神楽岡工作公司
JOURNAL
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2005年12月〜



 ■ 1月31日(月)
9
yanagisawa
柳沢究
下に書いてあるように、29日までコンペの作業でいっぱいいっぱい。コンペについては問題点ももちろんあるが、久々に図面をしこたま書いた充実感と、かねてから頭にあったアイディアを形にするとっかかりが掴めたのが個人的には収穫。日々の仕事に追われるばかりでなく、コンペなどプロジェクトを作る作業は、ほんとうに大切と実感した。

月末・月始のまとめ書きが恒例になりつつあってよくないが、今月の業務日誌ダイジェスト。

1月8日(土):
大学の新年互礼会。鈴木成文先生に餅つきに山本さんが来てくれた事を話したら、彼女にはよく仕込んであるからね、とニコり。2月の先生宅での餅つきにお誘いいただいたけど、行けるかな。行きたいなぁ。

1月9日(日):
森田氏、モンドと岩見沢駅舎コンペの新年一発目打合せ深夜まで。プランのベースとなるシステムを提案するがお互いピンとこない、まだまだ検討の余地あり。

1月13日(木):
大学では年度末を控え、報告書の編集ラッシュ。僕自身たいそう勉強させてもらった高木先生の「芸術工学基礎論」、大学院の共同プロジェクト、秋に行われたアジア青年建築交流会議(こちらは院生がメイン)などの各種報告書作成、あれこれ編集編集、かてて加えて「京都げのむ」の企画・ラフレイアウト作成など、編集ソフトのIndesignが大活躍。この日は晩に京都でげのむ編集委員会。だいぶ雑誌の全体像が見えてきたが、学生も年度末は皆忙しく、人手不足はいなめない。

1月14日(金):
院生による「芸術工学基礎論」の後期まとめ発表会。科学的な話というのはデザイン系の学生にはなかなか縁の薄いものだったと思うが、皆ちゃんと取り込んでいた。終了後、高木先生の部屋でパーティ。留学生に最近買った「ノンバーバル事典」を見せたら、えらい盛り上がった。

1月16日(日):
芸工大も今年からセンター試験に参加ということで、流通科学大学の試験会場で試験監督。数時間立ちっぱなしで、高校時代からの持病の腰痛が一時的に再発。歩くのもきつくなる。晩帰京して森田事務所でコンペ打合せ。この間メールのやりとりで行きつ戻りつがあったが、方向性かたまる。打合せが盛り上がるのはよいが、毎回あたり8時間超というのはやりすぎ?

1月21日(金):
この週は報告書編集、げのむ作業、コンペ図面作成と同時進行で混迷。そんな中、黄表紙がどっか行ってしまっているのは実に大問題。晩にコンペ最終打合せ。あとは突っ走るのみ。

1月22日(土):
家で一日パース作成。慣れないphotoshopを使った着彩作業。夜、長野、マリちゃんとげのむの打合せ/今後の相談とかの口実で少し飲みながらの息抜き。

1月23日(日):
極寒の神楽岡にて恒例のスライド会。山田氏が去年の夏にタイからインド・スリランカに調査旅行に行った際のヒンドゥー建築について。一言にヒンドゥー建築といっても、つきなみであるが極めて多様。建築の「様式」というものについて、学生の頃は否定的な印象しかもたなかったが、西洋建築だけでなくアジアの宗教建築や住宅の様式に目をむけ、その類似性と差異の理由に思いを馳せれば、生物の進化や伝播を見るような面白さがある。学校や本で習う建築様式史は、そこらへんの面白さが全然伝わらない。

1月28日(金):
修士論文の提出が近づいて、院生の動きが慌ただしい。こちらもコンペの〆切を抱えてるから二重に焦る。18〜22時まで京都でげのむ編集委員会。終了後、森田事務所入りし缶詰体制に。先週まる二日かけて作ったパースがダメ出しされてへこんだが、それを上回る模型を森田氏が一晩で作り上げていて吃驚。やはり模型はいい。

1月29日(土):
昼1時頃、わりと余裕をもってコンペを仕上げる。今回はなるべく省エネで効率よく、というのがテーマだったが、終わってみればかなりの密度なのはよかったのか。以下29日の森田氏のジャーナルにつづく。布野先生宅に少しお邪魔した後、森田氏と別れ帰宅。家で飯を食ってる最中に意識を失ったらしく、翌朝起きたら飯がガビガビだった。

1月31日(月):
修士論文の提出日。受付のかたわら、基礎論報告書の仕上げにとりかかる。院生は余裕をもってが2/3、あとの1/3は予想通りの大混乱。〆切間際の作業は逆にしんどいとは、僕も最近ようやく実感してきたことなのだが。


 ■ 1月29日(土)
8
morita
森田一弥
 昨晩から柳沢、門藤氏をくわえた三人で駅舎コンペの追い込み作業。一昨日に急遽作ることになった模型も、二十時間の驚異的なスピードで完成させていたので、あとは各種要求図面とパース、構造や空間のダイアグラム、コンセプトの解説などを手直しして昼過ぎには印刷も無事に完了。今までのコンペの中では一番余裕を持って作業できていたので、内容にもプレゼンにも客観的な視点を失わずに作業できたと思う。自分なりに達成感のある部分と、今後への教訓が半々というところか。

 その後、京大の建築学科同期が手がけたお店の内覧会があったのでそこへ顔を出したら、近所に住んでいる我が指導教官の布野修司氏も現れて、なにやら同窓会のような雰囲気になってしまった。そのまま布野先生のご自宅を初訪問し、サッカー観戦をしながら先日のスリランカのゴールでの津波体験などを聞かせてもらう。

 十時頃、事務所に戻って後かたづけをして、さあ帰ろうかという頃に左官職人、久住鴻輔氏と数寄屋大工丁稚、鈴木健太郎氏が来訪。最近この二人はフランスのパリのお茶室の解体修理の計画など仕事上でも色々と合う機会が多いらしく、その帰り道にコンペ案を冷やかしに来たらしい。コンペの図面と模型を見ながら色々とその可能性や課題を話し込む。睡眠不足で時々意識が朦朧としながらも話題は尽きずにそのまま三時頃まで。


 ■ 1月20日(木)
6
inoue
井上大藏
ネットのHPを渡り歩いていたら、こんなのに出会った。
実際に存在する建設会社が、自社の経験と技術力を駆使して、空想上の構造物を施工
法から工期・工費まで概算し、ファンタジーな建物に現実味を面白く織り交ぜている。

 第1プロジェクト「(仮称)マジンガーZ格納庫兼プール構築工事
 第2プロジェクト「(仮称)メガロポリス中央ステーション銀河超特急999号発着用高架橋(基礎および上下部)工事

私が子供の頃、マジンガーZは純粋にカッコ良かったし、出撃シーンは見せ場の一つ。
不思議な格納庫で、いつか解明したいと思っていたが・・・どうやら私一人ではなかったようだ。
銀河鉄道999(スリーナイン)は、男のロマンで、レールから車両が離れる瞬間がなんとも言えず力強くて切なかった。


 ■ 1月16日(日)
5
morita
森田一弥
 昨年末にふと思い立ってつくって応募した、シェル状のコンクリートのドーム模型が予選を通過し、今年六月の「第2回コンクリートアートミュージアム 名古屋」に実物を製作して出品することになった。まともに作ったら結構お金がかかるし、おそらく制作費も大して出ないだろうから、なんとしてでも一等をとらねば・・・と「うれしい」というよりは「背水の陣」の心境。

 夜は駅舎コンペの打ち合わせ。「単純な幾何学を三次元に立ち上げることで多様な経験が可能な複雑な空間を創る」ってのが、当初掲げたテーマ。今までの神楽岡でやってきたコンペとは少しアプローチを変えてみた。ここ数回の打ち合わせは、まだ「いける」という感触がつかめていなかったが、この日でようやくプレゼンの方針も含めて案のまとめにはいることができる見通しがつく。

 打ち合わせ後の深夜、一年ぶりくらいに「天下一品」のラーメンを柳沢氏とすする。相変わらずヘビーで、疲れた体にさらに追い打ちの一撃・・・という感じ。帰宅して風呂に入って、胃薬を飲んで眠る。


 ■ 1月3日(月)
2
yanagisawa
柳沢究
横浜で年を越したあと、2日に帰京する。
水谷氏が実家から立派な杵と臼と蒸し器のセットを持ってきてくれたので、今日は神楽岡で新年餅つき大会。開始時間も決めずに三々五々神楽岡となりの水谷荘に集合する。準備もいい加減で、お昼頃から食材を買いに開いてるスーパーを探し回り、なんとか調達する始末。
健太郎が職場からもってきた一斗缶に植治・松崎氏が穴をあけて即席のかまどを作成する。薪は材木の端切れと神楽岡の二階をぶち抜いて吹き抜けを作った時の廃材だ。ここら辺の作業はさすがに手際がよい。肝心の餅の出来の方は、米を水につける時間が短すぎたため、第1弾は固すぎて出来損ないのおはぎのようになった。第2、3弾と、米を水につけた時間に比例してよい仕上がりに。普通は前の日からつけるらしいといのは、当日になって知ったこと。
いつもの面々に加え、森田一家や山本博子さん、健太郎の友人オリビエなど大勢集まった。神戸から畑中さんと友人の山本喜美恵さん(唯一の餅つき経験者)が遊びに来てくれた。前の道に椅子をならべて酒盛りしながら餅を味わう。なんとも正月らしい一時でした。来年も是非やりたいもの。


 ■ 1月2日(日)
4
yanagisawa
柳沢究
年が明けて昨年末の出来事。

12月15日(水):
大学の委員会に出席し、発表会の準備などをした後、夕方から新幹線で東京へ。N設計にいる大学の同級生・勝矢武之と久々に会い、神楽坂(神楽岡とよく間違えられる)にて食事。そのまま勝矢宅に宿泊。

12月16日(木):
ICCでやっていた明和電機の「ナンセンス=マシーンズ展」へ。これまでの全作品が展示されていてものすごい見応え。3時間ほど堪能するが、二日酔いで展覧会というのはキツイ。隣でやってた「ヴォルフガング・ティルマンス展」と「野又穫:カンヴァスに立つ建築」展もついでに見学。後者のような世界は大好き。展示方法も面白かった。
ヴァーラナシーの調査でお世話になったB.H.U.のラナ・スィンフRana P.B. Singh 教授が来日していたので、晩は品川の歓迎会に出席。坂田貞二先生や福永正明先生など、インド研究の超一線の先生方に囲まれて冷や汗のにじむ思いをしながらも、貴重な一時を楽しむ。ヴァーラナシーもマドゥライもほんと早くまとめようとかたく決意。

12月17日(金):
東京の表参道のブランド建築群をいまさらだが見学する。オープンほやほやのトッズは驚くほど綺麗な納まりだったが、木洩れ日開口が内部では全然感じられないのが残念だった。ワタリウムで深澤直人展を見て、その下で「福建土楼」という中国の本と1920〜30年代のロシア絵本復刻版を購入。神保町・明倫館書店では、数年前から探していた「ボザール建築図集」をついに発見。ほかに「続・意匠集成・数寄屋建築」「SINAN(オスマントルコの建築家ミナール・シナンの写真集)」、『都市住宅』のBN(7306: 広島原爆スラム特集)、『SD』のBN2冊(トロハと香港特集)などを購入。うーん偏ってる。夕方帰京。

12月18日(土):
京都にて「げのむ」の編集委員会。ページ割りはほぼ確定。

12月21日(火):
晩、もと大学院事務にいたN嬢、同僚の玉川さんと三宮のマンションの一室にあるインド料理店へ。美味しくもスリリングな体験。久々に本格的なターリーを食べた。

12月22日(水):
委員会と大学院の説明会のあと、大学院の共同プロジェクトの発表会。1月は報告書の編集が待っている。風邪をひいたのかノドが痛くてたまらない。

12月23日(木):
晩、ラトナカフェにて好例の神楽岡忘年会。飛び入りOKにしたら、ありがたいことに30人以上も集まってしまい座る場所のなくなる大盛況。来年はこのエネルギーをモノづくりに転化させていきたいと決意表明。
…ほとんど居酒屋

12月24日(金):
数日前から痛かったのどが悪化し耳の奥まで痛くなってきたので、大学を休んで病院へ。鼻の穴からカメラを入れる診察、「急性咽頭炎」とのこと。要は腫れてるということか。薬をもらって寝る。酒もタバコも禁止された。

12月25日(土):
「げのむ」の記事について、布野研の学生、京大歴史研の学生と打合せ。のど相変わらず痛くて文字通り食事がのどを通らない。

12月26日(日):
薬の効果は偉大、突然全快。この日は連れ合いの骨折快気祝いで城崎へ。

12月28日(火):
森田氏、モンド氏とコンペの打合せ。その後、すき焼きをつつきながらの神楽岡スタッフ内輪忘年会。一年お疲れさまでした。

12月29日(水):
昼過ぎから帰省。新幹線の友は「51C:家族を容れるハコの戦後と現在」。東京に着いたら積雪!原宿でARSの皆さんとオフ会というかささやかな忘年会。

12月31日(金):
年賀状制作と宛名書き。


 ■ 1月1日(土)
3
yanagisawa
柳沢究



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