神楽岡工作公司
JOURNAL
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2005年12月〜



 ■ 12月27日(土)
29
morita
森田一弥
 門藤氏と山科駅で待ち合わせ、大津の確認検査機構へ行って西陣の家の改修計画について色々と話を聞く。物件の敷地は路地奥で、その他にも数軒、2メートルに満たない路地に面した長屋がある。つまり建築基準法以前に建てられた建物とはいえ、現行法から見ると問題山積みの地域で、確認申請を出して改修を行うのは相当難しいということだけは分かった。京都の町家改修でいつも直面する問題だ。

 その後、滋賀県志賀町へ向かい、アトリエ増築の打ち合わせ。増築しようと思っていた場所が、敷地図より少し狭い。その他にも色々要望がでて、年が明けてから計画は再び仕切直しとなる。ビニールハウスのフレーム案は、面積が十分確保できないので、今回は難しそうだ。

 京都への帰路、柳沢氏から電話があり、そのまま神楽岡へ直行して徹夜で麻雀。始めてまだ三ヶ月あまり、ツモの調子がよくて初めてトップで上がったが、久住有生、誠兄弟と対決するにはまだ先は長い。


 ■ 12月19日(金)
28
yamada
山田協太
本日は修正建設専門学校で今年最後の授業。
生徒からクリスマスプレゼントを貰った。雪に見立てた白いスタイロフォームの台にスチレンボードでつくった家を乗せた貯金箱で、玄関先には雪ダルマがあつらえられている逸品だ。
帰りは初雪が降った。いよいよ年の瀬である。


 ■ 12月18日(木)
21
morita
森田一弥
 京工繊大の門藤氏と待ち合わせ、西陣の民家の改修+増築現場へ。増築部分の構造と既存部分との取り合いなどについて現場でお互い色々とアイデアを出しあう。この家は京都の伝統的な町家というよりは、隠居した趣味人の家といった路地奥の趣のある古家で、新築部分との取り合わせで狭いながらも変化に富んだ空間が作れそうな物件である。

 そのあと大宮通のほんやら洞で昼食をとりながら、滋賀県志賀町のアトリエ新築計画についても相談。韓国のプロジェクトで、ビニルハウスのフレームを使って建築を造れないかというアイデアを思いついたのだが、それをここでも試せないかと考えている。(ちなみに韓国では日本よりも気温が低いためか、野菜栽培用のビニルハウスが日本以上に目に付き、あちこちにビニルハウスのフレームが廃棄されていた。)

 あと十日あまりで正月になってしまうが、その間に色々と来年の計画の基本的な方針を詰めておきたいところである。


 ■ 12月17日(水)
24
yanagisawa
柳沢究
マンションの計画も床が仕上がり、Kさんは早速の引っ越し。相談を受けてから約半年、ひとまずの完成である(細かいところはまだ残っているのだけど)。オープンハウスは年が明けて、桜の季節にやりましょうか、ということに。

3日のところに書いた「51C」に関するシンポジウムの詳細な案内が、花田研の掲示板(12/8)に掲載されていました。転載は避けますので、興味のある方はこちらをご覧ください。


27
yamada
山田協太
井上氏と泉佐野の打ち合わせ。
来年から本格的に建物の修理報告書を作成する。
修理報告書としての内容を満たすことはもちろんであるが、建物を設計した建築家の業績、建設当時の土地の状況、当時の生活様式にも触れ、建物を総合的に評価する内容としたい。
修理報告書の作成は初めての試みであるが、今後、各方面に意見を伺っていこうと思う.


 ■ 12月16日(火)
22
yanagisawa
柳沢究
膝から尻にかけて筋肉痛で歩くのがしんどい。昨日の作業が響いている。
昼休みに芸工大卒業制作展「カオス」の打合せ。今年の会場は兵庫県立美術館だ。面積が圧倒的に足りなくて各学科とも展示に苦労しそう。

晩は環境デザイン学科の忘年会にお邪魔する。会場はゑびす屋という三宮を山の方にあがったとこにある、こぢんまりしたいい店。一次会が終わると皆さん当然のようにサラリと帰ってしまうのに、一寸驚いた。飲み会といえば、もういい、帰りたい、というまで飲むものと思っていたので。そういえば花田先生にも(3日のジャーナルを見て)「布野研はああいう飲み方をするんですね」と感想を頂いた。社会人と学生の飲み、芸工大と布野研の飲み、それぞれ性格が違うんだろうけど、いちばん大きいのはやはり神戸と京都という土地の差だろうか。どんなに遅くなってもタクシーで(最悪歩いてでも)帰れる京都は、住むのによいスケールである。神戸もたいがいコンパクトなんだが、住むところがあまり無いんだな。それでも花田先生や三上先生、杉本先生方と連れ立って2次会には行った。店は三宮の駅の中。きれいに終電で帰宅です。僕は歩いて元町のアパートへ。


 ■ 12月15日(月)
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yanagisawa
柳沢究
大学を休ませてもらい、マンションの床塗り作業。面積は約15坪。Kさんと別府君の3人で昼1時過ぎからマスキング作業にとりかかり、3時くらいにはマスキングが完了。塗装はいつもこれがしんどいので、よっしゃ後は簡単簡単、と思っていたら大間違い。ムラの出ないようにするため、極力ローラーを使用せず刷毛で塗るので、時間がかかること。途中休憩も入れつつ、2度目の塗装が終わったのは、なんと晩の11時。仕上げにかかる前に完全に乾かすため、休憩をとることにしたら、丁度よいタイミングで井上氏がコロッケ(!)の差し入れに来てくれた。4人で近所のetwに行って、30分ほど休む(塗装作業中の3人は完全場違いの観あり)。若干のアルコールとニコチンを補給した後、仕上げ作業へ。
仕上げの蜜蝋ワックス、これが一番きつかった。要は車のワックス掛けと同じ要領で、床にしゃがみながらひたすらワックスすり込みと乾拭きを繰り返す(Wax On, Wax Off)。完全にベストキッドである(そういえばペンキも塗ってたな)。12時過ぎにKさんご主人が仕事帰りで参入、終了は2時と相成りました。
ほんとうに疲れたけれど、なかなかいい感じの仕上がりです。カラテも覚えて一石二鳥。


26
yamada
山田協太
博士課程の授業で研究内容の発表をした。
研究テーマを明確に仕切れていなかったため、説得力のある発表が出来なかった。反省点多し。
発表終了後、先生、院生と打ち上げ。五時から三時まで飲んだ。


 ■ 12月14日(日)
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yanagisawa
柳沢究
マンションの床に塗る塗料の調合。今回の配合は、松煙2:茶粉1の割合に柿渋と水、アルコールを加えたもの。2度塗りして軽く拭き取ると、密度の高い冬目の部分がやや薄く仕上がる。三条商店街の大井商店(おおサイトがパワーアップしている)で買った柿渋は出来たてほやほやなのか、とにかく臭い!調合している間に何度かウプッとしそうに。古くなってくると大分マイルドな香りになるのだが。
夜は神楽岡スタッフの打合せ。運営体制のあり方、次回以降のスライド会のアイディアなどを検討。最近の神楽岡での打合せは2部構成。第2部の内容は今のところ秘密ですが、本日の成績優秀者は樋貝氏と僕。前回は水谷氏だった。森田氏も成長著しい。山田氏はちょっと不調だった様子。途中から繭を一緒にやった奥村氏も呼び寄せて、終了は1時頃でした。


 ■ 12月13日(土)
18
yanagisawa
柳沢究
KAVCにて修士制作の中間発表会。学外で展覧会と発表会を行うのは今年が初めての試み。発表の機会を作ることと、作品制作への意識を高めることが狙いであるが、今回はスケジュール的に厳しいこともあって、院生はだいぶ苦労したようだ。発表会の形式も含め、来年はいろいろ検討の余地がある。そういう内幕を知っているので作品の良し悪しについては意見しづらいけれど、作品作りに対する意識が低い(人が多い)とだけ。外で発表するということのプレッシャーと意義の両方を、もっと感じてほしい。
ともあれ、ひとまずのお疲れさま。M2の人はもうひと踏ん張り。


25
yamada
山田協太
打ち合わせで泉佐野へ。設計変更個所の確認をし、図面を元に見積りを取る事となった。
現在、建物の文化財への登録をしている。登録決定の場合、今月末か来年頭に連絡を受ける予定。改修案が最終的に固まり工事に進むのは、この結果が出てからになる。


 ■ 12月12日(金)
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yanagisawa
柳沢究
芸工大大学院脇に建っているセルフビルド版築実験棟での飲み会にお呼ばれ。キムチ鍋のご相伴にあずかる。版築壁仕上げの内部はさすがに寒いけれど、雰囲気たっぷり。





版築研究所の畑中さんにも久々にお会いし、神楽岡での版築レクチャーをお願いしたところ、快諾をいただいた。つい先月イラク・バクダッドに行って来たという院生・松井くんは、臨場感たっぷりで非常にスリリングな体験談を聞かせてくれた。写真もいろいろ撮ってきたそうなので、松井君にもレポートをしてもらうことにした。次回のスライド会(1/25予定)は面白くなりそうだぞ。


 ■ 12月11日(木)
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inoue
井上大藏
直近になってしまったけど・・・
「選定保存技術・文化財を支える伝統の名匠たち」と題したシンポジウムが開かれる。
日時:12月13日(土)10時20分〜
案内がギリになってしまったけど、内容はかなり濃いので記しました。

主催が文化庁である。文化庁は近年、長官による提唱『関西元気文化圏』の関連事業を募集・実施しているが、なかなか聞こえてこない。上記シンポジウムはこれとは直接繋がらないが、こう言う行政主催の事業やシンポが、やはり「その筋」を通してしか知りえないのは少し寂しい気がするのだが、これは私だけの感触だろうか。


15
morita
森田一弥
 五日からの韓国慶州での仕事の現地打ち合わせが終わり、帰国した。久しぶりの海外なのに加え、設計の仕事となると仕事の進め方や現地の様子の見当もつかず、不安だらけの六日間であった。施主さんと一緒に移動して、古い民家なども訪ねて色々と考えを聞かせてもらいながら、仕事の進め方、建物の規模や内容を検討する。
 計画対象となる敷地は韓国慶州市の郊外、十キロほどの山林を背にした南向きの敷地。前方は水田が広がっている。慶州市周辺には新羅時代の遺跡が点在していることもあって建築物の許可を取るのがまず大変そうだということが分かった。地元の建物を見ると施工がとても荒いので、信頼できる施工業者の手配も重要になる。
 まず、日本で仕事をした経験のある設計士の方を紹介してもらえたので彼に申請などの手続きを手配してもらうことにした。業者さんの方も、古いお寺の出入りの大工棟梁を紹介してもらい、仕事を見せてもらったが結構丁寧な仕事をしておられたので何とかなりそうかなという感触は得ることが出来た。
 まだまだ先は見えないが、出たとこ勝負で行くしかないか。
今回の個人的な収穫は、「オンドル」(韓国の伝統的な床暖房のこと)が見られたことである。韓国は日本に比べて気温にして5度程度は低い気がしたが、オンドルの効いた部屋にいるとその暖かさは極楽そのもの。何故日本にもその技術が伝わらなかったのか、不思議でならない。


 ■ 12月10日(水)
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yanagisawa
柳沢究
神戸・新開地(いい街だ)にある神戸アートヴィレッジセンターにて、院生たちと一緒に一日かけて大学院作品展の展示・設営を行い、へとへとになる。グループ展であるし、ギリギリまで作品が仕上がってない学生がいたりで、展示作業は難航するものの、笹谷先生のアドバイスのおかげで何とか形になる展示ができたように思う。展覧会場のデザインというのは、建築設計ともインテリアデザインともちょっと違う思考が要求される。個々の作品のボリュームを見ながら空間のメリハリ、バランスを考えるいい勉強になった。いつも図面で考える癖がついてるので、会場でもつい平面図を思い浮かべながら配置を考えてしまうんだよな。


 ■ 12月9日(火)
11
yanagisawa
柳沢究
大学では、11日から行う大学院の展覧会の準備が大詰め。初めての試みであるためいろいろ試行錯誤であるが、院生のみなにはとにかくいい作品を作ってもらいたい。

本日、ついに、黄表紙(ヴァーラーナシーについて)を投稿する。このジャーナルを立ち上げた最初の頃に「今月こそは黄表紙を書く」と偉そうに書いてから、はや一年と2ヶ月(詳細は去年の10月15日)。ながい自模の果て、ついにリーチッ!! 一発で、なんてことは言わないが、流局とか、ましてやノーテンチョンボなんてのは避けたい。放銃は、さすがに無いか。
今年は宿題があと二つ。一つはインドの住宅に関する短い原稿と、も一つはコーラム論文への着手である。来年の春に形の文化会での発表を目標としている。

インドつながり?でこんなのあります。ほんとにバカバカしくて、こういうの大好きです。すごい才能だと思う。


 ■ 12月7日(日)
10
yanagisawa
柳沢究
床塗装のサンプルづくりをする。久々に柿渋、松煙、茶粉をいじくり爪の中まで真っ黒。Kさんの希望もあり、今回は仕上げに蜜蝋ワックスを使うことにした。比較サンプルとして、オイルステインを使ったものと、通常のニスによる仕上げのものも作った。ニスはしっかりと塗膜をつくって光沢もビカビカにでるのだけど、あのべたべたした肌触りが僕は嫌いである。せっかくの無垢の縁甲板がもったいない。靴を履いてるところならまだよいけれど。
蜜蝋の方は仕上がりのソフトさがよいし、匂いも悪くない。ただ、薄〜く一回塗りするだけで重ね塗りはよくないらしく、こんな少しで大丈夫?という気が少し。乾きも速く、施工性は抜群に良いんだけど。何年も重ね塗りすると深い艶がでてくるのかな。


 ■ 12月6日(土)
9
yanagisawa
柳沢究
午前中マンションの現場に行って、Kさんと現況を見ながら微調整の打合せをあれこれ。残すは茶室の壁仕上げと、家具・造作工事、躯体の塗装、そして床の塗装である(結構あるなぁ)。ちなみに茶室は今こんな感じ。右は造作書棚に取りかかっている大工の高尾さん(九州男児)。







午後はしっくい浅原の倉庫にお邪魔して、一郎さんと茶室の土壁仕上げについて相談。いろいろなサンプルを作ってもらった。藁すさがもう少し出てくる感じで、割れ具合はこれくらい、土の粒はもうちょっと荒く、この土の分量を多くして、あの土をちょっと加えて、などなど、料理をつくるみたいだな。茶室の奥に塗る赤い壁のサンプルは、ビンゴ!というくらいいい色をつくってくれた。


 ■ 12月5日(金)
12
yanagisawa
柳沢究
ヴァーラーナシーの黄表紙に取り組んでいるちょうどよいタイミングで、現地調査でたいそうお世話になったアナミカから、サイトを開設したとのメールが届く。彼女はヘナ・アーティストで、ヴァーラーナシーの黄金寺院(ヴィシュヴァナート寺院)脇の路地にあるお店で、ずっとヘナ教室を開いていた。一日の調査を終えるとその店に寄ってチャイを頂きながら、この言葉は、地名はどういう意味だ、こんなことがあったがこれは何だなどと、いろいろ相談にのってもらったもの。しばらくヴァーラーナシーを離れていたのだが、最近また戻ってきたようだ。
彼女のサイトではヘナ関連の情報提供、材料やグッズの販売しています。よかったら覗いてみてください。


 ■ 12月4日(木)
7
yanagisawa
柳沢究
さすがに二日酔い。よく考えたら三宮で行ったのは3軒だった。
朝、マンションの現場に出てコンクリート躯体壁に塗る色サンプルを確認。大分かたちになってきたぞ。

昨日のつづきで「51C」について。鈴木成文先生は日記で「私にしてみれば51Cは既に過去のもの、当時の社会的意義はあっても今日の状況の中でそのプランを問うても致し方なかろう」と書いている。発案者ならではの言葉と思うが、僕も半分賛成。51Cはむろん研究の価値がまだ大いにあろうが、むしろ僕は「nLDK」の評価を今ちゃんとやるべきでないかと思う。知られているように「nLDK」の原型は良くも悪くも「51C」である。住宅の画一化・均質化を招いたなど問題点はいろいろ指摘されている(最大の問題はその表記による「住宅像」の固定化だろう)が、その空間的な分析にもとづく評価はあまりなされていないんじゃないか。
あんなくだらないもの分析するほどのものではない、と言うなかれ。建築雑誌を読む一部のマニアを除く、世間の多くの人々が考える「住宅」とは、間違いなく週末の新聞に大量におりこまれた、あのチラシの束なのだ。子供の頃、チラシに描かれた間取りを見るのが好きで建築学科に来た、という建築学生も少なくない(!)。それに何よりここ数十年、日本の住宅観を支配しているモデルなのである。この時代の住宅の「型」となっているといってもよい。もちろん一言「nLDK」といっても所詮それは表記の問題にすぎず、たとえ普通のマンションであれ、そのプランは時代の要求に従い変容をとげている。いまや確固たる地位を確立した「京町家」だって、ある時代の住宅の「型」である。「nLDK」だってちゃんと見た上で評価(褒める、ということではない。念のため)してやらなくては。そこには日本の住宅観が何よりも鮮明に現れてくると思うのだが。


 ■ 12月3日(水)
6
yanagisawa
柳沢究
神戸芸工大にて恩師・布野修司氏による特別講義。この間出版した「アジア都市建築史」にふれながら、アジアの都市・建築について古代から近代にいたる壮大な話が展開された、らしい。というのは、残念ながら僕は院の会議やら今度やる院生の展覧会の打合せやらで、ほんの少ししか聞けなかったのです。
…う〜ん、基本的な知識がないので、難しかった…、とは聴講した学生の感想。僕が少し聞いただけでも、かなり専門的ではあった。アジアが注目されるようになって久しいけれど、その都市や建築をまともに理解しようと思うと、当たり前のことだが、地理から歴史、文化までとにかく膨大な基本知識が必要となる。前提知識がなくても理解できるように話すのが講義というものだろうが、やはり基本は必要。ヨーロッパ建築についてであれば、建築を勉強してる学生ならそこそこ分かるだろうから、アジアについての関心は一般にはまだ低いんだろうなと思う(「アジア都市建築史」出版の意義もそこにあるわけだが)。

夜は例のごとく、三宮へ。土肥学長、鈴木成文前学長、小玉先生、木村先生、三上先生の席に割り込ませてもらう。布野先生と飲んだのは相当久しぶりかもしれない。僕の酒の飲み方はほとんど、調査旅行中に布野先生から習ったものだ。今月10日に投稿予定の黄表紙にコメントをもらう。三宮で2軒、京都に帰ってからもさらに1軒(半分庵)行って、帰宅は3時くらい。楽しかった。

最後に鈴木先生からいただいた情報。来年2月に東京で「『51C』は呪縛か−集合住宅の戦後〜現代をさぐる」と題したシンポジウムが開かれるそうです。内容は、鈴木成文・上野千鶴子対談(司会:布野修司)、鈴木成文・山本理顕対談(司会:五十嵐太郎)と、熱そうなもの。まだ公式の案内はでていないようですが。


 ■ 12月2日(火)
5
inoue
井上大藏
今日になって、長年(2年間位)探していた本が2冊見つかる。
・三田村宗二作品集 叡風彩游(三田村宗二:著)
日本の木遣唄??(宮内仁:著)

それぞれ理由があって、三田村宗二氏は京都の町中の家や寺社仏閣を沢山描いている。
既に故人の方だが、多分この人以上に描いている人は、いないんじゃないかな。(全6冊の中の1冊)
来年あたりから、ボツボツと1件毎の建物現況を調べて行こうと思っている。

日本の木遣唄?・?は、民謡に分類されている。文字通り「唄」である。
内容が重要で、原則的に(『木』に関する)「作業歌」(建方・山からの木の切出し・棟上等)が“木遣唄”で、精神性を重視した『祭り』や『祝言』の時にも歌われる「唄」もこれにあたる。「歌集」が無くて、探していたらこの本を見つけた。地味な内容の本だけど、味わって読んでみたい。


 ■ 12月1日(月)
4
yanagisawa
柳沢究
昨日はひさびさに自分が担当のスライド会「マンガ世界の建築」。京大を卒業後数寄屋大工の修行をしている鈴木健太郎氏の乱入もあり、人数は少なめであったけれど大盛り上がりで楽しかった。大の大人たちがマンガを見ながら大声を張り上げていたそんな場は、冷静に考えるとちょっとおかしい。みんな、マンガ好きね。

マンガや映画という表現の主眼はもちろんストーリーに違いない。しかしその舞台として描かれる建築の存在は大きく、建築そのものが物語の主題と切り離せないものも少なくない。映画もいいけど、取り扱いやすさ(と僕の嗜好)という点で今回はマンガにしぼりました。現実の世界に存在する建築や都市が、マンガの中でどのような意味付けをもって描かれるかというのも興味深いテーマだが、素直に楽しめるのはやはりマンガの中で創作された建築たち。実に魅力的で時に不可解な造形が乱立するその世界、描いた作者は一体何を考えて、どこからその造形を作り出したのか?というのが視点です。

今回とりあげたのは、「銀河鉄道999」「手塚治虫の一連の作品(メトロポリス〜火の鳥)」「風の谷のナウシカ」「アキラ」「銃夢」「からくりサーカス」「ドラゴンボール」「魁!男塾」「北斗の拳」「ジョジョの奇妙な冒険」「キン肉マン」「蒼天航路」などなど。有名どころばかりを選んだが、他にもまだまだあるはず。これはすごい、というのをご存じの方があれば、是非ご一報を。機会を作って第2回もやってみたい。

視点に対する結論、というものは特に求めなかったけれど、いくつかの傾向ははっきりした。時代毎の未来像を素直に造形化したもの、エキゾチックな建築を拝借するもの、いろいろなディテールのブリコラージュ、技術や文化など舞台となる世界観を緻密に設定してそこから建ち上げていくもの、ストーリー展開の必要にあわせて強引にデザインされたもの、などである。前の4つはある程度予想がついていたが、意外に面白かったのが最後にあげたタイプ。殊に「週刊少年ジャンプ」を頂点とする格闘インフレーションもの(強大な敵の絶え間ない出現、留まるところをしらない主人公の成長、毎回異なる戦闘舞台、などが特徴)において、ユニークなものが際だつ。ある技を繰り出すため、特定の修行を行うことだけを目的に特化された建築。いわゆる「行為にもとづく建築作法」の一つの極を示しているように感じます。

著作権の問題はややこしいですが、当サイトでもREPORTとしてまとめたいところです。
(リンクを探してたらこんなのあった。こういうセンスいい)


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