神楽岡工作公司
JOURNAL
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2005年12月〜



 ■ 9月26日(金)
18
yamada
山田協太
10月の神楽岡会は、マイクロバスで行く木津の建築探訪「神楽岡秋の遠足(KAE)」です。
詳しくはBBSを見てください。

現在、泉佐野の図面を描いている。


 ■ 9月23日(火)
16
yanagisawa
柳沢究
22日の晩、大学での仕事をすませて新幹線で横浜へ。目的はコーラム研究の打合せだ。晩は正月以来の実家にて泊まり、翌朝、東海道線・江ノ電を乗り継いで藤沢へ。

元NHKの研究所で立体視覚の研究をされていた長田昌次郎さん邸にて、浅野さん、rONEさんらおなじみのメンバーとともに、これまでの成果の確認と今後の展開について議論。メインの議題は、とある財団の研究助成金公募にコーラム研究を応募するための申請書づくりだ。素案を手にあれこれコンセプト・文章を検討する。これまでメールでの意見交換をずっと続けてきたのだけれど、目の前で面白いキーワードがぽんぽん飛び出す臨場感は、やはり生の顔合わせならではだ。

打合せ終了後は長田さんの息子さんによる手料理とビールで、四方山話にもりあがる。共同で一つのテーマに取り組む際に「評論家的立場でものをいうだけで、自分の手を動かして進展させることのできない人間はいらない」との長田さんの実感こもった言葉に、激しく同意。

そのまま泊めてもらうが、24日の午前中に芸工大での会議があるため明朝5時に出発。眠い。車中の友は先日元町の古本屋で買った「家畜人ヤプー」(角川文庫版)。内容はさておき、緻密な設定をもとに精細に構築されたフィクション性が見事。ちなみにこの本はSF(Sadomasochistic・Scatologic・Science Fiction)だ。


 ■ 9月21日(日)
14
yanagisawa
柳沢究
マンション改装計画の見積もり調整が大詰め。
最初の見積もり段階で約200万以上のオーバーであったものを、材料の直接仕入れや、塗装を自分たちで(施主であるKさんも一緒に)やることにして、コストダウンをはかる。工務店にもいろいろと検討してもらったが、あと100万というところで、「すいません。これ以上のダウンは不可能です」との声。あとは金額とにらめっこしながらの設計変更による調整だ。

晩のスライド会では東九条地区調査の際の、路地の様子から川、植え込み、不法投棄まで、微にいるスライドが披露される。当地区は様々な歴史的・社会的背景から論じられることが多いけれど、ひとまずそのことを保留して街をながめてみれば、現代の京都においてこれほどまでに「住みこなされている」街というのは他になかなかないと思う。諸事情を無視して、それを手放しで礼賛するわけにはいかないけれど、その魅力は認めるべきものでないかな。

スライドの後は京大布野研四回生による建築的再生計画の提案が巨大な模型とともに発表された。みなさんほんとうにお疲れさまでした。


 ■ 9月20日(土)
13
morita
森田一弥
 門真の左官工事も終わり、あとは床のレンガを敷いたりこまごまとした仕事を残すのみ。色々とサンプルを造っていたカウンターの仕上げは、コップを置いたときの冷たい音が良くないということで、急遽しっくいの研ぎ出し仕上げになった。仕上げてみて初めて、その表情、手触りの良さに納得する。
 着工当時に土壁を解体して出た残土が、庭の片隅に山のように積み重なっている。それを処分するのに四トントラックに来てもらって、スコップで延々手積みしたので、腰が悲鳴を上げている。これだから設計施工一貫はつらい。
 
 


 ■ 9月18日(木)
12
inoue
井上大藏
最近、泉佐野のことでホント悩んでいる。工事云々で色んな問題が山積している、という訳でもないが、何ともやりきれない悩みが多い。焼き切れそうだ。今後の問題も予見(原因・結果)できるし、現在の状況もよく知っている。人間関係の話は常の事だけど、一番肝心なのは意識の問題と、それに対応する人の動き。そして信頼関係。今、私は其の事で頭が一杯でたまらない。泉佐野の今後の状態が判るからかもしれない。明日は図面を引きながらも、山田氏とそのあたりも話すつもり。


 ■ 9月17日(水)
17
yamada
山田協太
15日から17日にかけて「カヤマル」に参加させて頂いた。
「カヤマル」は、実地で茅葺屋根の技術に触れる事の出来るイベントであり、神戸芸術工科大学斎木研究室出身の守、塩澤、阿部、大川さん達が中心となって活動する「茅葺屋」というグループによる企画である。
塩澤さんは実際に茅葺きの職人をされており、茅葺で有名な京都市美山町の北村で民家の見学をした後、そこで屋根葺工事を手伝わせて頂いた。
参加者は秋田、茨城、千葉、神奈川、京都、大阪、兵庫、広島と非常に広範な地域から来ており、茅葺に対する現在の関心の高さが伺われた。
お世話になった「きたむら茅葺屋根工事」の中野誠親方は日本で一番若い茅葺の親方として有名であるが、大変気さくな方で、作業をしながら色々な質問に丁寧に答えてくださった。
以前から茅葺の技術に興味があったので、実際にその技術に触れられたのは貴重な体験であった。いつか茅葺の技術を用いてグラスファイバーを葺材とする、茅葺構法による現代住宅をつくりたい。




 ■ 9月10日(水)
9
yamada
山田協太
20:15、三条郵便局で日本建築学会宛に論文を郵送した。
ここ2ヶ月はしんどい日が続いたが、完成の瞬間はやはり嬉しいものである。
夜はその勢いで木匠塾の打ち上げに参加。飲み会は朝の4時まで続いた。


 ■ 9月9日(火)
8
higai
樋貝憲治
 先月の終わりから、今月の2日まで、門真の現場の植栽を行った。初日は水谷さんをはじめ、何人か手伝いに来てもらって、高木(カシ、月桂樹、ハナミズキ)を植えた。

 朝から天気が怪しかったが、結局良い天気になり、午後からであったが大きいものは全部おさめることが出来た。・・・皆様、有り難うございました。

 木が入るとがらっと雰囲気が変わり、お施主さんの要望通りの森、林、ジャングル(?)・・とにかく、植物に覆われたかんじになった。後は、表の階段が出来た後、仕上げをしてどうなるか・・・

 次の日は、カシの手入れや、支柱取り付けなどをしていったん終了しようかと思ったが、ここの現場は恐ろしく排水が悪いため、これをなんとかならないかということになり、その次の日に排水工事をすることのなった。といっても、ここは昔沼地だったところで、いくら掘っても水が抜ける層がでてこない。下水の管につなげるのもちょっと無理がありそうなので、結局、表面排水をよくする目的で、通路の下に浅い溝を掘っていき、勾配をつけて、一カ所に流れ込むようにした。その‘一カ所’を深く掘ったところ、50〜60CMのところで水が湧いてきた。このあたりはこの深さのところに水がたまっているようだ。大雨がふったらあふれるかもしれない。
 水を流す溝は水の通りをよくするため土管を砕石でうめこんだ。はたしてどの程度解消されるか・・・少なくとも表面の水たまりは無くなることだろう。
 


 ■ 9月8日(月)
7
inoue
井上大藏
我輩も日本建築学会大会(昨日:三日目)に参加した。参加しての感想は人それぞれだから、我輩は我輩自身の感想を記そう。

初めて参加したのだが、少し失望している。我輩は建築歴史・意匠系の会場に居たのだが、論文発表者の原稿棒読みと、時間にまくし立てられての早口・小声にうんざりしてしまった。学会の大会が、発表者の顔見世場となり興行的になるのはあまり健全とは思えない。
書籍に至っては、学会の出版物がちらほら。三日目午前9時に、既に売り切れなんて言うのは論外だと思う。
パネルディスカッションについても思う事があるが、もう記すの止めます。

今日、仕事場に戻って報告したら『今の学会に期待してはいけないよ』と、言われてしまった。
これでいいのか?・・・ホントにこれでいいのか、学会よ!

規模は小さいけれど、6月に開催された文化財保存修復学会は、その意味では纏まった良い学会だったと今にして思う。


 ■ 9月7日(日)
6
yanagisawa
柳沢究
愛知の中部大学にて、日本建築学会大会に参加。マドゥライの都市構成について発表。
大会は挨拶代わりというけれど、挨拶一つにもなかなかにエネルギーの要るものであり…。司会の仕事なぞもすることになり、終わってやれやれ、というところ。

夕食のころ、名古屋駅地下にて念願の「鰻のひつまぶし」を食べる。これは、うまい。うまかった。鰻の蒲焼きにワサビとネギがあんなにあうものとは。一つの衝撃である。
食事後、布野先生、大辻、バリ帰りの川畑とともに「こだま」でビールを飲みつつ、ゆるりと帰京。久々に先生とゆっくり話せたのは楽しかったが、またやることが増えてしまった…。


10
yamada
山田協太
日本建築学会の大会に参加した。
日本最大の学会という噂もあり、郊外の大学が人であふれていた。
会場で久しぶりに千葉大学の池尻氏に会った。
私が研究対象としているインド、ケーララ州のコーチンを調査する時に大変お世話になった人である。17日から大阪大学の重富氏とムンバイ、ディウ、ダマン、カルカッタ等の調査に行くと言うことである。全てインドの都市だが、ムンバイ、カルカッタはイギリスの植民都市、ディウ、ダマンはポルトガルの植民都市である。
現在の大都市のほとんどは植民都市から発展したものである。
私の研究は、植民都市を対象としている。都市を人々が生活する場を生み出す大きな実験場ととらえ、その設立から400〜200年を経た現在、建設時に理念がどのように現実化され、それが変容してきたのかを明らかにしようとするものである。植民都市が建設され、変容する過程を段階的に捉えることで現在の都市のあり方が明らかになる。


 ■ 9月5日(金)
5
yanagisawa
柳沢究
ここ2、3日ほど神戸にて学会の準備。夕方に帰京。
山科の「しっくい浅原」さんへ伺い、一郎さんにマンション茶室の左官仕上げについて相談。さいわい快く引き受けて頂けて一安心。見積もり・サンプルの作成をお願いする。今回、浅原さんの倉庫に初めてお邪魔したのだけれど、いやぁほんとに楽しいところ。千本銘木さんや加子母の大工さんのとこもそうだけど、倉庫ってのは、実に、宝物庫ですね。
親方は二条城(と京都芸術センター)でのイベント「美術離宮」の打合せとのことでお留守。まだ開催前なので詳しい話は控えますが、「香」を使うとは…しまった、思いもよらなかった。悔しいけれど面白そうである。

深夜、京大布野研に行き、マドゥライの修論にとりくむ大辻と明後日の学会の発表について打合せ。後輩の米津にも久々に会い、せっかくなので(?)12時過ぎから我が家にて二人で酒盛り。終了4時超(!)。


 ■ 9月3日(水)
3
yanagisawa
柳沢究
8月の間、マンション改修の施主のKさんといろいろ建築を見に行ったので、その写真などをぼちぼち載せてみます。まずは北白川にある京大人文科学研究所。(と思ったのだけど、実はここ内部撮影は駄目だったので残念ながら内観の写真は「控えて」おきます)


ファサードの一部

中庭側


Kさんの一番好きな建築なんだそうです。武田五一設計とされているけど、実質は若き東畑謙三の手によるもの。彼は後に産業建築の第一人者となるのだが、そこらへんとの関連はいかばかりか興味深い(別府氏どうでしょう?)

ここは大学2回生時のはじめての設計演習で、隅々まで実測して模型を作成した思い出がある。当時は「洋風建築」なんて全っ然興味がなかったのだけれど、今改めてみると、アールデコ(むしろ分離派か)を思わせる装飾や異国情緒めいたディテールなども、白壁を基調に品よくまとめられていて、素直に感心する。(ここらへんのシンプルさはおそらく東畑謙三の味。あんまり装飾を目立たせたくなかったのではと想像する)。ファサードも含め、何というか実にフォトジェニク。白壁に赤絨毯、さらに黒い木製家具って、基本なんだなぁ。

ところでこの建築、いわゆるコロニアル様式なんだけど(たぶん。どうですか山田氏?)、今回訪れたら赤茶のスペイン瓦がいぶし銀の瓦に葺き替えられていました。それを中庭から見て大発見。

実は人文研は、「京町家」だったのです。


どど〜ん!


すげえぜ謙三。


 ■ 9月2日(火)
2
yanagisawa
柳沢究
31日の晩から1日の朝にかけて、徹夜でマンション改修の設計図書一式を仕上げる。朝9時ころにデータをプリンタに全部放り込んだところで意識が途絶え、気がついたらお昼過ぎであった。とりあえずの一段落。

今日はお昼から工務店と現場にて打合せをし、見積もりをお願いする。10日くらいであがってくる予定だ。現段階の設計はマンション建設時の図面をベースにしてやっているのだけれど、実のところ現在ある壁・床・天井をひっぺがしてみないと構造体や配管などの詳細はわからない。なんせ60年代に建設されたものだし、そこらへんが現場でころころ変更されている可能性は非常に高いのだ。だもんで見積もりが上がるのを待つ間に、まず解体工事の段取りなどをすることになる。解体してみたら図面と全然違ってた、なんてことがないことを祈りつつ…。


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