神楽岡工作公司
JOURNAL
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2005年12月〜




 ■ 5月26日(月)
柳沢
柳沢究
先週、滋賀で里山の保存運動をされているMさんから、ウェブ経由で相談のメールを頂く。破壊されつつある近隣の里山の保全運動の拠点、かつシンボルとなるような建物を建てたい、とのこと。本日、森田氏とともに敷地を視察。Mさんと簡単な打合せをする。地元の材料を使ったり、エコロジカルな技術を使った建物にしたい。色々な人が参加できる建設をしたい、などなど。

周辺には「ししがき(獣垣、鹿垣、猪垣、猪鹿垣)」がかなりの規模で残っている。これは初めて知ったのだが、近代以前に田畑への猪の侵入を防ぐため、山と耕地との境界に万里の長城のように設けられた高さ1M程度の石垣(跡)のことだ。里山における獣と人間との「棲み分け装置」と考えてよい。しかし今ははあちこちで崩れたり、家屋の建設のために撤去されている。だから猪を防ぐため田畑は今、獣垣のかわりに電流を流したワイヤー(!)で囲われているのだ。これも初めて見たよ。
そして敷地の裏の方には、例のごとく、雑木林を削った廃棄物埋立場が広がっていた。山と人との関係が変わってきた現代、「里山」はまさに消滅の危機にあるようだ。


 ■ 5月25日(日)
柳沢
柳沢究
24日に私用で有馬温泉へ。気持ちよかったぁ。

25日「みんぱく」で開催されている「マンダラ展:チベット・ネパールの仏たち」へ。単なる資料の羅列でなく、わかりやすく伝えることに意を砕いた展示に感心する。砂でマンダラを描くための型枠などもあり、コーラムとの接点を想う。古代のヒンドゥー教寺院建設の際して、地鎮祭として敷地の中央に白い粉末でマンダラを描いたことがシルパシャーストラに記されているのだが、それはいかなるものだったのでしょう?

一言で「マンダラ」といっても、ヒンドゥー教のものと仏教のものはだいぶん異なる。また仏教でも、チベット、インド・ネパール、中国、日本でそれぞれ微妙に異なった構成があるようで、統一的な理解はなかなかに難しい。だが、いずれにせよマンダラとは、世界を構造的に把握しようとする意志の現れにほかならない。現代にそれが直接適用できるかどうかはさておいても、そのように大きなスケールの視点を常に持ちあわせたいもの。


 ■ 5月24日(土)
別府
別府洋平
今日は地元宮崎県の高校の同級生に連絡をとった。彼女は数少ない地元の建築つながりで、東京理科大学を卒業して東京の設計事務所で働いた後、現在、宮崎で大工の見習い中。女性で大工は厳しいようである。だだ、酒にはめっぽう強く、酒では年輩の大工に張り合えるらしい。
彼女の叔父は池田満寿夫にも影響を与えた前衛美術の先駆者、瑛九である。瑛九はメディアにあまり取り上げられないので一般の知名度は低いようであるが、専門家や学芸員の間では評価が高いらしい。

工繊大には、工芸資料館という主にポスターをあつかっているところがあり、以前そこの収蔵作品をお借りして、宮崎の美術館で展示会を企画できないかと高校の美術の先生や親戚の画家を巻き込んで、話をもちかけたことがある。目録を見たときの反応は良いのだが、なかなか動いてはもらえなかった。(いきなり大きく出過ぎたため、当然の反応だが)美術館には瑛九をはじめ、地元出身の作家の作品が並べられていた。確かに、ここにポスターの展示は難しい?いろんな人のところへ動き回っているうちに、美術関係者のドロッとした関係が見えたりしてきて。いろいろ勉強になった。
地方の美術館の展示には、その地方出身のとか地域に根ざしたとかいう形容詞が必要なのだろう。そうなると瑛九も在郷文化人という枠でしか捉えられていないような・・・。ポスターは?
グスタフ・クリムトの第1回分離派展のポスターを最初見たときはゼセッションのことなんて全く知らなかったが、それなりに感動したもんだ。工芸資料館に行ったことのない方はぜひ。

大工見習いの彼女に神楽岡の話をすると興味があるようだ。京都に来る際には連絡すると言って電話を切る。


 ■ 5月23日(金)
別府
別府洋平
研究室の引越しがこの夏にあるとのこと。
大学院生になってから、今度で4度目の引越しを経験することになる。しんどい。(他の大学はどうなんですかね?)学内の引越しについて研究できそうなぐらいだ。しかし現在、大学の転換期。しかたない。
キャラの濃さではどの研究室にも負けず、男臭かった我が研究室は現在女性が過半数を超えるという状況。(強烈なキャラの女性が多数在籍しております)
大学では校舎のエントランスにスロープが多発。今日、そこに足をぶつけた。痛っ。かつて誰かが「barrier-freeじゃなくてbarrier-fullやな。」って言ってたけど・・・。いろいろ変化している。

柳沢
柳沢究
28日に控えた芸工大大学院の中間発表会の準備でばたばたと。
晩、京大にてアジア都市建築研究会(の懇親会)に参加。テーマは「近代のムンバイにおける過密市街地の環境改善」について。帰宅3時。


 ■ 5月21日(水)
森田
森田一弥
 門真の現場にて大工さんとあちこちと詳細の納まりの打ち合わせ。左官工事の方は、荒壁もかなり乾いてきて、既存の壁の傷んだ部分の補修も終わった。早めに済ませなければいけない電気工事の配線のために、業務用エアコン等を早く注文しなくてはいけない。二階部分のブリッジや階段も、早く門藤氏と打ち合わせしてコンブ金物店さんに発注しなくては。色々することはあるのだが、なにぶん門真の現場は交通の便が悪いので、神楽岡のみんなに助っ人にも来てもらいにくい。うまくいかないものだ。
 福井県宮崎村の大屋宇一郎氏から陶製の手洗い器が届く。今回は焼き物らしくない金属っぽい光沢が表面に出ていて、上手く他の材料と組み合わせて使いたい。壁の色も重要になる。照明器具も暇を見て少しづつ集め始めている。



 ■ 5月20日(火)
柳沢
柳沢究
知人の出演する、舞踏家・藤條虫丸一座(幸海姫、阿羅漢)の舞踏公演を観に、大阪天王寺・フェスティバルゲートのART Theater dBへ。いわゆる舞踏という表現形式はプロセニアム・ステージとはもともと相性が悪いもの(車座の中心で、というのが理想的)と思うが、今回のものは、垂直格子を用いた立体的展開と緊迫観のある絵画的な舞台構成が、それを補い見事であった。人間の行為・所作と直接かつ相互に関わりあう、舞踏の舞台デザインというのは、いつかやってみたいことの一つ。
フェスティバルゲートは初めてなれど、かなり寂しい。ウェブサイトもそうであるが、現代のエンターテイメントというのは絶えざる更新と発信を怠ると、あっという間に陳腐化してしまうのが恐ろしい。


 ■ 5月18日(日)
別府
別府洋平
先日、実家の宮崎に帰る。
目的は最近の身辺状況の報告と、都城建築塾が主催するセミナーに参加するためである。今回のゲストは隈研吾氏で、公演後、高城町の後藤家商家にて山菜の天ぷらパーティー。焼酎を交わしながら楽しい一夜を過ごす。

宮崎は、海と山に囲まれた地理的なものや大学に建築学科がないことなど建築やその他の情報に疎くなると思う。かつてある建築家に「宮崎には文化が来なかった。」と言われたこともある。コンプレックスとは言わないまでも何か宮崎で面白いことができたらなぁ、ということは前々から思い続けていることである。少しづつその手がかりを探っていきたい。あと個人的に都城建築塾と神楽岡がつながればいいなと思う。海と山を超えて・・


 ■ 5月16日(金)
柳沢
柳沢究
きのう芸工大大学院の授業の一環で、伊東豊雄氏を招いての特別講義。スライドや録音・録画の手配で忙しい一日だったが、内容はなかなかに興味深かった。

講義の導入にメキシコの建築家(画家)ファン・オゴルマンの作品を種に、「建築家のつくる家」と「生きられた家」の矛盾、すなわち概念に基づき組み立てられる近代以降の建築と建築にまつわる住み手の様々な念いや生活との間に横たわるギャップへの問題意識が語られた。これは実に意外であると同時に嬉しいことだった。その問題はここ数年ずっと考え続けていたことであるし、一方、伊東氏の作品はもちろん雑誌でいつも見ていたけれど文章はほとんど読んでいなかったので、僕の認識は10年くらい前までの、そういう「建築のドロドロした部分から限りなく離れようとしている伊東豊雄」に留まっていたからだ。その後の作品の紹介で、伊東氏の近作にみられる複雑なシステムへの志向は、相変わらず軽やかであるが、彼なりのそのギャップを調停する試みであると理解し、なんだか勝手に意を強くした次第。講義の内容は近いうちに芸工大から出版される予定。

終了後は長田にて鈴木明小山明両先生を交えた日本酒の席に参席。目の前の人物とその作品とを重ね合わせつつ、建築ってのはやっぱ面白い、などと。


 ■ 5月15日(木)
門藤
門藤芳樹
最近

机の全面のボードには、ギャラ間セジマ展のポスター、アルヴァ・アアルトの写真、坂本龍一、アーティストさとうりさ、写真家佐内正史氏のカード、自分が インドにて小犬と向き合っている写真、セシル・バルモントの本informal。。。そして、細野晴臣の音楽を聴きながら、やっていることは、博士論文用のキビョウシの査読の応答書をつくっている。

そういやあ、一級の勉強もしないかんし、週末は堀部氏の別荘建築を見に軽井沢へ行く。来週には、アアルトのアンリアライズドプロジェクトの図面にも着手 しないかんし、門真もいきたいなあ。そうこうしているうちに、常滑に計画中のマンションも動き出すし、京都のホテルの改修(内装)もプレゼンなんだよなあ。コンペももっと踏み込んでやりたいのだけれど、チームが東京なので今ひとつつっこめない。

最近の興味の中心は素材の使い方にある。アアルトをつぶさに見ていくと、執拗に実験しているのが分かるし、常滑の水野君もいろんな素材をもってきておも しろい。内装の仕事もうまくいくといいなあ。そんで、来年にはそろそろ溶接と木のプレカットを覚えたい。ピアノも習いたかったりして。白黒写真も現像しないとたまってきた。

変に専門領域に閉じこもるのではなく、もっとフレキシブルにものづくりができるようになるといいなあ、と思ってあちこち行くのだが、実際は精神分裂ぎみだったりして(笑)。いろんな人に会えるのは、とにかく楽しい。

山田
山田協太
岐阜県加子母村の辰喜工務店の大森氏からメールがあった。10月にお子さん(第一子)が生まれるとのこと。おめでとうございます。
大森氏には私が幹事だった2000年の木匠塾以来お世話になりっぱなしである。また今年も加子母村に行けると思うと夏が楽しみだ。


 ■ 5月14日(水)
山田
山田協太
午前10時、樋貝氏が自宅に神楽岡の鍵を取りに来た。庭の手入れをするとのこと。私は自宅でゼミ発表の資料づくりでうんうん唸っている。昼は研究室へ。

午後9時森田氏と会食後神楽岡へ。藍を混ぜて塗った壁は退色していつの間にか土の色に戻っていた。藍染めをやっている人ならば原因が分かるだろうか。森田氏は明日の磨きに使うと言って、裏の吉田山で取った土を泥濾ししていた。身近にあるものを建材としてしまう左官技術のすごさを改めて実感した。
ふと庭を見ると部屋から見て丁度真ん中に位置するように紅葉が植わっている。今朝樋貝氏が手入れしたものである。去年水谷氏が持ってきた時は枝がほとんど無く枯れるんじゃないかと思っていたが、今は枝葉を広げて生き生きとしている。庭師は端から見ると魔術師のように思える時がある。

私はというと現在研究室で東九条松ノ木町の調査をやっている。在日朝鮮人居住区といわれる地区である。在日朝鮮人地区というとまず差別という言葉が登場する風潮があるが、成り立ちの経緯を一旦脇に置いてこの地域を見ると非常に多様な空間が出来ていることに気づく。これはかつてこの地区が不良住宅地区、スクォッター地区と呼ばれていたことに起因すると考えられる。
京都に都市計画法、建築基準法が施行されて以来、地域あるいは建物はこれらの法に従ってつくられるようになったわけだが、松ノ木町には不幸なことにというか幸いと言うべきかこれらの法律が非常に緩くしか適用されなかった(あるいは全く適用されたかった)地域があり、そこでは建築物、空間の利用形態が独自の発展を遂げているのである。松ノ木町の魅力に空間の多様性、ダイナミックさから迫ってみたい。


 ■ 5月13日(火)
森田
森田一弥
 夕方、東京から帰京。夜、久住誠氏が神楽岡来訪。門真の打ち合わせ、というわけでもないが、これからの時代、土を使ってどんな建築を造ることができるのか、とりとめもなく話す。とんでもなく新しいことも出来るのかも知れないが、そのヒントは、既に我々が知っている空間の中にあるに違いないと思う。日常のなかでも、常に感覚を研ぎ澄ませておかねば。


 ■ 5月12日(月)
森田
森田一弥
 東京にて建物めぐり。足が棒になるほど歩き回った。昨日は表参道周辺を歩き回り、久住誠氏が手掛けた店舗の左官工事もチェック。京都では本物の土壁は珍しくもないが、東京のど真ん中で見る、ざっくりと仕上げられた左官の表情はなかなか迫力がある。今日は埼玉県立大学(山本理顕)、地下鉄飯田橋駅(渡辺誠)、アテネフランセ(吉坂隆正)、東京カテドラル(丹下健三)、スカイハウス(菊竹清訓)をまわる。
 埼玉県立大学は、ひたすら真面目なコンクリートと鉄とガラスの建築。見るのは良いけど造るのはごめんだな。ただ迷路状の中庭は、突然異国の見知らぬ街角に放り込まれたような感覚になった。
 東京カテドラルは予想以上に良かった。まさに荘厳な空間、日本のクリスチャンはこの建物を持つことを誇りに思って良いだろう。
 ビルの足下に取り残されたスカイハウスは悲しげだった。東京の街は起伏に富んでいて、歩いていても空間を三次元的に楽しんでいるという感覚があるが、あのでかいビルは地形の持つ魅力を力ずくで去勢してしまっている。原広司は、優れた都市や集落は土地の特異点を上手く利用すると書いたが、現在の東京はそれを失いつつある。


 ■ 5月8日(木)
柳沢
柳沢究
最近読んだ本3冊。
形の文化誌」1および5。「形」という一点で様々な論考が集められた、濃厚な味わいの一冊。特に数学者や物理学者の視点からの形態分析の面白さは「建築家」や「アーティスト」の語るそれとは次元が違う。コーラム分析のよい参考になる。
どうもコーラム分析には本格的な数学的アプローチが必要そうだ。ということで、友人の薦めで「離散数学への招待(上)」を読んでみた。難解といえば難解であるが、数学書とは思えない軽妙な本。半分くらいしか理解できなかったけどグラフ理論は使えそうだ。数学的思考はやはり大切ね。

そういえば先日、このHPをみた早稲田の建築の学生さんから「ヴァーラーナシーの研究をやりたいんですが…」という相談メールが来た。具体的なテーマはこれからのようだが、楽しみではある。…な〜んて余裕こいてる偉そうな立場ではない。少しずつでも前に進まねば。


 ■ 5月7日(水)
森田
森田一弥
 連休が明けて、門真の現場再開。昨日は樋貝氏、山田協太氏に参加してもらって、土壁の竹木舞下地を編んだ。今日は、門藤、別府氏に来てもらって、久住左官の岡君と昨日編んだ下地に荒壁塗り。現場の暑さもこたえて、帰りの電車は眠りっぱなし。

柳沢
柳沢究
ここ2、3日の雨のためか、家の石の流し台にナメクジが大発生。ちんまい奴が多いことから、すぐそばで孵化しているものと推測される。通り庭にはイタチの匂いがしていたり、最近京都にあまりいないもんだから、我が家は野生の王国。無人の家ってのはこうして荒れていくんですねぇ。


 ■ 5月6日(火)
井上
井上大藏
今朝6時。やっと、京都に戻ってきた。

4月27日のジャーナルにも記した事であるが3日から今日(6日)の朝まで京都を離れていた。往復深夜バス。目的地は「世田谷美術館・向井潤吉アトリエ館」「東京たてもの園」「横浜三渓園」の三ヵ所。そこまでは、決めていた。しかし、4日の寝床が無い。それと三ヶ所だけではもったいないような気がした。
だから、1日になって古材バンクの会のMLに東京行きを記したがGW直前の事もあってなかなか反応が無い。元々MLは、反応の薄い物だから尚更だったが、2〜5日にかけて数人の知人から連絡が届いた。“飲もう”が2件“見学物件情報”が1件“飲んで寝床提供するよ”が1件。他会話が数件。おかげで連日飲んだし、寝床に困らなかった!うれしい限りである。もう最高!!

得た情報の中に旧白洲正子邸(武相荘)の話がある。公開するようになったそうだ。本年は江戸開府400年の記念年にあたる。その為、某展覧会の見学で9月に東京へ行こうかな(未定)と思っているが、その折にでも訪れてみたいものだ。


 ■ 5月5日(月)
森田
森田一弥
 疎水記念館前に待ち合わせて織宝苑庭園、並河七宝記念館を見学に行った。どちらも「植治」作庭の庭である。織宝苑の庭は、昨年見学に行った対龍山荘によく似た構成。でも、最初期の頃の無隣庵の庭園の方が、挑戦的で好きだなあ。並河邸の庭は水谷馨氏が手入れした庭。こぢんまりした庭なので全体に手入れが行き届いて良くまとめてある。織宝苑の方は水谷氏が指摘するとおり、庭が広すぎて手が回らず、庭木が暴れている感あり。でも、この方が一般の人には好印象なのではないか。
 並河邸の客間の壁は、幻の土といわれる九条土が塗られていた。恐らく間違いない。今まで見たことがあるのは角屋の「青貝の間」だけ。基本的には濃いグレーの土なのだが、光の加減で青みがかっていたり、緑がかって見える、とても不思議な土だ。

柳沢
柳沢究
帰省ついでに半日久々の東京めぐり。

神保町の古書店をしらみつぶしに見て歩く。南洋堂はあいにく休みであったけど、建築、インド関連とも、充実したラインナップの店が多くて羨ましい。手当たり次第に数冊購入。
時間があったので話題の六本木ヒルズへ。中央にそそりたつ「俺」タワーは清々しかったけど、隣接した高層集合住宅も含め全体的に東南アジアの都市っぽかった(悪い意味で)。高級ブランドショップだらけで、さらにそれが賑わっているのが不思議ではあるが、それらを覆っている建築ブツに比べれば、ショップのインテリアの方がまだ百倍見応えある。しかしそれにしても、もう、ツルツルふらっとミニマルはいやだよ。誰か建築家がやったというイッセイミヤケも何がなんだか。


 ■ 5月4日(日)
柳沢
柳沢究
4、5日と慌ただしく帰省。行きは新幹線、帰りは横浜から夜行バス。

主目的は実家での所用だが、この機会に前から行ってみたかった宇都宮の大谷石資料館を訪れてきた。地上の岩だらけの風景も独特であるが、地下の採掘場跡はちょっと他ではなかなか体験できない空間じゃなかろうか。大谷石の粗いテクスチュアと壁面に残る切り出しの跡が巨大スケールの大雑把な空間をほどよく満たしていた。スケールにはスケール毎の素材感がいるのだと思う。
面白いのは、やはり人の営みの「結果」としての立ち現れ方。旅行好きであちこち行くが、いわゆる大自然(砂漠、熱帯雨林、山、海…)というのはあまりそそらない。見てみたいのは人間とその自然の関わり方、言い換えれば人の手の入り方(入れ方)につきるのだ。「自然は寂しい、でも人の手が加わるとあたたかい。それを見て歩いてみよう」という宮本常一の言をつい最近知ったが、僕はその「あたたかさ」を分かったとは、まだまだ言えない。

    
(左:採掘場跡  右:近所にあったドライブインの廃墟)



 ■ 5月3日(土)
柳沢
森田一弥
 昨日は門真に竹木舞用の割竹を運び、残土を近所の業者に引き取ってもらい、処分する畳を京都まで運んだ。疲れ切った。
今日は昼から久住誠氏と左官工事の仕上げの方針の打ち合わせ。土の色だけで仕上げるか、顔料も使って欲しい色を表現するかさんざん話し合った結果、今回は「土の色」にとらわれずにがんがん欲しい色を調合して出していくことにした。たぶん見たこと無いような空間になるはず。

柳沢
柳沢究
井上氏の案内のもと、寺尾くん、京都建築専門学校の山下さんとともに、一日美山行。

まずは陶芸家マーティンさんの家を訪れ作品展を見る。とろけるようなユーモラスな作品もよかったが、茅葺き民家の生活はダイナミック。縁側を抜ける風が気持ちのよい、最高の季節だなと、とんびとカラスの戦いを眺めつつ。
その後、厨房ゆるりにて昼食(とろろ御飯膳)。梅棹マヤオ氏にお会いする。破顔の魅力的な方であった。対して作品の方はトルコブルーが鮮烈な印象。陶芸に関してはどうも感度が鈍い僕であるが、これは欲しくなった。うん今度頂きに伺おう。
美山の北集落には3度目かな。GW中ということもあって人が多くてびっくり。伝統的な集落が観光化されることの是非は、常に賛否いろいろあるけれど、美山の人々の努力には頭が下がる。
市内に戻って、町家を自分で改築しながら住んでいる茶木ジンタ、クリステルさんの家に、さらにずうずうしくもお邪魔する。驚くほどにご近所さん。通っている銭湯まで同じだから、きっとこれまでにも裸で出会っていたに違いない(笑)。これからもご近所付き合いできればと思う。


 ■ 5月2日(金)
柳沢
柳沢究
なんだかとてもよい天気で大学にこもっているのが実にもったいない。

環境が変化したためか、ここのところ久しぶりの人と会う機会が多い。
4/29には大学の同級生、和渕と3年振りの再会。卒業後東京でゼネコンに努めていたのを辞め、今年から神戸市役所にやってきた男。あいかわらず爽やかなやつ。これから神戸で一緒に面白いことができるとよいな。4/30には同じく大学の同級生村井が神戸に遊びに来て、神戸に来て初めて南京町で飯を食う。
んで昨日は西宮。イラストレーターの仲丸さん邸へお邪魔し旨いタイ、ベトナム料理とワインをたらふくご馳走に。仲丸さんのご主人は建築関係ではないが、おそろしいほど建築マニア。イタリア建築や椅子の話で攻勢をかけられ、こちらがタジタジ。おみやげにレベウス・ウッズのポスターまで頂いてしまった。一年前に学芸出版のパーティでお目にかかった稻上さん(夫妻)も見えられ、とても楽しい席でした。神戸もなかなか面白くなりそうじゃないか。

そういえば4/11には京都で、3年前(!)に一緒にヴァーラーナシー調査をした橋本慎吾君と会った。彼との酒はいつも楽しい。卒業後1年働いた後、海外青年協力隊に身を投じ、環境教育を普及するため夏頃から2年間ケニアに行くのだそうだ。帰国後の再会が楽しみ。

こうしていろいろな人と会えるのは、まさに「不亦楽乎」であるが、最近とみに思うのは出会いを媒介してくれる人のありがたさ。慎吾君は滋賀県大の山根先生が引き合わせてくれたし、仲丸さんはイタリアでお世話になった村井さんの縁。稻上さんは学芸の知念さんに紹介して頂いた。その皆さんには久しくご無沙汰してしまっているが、本当に感謝です。
人の紹介を一種踏み台のようにして、仲介した人をないがしろにするような人も多いけど、そんな人には誰かを紹介したいと思わない。


 ■ 5月1日(木)
柳沢
柳沢究
2003年もはや五月病の季節。新年度から環境がかわったかたも多いかと思いますが、みなさま如何お過ごしでしょうか。約一月ぶりのジャーナル復帰です。

沈黙していたのは大学の仕事がメチャクチャ忙しくて…というわけではなく、ずっと神楽岡HPのリニューアルにかかりっきりだったからなのです。四月頭からリストラ作業に取りかかり、フレームを一切使わず「あらゆる環境で見やすいデザイン」を目指して作り直していたら……たいへん手間がかかりました。それなりに当初の目的は実現できたと思っているけれど、JavaScriptも多用しているし、Windows環境でのチェックは甘いので、不具合のある方いましたら、遠慮なく指摘して頂ければと思います。

四月は何もなかったわけでなく、いろいろと書きたいことはあったので、なんだか言い訳がましいですけれど、そこら辺も含めて明日からまた復活いたします(←明日からかい!)。


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