしれない)。

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■ 06年01月15日(日)

げのむ編集大詰め[柳沢究]

朝から若杉荘(京都CDL事務所)に詰めて、編集作業。
具体的に何をやってるかというと、上がってきた原稿(テキスト、画像等)をInDesignを使ってレイアウトしていきながら、文章をチェックしたりという作業なんだが、とにかく時間がかかる。レイアウトを専門でやってくれる担当がいれば内容のチェック・修正に集中できるのだけれど、あいにくその彼は現在修論執筆中で動きがとれない。午前10時頃からはじめて、昼過ぎから三々五々あらわれる担当編集委員と打ち合わせしながら、あっというまに夜8時9時。少しずつだが確実に内容の濃い、いい記事が仕上がりつつある。しかし、自分が担当しているページが後回しになってしまってるのは問題だ。

ところで『京都げのむ』が、「けんちくの手帖」のイベントで「けんちく本」として取り上げられることになりました。アナウンスはもう少し後になりますが、4月後半にやる予定です。それまでにはなんとしても6号を完成させなければ。

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■ 06年01月14日(土)

東端唯・個展『+漆』2[柳沢究]

13日深夜から展覧会場へ行って、設営を少しお手伝いする。今回の個展のコンセプト解説の文章を唯さんと一緒に考えたりして、終了1時ころ。

14日晩はギャラリーでのベルニサージュがあり、福原左和子さんが唯さんの作品に囲まれながら琴を奏する。琴の生演奏ってのは初体験だったのだけど、音や曲よりもまず、優雅で激しいその動きに見とれてしまった。会場からあふれんばかりの人が集まり、賑やかに会は進行。唯さんの作品にふさわしく、なんだか気安くも格調高い雰囲気がよかった。いろいろな方が来場していて、「繭」以来いろいろとお世話になっていた建築商会の馬場徹さんに数年振りにお会いした。

会場のASPHODELは祇園の四条縄手を上がったところにある。このあたりはわりとよく歩くんだが、このギャラリーの存在には全然気づかなかった。というのは、9日の地図を間違えた言い訳。すいませんでした。

アスフォーデルasphodelという不思議な響きは何かと思ったら、ユリ科の花の名前らしい(ユリ科アスフォデルス属・アスフォデリーネ属の各種。文学では水仙をさす場合もある)。ギリシャ神話で死者の国に咲くとされる不凋花(散らない花ということか)アスフォデロスasphodelosに由来し、ゆえに古くから墓地に植えられたという。以上むだ知識(参考:研究社英和辞書・リーダーズプラス、平凡社・世界大百科事典)。

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■ 06年01月12日(木)

水際のデザインー栗林公園2[柳沢究]

水際の処理がとても綺麗。
小さな庭でこうやっちゃうと作り物感が強くなりそうでどうかと思うが、このスケールだと風景が引き締まる感じがする。マングローブや葦原のような曖昧な水際もいいけど、こんなキリリとデザインされた水際も気持ちいい。

他に人工的な水際として印象的なのは、やはりヴァーラーナシーのガート。
季節により変動する川の水位にかかわらず、いつでも水面に到達できるように、階段状になっている。だから雨季に水量が増大すると、ガートの階段(時に岸にある建物までも)が、川に沈み込んでいくのだ。

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■ 06年01月10日(火)

栗林公園[柳沢究]

年末に3日ほどかけて、香川と岡山をさらりと巡ってきた。
淡路を通り抜けて四国に上陸し、まずは高松市内の栗林公園へ。

こういう庭園の見方って実はまだよくわからない。けれど同じ大名庭園である兼六園などに比べると、全体の印象がモダンというか、個性の強い(悪くいえばゴテゴテした)松や岩をこれみよがしに展覧会風に見せるのではなく、空と芝と池といった面的な「地」をぱきぱきと明快に構成してみせた上に、こぢんまりとした木々や建物を点々と配置している感じが、伸び伸びとしていてとても気持ちがいい。
しかーし、何を血迷ったか写真にある掬月亭の中に入るのを忘れてかえってしまった。あそこが一番の目当てだったのに。暖かくなって花の咲く季節になったらもう一度行かねばならない。

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■ 06年01月09日(月)

東端唯・個展 『+漆』[柳沢究]

下鴨の現場でもお世話になっている、漆芸家・東端唯さんの個展が、14日から祇園のASPHODELで開かれる。

060109.jpg

唯さんの仕事場には何度か遊びにいかせてもらっているが、アトリエ内にところ狭しと様々なサンプルが並べられていて、何時間いても飽きることがない。個展では、えぇ? 漆ってこんなこともできちゃうの? という可能性に充ち満ちた作品を見る事ができるはずだ。今から楽しみ。久住氏制作による土の展示台もあるとのウワサ。

14日の19時から、琴の演奏やワインのでるオープニングパーティがあるそうで、それにあわせて遊びに行くつもり。どなたも歓迎とのことです。


詳細は以下のとおり。

日時:2006年1月14日(土)〜20日(金)12:00〜20:00
場所:"ASPHODEL"-The Sanctuary-(アスフォーデル)
605-0085 京都市東山区末吉町99-10 TEL:075-531-6131
>>地図(こんどは大丈夫 だいたいここら辺

<東端 唯・ひがしばた ゆい・プロフィール>
1974年京都生まれ。漆工芸の家系に育つ。高校卒業後、漆芸家・鈴木雅也氏に師事、その後、京都工芸繊維大学にてデザインを専攻。日本の伝統的な技法を生かし新しい物づくりへの挑戦。素材、色使い、テクスチャー……。新鮮さを加えながらもあくまで伝統に基づいた、落ち着いた作風が話題に。現在、建築・インテリアデザイン、など様々な分野での新しい漆の可能性をさぐっている。[神田江実・Juliette主宰/フリランスエディター]

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謹賀新年の牛2[柳沢究]

この間の牛のアップ。
運んでいるのはたぶん乾し藁=牛達のエサ。
上に乗ってる鞭を持ったおじさんがいい味だしてますが、 頭に巻いてるのはターバンではなくて、手ぬぐい。 日射しがとっても熱いから(気温40度くらい)。

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■ 06年01月07日(土)

互礼会[柳沢究]

大学にて教職員一同会しての新年互礼会。
終了後、年末にほったらかしにしていた研究室の片づけをしながら、今年何をやらなくてはならないのか、なんていう新年らしい事を考える。芸工大の任期も来年度いっぱい。今年こそ学位論文の執筆に目処をつけないと、ヤバイ。博士課程に進学してから、神楽岡の活動をはじめ、大学を中退し芸工大に来てはや3年近く。この間、興味のむくままあれこれ目一杯手を広げてきたけれど、そろそろ瓢箪よろしく、きゅッと引き締める頃合いであろうか。

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■ 06年01月06日(金)

謹賀新年の牛[柳沢究]


おくればせながら、新年にふさわしく勇ましいヤツを。
これはただの荷車だけど、戦車なんかだったりしたら、
結構な迫力である。
(南インド、シュリーランガムの街にて)

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■ 06年01月03日(火)

餅つき[柳沢究]

神楽岡として第2回目となる新年餅つき大会を決行。
道具は水谷さんがはるばる三重から運んできたケヤキ製の立派な臼と杵である。
昨年は餅米を前日から水に浸しておくのを忘れ、当日朝にあわてて水に浸したために、できそこないのおこわのような固いモチになってしまった。今年は準備万端整え、トッピングもきな粉、あんこ、ゴマ、大根おろし、納豆、バター醤油など、充実のラインナップで、完璧な出来映えであった。

終了後はパキスタン調査報告スライドを見ながら、まったりと飲み続ける。
実に正月らしい一日。

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■ 06年01月01日(日)

謹賀新年[柳沢究]

今年もどうぞよろしくお願い致します。

3日は11時から神楽岡前路上にて餅つきを行います。
2時頃からは、畑中&山本さんによるパキスタン地震調査報告スライド会も催します。
京都におられる方は遠慮無く遊びに来てください。

寝正月。早くあったかくならんか。

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■ 05年12月31日(土)

神様の牛[柳沢究]

大晦日ということで、ちょっと神聖っぽいやつを。


写真はナンディーと呼ばれる牛の像。
ナンディーは白い雄牛で(ちゃんとコブがある)、ヒンドゥー教の最高神の一人・シヴァ神の乗り物たる聖牛である。だからシヴァ寺院には必ずお供のナンディーがいる。つぶらな瞳の先にシヴァが祀られているのだ。

像には花やら草やら粉やらいろいろかけられていて、なんだか大変なことになってる雰囲気だが、別に汚されているわけではない。インドでは礼拝する神様の像に、敬意を表するために花を飾ったり赤い色粉をつけたりするのが普通のこと。ただ拝むだけより、スキンシップがあるところが私は好きである。

手元の「家畜文化史」(加茂儀一著)によれば、牛を神聖視する風習は世界的に広く見られるが、それは牛の家畜化と起源を同じくするんだそうな。
そしてどうやら家畜としての牛が誕生したオリジンは、メソポタミアからインダスのあたりにあるらしい。インドの牛好きはまさに筋金入りである。

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■ 05年12月27日(火)

牛のいる風景[柳沢究]


むこうでは珍しくも何ともない街の風景なのですが…あらためて見ると、やはり不思議な感じ。

インドの街には牛のほかに、犬も猫も猿も山羊も水牛もうろうろしていて、南の方では野良クジャクが堂々と道を闊歩していたりする。
彼らにとって人間の都市は決して暮らしよいものとは思えないけれど、今のところ何とかやっていけているようだ。

そんなふうに動物が生きていける都市ってのは、人間にとっても、たぶん、そんな悪くない都市だと思うのだが、日本はどうか。

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■ 05年12月26日(月)

こぶ牛[柳沢究]

インドにいる牛のほとんどは、品種的にはゼブーzebu牛(コブ牛、インド牛)と呼ばれるものらしい。その中でもサヒワールとかレッド・シンディとか、いくつかの種に分かれているようだが詳しくはまだ調べていない。

サイズには大小あるけれど、ホルスタイン種などに比べるとずっと小柄で(おおむね体高1m強)、かわいらしい。
乳の出は少ないものの、暑さに強く、忍耐力がありおとなしく、粗末な食事でもよく働くという、とてもイイ奴。

最大の特徴かつチャームポイントは、なんといっても、背中にあるコブ(瘤)。ラクダと同じように脂肪分がたまっているらしく、触るとぷにぷにして、とても気持ちいい。猫の肉球に勝るとも劣らない。

私見だけれど、雌牛はコブが小さく、荷役用の立派な雄牛ほどでっかいコブをつけている。また南インドよりは北インドの方がコブがでかい気がする。
ちなみにブラジルにはこのコブを使った名物料理があり、食べた事はないが、絶品!、らしい。

(写真は南インド・マドゥライの牛)

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■ 05年12月24日(土)

今日の牛[柳沢究]

僕の趣味の一つであるインドの牛ちゃんの写真を載せてみることにしました。300枚近くの牛写真ストックがあるのですが、整理しながらボチボチのせていきます。

●はじめに
インドには牛がいる。日本にも牛はいるが、インドはその数2億頭超、世界一の牛大国である。
理由の一つは、ヒンドゥー教において牛が聖なる動物とされていることだ。クリシュナ神は牛飼いの神であり、シヴァ神の乗り物も牛である。
もちろん牛乳やバターは重要な食料である(肉は決して食べない)が、同時に宗教儀式にも欠かせない。さらに牛糞はワラと混ぜて燃料として利用される。荷役としてもまだまだ現役。
かくしてインドでは農村・都市をとわず、人のいるところには牛がいる。高密な市街地を数多の牛たちが人・車と混じり悠々と歩いている様は、独特の都市風景といってよいだろう。

●写真
インドに行った事のない人には、街に牛がいるといってもあまりピンとこないかもしれない。でもほんとにそこら中にいるのです。こんな風に道に座って、人を眺めているのです。

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■ 05年12月20日(火)

SSSトーナメント載荷試験[柳沢究]

立命館大学小澤研にて、SSSの載荷試験を行う。

 

前回つくった厚み4mm(!)のモルタルシェルの内側に、ドームに均一に荷重がかかるように治具を取り付ける(形状からトーナメント式と呼ばれる)。中から見ると、なかなか格好イイ。トルコの方のモスクの照明はこんな感じでドームの上から吊り下げられているが、それにちょっと似ている。
外側には表面の微細な歪みを検知するシール状の感知器がとりつけられ、そこからコードが延びて、かなりサイバーな感じ。

 

これを台の上に乗せ、コードを何やらの計測・記録マシンに接続。測定するというよりは、電気ショックを与えそうな雰囲気。

 

トーナメント治具にバケツを吊し、実験開始。
2kgずつ砂を流し込み、その都度歪みを計測するとともに、視認によりシェル表面のクラックを観測する。

クラック。
50kgを越えたあたりから、時折「ぱきっ」「ぽんっ」というような音がして、クラックが入っていく。

崩壊。
2基実験し、どちらも85kgを前後の荷重で壊れた。壊れる直前にはシェル全体から「ぴきぴき」「ぱりぽりぴしっ」という音がしだして、その5秒後くらいに一瞬で「どがしゃーん」と崩壊する。まさに崩れ落ちるという表現がふさわしい。


コンピュータによる事前のシミュレーションでは80kg程度という予測値があったものの、施工終了後に微細なクラックが入っていたため、30〜60kg程度持てば順当と思われていた。結局、予想値を少し上回る値となり、実験としてはえらく望ましい結果となったのでした。

これから、表面の仕上げや開口部まわりの意匠などを考えていく事になる。

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■ 05年12月18日(日)

追記:研究者の仁義?[柳沢究]

16日の昼間、大学の部屋に畑中久美子さん来訪。1時間ほど話す。

彼女は友人の山本喜美恵さん(なんと来年から滋賀県大・布野研の研究生になるという!!いやはや…)と一緒に、先月までパキスタンの地震復興調査へ行っていた。現地での体験は刺激的だったようだが、思ったよりも普通に生活できたとのこと。現地滞在中に支援する日本側の姿勢が変更になり困ったというが、さもありなん。ほんの少ししか聞けなかったので、またこんど、新年の餅つきの時にでも緊急の報告スライド会をやってもらおうかな。

畑中さんの専門はいわずとしれた「版築」である。版築は最近だいぶん注目されてきて、いろいろ試みている建築家も多いが、彼女は修士研究の頃から取り組んでおり、自ら施工までする荒行をおこなうなど、少なくともデザイン分野ではかなり先駆的な存在だ。
しかし、今年行われたコンペの受賞作に(神楽岡の?)HPに載せている版築作業写真が無断使用されたことが、悩みの種になっているという。
出品者はコンペ前に神戸まで話を聞きに来たので、畑中さんは版築普及になればと自分の研究について親切に解説し、研究報告書もわたした。
しかし秋の発表時には畑中さんの研究にはまったく言及されず、しかもというかそのうえ現地で配布された解説のパンフには報告書の文章が無断で盗用されていたという。抗議しても要領を得ず、たいへん悲しい、と。

人の研究成果を利用するのは、ぜんぜん悪いことではない。むしろドンドン利用して然るべきことなんだが、その場合、どこまでが先行の研究・成果を踏まえたものなのか、どこからが自分のオリジナルなのかを明確に示すことが最低限のルール(特に取り組んでいる人間のまだ少ない萌芽的分野においてはコトサラ)。
人に自分の研究のことを尋ねられて、出し惜しみする研究者はいない。自分だっていろいろな人から教わりながらやってきたんだから。だからこそ、通すべき仁義は通さなければならないはずなのだ。

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■ 05年12月17日(土)

神楽岡忘年会2005[柳沢究]

例のごとく、朝は下鴨の現場から。
ここに来たときは毎週、この近所にあるしみずにて昼食。カレーうどんが定番メニューだが、関東出身でうどんを食べ付けない僕は、いつもカレーとじ丼を注文。カレーライスとは一味違う甘みと辛みで週一の楽しみ。

晩、ラトナカフェにて恒例の忘年会。

-42度の寒波大接近といわれていたが、ラトナの河本夫妻特製スパイス料理のおかげで、文字通り体ポカポカ。土間&吹き抜けの店内でもほとんど寒さを感じなかったほど。カレー4種に加え、トルコのニンニク入りヨーグルトやキョフテ、サンバル(南インドのやや酸味の効いたカレー)などを満喫しました。
メンバーはいつもの常連組のほかに、ダンメンの吉永さん(今度テレビに出演するそうな)、round-about(京都店)の山崎さん夫妻、コイズミの吉村くん、長岡京の植木職人・マツウラさん、日建のタクちゃん、芸工大OB・肥山くん等、えらい久しぶりの人も含め、30人強で店内ぎっしり。途中からポチテックの一行も加わり、二次会は奇天屋(戸田さん作の机がある)へ。ここは初めてだったが、かなりイイ。

忘年会の席では、ミクシィの話が結構でた。みんな活用してるんだなぁ。
そういえば、RSSの利用が浸透しつつある昨今、このジャーナルも遅まきながらMTを使ってブログ化しようと目論んでいる。試行錯誤のカスタマイズ作業は、論文や設計の合間の気分転換(逃避とも言う)に丁度いい。

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■ 05年12月16日(金)

「ぽちてっくてん」に酔う[柳沢究]

7日:
芸工大にて修士論文中間発表会。修論ほど、一つのことを考え、調べ、文章にすることにエネルギーを注げることは、多くの人にとってこの先そうある機会ではない。直接指導するわけではないが、頑張って欲しい。

8日:
INVERSIONの会場撤収。展示にはあれだけ苦労したのに、片づけは一瞬だ。早くも来年の日程を予約。一年先の予定なんか入ると、時間の流れが加速する気がする。

10日:
朝から下鴨の現場打ち合わせ。午後から「げのむ」編集打ち合わせ。なんか毎週土曜日はこのパターンが定着してきた。
久住左官の岡君に「親方泥棒」という称号をいただく。「おしゃれ泥棒」みたいだなと思ったが、ぜんぜん違う。なんでも僕が現場に行くと親方(久住氏)と話し込んで(時にはそのままどっかに行って)しまうので、困るんだそうな。いや、そんなこと言われても…。

現場と「げのむ」の合間を縫って、現在改装中の山崎さんの家を覗きに。
なつかしの柿渋の匂い充満してていい感じ。黒く古色された床と天井に漆喰の壁。照明こんなしたら、と無責任発言をしてたら「柳沢さんが入り浸りそうで…」と言われた。うーむ。

晩は若杉荘(=CDL事務所の名前。CDLで名付けたのではなく、もともとこの名前。昔学生の下宿だったかららしいが、なかなかに洒落た命名)にて「地区ビデオコンテスト」開催。
ぼろい木造の建物が傾くんじゃないかというくらいの人が集まり、18作品を上映。不完全双方向システムによる立体上映も試みられ、盛り上がった。

さらにその後、水谷邸で行われていたすき焼き会に合流するも、すでに肉(松坂牛)消滅。ネギと豆腐とキノコのみの晩飯。

11日:
晩にポチテックpotitekの個展「ぽちてっくてん」のパーティへお邪魔する。会場は工繊大出身の槌谷くんや半谷くんが自力改修した、東鞍馬口の町家「ヒガシクラマグチンチ」。
potitek、ぽちてっくてん、ヒガシクラマグチンチ…ネーミングセンスが抜群にいい。
アイリッシュフィドル(映画タイタニックに出てきたようなやつ)の演奏があったりして、戸田さんとこのパーティはいつも、和やかで洒落てて料理が美味しい。人柄なんだろうなぁ。京北でシェーカー家具を製作している方などとお話しし、いい気分で大いに酔っぱらう。

12日:
午前中ふたたび下鴨の現場へ。塗装の色確認など。午後、鴨川河川敷をうろつき、げのむの取材活動。寒くて話しかけづらい雰囲気。

13日:布野修司編の新刊「世界住居誌」が発売になった。僕も南アジアの概要解説や、インドの「ハヴェリ」の項、レクチャー「装飾と住居」などの執筆を担当しています(裏表紙には夏にいった王家大院の写真も載ってる)。これまでになかなか無かったタイプの本なので、興味のある方は是非お手に。

「装飾と住居」執筆の際、参考文献として(勝手に)お世話になった鶴岡真弓先生には、コーラム研究の関係で夏にお会いする機会があり、ケルト紋様の話をいろいろ伺った。僕がこんなこと言うのもなんなんだが、神秘的な雰囲気のするとても魅力的な方でした。

14〜16日:大学にて諸作業。16日夕方は御影にて打ち合わせ。

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■ 05年12月06日(火)

地区ビデオを終え黄表紙還る[柳沢究]

2日:
INVERSION関連の仕事が一息ついて、大学にて諸業務。晩は三宮にて「助手会」。

3日:
10時から下鴨の現場打ち合わせ。この日やってた杉本家でのイベントにも行きたかったが、午後から若杉荘にてCDL&げのむ会議。11月は「ミテキテツクッテ」(作品がアップされています)があったので一時中断していた編集・執筆作業を再起動。2月にむけてそろそろ本腰をいれて取り組まねばならない。10日に開催を控える「地区ビデオコンテスト」出品作品の試写をして上映の順番などを検討する。
晩、水谷邸に忘れ物をとりにいったら、東京から来て現在白川通のバターカップスに作品を展示している熊野さんを囲んで、松崎さんや健太郎らが集まっており、そのまま久々の天楽へ。ドブロクの上澄みを気持ちよく飲んでいたら、取りに来た忘れ物のことを忘れて帰ってしまった。何しにいったんや。

6日:
前日の晩から異様に寒くて、早くも風邪気味。京都は初雪。
御影のプロジェクトの相見積もり結果が出てきた。いずれも少々オーバー気味でこれから調整。10月に投稿したマドゥライの黄表紙の査読結果も今日届く。査読二人がそれぞれ「採用」と「再査読」で、結果「再査読」(原稿を修正してもう一度出しなさい、ということ)。再査読はまあ予想していた結果なので、一人でも「採用」が出た分ちょっとホッとする。「げのむ」の作業といい、年内にやってしまわねばならない宿題が増えてきた。

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■ 05年12月01日(木)

京都ゲノムを探して[柳沢究]

10月に京都新聞に寄稿したコラム。「げのむ」編集長としての執筆だけど、まあ京都のことだし、あんまり眠らせとくのもなんなのでここに載せてみる。字数が少ないのでちょっと説明不足の観もありますが、「京都げのむ」の「京都」に対する姿勢の一端はこんな感じです(そんな「げのむ」に興味を持たれた方は、ぜひご一読を。既刊はこちらで販売中!)。


『京都ゲノムを探して』

京都に関心をもつ大学研究室・学生が集まり京都のまちを調査し提案する、京都コミュニティーデザインリーグ(京都CDL)の活動がはじまってから4年半が経つ。この間、機関誌である「京都げのむ」の編集・制作を通して、京都という都市のあり方をいろいろな視点から眺める機会を得た。京都の価値をアンケートに基づき金額に換算したり、京都のモデルとされる中国・西安の現状を取り上げるなど、様々な角度から京都をとらえなおす記事に取り組みつつ、「げのむ」は現在まで5号が刊行されている。

京都CDLが発足当初から掲げている活動理念の一つは、保存か開発か、あるいは歴史的文化・伝統を如何に現代に活かすか、といった定式化された構図から京都をとらえるのではなく、都市の現場に身を置きながら、ありのままの京都を観察しようというものである。「京都げのむ」という誌名にはそのような活動を通じ、京都を京都たらしめている遺伝子=《京都ゲノム》を探しあてたい、という願いが込められている。

「何が京都を京都たらしめているのか」という問いは、京都でよく耳にする「京都らしさ」論と密接に関わってくる。町家の格子戸や大文字は「京都らしい」と言われるが、京都ホテルなどに見られる格子状のデザインやマンションのエントランスにちょこんと乗せられた瓦屋根は「京都らしい」のか。南区に数多くあるリサイクル工場や山科の山中に隠れた巨大な産業廃棄物処理場は「京都らしくない」とされるが、それらがあるからこそ京都の生活は成り立っているのではないのか。夏の鴨川を彩る床は「京都らしい」が、橋の下にたたずむ段ボールハウスは「京都らしくない」のだろうか。

答の無い問いのようにも思われたが、実はいずれも京都という都市のある一側面を表象しているという事実に違いはない。身も蓋もないようだが、その意味では全てが「京都らしい」と言ってしまえるのではないか、別の言い方をすれば「京都らしい云々」という言葉は(少なくとも京都においては)ものの価値についてほとんど何も説明していないのではないか、というのがこの数年間で得た一つの確信である。

とはいえ《京都ゲノム》を探し求める試みが意味を失うわけではない。京都を見つめる視線から、ようやく「らしさ」というフィルターを取り外すことができたのだと考えたい。「京都らしさ」とはきわめて主観的な概念であり、「らしくない」とされたものを無意識に視界の外へと追いやる危うさをもはらんでいるのだから。誤解を恐れずに言えば、京都は特別な都市なんかではない。歴史とか伝統の毛がちょっと生えた程度の普通の都市。そう考えたときに初めてありのままの京都の姿を、そこにある生活を垣間見る事ができるように思う。

現在編集中の「げのむ」第6号では、「みやこきわめぐり」と題して中心部から外れた様々な境界的領域に注目している。碁盤の目の中だけが京都ではない。町家が軒を連ねた景観は確かに美しいが、観光客が足を踏み入れない場所に広がるいびつな路地、違法建築スレスレに好き勝手な増改築を施された建築群は、おとらず魅力的である。京都ゲノムは「青い鳥」よろしく、身近な街のそこかしこに隠れているに違いない。

(2005/10/24 京都新聞「創発空間」)


…作品に町家再生を連ねてる神楽岡の活動はどうなんだ、という意見が予測されるので、あらかじめ補足しておくが、神楽岡の活動とこの考え方とは決して矛盾するものではない。京都にある伝統や文化のよさを否定したいわけではなく、言いたいのは、何かの縁で京都に腰を据えて活動している以上、「京都らしい」という非常に様式化された視点のみで京都を見つめるのは、たいへん視野の狭いもったいないことではないか、ということ。

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■ 05年11月22日(火)

SSS1/3モデル制作・その2[柳沢究]

またまた立命館にてSSSの作業。
前回できあがった型枠にモルタルを塗りつけていく作業。久住氏も飛び入り。森田氏のブログにも詳しく載っているので、こっちでは別の写真にしよう。

 
スタイロ製の型枠にモルタルのかかり代となる和紙をかぶせ、ピンで留める(ピンには4mm厚のスタイロ片がついていて、塗り厚を一定にする目安として使う)。乾燥後に型枠をはずせば、内側の内装がそのまま和紙で仕上がるという寸法だ。実寸のモルタル塗り厚は12mmなのだが、1/3スケールなので、ここでは4mm! ちょっと信じられない厚み。

 
ヴォールト・リブは後で建具がはまったり、別ユニットとの接合部になる。壊れやすい開口部まわりの構造補強の意味合いもある。こういう最小限のもののデザインは一つの部分が複数の役割を兼ねているところが面白い。


2基が完成。厚4mmとはいえ、塗り終わってみると意外に頑丈そう。1週間の湿潤養生の後、型枠をはずし、一ヶ月後に載荷試験を行う。試験の目的はどのようにこの構造体が崩壊するかを観察すること…なのです。

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■ 05年11月17日(木)

SSS1/3モデル制作・その1[柳沢究]

朝から立命館琵琶湖キャンパスに行ってSSSの作業をする。こういうスケジュールだったので、野洲に流されたのもそんなに大したダメージではなかったのだ。

前日深夜に滋賀県大・山本研から運び込まれたドーム型枠のパーツ(スタイロ製)をひたすらコツコツと組み立てていく。トーナメント式載荷試験(?)用の1/3スケールモデルで、実験結果の精度をあげるために2基製作する。この日中に型枠完成→モルタル塗り工事へ、の予定だったけれど、型枠が組み上がった時点で10時過ぎとなり、タイムオーバー。

できあがった型枠が下の写真。
SHELL-TERの時と比較すると、ヴォールトのリブが付いてすこし可愛らしくなった。ガンダムのゾックにもちょっと似ている。一号機はテポドン(組み上げの精度悪くツギハギ気味)、二号機はパトリオット(二回目なので多少綺麗に組めた)と呼ばれてました。

 
左:組上がった型枠(テポドン) 右:ゾック

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■ 05年10月24日(月)

SSS 材料実験[柳沢究]

 

昼から立命館大びわこキャンパスへ行って、滋賀県大・山本直彦先生、立命館大・小沢雄樹先生、森田一弥氏とともに、SSS(左官シェル・ストラクチャー)研究の実験準備作業。
モルタルに混入するガラス繊維や軽量骨材の量などを調節しながら、強度試験用の試験体をつくる。

この研究は数年前にコンペ案として作った「SHELL-TER」の発展的プロジェクト。今年5月にスタートし、住宅総合研究財団や立命館大学から研究援助を受けながら、実施にむけた様々な検討を行っている。
まさか当時は実際に作ることになるとは思わなかった。アイディアだけでなく、そこからリアルへどうやって漕ぎ着けるか。技術的な問題、資金面、貴重な勉強をさせてもらっている。

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■ 05年10月18日(火)

SSS 1/3モデル型枠製作[柳沢究]

1/3モデル製作用のスタイロフォームのドーム型枠加工風景(立命館大学理工学部小澤研究室にて)

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