神楽岡工作公司
JOURNAL
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2005年12月〜



 ■ 5月30日(日)
26
inoue
井上大藏
 今日から、昭和初期に某宮大工が建てた、京都:嵯峨野の自邸の調査を開始した。昨年より知人を介して、空家であった現地の建造物に対し有効活用に関するアドバイスを行っていたものであるが、この度本格的な調査を行う事となったのだ。詳しい住所等は、現時点でジャーナルに記す事はできないが、周辺環境として嵐山から徒歩10分、JR嵯峨嵐山駅からは徒歩5分、京福嵯峨駅前駅から徒歩2分程度のところ。気取らない茅葺民家の店舗や、田園の点在する住宅地の中に存在している。人通りも然程多くない一角だが、地理的条件には可也恵まれている場所なので、住宅街としては高級な部類に入るのではなかろうか。
 とにかく部屋数が多い。列挙すると、玄関約3畳半、玄関間3畳、応接6畳、居間6畳、居間附室4畳、奥応接6畳、奥応接附室4畳、二階応接8畳、二階応接附室4畳、台所(配膳室)4畳、台所(調理室)4畳半、物置(旧書斎)3畳となる。その他、押入れ6箇所、蔵1棟、離れの店舗1棟、物置小屋1棟、脱衣室1畳、浴室2畳が存在する。更には、床(本床、地・天袋付き)が4箇所存在する。すべて純粋な京間畳の大きさだ。これに当然ながら簡略な門と前庭・庭園が付属する。鎮守の方位神(祠)も存在する。
 大きな特徴としてデザイン的には、蟇股や格狭間の形をした窓も存在しており、得られるセンスはかなり多いだろう。

この建物を徹底的に調査するつもりだ。理由は別ジャーナルで記すこととしよう。


 ■ 5月27日(木)
25
yanagisawa
柳沢究
なんだか5月はえらかった。捻挫はするわ携帯ぶっ飛ぶわ、ちまたで噂の架空請求の電話(ほんとに気分悪い)がかかってくるわで、結構ストレス。平日はずぅっと大学にこもってタバコを吸いまくってるし、体にも頭にもよくない生活だよなぁ。就寝前のビールとマンガが至福のひとときだったりして。
唯一のリフレッシュは、先週の夜、畑中さんや山崎・松井くんら芸工大の面々と飲んでるとこから、いきなり軽トラで連行された、淡路の土蔵実測ツアーか。それから、投稿中であった黄表紙がようやく通った。たかが学会誌であるが注いだエネルギーが報われるのはちょっとカタルシス。

なんかぐだぐだですが、一つアナウンス。
神戸芸術工科大学大学院の「芸術工学基礎論」の講義内容を紹介するページができました。日本における「形の科学」の第一人者・高木隆司先生による超わかりやすいレクチャー&ワークショップ。ほんとにためになります。

26日には大学院の中間発表会があり、その中で「光の質」をテーマにして建築作品をつくる云々という学生の発表があった。それに対する高木先生のコメント、門外漢なのですがと丁寧に前置きをしてから、「光というのは物理学では明確に定義されているのだけど、あなたの言う『光の質』とは、光そのものではなく光のあたる素材表面のことですか?」と。書いてみればしごく当たり前のことなのだが、こういう物理的な現象があって、その上で「意味」とか「象徴性」とか「空間の質」とかってものが生まれてくるってことを忘れている場合はけっこう多い。


 ■ 5月25日(火)
24
yanagisawa
柳沢究
23日付のBBSにて、神楽岡町在住の「びば」さんから、拙著「京町家のブランド化」についての批判をいただいたので、ここで回答いたします(各所の掲示板を見るにつけ、匿名での議論は好ましくないと思いますが、このやりとりがそうならないことを願いつつ)。

「京町家のブランド化」は、冒頭に記してあるように2000年6月時点で書かれたものです。その後、京町家をめぐる状況には幾分変化が起こっていますが、ここに書いた内容については基本的に有効性を保っていると考えたため、その時代の主張の記録としての意味もあり訂正は控えてきました。以下「びば」さんからの指摘について、この間の変化をふまえつつ、私の考えを述べます。

『まず、京都市という地方行政機関が国の法律を策定せよ、という提案は明らかな越権であることを指摘します。』

「都市計画法改正とは言わないまでも、京都市での特例を認める条例の制定を目指すべきではないのか」
についての指摘と思われますが、これは、繰り返しになりますが、「京都市が『京町家からはじまる京都の新世紀』をうたうのであれば、まずその第一歩として行政によってしか為しえない法的条件の整備」にこそ取り組むべきでないかと、京都市の町家に対する姿勢について指摘したものです。もちろん京都市が直接に「国の法律を策定」するということはありえません(「京都市という地方行政機関が国の法律を策定せよ」とは述べていません)。市が国に対し改正への働きかけを行うという選択肢はありますが、あまり現実的ではないように思いますので、方法として有効なのはやはり「条例の制定」ということになるでしょう。
※補遺:1999年の「地方分権一括法」制定、2000年の「都市計画法」「建築基準法」改正により、都市計画に基づく事務や、都市計画法の具体的な運用(用途地域の設定など)については権限の大部分が地方自治体に移譲されるようになりました。まちづくり行政に関する自治体の権限は大幅に拡充されたといってよいでしょう。

『地方でできる範囲の条例にしても、町家にすんでいる人自体、条例化には総論では賛成かもしれませんが、各論では議論が噴出して条例化は無理な状況でしょう。市が条例を作るべき、というのであれば、京都市民の方と具体的な話をしてみることをお勧めします。(なお、自分は市の職員ではありません)』

どのような条例を、という点に具体的に言及していなかったので誤解されたようですが、論の意図は、景観を保護・保全したり伝統的な町家の新・改築を制限するような条例を定めることを主張することではありません。指摘したかったのは、現状の法制の問題点、すなわち、都市計画により定められた防火・準防火地域において、町家を伝統的な方法(外部の仕上げに木を用いる)で建て直すことができないこと、また住居として用いられなくなった町家を社会的なストックとして転用することにも著しい困難があること、さらに商業地域あるいは近隣商業地域では容積率の問題から大規模・高層建築を建てることが経済的に圧倒的に有利であるため、既存町家のストックの破壊が促進されている、という点にあります。

『また、町家とは京都の町衆が作り上げてきた様式であり、それを「保護」するために京都市に「条例化」を請願するという姿勢が、町家のあり方にあうことかどうかは疑問が残ります。』

以上の指摘については、したがって、もっともであると共感いたします(「保護」や「請願」という語を記した覚えはありませんが)。私自身としては、伝統的な町家をとにかく保存せよという意識はなく、住民・市民の生活スタイルや要求にもとづき、様々な取り組みがあってよいと考えています。しかし、少なくとも現在も残っている町家は貴重なストックであり、それを有効に活用していくことは(町家に限らず)今世紀における重要な課題となるでしょう。これに対して、先に述べた法制の問題点は明らかにマイナス要因として作用しているので、京都市が町家の価値を認めるのであれば、ぜひともこの問題に本気で取り組んでもらいたいというのが論旨です(条例の制定による状況の改善は可能です)。
※補遺:2002年10月に指定地区(伝統的景観保全地区)において「防災と両立した形での伝統的景観の保全・継承を可能」とする「京都市伝統的景観保全に係る防火上の措置に関する条例」が定められました。今後どのように機能するか、注目したいところです。

『それ以上に問題なのが、京町家を多少誤解されているところがあるところです。
>京都市のやる気のなさと、浅薄なブームとブランド性への迎合の姿勢を露呈するのみである。
とありますが、私にはこの神楽岡公作公司も同じように見えます。基本的に京町家ブームに乗っているのはさほど変わらないと思うのですが、どうでしょう。本来の町家というものがどういうものかは一言では決め付けられないと思いますが、例えば町家というのは人が住む場であるはずですが、こちらで行わたプロジェクトで人が住んでいると思われるのは極少数です。それもどうも仕舞屋のようで、一番「町家らしい」職住一体型ではないようです。(もちろん、何が「町家らしい」かはそう安易には決められないとは思いますが)』


「何が『町家らしい』かはそう安易には決められない」以上、各々の理解に「多少誤解」が生じるのは仕方のないことですが、私の考える京町家とは「京都における伝統的な都市型住居タイプ」であり、それ以上でも以下でもありません。現在残る京町家はほとんど明治以降のさほど古いものでもありませんが、京都という都市に如何に住まうかという数百年にわたる居住者の知恵の結晶という点において価値があり、その意味では「仕舞屋」も「職住一致型」もいわゆる「長屋」にも差はないと考えます。住まいや住まい方は時代により変化し、同じ時代にも多様な住まい方があるのが都市というものです。町家の伝統的な使い方に固執する必要はないのではないでしょうか。新しい住まい方に新しい住まいがあり、一方で古い住まいを新しく住まう(使う)という方法がある。両方を考えて行ければと思います。

以上は私個人の考えですが、神楽岡工作公司としても基本的にこのような姿勢で京町家に取り組んで来ました。その活動が「基本的に京町家ブームに乗っているのはさほど変わらない」と見えたとしたら、我々の活動の至らなさを反省するばかりです。

以上、批判に対する答えになったかどうかわかりませんが、これからもご意見をいただければ嬉しく思います。


 ■ 5月22日(土)
22
morita
森田一弥
 昨晩遅くに京都を発って、久住鴻輔氏、柳沢氏と淡路島に向かう。久住邸にて休んだ後、朝四時に淡路島南の海岸へ向かう。台風一過の海であったが期待していたほどの波はなく、数時間久住氏と波乗りに興じる。ただ、波乗り歴まだ三回目の自分は全く波に乗れず、久住氏と彼の師匠が格好良く波を捕らえていくのをサーフボードの上で見ていただけであったが。柳沢氏は朝方まで飲んでいたこともあり、海岸で爆睡状態。
 西淡インター出口で久住氏の弟子たちと神戸から来た畑中さんグループと合流、久住章氏が16年ほど前に手がけた土蔵に向かう。当時久住章氏は応接間天井のバロック彫刻をいくつか手がけていたこともあり、土蔵のディテールはふくよかな曲線で構成されている。総勢九名の人海戦術のおかげで、かなり凝った作りの土蔵だったにもかかわらず蔵の扉の詳細までしっかりデータを取ることができた。今回の実測は、先日の京田辺の土蔵の実測と合わせ、土蔵の工法とデザインについて理解を深めたいという目論見だ。このご時世に土蔵を新築するなんてよほどの事情がない限りあり得ないだろうが、いつか最先端の?土蔵のデザインを手がけてみたい。冗談でなく、まじめな話。



 ■ 5月20日(木)
18
morita
森田一弥
 あいにくの雨模様の中、O邸改修現場では増築部分の鉄骨搬入、建て方作業が一日かかって終了。路地奥の物件ということもあり、鉄骨部分はすべて人力で搬入可能な軽量鉄骨で構成されている。その部材に対し、直接外装材をビス止めすることができるので造作工事も木造に近い感覚で行うことができ、合理的な構造だと思う。

 ただし、鉄骨の垂直を既存の木造部分の歪みに合わせて調整していくため、どこかにしわ寄せが行ってなかなかうまく位置を決められない。組み上げるのはあっという間だがこれにずいぶん時間をとられてしまった。

 既存部分では構造上重要な位置にある壁を解体し、新たに既存部分と同じ竹の下地を編んだ。構造用合板のような面材でなく、この方が「同じ構造壁でも既存建物になじみやすい」と構造設計の門藤氏の考え。

 夜十時頃、左官職人と庭師が神楽岡に乱入、住人の庭師一名と旧住人一名を加えて半チャン二回ほど。


 ■ 5月18日(火)
16
morita
森田一弥
 古民家を移築して建てたいという栃木県の方と、午前十時に烏丸三条のスターバックスで待ち合わせ、計画について相談を受ける。
 よくよく話を伺うと、一軒丸ごと移築して建てるというよりは、あちこちで手に入った古材を集めて建てるような話らしい。丸ごと移築ならば元通りに柱梁を組み直せばいいのできちんと部材に番号を振っておけばそれほど問題はないのだが、あちこちから集めてきた古材で建てるとなると話は別。

 加えて今のところ建具のめどが全くついていないようで、とりあえず建物の平面は京間のスケールで計画しておいて、京都の建具を輸送して使ってはどうかと提案した。京間の建具なら比較的まとまった数が手にはいるし、サイズが統一されているので建物に合わせるのも楽だ。輸送費もたかがしれているので、現場で手間がかかるよりよほど安上がりだろう。
 ちょうど近所なのでいつもお世話になっている井川建具店を紹介して、京都の古建具事情?を見に行ってもらうことにした。

午後になってO邸改修を請け負ってもらっているエクセル住宅建設さんから連絡があり、見積以上に工事内容が膨らんできているので一度お話がしたいとのこと。木造住宅の改修で、足下周りに手をつけはじめるといつも出てくる問題だ。大工さんなど現場に居合わせた人間はどうしても予定以上に手間をかけてしまう部分だからだ。何とかうまく話をまとめなければ。


 ■ 5月15日(土)
14
morita
森田一弥
 千本中立売のO邸改修現場は解体工事、増築部の基礎コンクリート打設が終わり、今日は歪んだ既存軸組のジャッキアップ作業を行う。現場監督さんが建材屋さんでレンタルしてきた油圧式のジャッキを柱に据え付け、複数の柱を様子を見ながら同時にジャッキアップしていく。ジャッキの棒を上げ下げすると一回2ミリずつぐらいのペースで建物が持ち上げって行く。

 最大で80ミリ近くジャッキアップしたが、道具を使っているとはいえ人力で建物が持ち上がっていくのを見るのは感動的ですらある。中規模のお寺の本堂くらいならこの方法で充分ジャッキアップ可能らしい。こういう場面に出くわすと木造建築は足下が弱いと言うけれどいくらでも延命させることができるんだなあと痛感する。柱の下には基礎パッキンと切断したヒノキの柱を差し込んでレベル調整を行った。今後は大工さんは床の下地を造り始め、左官工事も上塗りをこそげ落とした既存の下地の上に「泥ずり」と呼ばれる下塗り作業を進めていくことになる。

 来週月曜日は鉄骨工場にて増築部の鉄骨検査。来週中に鉄骨の建て方が終了する予定。



 ■ 5月14日(金)
15
morita
森田一弥
 ここのところ、自分の事務所のHPも作り始めていて、ジャーナルもご無沙汰になってます。まだほとんどの内容が神楽岡のものとダブっているけど、個人的に書いた文章なども載せて充実させていく予定です。
 
 今日は午後二時過ぎからラトナカフェにて住宅雑誌LIVESの取材・撮影。続けて午後四時から今年の建築士会連合会賞の現地審査で建築家の難波和彦氏と岸和郎氏を案内する。頭の中を整理して臨んだつもりが、いざとなると妙にバタバタしてしまい解説しきれなかったことばかりで、心残りの現地審査となってしまった。黙して語らず、モノで勝負!と行きたいところだが、やはり語ることでしか伝えられないこともあるわけで・・・。

 八時頃に久住鴻輔氏が事務所に来訪、若干の打ち合わせのあと神楽岡に立ち寄る。十二時頃までまで談笑してメンツがそろったところで麻雀に突入。明日は朝イチからジャッキアップだ。


 ■ 5月12日(水)
9
inoue
井上大藏
4300円・・・当然の如く、この金額だけでは何のことやら判らない。

だけど、これが「夜行バス京都・東京間の片道運賃だ」と記せば、『激安!』との返事が聞こえてきても不思議ではない。JRバスの同区間夜行でも最低5000円なので、これを下回る事になる。何々会社と記す事は、販促のイメージが強くなるので避ける事にするが、それでもやはり引き付けられる金額だ。
「安かろう。悪かろう。」では、たまったものではない。前回のバス旅行時に存在を知る事になり、気にはとめていた。今回16日に東京で用事がある為、利用する事にする。まずは体験ということだ。どんな車両なのか?、どんな設備なのか?、時間通りの運行ができるのか等々。知りたい事は、たくさんある。ちなみに15日・16日と連続して利用する。

驚いた事に、京都・東京間は通過地点である。正しくは、神戸〜東京ディズニーランド間の発着バスである。だけど、これでも4300円だ(金・土・日の出発はプラス500円)。ビンボーな私には、モッテコイの足になるかもしれない・・・予感あり!?


 ■ 5月10日(月)
8
inoue
井上大藏
ちょこっと、難しい構造のお話。

先日、私のところに京都大学の某先生からメールが届いた。
伝統木造に関連した「限界耐力計算」に関するものである。

現在、国土交通省での住宅産業構造改革推進事業において、伝統的構法の建築物に関する法整備を着々と進めているそうだ。この事業の報告書(案)を、これまでの状況を知らない新着任の担当官が纏めたそうである。事業自体においても、パブリックコメントなどほとんどなしに動いているとの事。詳しくは、http://www5f.biglobe.ne.jp/~kouchiku/taisinjikken5.htm を参照されたい。

今後の行く末が、たいへん気になっている。


 ■ 5月7日(金)
6
yanagisawa
柳沢究
いわゆるAu週間に何をやっていたかと問われれば、「捻挫」しましたと答えたい。
GW最後の5日、奥村氏と永谷のマリちゃんと、四条木屋町にある「マリアッチ」という店に飲みに行った帰りである。

友人から「おまえのジャーナルは飲みに行った話ばかりではないか」という指摘をもらったばかりなので、弁解させてもらえば、この週間中、けっして暇だったわけではない。ほんとに家でシコシコと溜まった仕事をまいにちやってたのだ。別に、いつも遊んでくれる相手が、最近彼女ができたからとか、家族サービスでとか、実家に帰るからとかで、だれも相手にしてくれる人がいなかったからという理由ではない。まじめに働いていたのだ。

話を戻す。
四条木屋町あがったところにある、その「マリアッチ」というメキシコ料理店、奥村氏につれられて、はじめて行ったのだが、実によい。シェフは奥村の同級生で、僕も京都の合同大学卒業設計展でいっしょにやったことのある男で、5年振りくらいの再開。
正直なところ、料理が美味かった、マスターの唄にマラカスを振りまくったという以上は、記憶が曖昧なのだが、テキーラが美味かったのは鮮明。丸一本空けたのに、翌日まったく二日酔いがなかったのは不思議なくらいである。

その帰りに、たしか相国寺の境内で、側溝に足を突っ込んだ。たかだか捻挫であるが、親指の爪も剥がれて、朝起きたら結構痛い。思えば5日は母の誕生日にもかかわらず、電話もなにもしなかった。親不孝がたたったのかと自戒する。今度の母の日には挽回しよう。


 ■ 5月6日(木)
4
inoue
井上大藏
5月1日から5日に掛けて京都の岡崎で古本市が行われていた。恒例の行事であり、且つ出店数も多い事から毎年大盛況をおさめている行事である。私は、もともと古書店での書籍探しが好きなので、こういう機会は大事にしている。その為、毎回探し物の書籍を見つけては、つい買ってしまうのだ。買うは、良いのだが・・・自宅に持って帰ると、今度は置き場所が無い。これが問題なのだ。それに、書籍はやはり重い。書棚があるが、収納するとそこはやはりピンポイントで大きな荷重が床に掛かって、見るからに重い。
書籍は確かに大事なのだが、使わない時は・・・・・・・インテリアとしての使いたい。
重石???は、避けたいネ(笑)


 ■ 5月4日(火)
3
inoue
井上大藏
毎年この時期に、京都府美山町に出かけている。
美山で陶芸作家として活動されている方の自宅個展が、この時期開催されている。これを見に行ったのだ。かれこれ8年位になるだろう。毎年行っている。七夕みたいな自分のサイクルなのだが、こういうサイクルは実は気に入っている。今年も行けた・・・みたいな、そんな嬉しさがあるのだ。今回の足は50ccの原付。現地まで、行きは国道162コースで2時間30分費やした。その後、北集落・イギリスの茅葺方法を採用た民家屋根を見た後、芦生を通って京都へ。よって、帰りは花背から鞍馬経由のコース。広河原や峰定寺の側を通るのどかなコースで、田舎生活の息吹を感じられるコースでもある。
162コースは、その意味では田舎開発コースとも言える整備された道だ。トンネルも多いし、この道の関係で途中の京都府京北町は京都市の右京区(地理的関係による)と合併する。北区(産業の関係による)の選択もあったが、道との関係が優先された。
こんな所にも、生活の変化の兆しが見え隠れしている。


 ■ 5月2日(日)
2
inoue
井上大藏
滅多にいない、自宅での休日の昼下がりの事である。
今日、気が付いた事なのだが蒸気機関車の汽笛が聞こえて来た。
梅小路蒸気機関車館での動態保存の為の構内運転によるものだが、自宅で聞いたのは初めてだ。
直線距離、1.3キロの我が家まで確実に聞こえる。以外に遠くまで届くものだと感心した。
いい感じを受けた。文明の音だ。子供の駆け寄るシーンがよく映画に登場するが、気持ちがわかる。力強くて「男の子っぽい」音だ。

聞こえてきて、いい感じを受ける音に水琴窟がある。
よく、水を垂らして故意に聞く事が多いが、「気が付いたら鳴っていた」みたいな自然な環境状態の中で一度聞いてみたいと思っている。
それに似合う庭も欲しいけど。



 ■ 5月1日(土)
1
yamada
山田協太
2月末に申請した坪井記念研究助成(2×4材を用いた新しい枠組壁構法に関する研究の助成)の採用が決定した。申請を採択してくださった日本ツーバイフォー建築協会に感謝いたします。
今後、研究課題「2×4材を用いた京町家の改修手法の研究」に向けて精進します。


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