神楽岡工作公司
JOURNAL
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2005年12月〜



 ■ 4月30日(土)
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yanagisawa
柳沢究
4月は特別講演会とかいろいろあって、ついにまるまるサボってしまった。ほんとはその段取りとかをリアルタイムで書ければよかったんだけど、もう仕方ない。
今回は神楽岡はじまってからの最大のイベント、樋口裕康講演会「建築の自由…1」の準備から開催までを、簡単にまとめてしまおうと思う。

そもそもの話の起こりは、昨年8月の白州にさかのぼる。
「白州」とは、その時のジャーナルにも書いたが、舞踏家(最近は映画にも出演されてる)田中泯さんの主催するワークショップのこと。ここでの舞台製作を樋口さんが行っており、その舞台の床というか土間の三和土(タタキ)の施工を久住鴻輔氏が指導していたのだ。もちろん久住氏はこの時だけでなくずっと以前から象の現場にかかわっている。象のものづくりに対する姿勢・執念を現場で間近に見てきた久住氏から、この白州での飲み会の時にはじめて、今度ぜひ京都で講演会をという話がでた。
念のために書いておくと、神楽岡という集団ないし、僕と樋口さんの関わりはこれ以前に一切ない。樋口さんが京都に来てくれる事になったのは、ひとえに久住氏との個人的信頼関係による。だから今回の講演会では問い合わせ等の都合上、主催を神楽岡工作公司として案内をだしたが、正確には企画・久住鴻輔、段取り・神楽岡というべきものである。

そして今年の3月14日の晩、4月の後半であれば京都に行けるぞ、という連絡が久住氏に入った。この時点で開催まで1ヶ月ほどしかなく、翌15日、かねてから会場として当たりをつけていた法然院に急ぎ連絡をし、17日には法然院を訪れる。
会場に法然院を選んだ理由として、まず第一に、象設計集団の話を聞く空間として、普通の公民館やホールのような、固定したステージと固定座席が向かい合ったような場所はふさわしくないのではないか、という思いがあった。次に規模の問題として、500人1000人規模ではなく、せいぜい100〜200人程度の規模で、なるべく講師と聴衆の距離が近く親密感のある講演会にしたかった。こうした観点でいくつかの会場を検討した結果、普段から様々なイベントにスペースを提供し「街に開放された寺」を実践している法然院が一番いいのではないか、という結論は実は昨年末の時点で出ていたのである。欲を言えば、講演を聴きながらちょっと酒も飲め、終了後そのまま懇親会になだれこむということができれば理想的だったのだが、お寺ということもあり、さすがにそれは無理と判断した(言い出せなかった)。
法然院の梶田住職には、突然の不躾なお願いにもかかわらず、快く会場をお貸し頂いたことにあらためて感謝したい。3月の17日にはじめて法然院に挨拶に伺った時点で、4月の週末で空いている日は17日しかなく、開催日は17日と即決定する。会場は法然院の中でも最大の部屋、大書院をお借りする。45畳敷きの大広間で、襖には龍の障壁画、東には庭園が広がり、西を見れば京都盆地が一望できるという素晴らしい会場。普通に入って100人ほど、最大で150人ほどのキャパシティで、さてこれを目一杯埋めるだけの広報をしなければ、と気を引き締める。


大書院から見る法然院の庭

翌週の23日頃、講演のタイトルと話す内容のメモのFAXが届く。タイトルは「建築の自由…1」。「象の日常的活動やフィールドワーク、ワークショップなど、象のものができるまでを話します」とのこと。「1」?と思いつつ、象の7つの原則から最も好きなフレーズ「自力建設」を引用したポスターを製作、26日にはA4チラシの印刷を1000部発注する。
ポスターとチラシは、京都市内の建築系学科がある大学、画材屋(バックス、大地堂)、本屋(大龍堂、啓文社、ガケ書房、メディアショップ、スフェラ)、さらにほんやら堂など、京都の建築関係者の寄りそうなところに隈無く配布。ウェブ上では神楽岡のHPの他に、大龍堂telescowebKENCHIKUなどに案内を出してもらう。
これら一連の広報が終わったのが3月末くらい。

4月1日には久住氏とともに再び法然院を訪れ、あらためて会場の設備、機材などの詳細を確認する。スクリーンやマイクなど、主な機材をお借りすることができたので、たいへん助かった。気になっていたのは開始時間が18時で、その時間ではまだ外がだいぶん明るいだろうということ。特に西日の入る部屋なので、苦肉の策として5間にわたり暗幕を貼ることに。9日には神楽岡の主要メンバーで集まって、当日のタイムテーブル、役割分担などの最終確認を行う。これにて、事前の準備はひとまず一段落。あとは仕上げをご覧じろというところだが、果たしてどれほどの人が来るか、前もっては全然予想ができなかった。

講演会に先立つ16日、樋口さん来京し久住氏と3人で桂離宮、美山などを訪れる。夜からは京都庭園の比地黒さん、ケンちゃん、水谷さんら合流し、百万遍近くの某店で簡単な打合せ。
17日は10名ほどで連れだって、山崎の待庵を見学。その後カワラマン・山田脩二さんが合流しサントリーのウィスキー工場を見学というか試飲。

 
桂離宮と近所の極楽寺(境内の荒れ方がいい具合だった)


サントリー山崎工場にて

飲み続ける人は残り、会場準備組は早々に神楽岡へ引き上げる。いまさら手元灯を忘れていたり、釣り銭を用意しようと思ったら日曜日で銀行の両替機が使えなかったりとアタフタしながら、16:00に法然院入り。会場に座布団を敷き詰め、暗幕を張り、音響機器やプロジェクター、受付をセットしてたらアッという間に開場時間。
入口前には17時頃からすでに20数名が待っていた。開場から10分ほどで席の大半が埋まる。こりゃ席が足りんかもしれん、と縁側まで会場を拡大するが、開始時間には定員オーバーの150名ほどがギッシリと。その後も多くの人が来場し、席がないからと帰って頂いた方、それでもと廊下から見た頂いた方を含め、約200名の超大入満員となった。会場に入れなかった方には本当に申し訳ない事をした。予約制にするべきだったと反省。


控え室にて

 
講演風景

講演の内容は割愛するが、大島での最初期の計画から沖縄、台湾の一連のプロジェクト、十勝での雪のワークショップや「徒労」、マリや中国など旅先での写真…などなど二百数十枚にわたる迫力のスライド。作品集や写真を見るだけではわからない、モノが建ち上がる前のコトゴト、モノづくりに必要な熱気・エネルギー・執念、建築の「自由」とは何なのか、いろいろ考えさせられる刺激的な2時間であった。時間がおしてしまったこともあり、質疑の時間を少ししかとれなかったのは残念だったが、そのやり取りも他の建築家の講演会では決してありえないスリリングなものだったと思う。

懇親会はおなじみの天楽。味も雰囲気も抜群によい店なんだが、20人程度しか入らない会場を選んでしまったのは僕のミスである。人数がまったく読めなかったので、大きな会場を用意することを避けたのだが、多少のリスクを承知で講演会に来てくれた方にも多数参加してもらえるようにすべきだったと今は思う。「身内だけで埋まってしまうような懇親会場を選ぶということが、君の世界の小ささだ」と樋口さんには指摘される。「知らない人と知り合うことがどれだけ素敵なことか」、分かってるつもりだったんだが、その機会を一つ失した。
二次会は象のOBの方や講演会参加者の方も合流し、神楽岡アネックスにて。多少のもめ事はありつつも、後は朝まで。僕は途中でダウン。

だいたい以上が、特別講演会「建築の自由…1」のあらまし。反省点や問題も少なからずあり、特に入場できなかった方には申し訳なかったが、準備期間が短かったにもかかわらず、たいへんよい講演会になったのではないかと、手前ミソながら思っている。
講師の樋口さんをはじめ、来京にかかわる段取りを全て行った久住氏、会場を提供するだけでなく設営に多大な協力をしてくれた法然院のみなさま、二百数十枚にわたるスライドを完璧に準備していただいた象設計集団のスタッフの方、広報から当日会場の準備を担当してくれた神楽岡および久住左官の皆、そして遠いところ会場に訪れてくれた方々、ほんとうにありがとうございました。また、こんな機会がつくれればよいなと思います。

ちなみに「建築の自由」はやはりシリーズとなるものであり、vol.2はすでに十勝で行われ、vol.3も6月に沖縄で開催されるそうである。詳しくは象設計集団のサイトを。


 ■ 4月25日(月)
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inoue
井上大藏
一眼レフで撮る写真は、やはり綺麗だ。
古財展前の話になるが・・・門司訪問が多くなる=九州各地に足運ぶ・・・事にもなるのが、人の性。
3月下旬の打ち合わせの折には、大分県の宇佐八幡宮富貴寺に行った。しかし本当の目的は、磨崖佛である。磨崖佛は同一圏内に複数あり、代表が熊野。小学生の頃から一目みたいと思っていたので、念願がかなう。大方の不動明王は厳つく怖い形相をしているが、熊野磨崖佛は福与かな恵比寿感のある表情をしている。現代の表現ではアンパンマン系とでも言えようか。感無量。

写真の話に戻る。撮るはいいが、現像に出すのが暫し遅れる。これが整理に影響して後回しになりがち。デジカメとの大きな差である。デジカメとの、もう一つの違いは格段に写真を撮る腕前に差が出るという事。気軽さのあるデジカメで、私は唯一絶対の一枚にはほとんど出会わない。最近思う事は、カメラを通して建築物を見る行為の重要性。現像した写真の事ではない。時の緊迫を捉えるのがカメラの職務とすれば、目も対象物も職人気質でなければいい絵が撮れない。一瞬の緊迫がファインダーにある。よって目は物を観ようとする。僕がデジカメを考えつつも手を出さないのは、この為かもしれない。





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