神楽岡工作公司
JOURNAL
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2005年12月〜



 ■ 4月30日(金)
22
morita
森田一弥
 四条大宮近くの解体間近の町家にて、建具を譲ってもらいに伺う。もと材木屋さんを営んでおられた建物で、状態も良く、ほんとに壊すのが惜しい建物。こういう比較的大規模な町家の方が敷地面積がまとまっているだけに、敷地を分割して建て売り住宅を分譲するミニ開発の対象になりやすいのが皮肉である。ガラス窓など、おそらく大正時代頃に建てられたままのもので、ガラス面がユラユラに歪んで何とも味がある。うまく今改修中の建物に使い回せたらと考えている。

 改修現場は解体工事がほぼ終わり、増築部分の基礎コンクリート打設に向けて墨だし作業中。何せ古い建物の歪みに合わせながら、隣地境界線を原寸で確認しながらの墨だし作業作業なので、なかなか寸法が決められない。今回は鉄骨工事が絡んでくるので加工後の微調整が不可能なので特に慎重にやらなければならないのだ。何度やっても、改修の現場は難しい。


 ■ 4月25日(日)
21
yanagisawa
柳沢究
京都大学にて「形の文化会」大会。どういう集まりか、とよく聞かれるのだけど、僕も今回が初めての参加なので、会の設立主旨の一部を引用する。

「21世紀を迎えるにあたって、現時点におけるわれわれの文化の現象面ではなく原点にたち戻って、歴史的・通文化的にかつ地域的・比較文化的に、「かたち」の意味と意義をあらためて問い直す作業に取りかかるべきだと考える。「かたち」には確かに、各地域・各時代の諸民族に特有な時間的、空間的、また観念的なパターンがみられるからである。その一方で「かたち」は、異文化間において、相互理解の有力な手段になりうる手がかりを発信している。」

こんな視点のもと、数学や物理学、民俗学、デザイナーほか、一般の人も含めたさまざまな分野の人々が集まる、実に学際的な学会だ。今回の大会の発表題目をみても、その多様さはよくわかる。会の発行する「形の文化誌」は、そうとう濃いぞ。

僕の発表そのものは、コーラムという紋様を数値と直線に置き換えることによって、その構造と「デザインシステム」を考察したもの。かなりマニアックな中身だったが、発表の感触は悪くなかったと思う。今後の個人的な興味は、建築プランへの応用だ。
会終了後は、時計台の中のレストランで懇親会。2次会は百万遍しゃらくへ。


 ■ 4月24日(土)
20
yanagisawa
柳沢究
ここ数日は日曜日に控えたコーラムのプレゼン準備にかかりきりで、ようやく形になってきた。コーラムの研究は、2002年の夏にマドゥライに行った時からはじめたもの。以後、時間を見つけては分析を進めてきた成果をまとめることができた。

夕方に、浅野哲哉氏、長田昌次郎氏、rONEさんら、コーラム・プロジェクトの面々が来京。岡崎の旅館にて泊まり込んでのミーティング。それぞれ専門分野もコーラムに対する思いも異なっており、協働作業というのはホントに難しいなぁ。


 ■ 4月18日(日)
18
yanagisawa
柳沢究
17日のジャーナルは当日夕方書いたのだが、そのあと森田氏から電話があり、明日(18日)京田辺で久住鴻輔氏のやっている倉の荒壁付けに行かないかとのこと。倉の新築現場なんて滅多にないので、行く行きますと二つ返事したら、なぜかその晩から大原にある久住氏の事務所に泊まり込みすることに。当然徹夜で懇親会が催され、夕方のユタカナ気分は跡形もなくふっとび、そのまま朝6時発で現場へ向かう。

8時頃、現場での作業開始。藁すさのたんまり入ったネチネチの泥を下地の竹木舞に、内から外からねじり込むように付ける、なかなか男前の仕事だ。僕は門藤氏とともにまずは倉の実測にまわる。倉の場合、棟梁は平面図や断面図など特にかかないらしい。今後の参考にと、壁で軸組が隠れてしまう前に細部にわたる徹底的な測量。登り梁や置き屋根など倉特有の構造が面白く、小規模で単純な平面だけに構造は明快だ。

午前で実測を終え、午後からは荒壁付けに参加。最初は楽しいが、すぐに指が痛くなる。なんでも泥をいじるのは「癒し」効果があるそうだが、あまり癒されない。しかし、頑丈な木舞にこれでもかと泥を付けていくから、壁はものすごい重量だ(最終的に十数トンの土がつくらしい)。こりゃ頑丈なはずだ。

夕方頃には、徹夜で気分だけは高揚するものの肉体は疲弊。今日は9人がかりでやったからよいが、普段はこれを2人程度で何日もかけてやるんだから大変である。設計者でよかった、と思う。

晩は、久住氏の一声のもと神楽岡にて懇親会第2部。帰宅1時超。実にハードな週末となった。でも手は泥パックの効果でスベスベになりました。

写真はそのうちBBSに(モンドお願いします)。


 ■ 4月17日(土)
15
yanagisawa
柳沢究
14日に黄表紙の再査読に対する改訂原稿を提出。今度こそ、だ。

形の文化会」でのコーラムに関する研究発表が一週間後に迫りつつあり、ようやく逃避モードから集中モードに切り替わってきた。しばらくはHPが更新されないと思うけれど、悪しからず。

今日は、京都にてコーラム研究のプレゼン作り。しかし、あまりにもいい陽気なので、昼食はバイクで鴨川沿いを走りながら、清水寺まで行ってカレーを食べてきた。茶わん坂にある「」というお店で、僕の評価では京都NO.1のカレー屋である。ここに来る時はいつも、食後にスペシャルコーヒーをすすりながら土門拳の写真集を小一時間眺める。うーん、なんだかユタカナ気分。

ところで、4日のオープンハウスで建築家の吉永さんとお会いしたのだが(実は2度目)、いただいた名刺からサイトを覗いていたら、吉永さん、何とこのサイトの作者であった。
だいぶ前に森田氏に教えてもらって以来、面白い視点で京都に取り組んでいる人がいるのだなと、時々覗かせてもらってはいたのだが。単なる路上観察、トマソン採取に終わらないで、そこから都市を変えていくヒントを得ようという姿勢には、強く共感する。
今後、一緒に何か面白い取り組みが出来たらよいな。


 ■ 4月15日(木)
14
inoue
井上大藏
ここ最近、頻繁に書き込みしてます。もう朝6時だ。どうしよう。

今夜は少し友人の話をしよう。
今年1月の事であるが、友人より某近代建築家についての研究資料を引き継いだ。
兵庫県に住む友人は、地域文化財(建造物)に間するヘリテージマネージャー講座で重要な立ち回りをしていたのだが、疲れたのであろう。少しばかり、一線を引く事を決意した。私は、近代建築の保存再生とその活用を検討するにあたり、設計者の意図に関する検証も必要だと考えている。その為、彼の研究対象であった某近代建築家の資料を、縁があって私が引き受ける事になったのだ。資料は、プリント文章類が中心で図面はない。しかし、そうそう見る事のできない書籍の複写も含まれているので、検証には充分耐えうるであろう。これらの資料には、気持ちがこもっている。「彼だったら上手に使用してくれるだろう」と、考えたに違いない。私は友人の気持ちに答えたい。某近代建築家について、より深く検証する事でこの気持ちを表現しようと思う。それと同時に、友人には早く戻ってきてもらいたい。また、うまい酒を飲みたいから。


 ■ 4月13日(火)
13
inoue
井上大藏
最近、人からいただいた本に『建築彫刻』というものがある。
彫刻がある建築といえば、やはり西洋建築を思う出す事が多い。柱頭に付く意匠もこれにあたるし、洋間の天井面にある照明取り付け位置の装飾(円形の花模様など)も該当する。この書籍は、「それらの模様を紹介しつつ、細かく彫刻の作り方」を記しているのだ。何とも専門的な書籍だと思いながら、今も手元で眺めている。しかも結構評判が良かったらしい。現在でこそ廃版になっているようだが、昭和26年の初版以来昭和56年の第五版まで出版されている。30年続けばやはり息の長い本ではないだろうか。
抽象的な面を持ち、実務には向かないが眺めて見るのにいい本である。
発行:潟сu原出版部についてもネットで調べてみると、左官の建材メーカーだった。明治からの創業なので老舗なのであろう。知人によれば、左官について他に類似を見ない良本も出版しているとの事。早速、確認しないといけない。


 ■ 4月12日(月)
10
inoue
井上大藏
今更ここに書くのも・・・と思う事が一つある。それは、1月に引越しした我が家に関す事である。我が家には、風呂がない。ない。ないのだ。引越しに際し、元々風呂の無い木造2階建てだったので風呂の設置計画を入れたのだが、土地活用の一環で部屋を新築した為、風呂が縮小されてしまったのだ。縮小と記したのには訳がある。シャワーが利用できるユニットを入れたのだ。辛うじて湯は浴びれるし溜める事もできるが、保温ができない。だから機能としてシャワーのみである。
三ヶ月がたった。湯につかる楽しさが解ってきた。

一方で、銭湯にもこだわりが出てきた。やっと納得いく店が見つかったのだ。
RC造マンションの1・2階を風呂屋として営業している銭湯がある。此処の、実態がすごい。湯船が7艘(薬湯・ジェット含む)、瀧あり、露天広々、テレビ付きサウナ2室(高温・赤外線)、軽食ドリンクOK。多機能シャワーやボディシャワーもあるし、コインゲームも楽しめる。そんな入浴料350円の銭湯だ。堂々と京都市内のど真ん中。繁華街からは遠いが、入浴には直接関係ない。

11日の神楽岡ミーティング終了後、数日ぶりに入浴しに行くと、子供が露天でスイスイとまさに泳いでいた。大人も2人入浴していたが、問題なくスイスイ。旅館などの大浴場で見かけた事はあるが、銭湯では初めての光景だった。
生活に風呂は重要だ。うん。再度記そう。風呂は重要だ。


 ■ 4月10日(土)
9
yanagisawa
柳沢究
ここのところ更新が頻繁なのは、論文と学会発表が迫っているからである。さてやるぞ、とパソコンに向かい、頭を働かそうとすると思考はあちこちに逃げ場を求める。
普段なら2、3日はほっとくメールにも、受信直後1分で返信したり。ああ論文提出は火曜日だよ。

昨日は、ゆえあって御影という町に初めていく。かねてより相談のあったマンションを拝見しに行ったのだ。阪神間の海沿い斜面は、京都にくらべて視界が広くて気持ちよい。高いビルが少ない分、東京に比べて京都の空も広いのだが、神戸は縦に広いんだな。横浜も坂が多いが、海に面した斜面は結構少ない。
そんなことをマンションの住人の方に話したら、このあたりは地震とか水害・土砂くずれで、50年に一度は街がぶっ壊れるので、だからスッキリしてるのだと教えられた。何十年か前の土砂崩れでは、六甲山から御影石がゴロゴロ落ちてきて、その石を使って新しい家の石垣をつくったのだと。不謹慎ではあるけど、豪毅だな、と思った。


12
inoue
井上大藏
今夜、久し振りに専門学校の先生と先生の自宅で軽い食事を行った。
たまたま、この日が先生の自宅の木造2階建て町家への引越し日にも重なっていて、全く連絡を受けていなかったので面食らった。面食らいついでにもう一つおまけを付けると、この家の一室を無償で借り受ける事ができてしまったのだ。場所は学校から原付で5分くらい。そんなに遠くない。広さは京間の3畳。さてさて、この部屋は何に使おうか。急遽、検討課題が増えた。


 ■ 4月9日(金)
19
inoue
井上大藏
最近、何だかんだでメールやhpを見る機会がやたらめったら減っている。
だから此処に記入する事も正比例している。

近日の動向で2日〜6日朝にかけて、福岡県・山口県や島根県を廻る。
最初は、福岡県北九州市に行った。
事の由来は簡単で、文化財の建造物に関する技術者の方から、歴史的建造物を移築した場合に発生する「他用途では使用可能な状態」の古材の使用についてのアドバイス要請の連絡を受けた事に始まる。この材を山田氏と共に見に行ったのだ。
端材も多かったが、インテリアや床材・家具材として使用に耐えうる材も多かった。
現時点では、原則として指定建造物の改修で発生した「古材」は、すべて処分される事になっている。その為、市場に出回る事はまず無い。今後は、こられの扱いも課題として浮上してくるだろう。
その後は山田氏と別れて、その方の案内で山口県のに行く。
木造や古材を通して、他府県の建築関連職の方とお話する機会は少なくないが、今回のケースは、文化財建造物の修復に関する最前線の現場主任の方なので大いに得る所が多かった。今後は、古材についてのアドバイス等を行う事を約束して別れる。

ついでの事なので、(ここぞとばかりに)中学生の頃から憧れていた島根県の津和野に行った。
あまり観光化されていないこの土地は、伝統的建造物郡保存地区には指定されていない。しかし、郷土の町並みを楽しむのに良い線を行っている地域だ。
一方で、
森鴎外
西周の出身地である事で有名である。
彼らの生家は、史跡として整備されている。建造物としての扱いではない。
ここら辺にも楽しめる要素があるのだが、それを記す事は別の機会で実現するとしよう。


 ■ 4月6日(火)
7
yanagisawa
柳沢究
芸工大の入学式。今年は大学院の新入生が多くて楽しみ。

芸工大に来て丸一年になったのだと、あらためて気付いたが、この一年いろいろありました。院生たちや建築とは異なる分野の先生方と接する機会があっただけでなく、版築研究所の畑中さんやイラク旅行報告の松井君が神楽岡でスライド会をやってくれたり、花田研院生の新宮君が遊びに来てくれたりと、僕自身も神楽岡も大いに刺激をもらった。神楽岡に来てくれたみなさんにも、何らかの得るものがあったとすれば幸いです。

さて、今年度はどうなるでしょうか。


 ■ 4月5日(月)
6
yanagisawa
柳沢究
今日発売となった雑誌「コンフォルト」5月号に若干、文章を書かせてもらいました。

「『古材色の再現』から『新しい表現』へ」は、本サイトの「覚え書き」中で、ずっと準備中になっていた「古色に関する現状と展望」に該当するもの。4年前の「」で初めて古色に取り組んで以来、機会を見つけては自分で塗料を調合し木材に塗るということを試みてきましたが、その間にいろいろ考えていたことをまとめたつもりです。
「古色仕上げを楽しむ 素材編・実践編」は、顔料と油についての情報を整理することができました。より詳しく知りたい方は「覚え書き」の参考文献を手にとってください。果てしなくマニアックな世界が広がっています。
今回の特集は、数十年にわたり「木は色を着けるものだ」と言い続けてきた早川正夫氏の巻頭論考や、京都で活躍する漆職人・東端唯氏の紹介もあったりして、結構見ごたえあり。機会があったら是非ご一読を。

晩は、実に一年ぶりくらいで遅日草舎へ。中国貴州省の少数民族の刺繍を見てくる。博物館に入っていてもおかしくない物を手にとって眺められるというのは、ありがたいことだ。前掛けやポシェットなどいろいろあったが、幼児用のズボン(前と後ろは当然フルオープン)が群を抜いてキレイだった。すごく欲しかったけど、どう考えても使い道が思い当たらないので、購入は断念。


 ■ 4月4日(日)
5
yanagisawa
柳沢究
昨日にひきつづきK邸マンションあらため「荒壁を廻る家」。
今日は写真家の杉野圭さんにお願いしての、写真撮影でした。お昼過ぎから開始して約5時間かけての撮影。どんな写真に仕上がるか楽しみだ。

晩は神楽岡にて恒例のスライド会「学校建築を考えるということ」。
ぽむの日記を見ていたら、山崎氏そうとう忙しい状況だったようで、ほんとに感謝です。フィールドワークに基づいた学校建築論は、迫力あるものでした。
今の学校建築は教室の壁を取り払ったり、「地域に開く」といったり、「裏」となる場所(たとえば体育館裏)をなくそうとしたりと、とかくオープンにフラットに向かう傾向があり、その一方で学校を舞台とした数々の事件もあり、閉じることも要求されるという、複雑な状況にある。これら全てを建築によって解決しろと言うのは、どだい無理な話。うがった見方をすれば、なんでもかでもオープンにするというやり方は、すべてを使う人間に投げてしまい、建築・空間による問題解決を放棄したものと言えなくもない。
しかし、山崎氏の「これからの学校建築では『いかに開くか』ではなく『いかに壁を建てるか』が問題である」という〆の言葉は、そんな状況の中でも、建築によって何かができるはずだ、という設計者への痛烈なメッセージに聞こえたのでした。

精華大のNさんや布野研OBの魚谷君をはじめ、ご無沙汰の方から初めての方まで、大賑わいとなりました。Nさんのお兄さんからは、神楽岡で「足裏マッサージ」の開催を、という魅力的なオファーもいただき、かなり前向きに検討したいところ。


 ■ 4月3日(土)
2
yamada
山田協太
遅くなりましたが、先月10日に「10+1」」という雑誌に私のつくった「都市街路年表1945-2004」という記事が掲載された。今月4日に学校建築についてスライド上映会をしてくれる山崎氏との共同制作で、私が主として法規、都市・建築に関わる事柄を担当し、山崎氏が路上での出来事を担当したものである。大変短い期間での作業となったが、山崎氏の情報収集能力の高さには驚かされた。
年表は、1)都市での生活環境の根幹を形成する要素として法規を、それへの反作用として2)路上でのアクションを設け、両者の争いの舞台として第3の要素である3)都市・建築を設定し、3者を時系列上に並べることでそれらの相互関係が浮かび上がり、戦後我々のたどった軌跡が見えて来るという大きく構えた構成になっている。今まで見たことのないような年表が出来たと自負しているので是非見てやってください。
最後にひとこと。年表中でも述べたが、都市の現状が把握しにくくなっている現代にこそフィールドワークは重要である。


4
yanagisawa
柳沢究
朝起きたらメガネが行方不明。仕方ないのでそのままオープンハウスへ。

昨年6月から約半年かけて行ってきたマンションのリフォームのお披露目会。すでに昨年末から住まわれているので、竣工直後の空っぽ状態ではなく、生活感があふれた中での公開でした。そのため施主のKさん夫妻には、たいへんご苦労をかけてしまったのですが、気持ちよくもてなして頂いて、ほんとうにありがとうございました。

今回の工事でお世話になった方から、実にひさしぶりの方、ホームページを見てはるばる来てくださった方まで、たくさんの人にお越し頂き、大感謝。Kさん夫妻のもてなしもあって、初対面の人たち同士の話も弾んで、いい雰囲気のオープンハウスだったと思います。


 ■ 4月2日(金)
3
yanagisawa
柳沢究
オープンハウスに向けての準備若干。

夕方、借りていた本を返すために、久々に布野研へ行く。桂キャンパスへの引っ越しを控えて、研究室はごったがえしていた。布野先生と再査読で返ってきたヴァーラーナシーの論文、さらにこれから書くマドゥライの論文について相談。
先生が最近執筆に取りかかっている本の草稿を見せてもらった。先月末からはじめたそうだが、早くも数十ページの厚みに達しており、そのヴァイタリティーには驚く。まだまだ勉強が足りない、と痛感。その後、百万遍の写楽にて二人で飲む。こういう時間がもてるのは、ほんとに嬉しい。

夜、水谷氏の改修の様子をのぞこうと思って神楽岡に寄ったら、森田、鈴木、水谷、外園氏らが、すき焼きを囲んで、ギターをかき鳴らしていた。すでに、かなりいい気分だったので、そのまま参加。日本酒をさらに追加して、後はよく覚えていない。


 ■ 4月1日(木)
1
yamada
山田協太
本日は夕方から健太郎に建具を削ってもらい、我が家(神楽岡)の入口の建具を入れ替えた。
なかなか馴れた手つきだと感心していると一枚また一枚と寸法合わせが終わり、レールを打ってさあ完成。一カ月我が家に下宿する権利と建具の入れ替えを等価交換した結果、玄関には大きな一枚ガラスの嵌った木建具が入り、室内が明るく広く感じられるようになった。
そんなわけで先月から我が家には健太郎が居候しているが、この男、何と「寒い」と言って下宿2日目で室内にテントを張るという暴挙に出た。今後も彼の奇抜な行動から目が離せない。期待してます。
建具入れ替え中、ありがたいことにお向かいさんから釣ったばかりのハマチをいただいた。隣人の松崎氏と刺身にして食べようとしていると、絶妙のタイミングで森田氏、外園氏が来訪。その後水谷氏も加わり飲み会へ突入。という感じで新年度が始まりました。


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