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2005年12月〜 |
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19 | ||
![]() 山田協太 |
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KAEご参加の皆様ありがとうございます。楽しんでいただければ幸いです。 塔づくしの旅は、小規模ながら質の高い寺院を見て廻ることが出来、満願成就と言ったところでしょうか。 次回は(勝手に)、長谷寺、室生寺、団山神社、当麻寺を巡る、ディープな奈良南部コースなど考えています。またよろしくお願いします。 |
■ 10月24日(金) | ||
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![]() 柳沢究 |
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メディアアートについて 「メディアmedium」とは、「媒介物」「媒体」化学反応における「触媒」といったような意味であり、「霊媒」「巫女」という使われ方もする。 そして「メディアアート」というのは、昨日紹介したイベントのような「作家が直接作品を作るのではなく、作品を作るメディアを作り、そのメディアが作る作品とそのメディアの両方がその作家の作品と考えられるようなもの」をいうらしい(狭義には「メタアート」というようだ)。どうやら、メディアの制作者とメディアそのもの、さらにそのメディアに関わる(不特定多数の)他者、これらが一体となって起こす現象をデザインすること、それが「メディアアート」であると理解してよさそうだ。まさに「コトのデザイン」ですな。 特にメディアアートに詳しいわけでもないのに、なんでこんなことを書いてるかというと、昨日から考えていて、ふと、なんだ建築こそ実は元祖メディアアート(のはず)ではないか、と妙に腑に落ちたからです。 (どうでもよいのだが「巫女」と検索するとこんなのばかり出てくるのは何故だ!?) |
■ 10月23日(木) | ||
16 | ||
![]() 柳沢究 |
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現在山口にいる福田さんからイベントの案内を頂きました。 山口はちと遠いですが、なかなか壮大な企画です。こういうネットを介したメディアアートには、いろんな可能性が秘められていそう。 「『アモーダル・サスペンション』 携帯やインターネットから送られたメッセージが、センターの周囲にたてられたタワーの上にある20本のサーチライトの光の点滅となって、空中に漂います。その光は、また新たなメッセージ送信者にテキストとして再変換され、送られます。メッセージのやりとりは、まったくの偶然性によって支配されているので、特定の人同士の間で交わす幸福なコミュニケーションからは遠いです。 世のITとやらがとなえる利便性、即時性、閉鎖性に真っ向から背を向けたプロジェクトといえそうです(笑)。現実に存在する空間とネットのなかの空間が互いに影響を与えあい、それを参加者が作り、ともにシェアしていこうというパーティのような作品です。 とってもスゴそうな光景が出現しそうなので、ほんとはぜひぜひ現地に来ていただきたいところですが…。ネット上のwebcamから一応現地の様子は見えますし、インターネットとつながるところであれば国際宇宙ステーションからでも参加できます。(実際にISSの宇宙飛行士からメールを送ってもらうことになってます) このプロジェクトあてに送ってくださるメッセージが主役となって、この作品を作っていくので、できるだけ多くの方にご参加いただきたいと思っています。」 |
■ 10月21日(火) | ||
13 | ||
![]() 山田協太 |
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本日、家にスーパーカブが届いた。 20年程前のものらしいが、きれいでエンジンの調子もすこぶるよろしい。 明日初乗りをするのが楽しみ。 しかし肝心の私は、昨晩から植民都市研究の助成金をもらうために申請書を書いていてフラフラ状態。何とか完成して夕方提出した。まあ、研究費を取れるようになったら一人前なのかな。 |
■ 10月18日(土) | ||
11 | ||
![]() 井上大藏 |
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最近、季節がめっきり寒くなった。私の帰宅は午後10時30分を超えるので、原付で走る時に上着を着るようになった。 通勤ルート上、蹴上や岡崎の文化地区を走る事が多い。たまたまのハンドル操作で、 「織寶苑(しょくほうえん)」の前を通ると『織寶苑庭園特別公開』の看板が掲げられていた。11月30日(日)までとの事。 有料。以前に見逃された方・・・この機会にどうぞ!・・・ああ寒!では、お休みなさい。 |
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15 | ||
![]() 柳沢究 |
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京都建築専門学校で開催されている市民講座「木造の魅力」に参加してきた。この日のテーマはなんと「建築彩色」。しかも講師はその筋(彩色修理・復原)の第一人者、川面美術研究所の方々である。こんなマニアックなお題の講演はめったにない。これを見逃すわけにはいかないのだ。 内容は、二条城の障壁画模写事業や西本願寺御影堂の彩色修理、大徳寺唐門の彩色復原などのスライドをまじえた解説。お話の方は市民向けということで、わりと一般的な話題にとどまったが、手元に配られたレジュメにはまことに詳細な彩色レシピが書かれていて、実に嬉しい。各色の顔料の成分や配合、顔料を混ぜる膠の濃度は5%、とか。本題とは関係ないんだけど、いま西本願寺御影堂にかかっている仮設の大屋根、あれは手前の2列の柱(このスパンは境内の銀杏の木をまたぐサイズで決定)で、キャンティレバーにして支えているんだそうです。すげえ。 印象的だったのは荒木かおり氏の「彩色や装飾は、その建築の個性に関わるものです」という言葉。専門家の誇りと自負を感じる言葉であるが、これにはなかなか考えさせられるものがある。多少冗長になるが、以下にちょっと書き出してみたい。 よくあるように単純に建築を人間に例えてみれば、構造体が肉体(骨格と筋肉が主)、装飾は程度に応じて衣服やアクセサリーさらには身体装飾(刺青・ピアス等)となるだろう。装飾はインテリアと置きかえてもよい。人間の肉体にはそれぞれ長短・大小の差はあっても、基本的に骨格は共通だから、衣服などが個性の表現の重要な要素となりうる。荒木氏の言葉の背景にはおそらく、そのようなほとんど変わらないものとしての建築の構造体観があり、これは伝統的建築においては多分にあてはまる事実である。 では近代以降の建築にてらしてみるとどうかというと、だいぶ事情が変わってくる。近代当初はルソー流の素朴でストイックな自然主義人間(建築)観であったが、近年はさらに遺伝子工学よろしく肉体・骨格そのものを大きくいじくれるようになってきているから。そうなれば個性の表現は、おのずと肉体そのものに求められることになる。装飾やインテリアは二次的なものとして軽視されがちな一方で、そんな個性的な肉体などそうそう生まれるわけもなく、結局どちらも中途半端な「できそこない」が世にあふれる。なんかB級バイオホラー映画みたいだけど、この状況は当たらずしも遠からずではないかな。 ところで今思いつきましたが、このたとえでいくと「ミニマリズム」はボディビルに似ている。無駄をそぎおとした筋肉(肉体ではない)には、それ固有の美しさがあるが、行き過ぎると無駄に回帰するナルシシズム。 時間がなくなったので、続きはまた後で書きます。 |
■ 10月17日(金) | ||
10 | ||
![]() 井上大藏 |
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11日夜から14日朝にかけて、東京に行ってきた。 理由は白州正子邸と出光美術館での展覧会を見に行く事だったのだけど、もう一つ立ち寄りたい場所があった。それが神田の古本街である。 前回東京に行った折にも立ち寄れなかったので、ここは外したくない思いがあった。 夜行バスで帰る為、13日の夕刻5時前頃に現地に着く。閉店まで約1時間しかない。中に建築書籍を充実させている店が数件あるので、そこを先にチェックした後、片っ端から入りまくる。 僕のパターンは、いつも神保町側から。数冊買い込んで、喫茶「さぼうる」に滑り込もうとしたら、その日は何故か閉店していた。古本街に出かけたら、結構ここに立ち寄るそんな店だ。ショックを隠しきれず、すぐそばの「喜多方ラーメン」の店に入って行く私の姿がそこにあった。(何、その落ちは!?) |
■ 10月15日(水) | ||
7 | ||
![]() 柳沢究 |
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マンションの件。解体工事も終わり、さあ本工事という段になって、管理組合からごちゃごちゃと文句がでてきた。最初に問題ないと言っておきながら、いまごろそんなこと言うなんて、とKさんとともに憤懣この上なし。 無視して取りかかるわけにもいかないので、今日はマンションの管理会社と工務店、Kさん夫妻とで、四者会談。何とクリアできるかな、という感じで終わり一安心。見積もりの方も先週でどうにか調整がまとまったので、ようやく今週から本格的な工事に入ります。 最近、電車の中で読んでいる本は「選択なしの進化:形態と機能をめぐる自律進化」。ダーウィニズムとネオ・ダーウィニズム=「進化の自然淘汰(選択)説」を真っ向から批判する、イケイケの書。自然淘汰説は19世紀当時の資本主義的社会学の生物学への適用である、と学説の逃れられない思想性を指摘しつつ、染色体やDNAは生物の形態(=機能)形成の根元には何ら関わりをもたない。その形成の基本原理は、すでに無機物の発生・進化(!)の時点、さらには宇宙創成の瞬間から内包されていたのだ、と断じる。そそられません? |
■ 10月12日(日) | ||
8 | ||
![]() 柳沢究 |
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京都でマンションの図面の修整をやっていたら、夕方に遅日草舎の忍さんから久々の電話。上海のサチさんが来京中とのことで、神戸在住の中国人美女リリさんも交え、上賀茂の方でおでんをつつきながらの飲み会(〜AM3時)。 遅日草舎では現在「北辻良央展」(これは以前の展覧会のリンク)を開催中だそうです。興味のある方はお早めにどうぞ。 |
■ 10月10日(金) | ||
4 | ||
![]() 山田協太 |
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最近は毎日井上氏と泉佐野の図面を描いている。 ようやくおおかたの図面が完成した。 数度にわたる実測を元に精密な図面が描けたと思う。 週末は河床の中塗りをしに岐阜県に行きます。 |
■ 10月8日(水) | ||
3 | ||
![]() 井上大藏 |
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今、大阪芸術大学に来ている。 理由は簡単で、大学内芸術情報センターで開催されている「ヴォーリズが残した建築図面」展の観覧である。 ヴォーリズの事に関しては、そんなに詳しくないが思ったより多くの作品を残しているのには驚いた。 主に滋賀県が中心になるが、その活動範囲は全国に及んでいる。ヴォーリズの作品と確認される物の内、現存している物が多いように思われる。 展示としては、センターの展示会場に、図面・模型・写真が目一杯に掲げられているので、結構満腹感を味わえた。 来てみて、棚ボタだった事は「SD」の展覧会期間中であったこと。ついでに拝観した。 これから、大阪市内に出て本屋を巡り、京都に戻って仕事場に向かうこととしよう。 |
■ 10月5日(日) | ||
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![]() 柳沢究 |
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国際会議の終了後、駆け足で夢舞台と本福寺を巡るミニツアー。 夢舞台は、予想通り安藤忠雄建築博物館の様相であった。安藤忠雄のよく口にする「自然」との付き合いというのは、こういうことなのかと思うと、かなり寂しいものがある。しかしこれだけ巨大なものを安藤色で染めぬくという行為は、やはり想像を絶する荒技には違いない。遺跡級の大仕事だ。 本福地(Water Temple)は、とても楽しみにしていたが、やや肩すかし。アプローチは絶妙であるけれど、本堂内部空間が迫力不足。宗教建築には秩序だった構成の見事なものが多く、それが空間の荘厳さの演出に寄与しているのは疑いない。この建築、図面でみる限り、アプローチを含めほとんど完璧といってよい空間構成が設定されている。しかし、構成だけじゃ「空間」は成立しないのだなと、改めて気付かされました。見事な構成であるほど、それにふさわしい密度のテクスチャーやディテールが必要なのだ。 |
■ 10月4日(土) | ||
5 | ||
![]() 柳沢究 |
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4,5日と、芸工大で毎年催している「アジア青年・建築交流会議」というイベントにオブザーバー参加してきました。日本へ一ヶ月ほどの研修に来ているアジア各国の若手建築家・学生を招き、芸工代の学生も交え、おのおのの研究テーマを発表しあうというもの。会場は淡路島の花舞台真ん中にあるウェスティンホテルだ(ワールドカップの時イングランドチームが泊まったとこ)。 時間が少ないのが残念だけど、極めて有意義な企画。アジアの若手建築家たちの真摯な姿勢には、あらためて背筋をのばされる思いだ。一行の中には、スラバヤ工科大学のシラス先生の研究室の学生もいたりして、何だか遠い親戚に会ったような気分。布野研の川畑君、Dianさんがよろしくって言ってましたよ。 学生の時にこういう発表の機会がもてるのは、ほんとうに貴重なこと。芸工大の学生には英語の発表をもうちょっと頑張ってもらいたいけど、その後の懇親会になると、ちゃんと(というか密接に)コミュニケーションがとれてるところは、実に素晴らしい。京大生にはなかなか見られない。 発表の中で興味津々だったものを一つ。韓国の学生による、ネパールのラダック地方のLamayuruというラマ教の集落のフィールドワーク(ここかな?ちょっと自信ない)。7年前にカトマンズで買ったとある画集に描かれていた神秘的な集落、これは一体どこにあるのか、ず〜っと知りたかった、まさにその集落でした。今度インドに行くときは是非訪れたいと思うが、一人で到達するのは不可能って言われました。そうかな。 |