0511 / 0510 / 0506 / 0505 / 0504 / 0503 / 0502 / 0501 0412 / 0411 / 0410 / 0409 / 0408 / 0407 / 0406 / 0405 / 0404 / 0403 / 0402 / 0401 0312 / 0311 / 0310 / 0309 / 0308 / 0307 / 0306 / 0305 / 0304 / 0303 / 0302 / 0301 0212 / 0211 / 0210 |
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2005年12月〜 |
■ 4月25日(日) | ||
21 | ||
![]() 柳沢究 |
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京都大学にて「形の文化会」大会。どういう集まりか、とよく聞かれるのだけど、僕も今回が初めての参加なので、会の設立主旨の一部を引用する。 「21世紀を迎えるにあたって、現時点におけるわれわれの文化の現象面ではなく原点にたち戻って、歴史的・通文化的にかつ地域的・比較文化的に、「かたち」の意味と意義をあらためて問い直す作業に取りかかるべきだと考える。「かたち」には確かに、各地域・各時代の諸民族に特有な時間的、空間的、また観念的なパターンがみられるからである。その一方で「かたち」は、異文化間において、相互理解の有力な手段になりうる手がかりを発信している。」 こんな視点のもと、数学や物理学、民俗学、デザイナーほか、一般の人も含めたさまざまな分野の人々が集まる、実に学際的な学会だ。今回の大会の発表題目をみても、その多様さはよくわかる。会の発行する「形の文化誌」は、そうとう濃いぞ。 僕の発表そのものは、コーラムという紋様を数値と直線に置き換えることによって、その構造と「デザインシステム」を考察したもの。かなりマニアックな中身だったが、発表の感触は悪くなかったと思う。今後の個人的な興味は、建築プランへの応用だ。 会終了後は、時計台の中のレストランで懇親会。2次会は百万遍しゃらくへ。 |
■ 4月17日(土) | ||
15 | ||
![]() 柳沢究 |
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14日に黄表紙の再査読に対する改訂原稿を提出。今度こそ、だ。 「形の文化会」でのコーラムに関する研究発表が一週間後に迫りつつあり、ようやく逃避モードから集中モードに切り替わってきた。しばらくはHPが更新されないと思うけれど、悪しからず。 今日は、京都にてコーラム研究のプレゼン作り。しかし、あまりにもいい陽気なので、昼食はバイクで鴨川沿いを走りながら、清水寺まで行ってカレーを食べてきた。茶わん坂にある「彩」というお店で、僕の評価では京都NO.1のカレー屋である。ここに来る時はいつも、食後にスペシャルコーヒーをすすりながら土門拳の写真集を小一時間眺める。うーん、なんだかユタカナ気分。 ところで、4日のオープンハウスで建築家の吉永さんとお会いしたのだが(実は2度目)、いただいた名刺からサイトを覗いていたら、吉永さん、何とこのサイトの作者であった。 だいぶ前に森田氏に教えてもらって以来、面白い視点で京都に取り組んでいる人がいるのだなと、時々覗かせてもらってはいたのだが。単なる路上観察、トマソン採取に終わらないで、そこから都市を変えていくヒントを得ようという姿勢には、強く共感する。 今後、一緒に何か面白い取り組みが出来たらよいな。 |
■ 4月15日(木) | ||
14 | ||
![]() 井上大藏 |
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ここ最近、頻繁に書き込みしてます。もう朝6時だ。どうしよう。 今夜は少し友人の話をしよう。 今年1月の事であるが、友人より某近代建築家についての研究資料を引き継いだ。 兵庫県に住む友人は、地域文化財(建造物)に間するヘリテージマネージャー講座で重要な立ち回りをしていたのだが、疲れたのであろう。少しばかり、一線を引く事を決意した。私は、近代建築の保存再生とその活用を検討するにあたり、設計者の意図に関する検証も必要だと考えている。その為、彼の研究対象であった某近代建築家の資料を、縁があって私が引き受ける事になったのだ。資料は、プリント文章類が中心で図面はない。しかし、そうそう見る事のできない書籍の複写も含まれているので、検証には充分耐えうるであろう。これらの資料には、気持ちがこもっている。「彼だったら上手に使用してくれるだろう」と、考えたに違いない。私は友人の気持ちに答えたい。某近代建築家について、より深く検証する事でこの気持ちを表現しようと思う。それと同時に、友人には早く戻ってきてもらいたい。また、うまい酒を飲みたいから。 |
■ 4月13日(火) | ||
13 | ||
![]() 井上大藏 |
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最近、人からいただいた本に『建築彫刻』というものがある。 彫刻がある建築といえば、やはり西洋建築を思う出す事が多い。柱頭に付く意匠もこれにあたるし、洋間の天井面にある照明取り付け位置の装飾(円形の花模様など)も該当する。この書籍は、「それらの模様を紹介しつつ、細かく彫刻の作り方」を記しているのだ。何とも専門的な書籍だと思いながら、今も手元で眺めている。しかも結構評判が良かったらしい。現在でこそ廃版になっているようだが、昭和26年の初版以来昭和56年の第五版まで出版されている。30年続けばやはり息の長い本ではないだろうか。 抽象的な面を持ち、実務には向かないが眺めて見るのにいい本である。 発行:潟сu原出版部についてもネットで調べてみると、左官の建材メーカーだった。明治からの創業なので老舗なのであろう。知人によれば、左官について他に類似を見ない良本も出版しているとの事。早速、確認しないといけない。 |
■ 4月9日(金) | ||
19 | ||
![]() 井上大藏 |
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最近、何だかんだでメールやhpを見る機会がやたらめったら減っている。 だから此処に記入する事も正比例している。 近日の動向で2日〜6日朝にかけて、福岡県・山口県や島根県を廻る。 最初は、福岡県北九州市に行った。 事の由来は簡単で、文化財の建造物に関する技術者の方から、歴史的建造物を移築した場合に発生する「他用途では使用可能な状態」の古材の使用についてのアドバイス要請の連絡を受けた事に始まる。この材を山田氏と共に見に行ったのだ。 端材も多かったが、インテリアや床材・家具材として使用に耐えうる材も多かった。 現時点では、原則として指定建造物の改修で発生した「古材」は、すべて処分される事になっている。その為、市場に出回る事はまず無い。今後は、こられの扱いも課題として浮上してくるだろう。 その後は山田氏と別れて、その方の案内で山口県の萩に行く。 木造や古材を通して、他府県の建築関連職の方とお話する機会は少なくないが、今回のケースは、文化財建造物の修復に関する最前線の現場主任の方なので大いに得る所が多かった。今後は、古材についてのアドバイス等を行う事を約束して別れる。 ついでの事なので、(ここぞとばかりに)中学生の頃から憧れていた島根県の津和野に行った。 あまり観光化されていないこの土地は、伝統的建造物郡保存地区には指定されていない。しかし、郷土の町並みを楽しむのに良い線を行っている地域だ。 一方で、 森鴎外や西周の出身地である事で有名である。 彼らの生家は、史跡として整備されている。建造物としての扱いではない。 ここら辺にも楽しめる要素があるのだが、それを記す事は別の機会で実現するとしよう。 |
■ 4月5日(月) | ||
6 | ||
![]() 柳沢究 |
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今日発売となった雑誌「コンフォルト」5月号に若干、文章を書かせてもらいました。 「『古材色の再現』から『新しい表現』へ」は、本サイトの「覚え書き」中で、ずっと準備中になっていた「古色に関する現状と展望」に該当するもの。4年前の「繭」で初めて古色に取り組んで以来、機会を見つけては自分で塗料を調合し木材に塗るということを試みてきましたが、その間にいろいろ考えていたことをまとめたつもりです。 「古色仕上げを楽しむ 素材編・実践編」は、顔料と油についての情報を整理することができました。より詳しく知りたい方は「覚え書き」の参考文献を手にとってください。果てしなくマニアックな世界が広がっています。 今回の特集は、数十年にわたり「木は色を着けるものだ」と言い続けてきた早川正夫氏の巻頭論考や、京都で活躍する漆職人・東端唯氏の紹介もあったりして、結構見ごたえあり。機会があったら是非ご一読を。 晩は、実に一年ぶりくらいで遅日草舎へ。中国貴州省の少数民族の刺繍を見てくる。博物館に入っていてもおかしくない物を手にとって眺められるというのは、ありがたいことだ。前掛けやポシェットなどいろいろあったが、幼児用のズボン(前と後ろは当然フルオープン)が群を抜いてキレイだった。すごく欲しかったけど、どう考えても使い道が思い当たらないので、購入は断念。 |
■ 4月4日(日) | ||
5 | ||
![]() 柳沢究 |
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昨日にひきつづきK邸マンションあらため「荒壁を廻る家」。 今日は写真家の杉野圭さんにお願いしての、写真撮影でした。お昼過ぎから開始して約5時間かけての撮影。どんな写真に仕上がるか楽しみだ。 晩は神楽岡にて恒例のスライド会「学校建築を考えるということ」。 ぽむの日記を見ていたら、山崎氏そうとう忙しい状況だったようで、ほんとに感謝です。フィールドワークに基づいた学校建築論は、迫力あるものでした。 今の学校建築は教室の壁を取り払ったり、「地域に開く」といったり、「裏」となる場所(たとえば体育館裏)をなくそうとしたりと、とかくオープンにフラットに向かう傾向があり、その一方で学校を舞台とした数々の事件もあり、閉じることも要求されるという、複雑な状況にある。これら全てを建築によって解決しろと言うのは、どだい無理な話。うがった見方をすれば、なんでもかでもオープンにするというやり方は、すべてを使う人間に投げてしまい、建築・空間による問題解決を放棄したものと言えなくもない。 しかし、山崎氏の「これからの学校建築では『いかに開くか』ではなく『いかに壁を建てるか』が問題である」という〆の言葉は、そんな状況の中でも、建築によって何かができるはずだ、という設計者への痛烈なメッセージに聞こえたのでした。 精華大のNさんや布野研OBの魚谷君をはじめ、ご無沙汰の方から初めての方まで、大賑わいとなりました。Nさんのお兄さんからは、神楽岡で「足裏マッサージ」の開催を、という魅力的なオファーもいただき、かなり前向きに検討したいところ。 |
■ 4月3日(土) | ||
2 | ||
![]() 山田協太 |
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遅くなりましたが、先月10日に「10+1」」という雑誌に私のつくった「都市街路年表1945-2004」という記事が掲載された。今月4日に学校建築についてスライド上映会をしてくれる山崎氏との共同制作で、私が主として法規、都市・建築に関わる事柄を担当し、山崎氏が路上での出来事を担当したものである。大変短い期間での作業となったが、山崎氏の情報収集能力の高さには驚かされた。 年表は、1)都市での生活環境の根幹を形成する要素として法規を、それへの反作用として2)路上でのアクションを設け、両者の争いの舞台として第3の要素である3)都市・建築を設定し、3者を時系列上に並べることでそれらの相互関係が浮かび上がり、戦後我々のたどった軌跡が見えて来るという大きく構えた構成になっている。今まで見たことのないような年表が出来たと自負しているので是非見てやってください。 最後にひとこと。年表中でも述べたが、都市の現状が把握しにくくなっている現代にこそフィールドワークは重要である。 |
■ 4月2日(金) | ||
3 | ||
![]() 柳沢究 |
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オープンハウスに向けての準備若干。 夕方、借りていた本を返すために、久々に布野研へ行く。桂キャンパスへの引っ越しを控えて、研究室はごったがえしていた。布野先生と再査読で返ってきたヴァーラーナシーの論文、さらにこれから書くマドゥライの論文について相談。 先生が最近執筆に取りかかっている本の草稿を見せてもらった。先月末からはじめたそうだが、早くも数十ページの厚みに達しており、そのヴァイタリティーには驚く。まだまだ勉強が足りない、と痛感。その後、百万遍の写楽にて二人で飲む。こういう時間がもてるのは、ほんとに嬉しい。 夜、水谷氏の改修の様子をのぞこうと思って神楽岡に寄ったら、森田、鈴木、水谷、外園氏らが、すき焼きを囲んで、ギターをかき鳴らしていた。すでに、かなりいい気分だったので、そのまま参加。日本酒をさらに追加して、後はよく覚えていない。 |