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2005年12月〜



 ■ 11月30日(水)
10
yanagisawa
柳沢究
28日:30日からはじまる大学院作品展「INVERSION2005」にむけて、僕も院生も一日中バタバタと学内を動き回っていた。

29日:INVERSIONの搬入・設営作業。大学から4tトラックに作品を積み込み、原田の森ギャラリーへ。みんなの作品が当初の予定よりだいぶん大きくなっており(それは悪い事ではないんだが)、展示のレイアウトに苦労した。

30日:原田の森ギャラリーにてM1、M2の作品発表会。教授連も集まり、賑やかに講評会。


 ■ 11月26日(土)
9
yanagisawa
柳沢究
数年前からずっと行きたいと思っていた、大阪の飛田新地へ行く。

念のために書いておきますが、目的はおねいちゃんではなく、「鯛よし百番」という元遊郭の建物をそのまま使っている料亭です。ちょっと早めに行って、新世界とジャンジャン横町を散歩しドテ焼き(初めて食べたが、実にうまい。先に書いてしまうが「鯛よし」の料理よりずっとウマイ)をつまみに熱燗を少々。週末の夕方というのに意外と人が少ない。近所のフェスティバルゲートは相変わらずさびれていたが、あと2,30年くらいこのまま存続すれば、ある種の遺跡のような名物スポットになるんじゃないかとも思う。

暗くなった頃に目的地の飛田へと向かう。西成界隈は学生時代に研究室の調査であちこち歩き回ったことがあり、だいたいの雰囲気は知っていたので気楽だったけれど、夜行くのは初めてだったので少しドキドキした。とはいえ、実際行ってみれば何てことはなく、いたって平和な街でした(女の子一人だとちょっと怖いかもしれないけれど)。飛田の中心街は現役の色街だけあって、提灯とともにピンキーなライトが灯っており、あちこちから遣り手おばさんの「お兄ちゃん、ちょっと」という声がかかる。アムステルダムの飾り窓に雰囲気が似ているけれど、もうちょっと風情がある。店頭にいる女の子(意外なほどに若く可愛い子が多かったが、あれは照明の効果であろうか)もアムスのように露骨なセクシーポーズをとったりはせずに、毛布(キティちゃんとかの)を膝にかけてちょこんと座っていて、前を通るとニッコリと微笑みかけてくる。少しお話ししたい誘惑に後ろ髪ひかれながらも、目的地の「鯛よし」へ。


 

「鯛よし」は、店頭の料理サンプル棚には拍子抜けするものの、なかなかに立派な店構え。部屋は特に指定しなかったけれど、小さい部屋の中では一番凝った意匠の「喜多八の間」へ通される。床が二段構成になっていて(段差部には船の彫刻が施されている)、手前が3畳、奥に一段あがって2畳という造りの部屋(かつて遊郭だった時には上段が寝台代わり使われたのかと想像する)。照明が蛍光灯であったり、安温泉旅館のように電話で注文をしたりと、凝りに凝った建築意匠のわりにはそこかしこにチープな雰囲気がみなぎっていて、料理もサービスもその雰囲気相応だったりするんだけど、不思議とそれらをひっくるめてとても楽しめてしまうお店でした。しかしほんとに意匠も細工もすごく金をかけているのに、照明やサービスをさっぴいて考えても、どうにもこうにもテーマパーク的なキッチュさに充ち満ちていて、「壮大な安普請」とはよく言ったものです。ある意味とても贅沢なお金の使い方だと思いました。通天閣やフェスティバルゲートもそんな言葉があてはまるけれど、これって大阪の伝統的なセンスなんでしょうか。でも大広間での宴会は一度やってみたい。
(写真はうまく撮れなかったのでこちらでどうぞ。参考図書はこれ。)


 ■ 11月23日(水)
8
yanagisawa
柳沢究
神楽岡の恒例行事、秋の遠足「Deeper South NARA」決行。
詳細にレポートしようと思うといつまで経っても書けないので、えいやっで写真をならべてしまう。

まずは慈光院。水谷氏セレクトで何気なく選んだにもかかわらず、実は今回の遠足のスマッシュヒット。後で知ったけれど、最近出た新建築増刊「日本の建築空間」にも取り上げられている名庭&建築でした。

 
左:門。屋根にいろいろ生えている 右:アプローチから書院を見る。

 
左:書院奥に入るとスパーっと視界が開ける。なんだあの刈り込みは。ずるい。
右:参道。後から根が伸びたのか、それとも地面を掘って参道をつくったのか?


近くの法隆寺へ。5年振り3度目くらいだが、毎回見所が変わる。今回主に注目したのは、木の質感と版築塀のディテール。

 
左:中門。4間幅なので門のど真ん中に柱が立つ。
右:回廊。多くの柱が埋木されている。部材の交換はこれまでいくらでもされていただろう。久住氏、1300年前の柱を探し回る。確実に最も古い材は五重塔の心柱なんだが、さすがにそれは遠目に見る事もできない。

 
網封蔵 :3スパンに割られていて、中間が床ごと抜けている(でも屋根は連続)。侵入者を防ぐためと思われるが、向かい合う双子のボリュームが不思議な場を生み出している。

 
境内を囲む版築土塀。左:焼き板の型枠の跡が綺麗に残っているのは、それだけ上質で粒子の細かな土を使っているということ。厚みは底部で約1.3mほどあった。
右:若干風雨に晒されたもの。版築の層がよくわかる(約30段)。表面の断面形状はちょうど洗濯板のようになっていく。久住氏の計算によると1スパンあたり35人工(単純に計算しておよそ100万のコスト)はかかるだろうとのこと。


つづいて、法隆寺のやや南西にある中家住宅へ。環濠に囲まれた中世の豪族の住宅。事前予約をしていなかったにもかかわらず拝観させてもらいました。親切にご案内いただき、ありがとうございます。

 
左:門。手前に濠がある。細い間柱で壁面が細かく分割されており、さまざまな壁仕上げとあいまって、全体が建具で出来ているかのような、不思議にモダンな印象を受ける。
右:土間には圧巻の10連竈。写真左端から少しずつ階段状に高くなっており、かすかな螺旋を描いている。留めに饅頭型(?)竈を据えているところといい、実に想像力をそそるキッチンだ。


去年の秋の遠足でたどりつけなかった當麻寺。内陣の周囲に外陣ができていく発達過程をとどめる貴重な中世寺院、ということは大学で習っていたが、内部からはあまり実感できなかったなぁ。屋根裏を見てみたかった。

 
左:本堂。右:本堂の裏。本瓦葺きの大屋根と板と丸太で葺かれた庇。前者の原型が後者?などと考えてしまったが、はたして。

ラストは日没ぎりぎりで石舞台へ到着。記念撮影して終了。


来年はさらなる奈良の南部へ、かな。


 ■ 11月22日(火)
7
yanagisawa
柳沢究
またまた立命館にてSSSの作業。
前回できあがった型枠にモルタルを塗りつけていく作業。久住氏も飛び入り。森田氏のブログにも詳しく載っているので、こっちでは別の写真にしよう。

 
スタイロ製の型枠にモルタルのかかり代となる和紙をかぶせ、ピンで留める(ピンには4mm厚のスタイロ片がついていて、塗り厚を一定にする目安として使う)。乾燥後に型枠をはずせば、内側の内装がそのまま和紙で仕上がるという寸法だ。実寸のモルタル塗り厚は12mmなのだが、1/3スケールなので、ここでは4mm! ちょっと信じられない厚み。

 
ヴォールト・リブは後で建具がはまったり、別ユニットとの接合部になる。壊れやすい開口部まわりの構造補強の意味合いもある。こういう最小限のもののデザインは一つの部分が複数の役割を兼ねているところが面白い。


2基が完成。厚4mmとはいえ、塗り終わってみると意外に頑丈そう。1週間の湿潤養生の後、型枠をはずし、一ヶ月後に載荷試験を行う。試験の目的はどのようにこの構造体が崩壊するかを観察すること…なのです。


 ■ 11月20日(日)
6
yanagisawa
柳沢究
18日:昼過ぎまで大学。午後に東灘区にある工務店に行き、御影のプロジェクトの見積もりをお願いする。うまくあうといいんだが。晩、その足で大阪へ。神楽岡設立の初期によく遊びに来ていてくれた吉村くん(現・コイズミ産業)と少し食事。

19日:京都CDLの恒例イベント「ミテキテツクッテ・粟田学区編」。19日朝8時に平安神宮大鳥居に集合し、三条粟田口の界隈を歩いて回る。この地区、三条通と神宮道は大通りで観光客があふれているが、そこから少し街区の中に入ると、狭小な路地が木の根のようにはりめぐっている。袋小路あり、トンネル路地あり、不思議な空き地、段差ありで、京都でも有数と思われる路地三昧な空間。午後からはひと・まち交流館で即日設計ワークショップ。まず午前中の街歩き体験をもとに、「粟田地区型住宅」(今回のお題)をつくるためのヒントを探るグループディスカッション。その後、個別に設計作業と模型製作にとりかかる。翌日審査員をやることになっていたけれど、僕も参加。大学卒業以来実に数年ぶりに即日設計をやる。数時間休み無くひたすら考え絵を描き続けるのは久々の経験でした。粟田のある路地にある丸太の物干しをテーマに、かなり遊んだ提案をしてしまった。

 
左:粟田学区内のとある路地。丸太が林立する不思議な空間 右:路地内で出会った犬。座布団からはみ出た座り方が愛嬌

20日:午後から「ミテキテツクッテ」の作品の公開審査。げのむ編集長として審査にも加わったけれど、予想以上に見事な「地区型」住居ができあがっていて驚いた。立命館の小松先生の総評、「一日でこれだけの提案ができるのだから、卒業設計のスタディももっとできる。何週間も考えて『何も案が浮かびませんでした』というのは嘘でしょう。一週間のうち半分を使って案を5つつくり、あとの半分を遊んだっていいんだから」というのは、該当者には(僕にとっても)耳の痛い話だったかもしれないけれど、真実だ。竹山聖先生をはじめとする審査員の先生方の講評も面白く、参加した学生にとっても非常に有意義なワークショップになったんじゃないかと思う。神戸から京都はちょっと遠いけど、来年は芸工大の学生にも是非参加してもらいたい。


 ■ 11月17日(木)
5
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柳沢究
朝から立命館琵琶湖キャンパスに行ってSSSの作業をする。こういうスケジュールだったので、野洲に流されたのもそんなに大したダメージではなかったのだ。前日深夜に滋賀県大・山本研から運び込まれたドーム型枠のパーツ(スタイロ製)をひたすらコツコツと組み立てていく。トーナメント式載荷試験(?)用の1/3スケールモデルで、実験結果の精度をあげるために2基製作する。この日中に型枠完成→モルタル塗り工事へ、の予定だったけれど、型枠が組み上がった時点で10時過ぎとなり、タイムオーバー。できあがった型枠が下の写真。SHELL-TERの時と比較すると、ヴォールトのリブが付いてすこし可愛らしくなった。ガンダムのゾックにもちょっと似ている。一号機はテポドン(組み上げの精度悪くツギハギ気味)、二号機はパトリオット(二回目なので多少綺麗に組めた)と呼ばれてました。

 
左:組上がった型枠(テポドン) 右:ゾック


 ■ 11月16日(水)
4
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柳沢究
13日の講演会は無事終了。60人で居酒屋ってのもなかなか賑やかで楽しかったです。
日記はまただいぶんたまってしまった。

6日:午前中、進々堂で立命館平尾研の学生さんとげのむの記事についての打ち合わせ。昼から水谷氏とともに13日に使うスクリーン台を製作。スクリーンはコーナンでかった3000円のロールカーテンを使用している。なかなかお得。足は2×4材をビス組んでできあがり。可動式スクリーン、略して「カスくん」。これで今度からはどこででもスライド会ができるぞ。晩は健太郎の設計した、祇園梅の井で鰻を。

7〜11日:大学で仕事。9日の晩は所用があって一時帰京。夜、本を読んでたら眠れなくなってしまい、翌朝は始発電車で神戸へ。朝5時半というのに京都の地下鉄もJRも結構混んでる。大阪への通勤なのか知らないが、みんな何をやっているんだか。あまり健全なことではない気がする。11日は早めに帰京し雨降りしきるなかペンネンネネムという不思議な店へ。町家絵本カフェという、なんだかコンテンツ盛りだくさんなとこだけど、意外や落ち着いた和み(古い?)空間。タバコもアルコールもだめなのに、なぜかそれなりに腰を据えてしまいました。後は西陣のBAR酒蔵へ久々に(ここは秘密)。

12日:13日の準備をしながら休もうと思ってたら、久住氏からTELあり、樋口さんとともに急遽丹波にある久住章氏の別荘へ行く事に。晩から水谷、松崎、鈴木も合流し、ウィスキー(ボウモア10年)やら日本酒やら開けまくりながら、そのまま宿泊。

13日:昼前に急いで帰京。夕方から、特別講演会「建築の自由vol.6…土」開催。宇宙の誕生からスタートし、だんだんスケールと時代を下げながら土の暮らしまで、という壮大な内容。建築の講演というよりは、樋口氏という人の眼を疑似体験、そんなスライド会でした。とにかくイランに行きたくなった。来年の神楽岡の遠足は海外へと、かたく決意。懇親会は70人近く集まっての大宴会で大いに盛り上がりました。

 

16日:大学にて日中韓・三大学共同研究のシンポジウム「文化遺産とアジアン・デザイン」(夏に行っていた王家大院の調査成果発表)開催。晩は上沢にて。韓国・中国の先生方と久しぶりに英語でしゃべりいい気分。アニョハセヨのアニョは漢字で書くと「安穏」、カムサハムニダのカムサは「感謝」なのだと初めて知った。明日は早いからと、珍しく11時頃に神戸を発ったのだけど、電車内で眠ってしまい、駅員に起こされ気づいたら、野洲で午前1時半。最近寝てなかったからなぁと思いつつ改札を出ると、怪しい白タクの運ちゃんが「にいちゃん京都までやったら8000円でどないや」とにやけた顔で声をかけてくる。あんまり品の無い人相をしてるので、インドのリクシャーワーラーを追いやるような口振りと手つきで追い払う。旅先でもどこでもむこうから寄ってくる奴にろくなのはいない。結局京都に帰るのはあきらめて、道で拾ったタクシーで草津まで行ってビジネスホテルに宿泊。平日なのに結構混んでて3軒ほど満室といわれた。京都観光の人が泊まっているらしい。


 ■ 11月5日(土)
2
yanagisawa
柳沢究
午前中から京都御所へ。樹々にも色味がさしてきている。

まずは閑院宮邸の現場見学へ。皇族の居宅とは思われないほど質素な造りで、和風建築ではあまり見かけない完全に閉じたロの字形の平面。増築の結果であろう複雑な部屋のつながりが面白い。開放的な廊下で囲まれた中庭も意外と気持ちよいスケールだった。ただ、活用保存を目指して修復工事が行われているものの、直された室内はプラスターボードの天井にビニルシートの床。うーん、もうちょっとやりようがあるんでない?という印象。


平面図


その足で、近所の新島襄旧邸と捨翠亭へ。

新島襄旧邸はヴェランダが周囲を巡った「コロニアル」な外観だが、内部は大部分畳敷きだし間取りもなんとなく和風。和洋折衷といってもいろいろあるけど、この家の場合、「洋風ありき」で無理にスタイル持ち込んだのでなく、従来の日本の住宅をベースにしながらも常識にとらわれず、天井を高くしたり窓を大きくしたり縁側を周囲に巡らせたりしていったら、あらこんなんになっちゃいました、という軽やかな感じがして清々しい。あけっぴろげなから窓からヴェランダ越しに明るい光が入る書斎は、何とも仕事のはかどりそうな空間。玄関入るとすぐ階段、という素っ気なさも好感度大。あとここのトイレは日本初の洋式便所なんだそうだ。陶器製のものを想像していたら、あらま。これを洋式と呼んでいいものか…。個人宅は楽しい。


2階のヴェランダ


捨翠亭は行こう行こうと思っていながら果たせず、ようやくの初訪。かわいらしい橙色の壁の部屋、縁の向こうに広がるのは、池と空の庭。新島邸と違い生活感のまったくない、ただただ「遊び」のための空間。なんて贅沢。月の夜にここで酒飲んだら気持ちよかろうも。



昼食後に鴨川を散歩していたら、遅日草舎の生田氏にばったり。気持ちの良さそうな生活をしてる。また飲みに行きましょう、と。

夕方からはCDLとげのむの会議で仕事モードに戻ってしまったが、久々に昼間の京都(といってもほとんど御所周辺)を歩き回って充実の一日。大学にこもってばかりではいかんなあ。


 ■ 11月4日(金)
3
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柳沢究
3日:午前中から夕方まで下鴨の改修物件打ち合わせ。晩、御影の物件のサンプル制作など。

4日:午後、御影の打ち合わせ。帰京後、13日の会場になるあんじへ最終確認と称して。生牡蛎がうまくて咽喉が鳴りました。


 ■ 11月1日(火)
1
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柳沢究
コーラム研究を一緒にやっている長田昌次郎さんが来神。芸工大にて高木先生とともに打ち合わせをする。来年度の形の科学会シンポジウムで、一筆書き紋様をテーマとした国際会議を開こうという相談である。

Kolam(南インド)、ケルト紋様(アイルランド)、SONA(アフリカ)、 水引(日本)、宝結び紋(←この紋章、中国やモンゴルにもあるんだけど(ラマ教と関係か?)現地での呼び名を知っている人いませんか?)、あやとり(実はいろんな国にあるらしい)など、一筆書きあるいは紐状のパターンは世界に広く見られるのだが、まとめて研究している人はほとんどいないのだ。

どんどん話がでかくなってきちゃったなぁ。


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