神楽岡工作公司
京町家のブランド化


記:柳沢究 < 2000 / 06 >

『京町家再生プラン-くらし・空間・まち-』(京都市編)について
〜 京町家の「ブランド化」という視点 〜


■京町家の再評価

 
本書第2章において、京町屋が歴史的に蓄積された様々な文化的価値(くらし/空間/まちづくりの文化)と同時に、現代的な役割・可能性をも有していることが述べられている。このことは否定すべくもないが、このような町家の生活様式(職住共存)や空間性そのものを積極的に評価する傾向が一般化したのはここ数年のことである。
 それまでの「京町家」観は、少なくとも一般的には、杉本家などに代表される歴史的・伝統的住居=「重要文化財」としての認識か、あるいは祇園新橋、産寧坂などの伝建地区における京都らしい町並みの一要素、すなわち大文字や舞妓姿とならぶ京都イメージの形成の主要素である「格子窓」としての表層的な認識にとどまっていた。
  その意味で今回、京都市という行政の側によって『京町家再生プラン』なるものが策定・発表され、京町屋の現代的存在意義が提唱されたことは、 近年の町家再評価の流れの一つの到達点を示しているといってよい。


■京町家のブーム、ブランド化

 この流れの中、第5章において詳しく述べられているように、ここ数年の間に多くの町家関連諸団体が設立され、町家の現代的再生、活用を試みている。しかし、さらに多くの「町家カフェ」や「町家レストラン」「町家ショップ」が相次いでオープンし、雑誌などでとりあげられ人気を博している状況からみると、京町屋にまつわる流れは今や再評価の段階を超え、一つのブームを形成しているといってよい。
 ここで重要なのは、特に市街中心部の町家型店舗において顕著であるが、「京町家」というある種のブランドが成立しつつあるという点である。つまり、実質的価値よりもむしろ「京町家」によって象徴される「京都らしさ」を売りとする、商業主義的なブランド戦略がそこでは重要なのである。そして行政もまた、本プランも含めて、主に観光政策の観点からこれを是としている観がある。


 もちろん「京町家のブランド化」は、他のいわゆるブランド商品と同様、基本的には京町家の歴史・伝統性、空間性、建築的な質の高さに対する評価を前提としているのであって、一概に否定されるべきものではない。「京町家に住む」というステータスが確立すれば、第3章で示されているような、自らの住居を「京町家」と認識していない居住者や、維持・修繕に不安を感じている居住者へ自信を与えるであろうし、町家再生に対する大きな追い風となるだろう。

 では「京町家のブランド化」のはらむ問題としては何があるか。
 一つにはブランド化にともなう高級化の可能性があげられる。「高級化」とは少々大げさな表現かもしれないが、現在の町家人気は文化的価値のみではなく少なからずその経済性、すなわち老朽化しているために安く賃借でき、また素人でも比較的容易かつ安価に、一定レベル以上の質の再生が可能である(=基本的な空間の質が高い)という状況によっている。しかし、ブランド化が進むことで町家の相対的価値が急激に上昇し、そこに利権がからみ不動産投機の対象となる危険性は否定できない。このことは公的資金の導入に関しても同様である。
 本書ではふれられていないが、京都市内には実に多くの京町家の空き家が存在する。その大部分は居住者の高齢化や経済的事情により維持・修繕が困難になったため、放置されているものである。これらの「死んだ」町家を拾い上げ、住居やアトリエ、店舗として都市に還元するための枠組みを整備することは、京町家再生プランにおいて重要視されるべき課題である。当初よりこのような空き家再生は、町家に関心を持った各個人による町家所有者との直接交渉、いわばゲリラ的な活動によって為されていた。近年の「ネットワーク西陣」や「町家倶楽部」はこの個人的動きを組織化したものといえる。このような団体には、個々の再生事例の経験的蓄積、賃貸契約の円滑化等、町家再生の情報センターとしての役割が期待されるが、情報の集中は同時に利権を生み出す危険をはらんでいることは忘れられるべきではない。この意味からも町家再生が、単一の組織によって統一的に行われるのではなく、利権の全くからまないゲリラ的活動も含め、地域単位(地域コミュニティ)、テーマごと(テーマコミュニティ)の諸活動のネットワークを通じ実現されるのがのぞましい。

 もっともこのような危惧は、京町家のおかれた悲惨な現状からすれば杞憂にすぎないかもしれない。


■京都市の姿勢

 もう一つは、同時に具体的に制度的なバックアップがはかられない限り、一時的な「町家再生ブーム」におわり、かつて一部の町家が看板建築にかわったように、一部の町家が再生をとげるのみで、やがては沈静化してしまうであろうという大きな可能性である。本書において述べられているような、経済的・技術的援助システムの早急な具体化が課題である。
 この点について、本書で都市計画における用途地域制の問題がとりあげられていないのはどういうわけであろうか。第3章の調査対象地区の大部分は商業地域あるいは近隣商業地域(容積率:400〜700%)であるが、このことが高層マンション建設の最大の法的根拠となっており、同時に新規の町家建設を阻んでいるということは、周知の事実のはずである。また現在の町家再生の多くが用途変更をせず、法制度の網をくぐるような方式でなされている問題はどうなのか。

 京都市が「京町家からはじまる京都の新世紀」をうたうのであれば、まずその第一歩として行政によってしか為しえない法的条件の整備、すなわち都市計画法改正とは言わないまでも、京都市での特例を認める条例の制定を目指すべきではないのか。それさえも為さずに、京町家を賞賛したところで状況はこれっぽっちも変わらない。京都市のやる気のなさと、浅薄なブームとブランド性への迎合の姿勢を露呈するのみである。

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