神楽岡工作公司
JOURNAL
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2005年12月〜



 ■ 2月27日(日)
10
yanagisawa
柳沢究
自宅の改修工事に着手する。
我が家は推定・築120年の典型的な庶民の京町家で、通り庭沿いに表から裏へ3部屋が一列にならんだ平屋建て。その通り側の部屋(ミセの間)の仕事部屋をいじる。
5年前に住み始める際にある程度手を入れ、床が腐っていたミセの間は基礎から作り直しコンパネ・フローリングにして床座で使っていた。しかし座卓での仕事は物書きならまだしも、いろんな資料を引っ張り出したり、模型をつくったりする設計の仕事をするには少々効率が悪く、おまけに天井高もかなり低かった(大和天井で2mくらい)ので、今回、天井をはがして吹き抜けをつくり、さらに床を引っぺがして土間として、椅子座の部屋に変更することにしたのだ。

で、今日はまず解体工事。朝9時からまず天井板を剥がしにかかる。しかし剥がすといっても古い和釘は釘抜きで抜こうとしても頭が飛んでしまうし、結局バールでひっぺがす。板が腐ってすかすかになっていて釘が効いていなかったり、単に置いてあるだけの板も多数。総じて材がもろもろになってるので天井の解体は非常に容易かった。
屋根裏の虫竈窓は普通内側から建具がとりつけてあるが、我が家は古式ゆかしくフルオープン。屋根裏の通気性、通猫(あるいはイタチ)性抜群なのはよいが、やはり雨水がまわっており、周囲の壁、ササラは相当傷んでいた。天井をとったからには、大雨の場合、中に雨が降り注ぐことになりかねないので、なんとかせねばならない。

つづいて床解体にとりかかる。学部生の頃にへたくそな大工仕事で施工したものなので、ビスのネジ山がほとんどバカになっていて、これまたバールで強引にばりばり。ビス留めの利点に組立て/解体の可逆性があるはずなんだが、これでは何の意味もないと思いつつ。
根太と大引、束もとって、いちおう土間のすがたが出来上がり。
床下、屋根部分とも、あちこちに穴が開いてるから、暗い室内のあちこちに予期せぬ方向から光が落ちている。解体作業をしているいと、覆い隠して無いことにしていた傷みや問題点が文字通り次々と白日にさらされてくるから、先行きを考えると気分が落ち込んでくる。反面、こんなでも家ってのは立派に住めるもんだと、妙な自信というか確信も得られるから、一度は経験の価値ありである。

解体の仕上げとして、ブロワー(こんなやつ)で梁の上、壁の隅に溜まった積年の埃(ほとんど土と化している)を吹き飛ばして掃除。内部は視界不良になるほど土煙が舞い上がり、虫竈窓や各所に開いた穴からそれが吹き出して、外からはどう見ても町家炎上の趣であった。

次回作業は3月第2週の週末。壁の補修と土間の三和土(たたき)の施工を行う予定。興味ある人は勇気あるご参加を。
(写真はまた後ほど)


 ■ 2月26日(土)
8
yanagisawa
柳沢究
神楽岡のスライド会「キョート*ダンメンロシュツ」。
講師の吉永さんとは、数年前から京都のイベントでたまにお目にかかったりしていたが、かのサイトの作者の人と知ったのは、つい去年のこと。また「ダンメン」のサイトも、かなり前から楽しんではいて、いつか神楽岡で話を聞かせてもらいたいなぁと思っていたのが、ついに実現したもの。個人的にもたいへん楽しみにしていた。
当日は雪も降り寒かったためか、人数がいつもより若干少な目だったのが残念だったが、サイトを見るだけでは分からない裏話や突っ込んだ考察などもあり、ほんとうに楽しく興味深いスライド会となった。
「ダンメン」という文字通り都市の切り口を徹底的に見つめることで、京都という町のあり方が実に立体的に見えてくる。都市の考古(今?)学的履歴から、そこに住む人の考え方が透いて見え、ひとつの「京都文化論」が成立しそうである。


 ■ 2月13日(日)
6
yanagisawa
柳沢究
午前中、横浜の実家にて諸業務。
夕方から鈴木成文先生宅の餅つきにお邪魔する。神楽岡のもちつきに来てくれた山本さんの縁でお誘いを受け、ちょうど関東に来る用事もできたので図々しくも。
最寄りの駅について山本さんに電話して、「…の道をあるいて来ると、一軒だけスケール感の違う家があるので、そこです」という案内どおり歩いていると、その家があった。周囲に家もまばらな頃からそこに建っていたであろう、巨大な石垣と木々の茂る家。周りの変化をまったく意に介さぬかのような佇まい。庭の豪快さに肝をつぶし、さらに知の迫力に充ち満ちた書斎に唖然とする。
もちつき自体は今年2度目とあって、我ながらだいぶん上達。来年の神楽岡もちつきはばっちしだ。
晩、最終の新幹線で帰京。体調なおも優れず、吐き気とむかつきがやまない。


 ■ 2月11日(金)
5
yanagisawa
柳沢究
神奈川県藤沢、般若庵(長田さん宅)にてコーラム研究の打合せ。
昨年末のインド調査の報告や、まとめについての相談など。タミル・ナードゥ州を訪れた長田さんの持ち帰った、津波の被害を報じる新聞や雑誌の写真には、言葉もなかった。津波や地震は、ふだん人々がよりどころとしている大地や水、建造物、都市を凶器に変えてしまうのが恐ろしい。

コーラム紋様の分析は始めてからもう2年がすぎる。いろいろと発見があって面白いが、個人的にはなかなか着地点が見つからない。表面的でないところで建築化することができれば、と考えているのだが。


 ■ 2月7日(月)
4
yanagisawa
柳沢究
朝5時頃から腹痛で目が覚める。日の出前からトイレに通い詰めでどうにもいけない。昨晩家で焼いて食った牡蠣がまずかったのか? 
午後まで身動きできずにいたが、気になるのは今日が最終日の「杉浦康平展」。この展覧会、「荒壁」の住人Kさんにお勧めしていたところ、先日「素晴らしかったです・・・。まさに失神級です」というアツいメールをもらった。勧めていた手前もあるし、これを逃すといつ見れるか分からない展覧会なので、Kさんのメールに後押しを受けて(京都駅と梅田でデパートのトイレにピットインしながら)大阪まで出る。「よかった」「感動」というのも「期待以上」というのも全く舌足らず。会場も展示物もすんごく小さいんだけど、とにかく「デザイン」という行為の可能性というか力を、これでもかと浴びせかけられた感じ(「失神級」というのは僕が感じた感覚とちょっと違うかもしれないけど、うまい表現だなぁ)。
その後、心斎橋の東急ハンズでコーラムの模型作りのための材料購入。


 ■ 2月5日(土)
3
yanagisawa
柳沢究
だいぶ前に友人から「『星の王子さま』が好きなら…」と勧められていた「アルケミスト」を、この間たまたま手に入れ、通勤電車の中でを読み終える。感想は、んー…、現代の「愛と夢・至上主義」(文化的、観念的領域だけでの話だが)を象徴する本といったらよいか。高校生くらいに読んだらまた違ったかも知れないが、いまや説教くささが鼻をつくのは感受性の問題か。

晩10時頃、仕事帰りに神楽岡にいったら珍しく誰もおらず、電話しても皆忙しい。ただ一人だけいた隣人水谷氏と2人で連れだって、西陣にある「酒蔵sakura」へ飲みに行く。水谷氏とは週一の頻度で会っているが、2人で飲むのは結構珍しかったりするので、日頃しない庭とか建築の話をまじめにいろいろと、3時過ぎまで。


 ■ 2月3日(木)
2
yanagisawa
柳沢究
朝9時から大学で博士学位申請論文発表会(もちろんというか残念ながらというべきか、僕が学位申請するわけではない)。テーマはこんな感じ。
修士レベルの発表とも、学会大会の名刺的な発表とも違う、本人が懇親の力を込めて取り組んでいる最新の研究成果である学位申請論文は、発表も質疑も緊張感があり、聴いていて実に楽しいし自分の研究意欲も刺激される。院生たちは修士論文の提出で力尽きたかほとんど来てなかったが、こういう場こそ一番勉強になるはずなのに。


 ■ 2月2日(水)
1
inoue
井上大藏
探していた「重要文化財旧門司三井倶楽部移築修理工事報告書」をhpにて発見する。
昨年よりこの建造物に使われていた建材について興味を持ち、調べ事を行い始めたので探していた。だけど高い!1万数千円する。
まあ、もともと一般流通を目的とした物でもなく印刷部数を例えば四百冊程度に限定し、所有者・行政機関・修理関連企業や団体・研究機関に配布して終わりのものだから一般の者が目にする機会はめったにない。
現在では、修理技術者や研究機関ですら十分に配布されていないのが実情なので、修理の学問サイドから言っても深刻な事態だ。
私は、知人から借りたり大学の図書館で閲覧していたが、どうにもならなくなっていた。
私みたいに、一つの建物に集中して携わろうとする者にとって事態は深刻である。また、財布が寂しくなった。


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