神楽岡工作公司
JOURNAL
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2005年12月〜



 ■ 11月29日(月)
14
yanagisawa
柳沢究
12月にはいって11月のこと書くのも何だが、この日はひと・まち交流館にて「京都げのむ」第5号の第一回編集委員会を開催(実は編集長だったりもする)。6月の発刊を目標にこれから、全体のページ構成案を検討する。

内容は大きく3つ。

・特集:「西安CDL2004」
今夏行われた西安CDLの全活動を収録。さらに京都と西安=長安とを、都市構造、住居、現代建築などの視点から比較する記事を作成します。巻頭論考は西安の段煉孺先生を予定。

・報告:「CDL2004annual」
2004年度のCDLの全活動をお届け。春・秋シンポレビュー、各チーム作品掲載、ビデオコンテスト作品紹介、断面調査の結果分析・考察、写真レポートなどなど。

・連載企画
□げのむアーカイブ
最終目標は京都文献リストの完成。「京都文学」「京都の意匠」「フリーペーパー」とやってきて、今回は京都の都市地図、住宅地図、古地図、絵図などの資料を収集します。
□通りゃんせ
体験レポート・臨場系、わりと気楽な調査記事。京都市周縁の「寒村」を実地体験レポートします。鴨川源流の村、そして鞍馬の峠を超えたところにある茅葺き屋根の家々のある村、、寒村で心あたたまるひとときを。
□人体京都・細密検査
研究室単位の地区密着調査記事。前回は立命館大・平尾研による三条商店街。今回は京大歴史・生産研による、今あつい「桂」地区。
□京都私的探求
超個人的視点から紋切り型でない京都像にせまるインタビュー記事。3号のヤンキーカップルのは面白かった。
□京都データベース
実益系資料集成。2,3号では京都市中の全銭湯を網羅した。今回はバスでいこうかと。周辺市町村への路線を含めた全社パーフェクト路線図、お役立ち終バス時刻表、時間帯別所用時間調査などなど。
ちょっと検討の余地有り。他の案としては避難所、祭り、川など。
□Dの図鑑
便所とセットの行楽メニューの御案内。京都の公衆トイレ一覧と、その周辺のおすすめスポットを紹介するコーナーを設けます。例えば、公衆トイレAがある公園のおすすめワクワク遊具やその側にある不思議なお店などでセットメニューを組んだりします。

編集・取材などやってみたいという方いたら、是非メールください。


 ■ 11月28日(日)
13
yanagisawa
柳沢究
神楽岡・秋の遠足「Deep South NARA」決行。
朝7時半に神楽岡集合出発も、柳沢、久住、水谷の3人は徹夜の打ち合わせで意識朦朧。久住親方のヘルプで急遽参加した久住左官の岡くん(左官歴13年)の運転にすべてをゆだね、奈良まで爆睡する。

まずは室生寺。室生の地はもともと昔の噴火口跡で、外輪山に囲まれた地形は、樋口忠彦「景観の構造」によれば密教曼陀羅の「八葉蓮華」に見立てられるそうな。なるほど両側に断崖の切り立つ道を走ってきて、急に視界の開けた盆地に飛び込むのは一寸変わった空間体験である。その山岳盆地の隅、川で切り取られた一角に寺があり、雛壇状の境内にポチポチと伽藍が配置されてる。中でも金堂は装飾もやりすぎず、仏像がおさまるに丁度よいスケール感。張り出した高床は不要か。五重塔は杉の木立に囲まれて端正に立っていて、組物の赤と漆喰、垂木小口の黄色のシステマティックな構成がキレイだが迫力はない。彫刻に近いというか、よく飾り立てられた宝箱のよう。杉の巨木と並んでいるのを見ていて、ストゥーパが日本で複層の塔に変化したことと木の多い日本の風土とは、何か関わりがあるような気がした(でも中国でも塔だしな)。

五重塔

近所で発見した土蔵。7つの仕上げ材が混在!


つぎに長谷寺。隠国(こもりく)の初瀬の地。門前の参道にわりと古い街並みが残っていて、各家がそれなりに街並みに配慮しながらも微妙におかしな改修をしている様子が楽しい。登廊のジグザグは方向感覚を狂わせる仕掛けだろうというのは森田氏の説。直角以下の角度の屈折には人間の方向感覚がついていかないらしい。イスファハーンのモスクにも同様のアプローチがあるとか。アプローチから境内の構成まで清水寺によく似ているが、こちら方が数段密度が高い。ただ礼堂(外陣)の屋根の妻を正面に掲げているのは、やや元気がよすぎ? あと本堂裏側の切り取られたような立面は、他で見たことがない迫力。こんな庇の付け方アリか。

門前町。銅板葺きの土蔵があったり

本堂裏側立面。こんなのちょっと無い


談山神社。時間がなくてあまり見れなかったが、本殿と拝殿に挟まれた中庭はうまい。装飾密度の高い建築とすかっとした石畳み、そこから背後の山へと意識が一気に抜けるような空間。境内の雰囲気も寺に比べて何となくお気楽でよい。境内でおでんのタイムサービス(半額)もやっていた。

中庭。石の間に似てるか。


予定ではこのあと当麻寺に行くはずだったが、途中であえなく時間切れ。予定変更で橿原の今井町へ。「今井まちなみ交流センタ−」はすでに開館時間が終了していたのにもかかわらず入れてくれ、親切に解説までしてくれ感謝。その後夜の今井町を散策。これだけの規模で面的に街並みを保存しているのはすごい努力だ。街灯の数も少なく夜らしい夜があるのは素晴らしい。ただあまりに人気がなく、家の中の音も漏れ聞こえない。街並み保存はいいが、人、住んでるんか? 
寺社はもちろんのこと、個々の建築も街並みも、こうした歴史的遺産として意識されるのは大体その時代の最高富裕層の産物。それが悪いといわないが、一般庶民の家ってのはほんとに残らない。いや残さんでいいって話もある。だけど「建築史」の扱う「建築」ってのは案外範囲の狭いものだと思う。

最後に去年に引き続き、天理でラーメンを食って帰京。ああ疲れた。


 ■ 11月27日(土)
11
yanagisawa
柳沢究
24日:芸工大大学院の修士論文中間発表会。M2に元気がないのが気になるが、ラストスパート頑張って欲しい。個人的には寺内町の研究と版築ブロックの研究(畑中さんの研究の発展版)を楽しみにしている。と、自分の黄表紙もすすめなくては…と思い出す。

25日:朝いちから広報委員会と大学院の会議。会議中から鼻水と咳がどうにもひどく、完全に風邪をひいたようす。なので、夕方早々に京都に引き上げる。焼酎お湯割りに梅干しと生姜をぶちこんだのを流し込み寝る。

26日:家でダウン。テレビをつけると引きこもりの親殺しとか暗い話題で、ますます気分沈降。引きこもりはカウンセリングなんかやる前に、インドに連れてって2・3週間放してくるのがよいと思う。まじで直るハズ。

27日:午後から少し復活。「げのむ」のページ構成案を検討する。関係ないけど、最近お気に入りのCMは「あなたもわたしもポッキー」。みんな魅力的だ。音楽もキャッチーでよい。動画といえばこれもバカバカしくてよい。


 ■ 11月21日(日)
8
morita
森田一弥
 昨晩の飲み会のあと、そのまま大原の久住左官の事務所で寝ていたら、京都庭園製作所の比地黒義男氏が現れて隣の大原のアトリエでコーヒーを頂く。箒で表面に模様をつけた荒壁仕上げの室内に障子越しの朝日が射し込み、気持ちのよい朝を迎えることができた。

 BBSでも話題になっていたフラワー・アーティスト「ダニエル・オスト展」のチケットを(比地黒さんありがとう)頂いたので、日が暮れた頃に仁和寺を訪れる。いやあ、理論的背景やコンセプト抜きにして、美しいものには圧倒的な説得力が宿るのだと久しぶりに感じ入った。背景となる空間が仁和寺というのも良かったのだろう。作品は花や植物を単体としてではなく集合として扱うことで、思いもよらない美しさを引き出している。夜の闇の中にスポットを浴びて浮かび上がる植物の質感も、昼間とは全く異なっていて驚きだった。

 しんしんと冷え込んだ夜で、二時間以上も会場にいたおかげで体が冷え切ってしまった。東の夜空にはオリオン座がのぼっている。いよいよ京都の冬がやってくるなあ。


10
yanagisawa
柳沢究
徹夜後、上に書いてあるように京都庭園の比地黒さんに厳寒の茶室にてコーヒーをご馳走になる。洛中より平均5度くらいは気温の低い大原、おそろしく身がしばれたが、頭は一気に冴えわたる。冬はつとめてとはよく言ったもんだ。

大原から帰還ののち、京都CDLの地区ビデオコンテスト上映・審査会へ。最近NHKでもショートムービーのコンテストをやっていて盛況だが、コンピューターが発達して映像表現もかなり身近なものになっているのを実感する。建築分野からの参加がまだほとんどだが、京都をテーマとした映像コンテスト、かなりの可能性があるように思う。スポンサーもつくんじゃないか。会場で「げのむ」5号の編集委員募集のアナウンスを少々。

終了後、連れ合いの退院手続きがあったので懇親会は遠慮して、病院へ。
その後まだ時間があったので、比地黒さんに頂いたチケットで仁和寺「ダニエル・オスト展」へ行く。入場料がふざけた値段だったのでどうしようか迷っていたが、ありがたい。印象をひとことでまとめると、極めて即物的であること。作品の素材となる植物を、プラスチックや鉱物などと同じ感覚で、徹底的に「材料」として扱っているところに衝撃を受けた。これは植物に「自然」とか「命」とか「無常観」とか、ついついロマンチックな想いを託してしまう日本人固有の受け取りかもしれないが。さらに花・実・茎・葉と部分毎に切り分けて、それぞれをこれでもかと集積させてつくる造形と色彩は、きわめてモダンでありながらグロテスクで、めくるめくオスト・ワールド。そんな手法で生み出される見たこともない植物の表情は圧巻であるが、これがもし動物を素材としていたら、人体を素材としていたら、と想像し恐々としてしまうのは僕だけだろうか。宮崎駿もそうだが、表現力のある人はどうあってもこうした、おどろおどろしい表現をやらずにはおれないのだろうなぁ。しかし、数日?程度しかもたないであろう植物を素材として、これだけの作品をつくる手間もアイディアも感嘆のほかない。実は作品集を買って、サインまでもらってしまった。


 ■ 11月20日(土)
9
yanagisawa
柳沢究
16日(火):晩、河原町のギャラリーマロニエでやっている戸田さんの個展のベルニサージュへ。戸田さんの大学時代の先生が「おなかの大きな王子さま」を歌っていた。子供の頃「みんなのうた」で聞いて好きだった歌。この後しばらく脳内ヘビーローテーション。

17日(水):三宮で芸工大の「助手会」開催。あれこれ情報交換や大学批判? うーん頑張りましょう。

19日(金):大学院の授業「芸術工学基礎論」の特別講義で石垣健さん来訪。プロセスのデザインによる造形にずーっと取り組んでいる作家だ。自然の造形のすばらしさは、その発展過程の決定論的な強固さに加え、局部におけるゆらぎにある。それを取り込むことができれば。

20日(土):大学時代の友人の結婚式で梅田へ。晩は大原の久住邸で京都庭園の飲み会に参加。年季明けの職人さんの送別会だったんだが、そのまま朝まで。


 ■ 11月11日(木)
7
morita
森田一弥
 神楽岡にて「別冊太陽」の編集部の方と取材の打ち合わせ。来春出版予定の「古民家再生術」シリーズで、「コラージュ・ハウス」と柳沢氏の「荒壁を廻る家」が紹介されることになりそう。「コラージュ・ハウス」は既存木造家屋の改修+鉄骨造のアトリエの増築だが、「古民家」という言葉で連想されるノスタルジックな空間では全くないし、「荒壁を廻る家」もマンションの住戸の改修ということでいわゆる「古民家」ではないが、一般の読者の方にとってはより身近な事例なのではないかと思う。「荒壁を廻る家」の土壁を塗った浅原氏も取材したいとのことで、連絡先を紹介する。
 
 その後、数寄屋大工見習いの鈴木健太郎氏が仕事を終えて帰ってきて、土間部分でカンナとノミの研ぎものをするのを傍らで見る。大工はできなくても、簡単な刃物くらいは研げるようになりたい。


 ■ 11月10日(水)
6
inoue
井上大藏
7日の柳沢氏のジャーナルを読んで、旧一心寺の事が記されていたので筆をとる事にした。
私は旧一心寺の活動を深く知る立場ではないので見聞きした事を記す程度である。
初めて、一心寺の活動を聞いたのは、かれこれ7年前位の事だったと思う。夕方のテレビ番組の特集で放映されたのを見たのが初めてだった。“大阪にあったお寺の本堂を京都・美山に移築してます。土日を使って作業してます。”系の内容で、専門職人の仕事では無く素人集団の活動。青空の下、バーベキューしたりして結構楽しい絵が繰り広げられていた。それ以来、美山・北集落に赴く時はいつも何気なしに足の向くのが一心寺だった。直接話をした記憶はまるで無い。だけど、気になる存在であったのは確か。そう。そう言えば、この時、僕は学生してました。
今じゃ建物も完成したんじゃないのかな?してない事を楽しみにしてるんだけど。
それ以降で聞いた話では、参加者に滋賀の人が多いとの事。これ特色かも。
当時は、このような一般向け建築ワークショップ形式のものが無くって、かなり目立ったと存在だったと思う。僕も参加したかったのだが、足(車)が無かった。

そう言えば当時、KARTH(カース)の田村さんも大阪のど真ん中で数寄屋建築研究会なるものを運営されていたと思うし、中江産業さんも大阪でこの頃じゃないかな。京都でも既に研究会活動が生まれていたから、そういう意味でも滋賀の人が一心寺を始める土壌は自然整備されていたのかもね。

旧一心寺こんな感じ。写真は多分現在の状態に近いと思う。


 ■ 11月7日(日)
4
yanagisawa
柳沢究
住宅建築」編集部の波多野さんのお誘いをうけて、鴨川建築塾のフィールドワークに便乗参加した。森田氏、久住氏、水谷氏の4人で皆徹夜明けのまま、北山杉のプレカット化に取り組んでいる会社の工場や、美山に移築された旧一心寺本堂、最近できたストローベイルハウスを見学する。集合してみたら布野研の後輩マリン君がいてびっくり(BBS参照)。やはり。

「北山杉」はそもそも銘木の高級ブランドで、とにかく生産に手間と時間がかかっている。しかし銘木人気はとうに陰り、30年もかけて出来上がってきたそれは、今やとんでもないデッドストックに。そんな中で、大手ハウスメーカーの部材として使用できるように完全に規格化され、かつどんな(腕のない)施工者でも扱えるようプレカット加工された北山杉は、まさに「有名レストランの味が家庭でお手軽に」といった風情。林業全般をとりまく厳しい状況の中もの凄い営業努力をしているだけに、複雑な思いが残った。
旧一心寺本堂では植久「住宅建築」編集長兼鴨川建築塾塾長にご挨拶。単に完成した建築を取り上げるのではなく、その過程に注目したいという話に大きくうなずく。
ストローベイルハウスについてはここに詳しい。「シェルター」という本で読んでいたが、実際に見るのは初めて。日本では法規上の問題から今のところ木造軸組と併用した断熱材的な使用に留まっているようだが、いろいろな可能性がありそうな技術である。なんといっても「家畜に食べられてしまう」危険があるという点が最高だ(冗談ではなく)。外壁表面を土で仕上げる場合、左官との相性は抜群にいいだろうが、特に日本では雨仕舞いのディテールが大きなテーマになりそう。見学しながらの久住氏のそんな指摘は実に勉強になった。

晩はそのまま4人で天楽(神楽岡近所の焼肉屋さん)へ。この日某F原N香嬢が来るという噂があったが、結局来なかったみたい。


 ■ 11月2日(火)
3
yanagisawa
柳沢究
京都げのむ」という雑誌の編集を再びやることになったので、神戸からの帰りに京都文教大の小林先生のお宅にお邪魔して、次号特集の打合せ。
「げのむ」は京都CDLの機関誌として、編集から販売まで、基本的にすべて学生の手によって作られており、今年の春に第4号を発刊(自分も関わっているのになんだが、手作りにしてはかなりのクオリティの雑誌だと思う)。そこに学生じゃない僕が加わるのもなんだが、これからは学生だけじゃなく、広く京都で活動する人たちに関わってもらえる雑誌として充実させたい、というのが一つの理由。
この日は酒の肴に「ねりもの」がいいというのを教えてもらった。錦市場にいろいろ売ってるから、今度行ってこよう。


 ■ 11月1日(月)
2
yanagisawa
柳沢究
31日は京都建築専門学校のよしやまち町家校舎を借りてのスライド会、「世界最大の土壁塗り替え そして 西アフリカの力強い建物たち」。神楽岡以外の場所を借りてのスライド会開催は初めての試みでしたが、おかげさまで50人を超える大入り満員となりました。忙しい中東京からきてくれた日暮さん、ほんとうにありがとうございました。



スライドの内容は「泥のモスク」(このモスクは意外に新しく、現在の建築ができたのは20世紀初頭とのこと。会場の町家もちょうどそのころできた、土の建築なのでした)塗り替えだけではなく、マリやモーリタニアなど西アフリカ諸国のヴァナキュラーな集落、民家、それに人々の衣服や音楽、祭りの様子まで多岐にわたった。スライドは絵そのものよりも、それを撮った人の視点がわかるのが楽しい。開始頃から雨が降り始め、クライマックスには暗い町家の中に稲光がぴかぴかと。なんだか不思議な雰囲気の会でした。個人的な感想は6月25日のところで書いたけれど、2度目に見て思うのはやはり「如何に」という問題。この建築面白いね、すごいね、にとどまらないで、なぜどのようにしてそんな建築(かたち)ができたのか、さらに今この日本でどうやったらそんな「面白い」「すごい」建築ができるだろうか、ということ。関心の焦点は、常にプロセスである。今回にかぎらず神楽岡のスライド会は、それを考えるヒントが得られればと思ってやっているのだが。
懇親会にはキョート*ダンメンロシュツの吉永さんも来てくれた。来年はこのスライドが見れるかも。吉永さんのやっているけんちく本企画に、いま山田氏が中心となってとりくんでいる2×4プロジェクトをまとめて参加してみようかなどと相談。

話はかわるが、日暮さんに京都の安宿を教えてほしいと聞かれて、紹介したのはUNO HOUSE。大龍堂のすぐ近所にあるバックパッカー宿である。学生の頃、部屋がない時があって、ここに2週間くらい滞在しながら大学に通ってたことがある。怪しげな宿泊客と夜な夜な出歩いていたのだが、ここはディープな京都への入口のひとつだと思う。


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