神楽岡工作公司
JOURNAL
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2005年12月〜



 ■ 9月30日(木)
9
morita
森田一弥
 今月中頃、自宅前から愛車のスーパーカブが忽然と消えた。
この家に越してきて、二回目のことである。前回も同じくスーパーカブ。
近所の他のバイクの盗難の話はトンと聞かないので明らかにスーパーカブが狙い撃ちされているようだ。二度あることは三度ある、というがこうなりゃ意地だ、というわけで三代目のスーパーカブが先日我が家に届いた。

 しばらく自転車での移動を余儀なくされたわけだが、京都の道はホントに自転車にとって走り心地の悪い町だ。そもそも道路には歩道と車道の二つしかなくて、自転車はどちらを走ればいいのかはっきりしない。歩道の多くは歩行者と自転車が共存できるほどの幅が確保されていないので、歩行者の人に避けてもらいながら肩身の狭い思いをして走らなくちゃならない。車道を走れば路肩には違法駐車の列が連なり、車道の真ん中を疾走する車に追い立てられながら、冷や汗混じりで走らなくちゃならない。学生時代に日々感じていたことだが、思いも寄らぬきっかけで思い出すことになった次第。

 夜、久住鴻輔氏に呼び出されて柳沢邸へ。久住氏ヨーロッパ進出計画、森田、柳沢のペーパープロジェクト計画など謀議をいろいろと。沖縄土産の焼酎が回り、話も佳境・・・というところで柳沢氏酔いつぶれる。


10
yanagisawa
柳沢究
9月も終わり、これを書いているのは実はすでに10月なんだけど、いちおう手帳をもとに9月後半何をやっていたかたというのを、まとめておきたい。
基本的にはマドゥライの黄表紙にほとんどの時間を費やした(いまだ仕上がってないんだが)。大学院の作品展の段取りや、つい昨日(10/2,3)淡路でやった「アジア青年・建築交流会議」の準備もいろいろあって、それ以外のこと。

19日:西宮在住の友人が東京に引っ越すというので、六甲にあるレストランで飲み。ワインと鴨がうまかった。AQUOSの広告を、結構みてる人がいた。

22日:大学院の会議と入試の準備。神楽岡にも何度か来たことのあるIAMASの福田さんから、こんなイベントのお誘いをもらったが日程あわず残念。

24日:芸工大の主催する「ケータイフォトコンテスト」の審査(詳しくはこちら)。携帯で写真をとる習慣はまったくないのだが、1000点を超える応募作品を見てると、高校生がどれだけ日常的に活用してるか目にうかぶよう。たぶん携帯写真はほとんど保存されない泡沫のものだろうから、毎年これを開催して記録するだけでも、10年20年後には結構な資料になるのでは。
雑誌「住宅建築」の編集者・波多野さんと芸工大でお会いして、京都の話とかいろいろ。前から感じてはいたが、東京には関西の建築事情(特にゲリラ的活動)の情報はほとんど届いていないみたい。ちなみに波多野さんは花田研出身。花田研は建築ジャーナリズムに毎年刺客を送り出しているようだ。
徹夜気味でふらふらしながら、晩はこの企画へ。大入り盛況。ひさびさの熱いケンチクの話題で、なんだか学生に戻ったような新鮮な気分。

25日:大学院の入試・試験監督。終了後、元町の竹中大工道具館へ行き、久住ブラザーズと森田氏の「左官とその道具展」会場設営工事を見学。サーフィンが左官に応用されるとは知らなかった。小木曽さんと畑中さんも来ていた。この展覧会には日暮さんのジェンネの泥のモスク塗り替えの写真も展示されるそう。お近くの人は一度是非。その後、帰京し水谷さんと明日スライド会について打合せ。

26日:神楽岡スライド会「お宝観庭」。予想を超える人数が集まり大盛況。初めて顔を出してくれた方も多かった。最近は庭の関心が高いのか? あとは水谷さんにREPORTのコンテンツとしてまとめてもらいたい。マリ、レイのキノコ屋コンビも行商に訪れ、いつもとちょっと違った雰囲気の盛り上がり。テキーラ飲んで大いにいい気分。

29日:広報委員会。作品展やら国際会議の準備大詰め。黄表紙第0稿を無理矢理仕上げ、布野先生に送る。

30日:10月のスライド会(日暮さんによるマリ)の会場として借りる、京都建築専門学校よしやまち校舎を視察。晩は上の森田氏の書いているとおり、ダウンして翌日起きたら風邪をひいていた。


 ■ 9月13日(月)
7
yanagisawa
柳沢究
台風が毎週のようにやってきた8月以降、家の中へのイタチ侵入頻度がぐぐっと上がった気がする。これまでも土間でたまに目があったりしたが、先日は部屋に2匹も上がってきた。キキッとなんだか声がするので隣の部屋を空けると、小さな猫ほどのイタチ2匹が、おいてあった洗濯物にまみれて格闘していた。この野郎と追っかけたら、2匹からみもつれながら一体になって逃げていき、そのまま床下の板の隙間に突入していった。その後には強烈な臭いを発する茶色い粘っこい茶色の液体が点々と。「イタチの最後っ屁」とはこれか。また別の晩には天井裏を歩いていた。ネズミにしては重く、猫ほど忍んでいない足音。下から突っついてやったらダダダッと逃げていった。しかしどこへ?(下に降りてきてたりして)。

こんなことがあって実感したのだが、日本の家には天井裏とか床下といった、家の中なのに家の外という中間領域がある。隙間が多いとはいえ、家そのものは外からちゃんと仕切られたシェルターで、中にいればもちろん落ち着く(at home)。だけどその中間領域には、外の世界から得体の知れない輩がわりと自由に出入りしてたりして、けっこう不気味だったりする。バリ島の住居は日本と同じく床下・室内・天井裏(屋根裏)という3層構造になっていて、それぞれが悪霊・人間・神の居場所に対応していて(うろ覚えだが、たしかそうだった)、なるほどなと思う。

こういう風に住居に奥行きが生まれるだね、ってキレイにまとめるわけではないが、自然界の中に家を作って住む、というのは本来そういうことなんだろう。まったく動物の侵入しない現在の家(というか都市)の方が、特殊なのだと言えるかもしれない。だから寝ている時に鼻をかじったりしなければ、天井裏でも土間でも好きに歩いてくれ、そんで時にはネズミもとってくれ。


 ■ 9月12日(日)
6
yanagisawa
柳沢究
午前中、鷹峯のYさんに頼まれて醍醐の方にある住宅を見に行く。リフォームするんだそうでその相談。久々にお会いしたので、昨年6月に話のあった河原町のオフィスビルの話のその後をきく。Yさんの知人に紹介された人というのがその施主の素性なのだが、NPO法人を立ち上げて不動産屋のようなことをやっていて、億単位で金を稼いでるとか自慢げに話しながら、改装には100万しかかけられないなどと、話を聞くからに胡散くさかった。結局仕事は受けなかったのだが、Yさん曰く、やらんでよかった、あれは詐欺師だったと。数十万だが、いかれたらしい。世の中、胡散くさげな人が多いが、ホントに胡散くさい人もたくさんいる。

午後から、先週に引き続き、水谷さんと京都の庭めぐり。先週は竜安寺、金閣、蓮華寺に行き、今週は南禅寺界隈と上賀茂神社、モヒカン山に行って来た。

晩、神楽岡にてスタッフの打合せ。ジェンネの泥のモスクの塗り替えを撮ってきた日暮さんが、来月関西にしばらく来るというので、スライド会をやってもらうことになった。東京会場(ドーモ・アラベスカ)では130人を集めたというスライド会の京都版、10月の神楽岡会です。乞うご期待。


 ■ 9月11日(土)
8
yanagisawa
柳沢究
この一週間はマドゥライの黄表紙に集中。ようやくと形になってきた。時間かかりすぎ。

午後に花田研の成川さんが自宅に来訪。セルフビルドに関する卒論のインタビューを受ける。花田研では「沢マン」の住み込み調査(?)をやっている学生もいたりして、とても楽しそうな雰囲気(しかしセルフビルドのマンションって‥)。

町家に限らず、セルフビルドで自分の住まいを何とかしようとする人が増えているのは、たぶんに流行的な観もあるけど、いいことなんだろう。皆が皆というわけにはいかないし、マンションなんて普通無理だが、せめてインテリアだけでも自作するのは、趣味とか達成感以上に得るものが多いんじゃないか。まず建築業界の仕組みが見えて来るであろうし、「メンテナンス・フリー」なんて言葉は信用できなくなるはずだ。コストを体感すれば今のマンションや建て売り住宅に、いかに無駄なものがくっついているかがわかる(それを喜ぶ人がいるからあるのだが)。その一方で、やはりプロの仕事の大切さや既製品のありがたさというのも身にしみる。施主として一人前になるには「家は3軒建てなきゃわからない」なんて言葉があったように思うが、そんなのはっきりいって無理なこの時代、一軒の半分でも自分で建ててみれば、その後の「住力」が大いにレベルアップすること間違いない。


 ■ 9月7日(火)
4
mizutani
水谷馨
それいけ(偽)ケンチクマン!

ふだん建築なんかみにいかないため、
言葉のする知識もないことをふくめて、
的外れな事を当然のように感じているものです。
そういった事柄を、この場を借りてさらけだすことにしました。
個人的印象ですので、小生の無礼はご容赦ください。

 ■ その1

茅野市神長官守矢史料館

石諏訪大社上社の祭祀のうち、
最も大がかりでかつ神秘的な御頭祭に関する史料館。
よくわからないけれど多分そういうものだと思う。

藤森照信の処女作(建築では他に言い方があるのかな?)。
彼は諏訪出身(Y氏談)だから
最初は地元の奥まった所でと思ったのか、
看板がなければわからないような
道路から少し離れた所にひっそりと立っていた。

鉄筋RC構造で壁体部分においては内外とも特別調合の壁土を塗り、床面は同様のタタキとし、さらに一部壁土の上にはサワラ手割板をかぶせている。屋根には地元の平石と天然スレートをのせている。
(パンフレット引用、というかほぼそのまま)

周囲をオカメザサで覆われているこの建築は、
一目見た時から何故か
「荒野にたたずむパックマン」という印象が脳裏から離れない。
ニラハウスやタンポポハウス何か作る人だから、
もしかしたらあり得るかも。

内部は外見にくらべると意外とシンプルで、
御頭祭の史料館だけに異様に思える程の数の鹿の頭部が
(ついでに串刺しのウサギまで)
土壁らしく表現した壁に微妙なバランスで飾ってあった。

建物の外には、絶対に屋根に使った部材があまって
どうしようもなかったのであろう鉄平石が、
豪快に敷き詰められていた。

トイレに向かう壁に一つの窓が取り付けてあったが、
その手吹きガラスの窓とそこから見えるオカメ笹の風景が
とても印象的だった。


何故このような建築物をたてたのか定かではないが、
安藤忠雄が建てるよりもこの諏訪の地にはあっている。



「茅野市神長官守矢史料館」
建築藤森照信・内田祥士
所在地長野県茅野市宮川
用途美術館
竣工1991年


建築的パックマン度★★★★★
無理して地元材使った度★★★☆☆
対タダオ度(諏訪に於て)★★★★☆






本家はコチラ >> それいけケンチクマン!


1. 荒野にたたずむパックマン?


2.


3. 前列左より鹿・鹿・鹿・猪・鹿・猪・鹿


4. 無造作というか豪快というか


5. 近所にあった高過庵。足下はカボチャ畑

撮影日:
04/08/22 曇り時々雨


 ■ 9月1日(水)
1
yanagisawa
柳沢究
大学の授業の一環として行う「アジア青年・建築交流会議」の打合せのため、淡路夢舞台国際会議場へ。会場となる部屋や機材、ホテルの確認などなど。先日の台風で、夢舞台前の港は壊滅状態になったらしい。春の遠足で泊まった「久住章のゲストハウス」は屋根が一部飛んでいた。建設してから10年以上たつが初めてのことらしい。今年の台風はやっぱすごかったのだ。


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