神楽岡工作公司
JOURNAL
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2005年12月〜



 ■ 12月31日(金)
19
yamada
山田協太
12月26日にスマトラ島西岸沖で発生した地震で死者が10万人を超えるという。
私の指導教官はゴール(スリランカ)で要塞の中にいて辛くも津波の難を逃れた。また、連絡を取った知人は幸い全員無事だった。
しかし、知人の親族で未だ連絡の取れない方も何人かいる。
私が夏に調査をしたナガパトナム(タミルナードゥ、インド)も大きな被害を受けた。現地の方がどうなったのか大変心配である。
日本で力になれることがないか考えている。

来年はいい年になりますように。


 ■ 12月22日(水)
18
morita
森田一弥
昨日はコラージュ・ハウスにて、雑誌掲載用の写真を撮影した。朝十時から日没後六時頃までの、ほぼ一日仕事。撮影はいつもお世話になっている建築写真家の杉野圭さんで、撮影用に家具などを動かすのにこの建物の構造計算をした門藤氏も助っ人で来てくれた。

典型的な冬の京都の天候で晴れたり曇ったりのせわしい一日だったが、案外こういう日の方が(多少の時間待ちを覚悟すれば)思うような光の状態で撮影できて良かったりもする。冬の低い太陽からの光が室内に斜めに射し込むため室内は明るく、寒い一日だったがとても気持ちよく過ごせた。予算的にがんばって設置した床暖房が暖かい。写真の方は仕上がってからのお楽しみ。 


 ■ 12月16日(木)
17
suzuki
鈴木健太郎
今日は寒かった。仕事柄、もっぱら外で働いているからカレンダーで季節を思うよりも、肌で感じるものに、ああ夏だとかって気づくことが多い。けどなんか今年は変わり目にきれがないですね。今日は寒かったけれども、登った屋根からみえる東山はあいまいなオレンジで、まだ秋がくすぶってた。今のところ感じる冬は、眠るときの冷たい布団と、起きるときの気合いぐらいかな。


 ■ 12月14日(火)
14
higai
樋貝憲治
最近思うこと・・・「斬新」とは?
この間、助っ人で仕事に入った現場で良い体験をした。

家の中に入る前、塀の外から眺めたところ松が何本か見えた。その時は、「ああ!また松の葉をむしって、雑木の中をかきわけながらその雑木の枝を鋏で透かして、灌木を刈り込んで、草を抜きながら掃除をして・・・」と、勝手に頭の中で仕事の段取りをしていた。
ところが、中に入ってビックリ!その庭には雑木等は全く無く、草らしきものも生えてはいない。そこに植えられている木は、約10本の黒松しかなくて、スギゴケと白川砂であしらわれているだけであった。色でいうと緑と白の2色で構成されたとてもシンプルな空間である。まわりを囲んでいる塀は170〜180cm程度で、決して高くはない。なのに、塀の外から眺めたときは、まさかこんなことになっているとは想像もつかなかった。建物(数寄屋)の方も、この庭を眺めるための工夫がされていた。当然建具は一枚ガラスのもので、座敷からはL字形になっている庭の敷地を端から端まで眺められるようになっていた。まるでパノラマ写真を見ているようだ。夜になると、ライトアップされて、バックの無地の塀や壁に陰が映し出される。そこにあるのは、まさに舞台装置のような庭である。
「斬新」という言葉は、こういうものを指して使う言葉に違いない。施主に話を聞いたところ、この庭は20年前にできたそうである。20年前(めちゃくちゃ古いというわけではないが)に作ったものが斬新に見える・・・いや、この先何十年たとうが、いつの時代になろうと、斬新であり続けるに違いないと思った。ということは、時代を感じさせないものが「斬新」なものということになるのか・・・感じ方は人それぞれだと思うが、どんなに時が経とうが、新しく感じさせてくれるものは凄いと思う。庭や建築物に限らず・・・

僕が好きなブラジルのミュージシャンにTambaTrioというグループがあるが、彼等のサウンドは、今聴いても「斬新」である。CDのジャケットを見てみると、1962年録音と記されている。


こちらが写真(先方の許可を得ていないため、写真のみのページにさせてもらいます)
DATA・・・建物:ueno工務店/庭:植kuma)


16
inoue
井上大藏
ちょっと変わった私の趣味!?を記します。
今年も押し詰まり、あと2週間弱で2005年。ここぞとばかりに、年賀状製作のため今年であった方々の名詞を整理していた。
この名詞を元に発送するのだが・・・
1991年5月に都市銀行の所長から頂いた名詞が、私の生涯で第1枚目の名詞。
この記念すべき第1枚目を、何の気なしに残し出したら今年で総計880枚になった。
内、7枚程度が自分が使用した見本。15枚程度が、異なる時に同一人物から渡されたもの。8枚程度が、大変お気に入りの店舗カードである。だから、実質上850枚程度が名刺交換した方々という事になる。
自分でも呆れているのだが、一生涯で何回名刺交換をすのるのだろうか・・・。少し楽しみにしている今日この頃である。


 ■ 12月13日(月)
13
yanagisawa
柳沢究
先日、三十三間堂に行く機会があった。中学の修学旅行、大学入学直後につづいて3度目であったが、予想外に堪能した。
初めての時の記憶はほとんどない(千体の観音菩薩の迫力は覚えているが、写真でつくられた記憶かもしれない)。2度目は一応建築学科に入った後だから建築を意識して見た(遙か彼方まで連続した垂木に妙に感動したのを覚えてる)。3度目の今回は手前に並んでいる二十八部衆(+風神・雷神)の像から目が離せなかった。
裾のゆったりとした服の上につけた、おそらく革製と思われる鎧のデザインが皆異なっていること(帝釈天なんかは鎧の上に衣をまとっていかにも神々の指揮官然としている)、婆藪仙人や摩和羅女の表情など、これまで目には入っていてもまったく気に留めなかったことが楽しめた。
インドの都市研究をはじめたことで、諸神のサンスクリット名がある程度理解できたのも大きい。三十三間堂にはヴィシュヌもシヴァもブラーフマーもガルーダもいたのだ。なかでもクンビーラkumbhira=金比羅(こんぴら)がガンジス河のワニだったというのを知って、(実に奇妙であるが)遠くの友人にばったり街角で再会したような嬉しさを覚えたのでした。


 ■ 12月12日(日)
9
yamada
山田協太
電気店に行って来た。
遂に神楽岡にも液晶プロジェクターを導入する。
納品は来週だが大変楽しみ。
今まではスライド会の度に某所からプロジェクターを借りていたが、先方が遠方へ越してしまったため購入を決定した。
最近の製品は性能が大変よろしく、ついつい映画とかテレビとか見てしまうかも。



10
inoue
井上大藏
今日、「京都検定」を受けてきた。
行ってびっくり。ものすごい人数が受験している。自宅に帰って報道を見ると約1万人弱受験しているとの事。
観光業者やタクシー業界からの受験も考えられるし、文化観光学系やまちづくり系の学生も多いようだ。
しかし!一番目に付いたのは主婦である。
確実に趣味だろう!って言えそうなノリの人が多かった。それだけ、目に付き興味沸く検定なのだろうな。
合格発表後は、自称「京都通」が一挙に現れる事、間違いなし。

かくゆう私は、歴史・建築・文化史系統の問題は差し障りなかったが、菓子・野菜・風習・絵画系統で悪戦苦闘した。
発表が少々怖い。


 ■ 12月11日(土)
6
inoue
井上大藏
あっという間に12月になった。
今年、京都・嵯峨野で昭和初期に宮大工の建てた和風木造建築の自邸調査を行ったが、建てた宮大工の事を調べていたら、どうも平安神宮これを京都府技手として設計した方のようだ。まだまだ、可能性の段階であり物的証拠を見出せた訳ではない。しかし、この平安神宮を調べる中で当時の職務分掌について知ることになった。例えば、技師:伊東忠太等の名をよく耳にするが、では「技師」と「技手」の違いは何か?等の疑問が沸いてくる。

解法の一助として勅令第八十六號土木監督署官制(明治二十七年七月三日)がある。
土木の現場事務所の職員構成である。
土木と建築では現場事務所の構成で大きな差がない為、参考にする事ができる。

第三條 各土木監督署二左ノ職員ヲ置ク
    署長・技師・技手・書記
第七條 技師ハ各署ヲ通シニ十一人ヲ以テ定員トス署長ノ指揮ヲ承ケ署務ヲ分掌シ竝
    二第六條ノ事務ヲ補助ス
第八條 技手ハ各署ヲ通シ三十五人ヲ以テ定員トス上官ノ指揮ヲ承ケ工務二從事ス

所長(署長)以下書記まで公務員である。書記は庶務担当の為、事務職。建築の定員については不明。また、平安神宮の創建に関しては所長が中央(東京)在住である為、技師と技手で監理を行っていた事。今回の技手さんの関連分は、創建後の増築でM45年の完成。現場事務所を設置されなかったとしても京都府技手(公務員)の職務は変わらない。当時の技師は学業(座学)出身も多く、相談できる高度な技術職人の存在が必要不可欠で、技手が公務員でありながら「工務二從事」できる事が重要であった。当然、技術職人である技手が設計する事は可能である。

近代木造和風の調査は、現在の技師のレベルから、技手の掘り起こしへと展開してゆ
くこと確実であろう。


8
yamada
山田協太
泉佐野に打合せに行って来た。
市との交渉が終わり、外観の一部保存を追加することで改修案に合意が得られた。
進行のペースが大変緩やかだが、もちろん竣工の期限は決まっている。
早くも来年の多忙が予感され複雑な心境。


 ■ 12月9日(木)
7
yamada
山田協太
論文を一本出した。といっても私名義ではない。
来年度卒業を目指して自分の論文も今年中に2本まとめておきたい。
研究室と自宅を往復する毎日を送っています。


15
yanagisawa
柳沢究
今日は大学院の特別講義、深澤直人さんによる「ありそうでないもの」。今をときめくデザイナーの来訪に、教室は学生であふれて立ち見の出る盛況。

2日のところで「よく知っているものの想定外のあり方」との遭遇は破壊力が大きいが、状況によって気持ちはプラスにもマイナスにも振れやすいと書いた。それに対して、幅は小さいが確実に好感度プラスなのが、「そうそう、これ!」という驚き。頭の中にある自分でもよくわからないモヤモヤしたものを、スパッと形にして見せられたときの気持ちよさ。ちょっと苦しいが、「よく知っているものの、ちょっとだけ予想の上をゆくあり方」と言えるか。建築も含め優れた芸術作品やデザインの大部分にはこのどちらかがある、と断言する自信はないがそう思う(「よく知らないもの」については予想もくそもない)。

「よく知っているものの、ちょっとだけ予想の上をゆく」もの、をスマートに言い換えると、今回の講義のテーマ「ありそうでないもの」になる。講義の内容は「ありそうでないもの」を目的意識的にうみだすための方法論について。水が上から下に時にうずまき音をたてて流れるような語りとスライドは、上質のエンターテイメントのようでした。主な内容はこの本にも書かれているよう。


 ■ 12月8日(水)
11
yanagisawa
柳沢究
朝8時に京都駅集合。大学院の授業の一環で、院生を引率して高台寺の茶室「傘亭」「時雨亭」の見学へ行く。特別に一般拝観の始まる前に入れてもらい、静かに鑑賞させてもらった。


傘亭

時雨亭


傘亭は初期の茶室らしく、唐傘状の化粧屋根裏をのぞけば材料や意匠にそう凝ったものはない。茶室にありがちな「おまえら空間を味わえよ」的押しつけがましさが少なくて気楽である。もともとは池の上に建っていたそうで、茶室の中に一畳分舟入が食い込んでいる。池の上にあった当時は、水面から反射する光が跳ね上げ戸にさらに反射して、さぞやきれいだったことだろう。夜になれば屋根裏に闇がたまって、なおよいに違いない。
時雨亭は他に例をみない(?)二階建ての茶室。床のある面以外は全て跳ね上げ戸で開き、さらに床(の正面!)にも下地窓があいているという徹底した開けっぴろげぶり。茶室というよりは東屋か物見台に近い。そこら辺の余った材で作りました、といわんばかりの飾らなさで気持ちがいい(雨仕舞いなどの細部には結構手の込んだことをしてるんだが)。
開山堂は漆喰のおとなしげな外観と裏腹の、とんでもなく派手な内部がこれまた爽快(内部写真撮影禁止)。黒く塗られた円柱に極彩色の装飾というのは初めて見た。

昼過ぎに芸工大に帰って、午後から植田実さんの特別講義「集合住宅物語・解題」拝聴。学生に植田流建築鑑賞術の手ほどきをするような分かりやすい語り口を、こんな目で京都を見れば、と考えながら聴いた。ともすれば懐古的に語られる同潤会アパートなど戦前・戦後の集合住宅を、「生きた建築」として見る視点が印象的だった。「集合住宅が如何にやさしく成熟するか。それを歴史的価値とか風情、生活感といった言葉でなく、別の言葉で語ることが出来れば…」という言葉に強く共感。時間をかけて作られる「デザイン」があるということ。晩は三宮で植田さんを囲んでの食事に参席。おそるおそる「京都げのむ」の既刊を渡し見てもらう。


 ■ 12月7日(火)
5
yanagisawa
柳沢究
昼間は大学で細々した仕事をやっていると、あっという間に時間がたってしまう。合間に「げのむ」のこととかコーラム研究の試行とかをやりつつ。黄表紙は…。

晩は京都で、京都CDLの今後について考える年末会議が招集。布野先生や渡辺運営委員長、立命・山本先生らを交えて。明日の朝が早いのを考慮して、はじめて出がけに牛乳を飲んでいったら、それが効く前に腹がくだった。なさけない…。でも効き目は大きく、一次会の間は全然酔いがまわらなかった。というか、酔わないのでつまらん。意味がない。帰宅3時。


 ■ 12月5日(日)
4
yanagisawa
柳沢究
芸工大・花田研のサイトに、花田佳明先生が朝日新聞(関西版)に連載していたコラムが掲載されている。
どの回も非常に面白い(個人的には10/24の掃除の話が好きだ)が、これまで誰もが薄々感じていながら誰も公に言わなかった(少なくとも僕は聞いたことがなかった)という意味で素晴らしいのは、9/26付けの「リフォーム 生活スタイル見直す好機」という回だと思う。設計者もリフォームを考えている人も必読です。

「住宅の場合、無駄なものもほんとうに多いけれど、実はそれが家や生活の個性になっている場合もあったりします。むげに物を減らすようにもいえず、リフォームの時はいつも悩みながら収納ばっかり考えています」というのは、これを読む前に僕が書いた文章。間違ってないとは思うけど、プロとしては認識が浅い。いや恥ずかしい。


 ■ 12月2日(木)
3
yanagisawa
柳沢究
先月21日のところで「ダニエル・オスト展」の感想を「これがもし動物を素材としていたら、人体を素材としていたら、と想像し恐々としてしまうのは僕だけだろうか」という風に書いたが、適切な表現ではまったくなかったので訂正する。

21日の感想の主旨は要するに、ダニエル・オストの作品にある違和感を感じた、それは何ゆえだろう、ということ。結局やや感傷的なまとめ方をしてしまったのだが、後から考えてみると、これは違う。実は植物をモノとして扱うこと自体は何の違和感のタネでもなかったのだ。植物をモノあるいはまさに素材として扱うことは、常日頃「料理」という形で目にしているではないか。上に書いたようなことは、これが人肉だったら、などといって料理を批判するようなものである。まったくダメ、パカパカな感想である。
じゃあ違和感の正体は何だったのかと考えるに、それは「よく知っているものの想定外のあり方」を見たことによるショック、それに若干の嫌悪感が加味されたものだったのだと思う。植物を造形作品に使うことがあるのはよく知っている。生け花や菊人形いろいろある。それらは、各種操作を施されてはいても花・茎・葉という一連の構成をいちおう維持しているし、花という特殊な器官についてはそれを独立させて用いる例は少なくない。だが、茎や葉あるいは実のみを偏執狂的にまで集積・反復させた姿は見たことがなかった。これがまず「よく知っているものの想定外のあり方」であった。
このシステムは例えてみるに、テレビでアボリジニが芋虫を食しているのを見た時の心情と似ている。芋虫はもちろんよく知ってる。あれはまた格別巨大でぷりぷりしたやつだが、それ自体は問題ない。気持ち悪さでは例えばナマコの方が上だ(大好き)。問題は外観ではなく、「芋虫は食うもんちゃうやろ!」という個人的(文化的)偏見にある。食芋虫の場合、歯でぷちゅっと噛み切りほとぼしる肉汁をじゅるりと飲み込む触覚的感覚がものすごくリアルに想像できて、それが「食うべきものでない」という思いこみと相まって嫌悪感に転化するのだろう。
では僕がダニエル・オストの作品を見た際に、なぜ(ほんの少しでも)嫌悪感が生じたのか。生き物である植物をこんな扱い方して、というのは始めに書いたように全く理由にならない。一つは「反復・集積」という強迫的手法によるものかとも思う。あるいはあまりに作品が美事でストレートすぎる造形への嫉妬の感情が原因かも知れないが、実はまだよくわからない。
いずれにせよ、「よく知っているものの想定外のあり方」との遭遇自体は、好きとか嫌いとかいう価値判断とは関わりがない。ただしそのインパクトは精神を高エネルギーかつ不安定な状態にする。そうなると人間はどんな些細な理由をみつけてでも、好き/嫌いの判断を下したがるのだと思う。結果、エネルギーが高いだけに理由の大小にかかわらず、判断の振れ幅は非常に大きくなるのではないか。
好き嫌いの判断は危うい、という当たり前の結論。


 ■ 12月1日(水)
2
yanagisawa
柳沢究
午後、大学院会議2時間。議題たっぷり。
晩、両親来大阪のため梅田の店で食事。化学関係の会社にいる兄貴から酒についての化学的講義をうける。ウィスキーを木の樽に貯蔵しておくと、その中で酒中のカルボン酸(脂肪酸)と木のセルロースの反応でエステルが生成され独特の芳香を放つのだとか、アルコールはそんなに身体に悪くないけどアセトアルデヒドは猛毒で二日酔いになったら確実に寿命が何日か縮まったと考えろとか(ちなみに僕は必ず二日酔いになるまで飲んでしまう)。酒の話を肴に酒を飲むのは意外と乙なものです。

最近電車の中で読んでるのは岩波文庫「寺田寅彦随筆集」。科学者のうまい文章ってほんとに読んでて気持ちがよい。脳の歯車に油をさすような快感。


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