神楽岡工作公司
JOURNAL
0511 / 0510 / 0506 / 0505 / 0504 / 0503 / 0502 / 0501
0412 / 0411 / 0410 / 0409 / 0408 / 0407 / 0406 / 0405 / 0404 / 0403 / 0402 / 0401
0312
/ 0311 / 0310 / 0309 / 0308 / 0307 / 0306 / 0305 / 0304 / 0303 / 0302 / 0301
0212 / 0211 / 0210
2005年12月〜



 ■ 11月31日(土)

森田一弥

 我が家の第三子が、出産予定日を過ぎても出てこない。普通、第一子以降は予定日より早く生まれるというのに、三人目だから慣れているとはいえなかなか落ち着かない。それに加え、銀閣寺の現場の左官工事が気になって「一乗寺」、「門真」の計画が全く進んでいない。銀閣寺の方はだいぶめどが付いたから、久住左官の発地君には悪いが他の仕事にも専念する時間を作らないと。
 夜七時から、大原の久住左官の倉庫で壁仕上げのサンプル造り。誠氏は急用で淡路島へ帰らなくてはならなくなったので、森田、発地、柳沢の三人で仕上げの大津壁用の土、石灰、顔料の配合をする。

 ■ 11月26日(火)

森田一弥

 今日は銀閣寺の現場を休んでたまっていた仕事をこなす。とは言っても些細な用事をすますために市内を走り回っていたらあっという間に夕方である。「一乗寺の集合住宅」の計画を、ちょうど神楽岡にいた山田協太を捕まえて検討する。南北に長い敷地に建蔽率いっぱいに建てようとしたら一階が暗くなるのは当たり前。何とかならないかと思案するが、糸口が見つからない。
 前回のプレゼンを前にルームマーケットの平野氏と話していたことだが、現在の社会状況で、資産運用の手段として賃貸住宅を新築するというのはかなりのリスクを伴う。不動産物件の賃料もどんどん値崩れしている状況の中で、今回新築する物件だけが投入した資金を回収できる保証など無い。こんな状況の中で建築家に出来ることと言えば、せいぜい古くなっても人々に飽きられない、魅力的な空間を造ることだけである。と書いては見たが、このような空間の力を信じているのは我々建築を志している人間だけである。平野氏から見れば、わざわざ新築などしなくても日本には格安賃貸物件として転用可能な、建築のストック(町家は代表的なそれである)はゴロゴロしているのである。

 ■ 11月25日(月)

森田一弥

 昼から銀閣寺の現場に参加。柳沢チーフは相当疲れている。自分は昨日からの続き、階段部分の中塗りをする。まだまだ仕事がありすぎて、どうなることやら。とはいえ、今回の上塗りは相当楽しみにしている。柱や鴨居で区切られた壁を、1つの色で統一せず違う色に塗り分けようと言うのだ。部屋毎に仕上げが違うというのはあっても、同じ部屋の、しかも同じ面の左官壁の仕上げが異なるというのは掟破りの試みのはずである。果たしてこれで空間が成立するのか。今回の「色違いの壁」は、元はといえば柳沢の「和知」の塗装がきっかけになっている。色んな顔料を使って赤や黒やその他の色でがんがん塗っていく、趣味が良いのか悪いのか分からないラジカルさに「左官」という土俵の上で挑戦してみたらどうかと思っているわけだ。

 ■ 11月22日(金)

森田一弥

 昨晩遅くに力尽き、床の上の毛布にくるまって寝る。寒い。逆に体力を吸い取られているような睡眠である。朝九時に鷹が峰プロジェクトの実測部隊(柳沢、門藤、山上、森口、森田)が、アテネ組(山田、永谷、金谷)を残して実測に向かう。世は紅葉真っ盛り、今年の紅葉は特にきれいという噂通り、路の両脇はすばらしい紅葉だ。何とか実測を終え、二時頃再び神楽岡にとって返す。柳沢、山上の銀閣寺組は現場へ向かう。アテネ組は五時頃になってようやくプリントアウト終了。これが入賞しなかったら嘘だろう。

 ■ 11月21日(木)

森田一弥

 銀閣寺の現場に久住左官の発地(ほっち)君が投入された。荒壁の落ちたところを穴埋めし、粘度を高めに配合した中塗り土で、一度しごき塗りして下地をつくる。しんどい土、砂ふるいの仕事は山上君が引き受けてくれた。非常に助かる。こうした下働きを手伝ってくれると、職人はとにかく塗ることに専念できるので作業の能率が格段に上がるのである。しかし久住左官の投入によって仕上げへの工程が当初考えていたよりかなり増えたので、僕はかなり参っている。細かいことは考えず、もう、やってしまうしかない。
 現場を引き上げてからアテネ組へ合流。昨日仕上がっているはずが、案の定手こずる。しかしプレゼンの出来は良くなりつつある。英文の解説も幾人もの人の手が入り、かなり良くできた文に練り上がった。

 ■ 11月19日(火)

森田一弥

 午前十時より門真市の民家改修の件で施主さんと顔合わせ。戦後に建てられた入母屋造りの民家で、柱も太く、かなり凝った造りである。この、庭に面した座敷を飲食店として改修したいというのが依頼の内容。ちょっと京都から遠いので、市内の現場のような体制では無理があるが、新しい挑戦になりそうだ。柱の間隔などは京間の規格でつくられていて、建具は市内のものが使い回しがきく。銀閣寺の民家と同じく、戦後に建てられた木造住宅の再生事例として同じ文脈に位置づけることも出来るだろう。

 ■ 11月16日(土)

山田協太

11月16日午前4時16分、アテネ・エフェメラル・ストラクチュア・コンペの模型制作完了。紙製ハニカム構造を用いた伸縮自在のチューブ状空間であり、休憩施設として使用する。11月3日(日)から、青焼き紙とボンドにより模型制作を試みた。8日(金)に完成するが、用紙、接着剤ともに難がありこちらは失敗。

材質、接着剤に改良を加え10日(日)より再制作を開始。突貫作業の結果、6日目の早朝(本日16日)にようやく完成にこぎ着けたしろものである。居合わせたのは山田、山上、中川の3名。予想以上の柔軟性、可変性に一同驚きの声を上げる。内部はまるで葉脈か生物の体内にいるような不思議な感覚。すごいものをつくってしまった。アテネオリンピックでこいつの姿が全世界に放映される様子を夢想した。

完成祝いにお好み焼きを食べた。




森田一弥

 朝一番の新幹線にて東京へ。個展の最終日である。昼から夕方にかけて友人達が大挙して訪ねてきてくれ、久しぶりの再会がいくつもあったのがうれしい。人が三人以上入るとやはりこの会場は少し手狭で、京都展のようなじっくり作品と対峙するような雰囲気にはならなかった。BGMもやはりあったほうが良かった。次回への課題である。
 上階の設計事務所アーキテクト・カフェの所員の大津君は数年前に岐阜県加子母村の木匠塾で会っていたことが判明。世の中は狭い。大学の研究室の後輩、芦田君も偶然南洋堂に立ち寄って、この個展を見ていってくれた。
 会場を撤収した後、店長の荒田さんにお礼を言い、現代美術家の田嶋淳氏、朝日カメラ編集部の首藤英児氏、その友人の伊東雄一郎氏と居酒屋に入る。バリバリ居酒屋の内装なのにインド人が厨房で料理していて、同じくインド人の兄ちゃんが給仕してくれる不思議な店だった。最近の僕のまわりに展開している日常は、今まで世界のどこにいても体験したことのない、夢と現実の区別も付かないような世界に近づいている気がしてならない。インド人の兄ちゃんのつくってくれた軟骨の唐揚げを食べながら、僕は今どこにいるのだろうという気持ちにおそわれた。

 ■ 11月13日(水)

森田一弥

夕方に左官職人の久住誠氏が銀閣寺の現場に来る。我々の活動に興味があるからこそ、来てくれているのであろうが、金閣寺の茶室を塗る左官の親方がこのような超ローコスト、商売度外視の現場に参加してくれるのは奇跡といって良い。その後、神楽岡で左官仕上げについての打ち合わせをして、左官工事の方針を決める。ともあれ、施主さんとの現場でのやりとりを始めとする、我々の立ち居振る舞いや身の回りの環境全てに彼の鋭い視線が注がれていたことを我々はもっと意識するべきである。意識の高い職人との共同作業は、常にそうした緊張感を強いるものだと思う。そうしたやり取りを乗り越えることなしに、赤の他人を自分の構想を実現する事業に巻き込むことは不可能なのではないか。

住宅建築」に掲載された作品を見て、大阪の人から民家を飲食店に改修したいとコンタクトあり。もっぱら建築関係の人しか見ないものだと思っていたのに、以外と広い読者層があるようで、驚いた。

夜はアテネコンペと一乗寺集合住宅の作業を進める。アテネコンペの方は山田、山神、永谷、門藤が模型づくり、自分が一乗寺。一乗寺の模型づくりにも合流してもらって、久しぶりの完徹。模型、図面に加え、簡単な事業計画書も添える。明日は一乗寺の初打ち合わせ。気合いを入れて挑まねばならない。

 ■ 11月11日(月)

森田一弥

 個展初日の朝、まず喜多見の現場へ行って左官屋の勝又さん、大工の伴さんと打ち合わせ。壁の仕上げは淡路島の中塗り土と土佐漆喰にワラと砂を加えた仕上げ。ちょうど足場を外しに鳶さんが来て、目隠しが取れた建物を見ることが出来た。外壁の波板ガラスが朝日の中で金属板のように鈍く輝く一方、内部のトラス状の柱が透けている。かなりインパクトのある建物に仕上がっている。左官工事もかなり重要な要素となるであろう。
 個展の方は初日と最終日のみ自分がいると伝えて置いたので、友人もかなり駆けつけてくれた。書店の方からふらりと上がってくる人達は、文章を読むのもそこそこにさらっと見ていくだけの人が多い。京都展の方はじっくり見入っていく人が多いのとは対照的な印象である。ピンとこないのか、単に忙しい人が多いのか、よく分からないが一週間の間の反応が楽しみではある。
 夜は建築学科の同級である丹羽、増谷両氏に高校の同級、加藤(旧姓鈴木)さんを交えて食事。

 ■ 11月10日(日)

森田一弥

千石に住む左官職人、榎本新吉さんを訪ねる。現在75歳の年齢ながら、衰えぬ探求心と行動力で珪藻土や生石灰クリームなどの新しい左官材料を世に送り出してきた人である。左官職人坂井直幹氏と三上氏が一緒だ。家の前に整然と、しかしおびただしい左官材料が積み上げられていて、一目で家がわかる。家の中にお邪魔して、色々話をしてから炉壇の上塗り作業を見せてもらう。その間にも建築の学生という三人も来て作業場の前は人だかりだ。

とにかく作業に無駄がない。磨きのサンプルを造るのにも決して手抜きせず丁寧に作業して、材料も無駄にしない。掃除、片づけも作業の合間に次々とこなす。基本の出来た良い職人さんの見本のような人である。

加えて、そのおしゃべりの中身、発想がとても柔軟なのだ。「壁が平らに塗れないんなら、ペーパーで削れば良いんだ。」なんて考え方は、今まで考えたこともなかった。雑誌等でどんなことをしているかはよく紹介されているが、実際に作業場にいてそこここに塗られたサンプルを見ていると、色々とアイデアの種を頂くことが出来た。良い一日だった。

 ■ 11月9日(土)

森田一弥

新幹線で一路東京へ。手には宅急便で送れなかった大型の作品のパネル。本当は経費削減のため昨晩の深夜バスで行く予定だったが何かと用意に手間取ってしまった・・・という言い訳のもと、新幹線に乗りたい自分。海外放浪時には中国で36時間のバス、55時間の列車というのもあったが、高々6時間の深夜バスを避けてしまう自分が情けない。

会場の南洋堂のギャラリーでは、三上洋史氏に手伝ってもらって設営する。八年前に北京で知り合ってからの仲で、最近独立して柏に事務所を構えた建築家仲間である。閉店前にようやく設営完了。店内にはつねにお客さんが絶えない状態なので、会場へもそこそこ立ち寄ってくれるのではないかと期待する。

設営中に南洋堂の上に事務所を構えている田井幹夫氏(アーキテクト・カフェ主宰)がのぞいてくれた(内藤廣事務所から独立、最近SMAP の中居君の家を設計していて、その模様が放映予定とのこと)。

とにかく、何とか東京での個展という第一歩への準備が整った。同級の渡辺菊真氏をはじめ、関西で面白いことを考えている人間は多い。それを関西だけでなく、東京でもプレゼンテーションする路を開くというのが今回の個展の目的でもあったので、とても意味のあることだと思っている。次は海外、どこへ持ち込もうか。続く作品もアイデアはあるので、どんどん形にして行かねばなるまい。

 ■ 11月6日(水)

森田一弥

朝九時から銀閣寺改修現場の解体二日目。実物を目にして一層イマジネーションが刺激されて、ついつい予定以上に解体して仕事を増やしてしまう。塗らなくてはいけない壁面積もどんどん増えて、あまり深く考えないようにする。土壁が全て竹木舞下地なのには驚いた。しかも結構しっかりした硬い土で、30年くらい前まではこんな仕事も行われていたんだなあと認識を新たにした。荒壁は藁を入れてすぐに塗った感じの土で、練り置きはしてなさそうだ。中塗り面はデコボコで、仕事はあまり上手ではなかった。
一緒に解体していた施主のH氏は、建物がどんどん廃墟のようになっていくので「皆さん、明日も来てくださいね。」と一言。改修現場で解体していると際限なく増えていく仕事に、毎回途方に暮れる。乗り切るコツは、とにかく、あんまり深く考えないことだ。
夕方から神楽岡で一乗寺集合住宅の打ち合わせ。来週半ばの施主さんへの一回目のプレゼンテーションに向けて、各自スタディして、早速明日の夕方持ち寄る。このプロジェクトには賃貸物件としての建物とユーザー(住人)をつなぐ役割として、ルームマーケットにも企画に参加してもらうつもり。うまく話が前に進むと良いが、現住人の立ち退きの問題など、前途多難ではある。

続けてアテネコンペの模型の仕上げ。紙の接着がうまくいかず、苦戦。実は25日消印有効ではなく、25日アテネ必着ということが今更ながらに判明し、遅くとも20日までにはまとめなくてはいけない。柳沢氏は銀閣寺改修、自分は一乗寺と来週の東京での個展を控え、全力投球とは行かず苦しいスケジュールだ。門藤氏らの頑張りに期待。

柳沢氏が新しいプロジェクトを持ち込む。その「鷹ヶ峰プロジェクト(仮)」は、既存の木工場を店舗や木工教室として改修する話で、来年春完成予定。どうも忙しくなってきている。





柳沢究

8時に起床。二日酔いはない、嬉しい。9時から銀閣寺の現場。

今日は昼で切り上げ、13時ころから鷹峯(たかがみね:金閣寺北西の山麓一帯)にある林業・木工の工場へ打ち合わせに行く。そこにある既存の木材倉庫や作業所を、喫茶店、木工・陶芸教室、ギャラリー等の複合的な用途の施設として改修するという計画についてである。とりあえず先方もまだまだイメージは曖昧。やりたいことと場所はある、でどういうふうに?というところで、何か考えて欲しい、ということであった。
まずは考えてみます、といって帰ってきたが、かなり面白い。予算もそんなにきつくない。やるしかないであろう。来週にはいちど実地検分を兼ねた簡単な実測調査にゆき、2週間程度で草案をつくることになる。神楽岡のポテンシャルをフルに発揮してものにしたい。アイディア段階から皆にどんどん参加して欲しいと思う。

その後、神楽岡にトンボ帰って一乗寺の打ち合わせ。夢はふくらむ。
その後、渡邉医院。

 ■ 11月5日(火)

柳沢究

ついに銀閣寺の家(この後「銀閣寺」と略す)が着工、まずは解体工事のスタートである。この現場の模様は徹底的にリアルタイムで記録、報告する予定。別ページにて「現場日誌」を立ち上げるので詳細はそちらを参照されたい(もうすぐ)。

現場作業を終了後、銭湯に駆け込み、18時頃からCDLの新拠点オープニングに参加。ビールを飲みながら、昨年のビデオコンテスト上映作品や秘密裏に入手した「怪奇大作戦」の「京都買います」などを鑑賞する。宴中、拠点として得た場所をどのように活用するかという問題で、布野先生および岩崎先生(池坊)と学生とでもめる。話が長くなるので詳細はかかないが、どのような場所にも現場とそうでないところの認識のギャップというのはあるのだ。

解散後、布野先生、丹羽さん、宇都宮とともに祇園へ。かねて先生いきつけであったピテカが閉店。大ショック。「千満樹(ちまき)」という店に行く。いたって平凡であるが感じのよい店。30年以上たつがいまだ真っ白な桧の一枚ものカウンター(厚120mm、長さ6m程度)が見事であった。竹筒にはいった冷酒もたいそう美味かったが、学生がこれるような店ではない、ということだからたぶんもう行くこともそうないだろう。
2時頃におひらき。何故か涙のながれる日であった(ちかごろ涙腺ゆるいのか)。

 ■ 11月4日(月)

柳沢究

世の中、3連休というものらしい。京都は道がボケナスに混んでいた。
昼間、「翼をください」という十年以上前の学園ドラマを見てしまい、不覚にも涙する。くやしいがよいできである。

 ■ 11月3日(日)

柳沢究

たまっていたメールの対応に半日以上を費やす。
午後、川端ニックにて週明けからの現場作業にむけた道具を買う。今回一番の買い物は「つなぎ」の作業着、何と2000円。股下がやや短く、少しくいこんでしまうところがセクシーな逸品だ。ほかにもウェット・スーツ素材の手袋とか、ホームセンターには面白いものがけっこうある。
夜は渡邉医院のバイト。

 ■ 11月2日(土)

柳沢究

9時から18時まで、京都CDLの「京都げのむ」書店置きキャンペーンに参加。なんのことはない、京都市内の小売り書店を一軒ずつまわって「げのむ」を委託販売してもらうようお願いしてまわる、地道な営業活動である。精魂こめて作った愛しい「げのむ」ちゃんである、売り込みと営業トークにも熱が入ろうものだ。
「げのむ」は部数が少ないので問屋をとおした流通ルートにのせることができない。しかし何としても、京都市内でどこの書店に行っても「げのむ」があるという状況をつくるのが目標である。このやり方は椎名誠のやってた「本の雑誌」の手法を参考にしている。やってみてわかるのは意外と断られない、ということだ。委託販売というかたちをとれば、本屋のせおうリスクはほとんどないからだ。人手と時間をかければ京都中の本屋に置くことも夢ではない。むしろ問題となるのは精算をふくめたその後の対応だ。組織として最も重要な点。
この日は3台の車に分乗して市内を走破、約50店舗をめぐり約200冊を置いてもらう。なかなかの成果、といわねばならない。活動とは地道なものなのだ。

 ■ 11月1日(金)

森田一弥

午前中は門藤氏、同じく工繊大の村本君と大山崎の茶室待庵を見学に行く。あいにくの雨だったが、それがいい。壁は400年前の荒壁仕上げそのままだという。竹(または葦)下地の凹凸が表面に出ている。おそらく荒壁をつけてその上に一発で仕上げているからだろう。チリまわりなどの高度な仕事もしていないように見える。想像していたとおり。相当ねばそうな(粘度の高い)配合なのに割れやチリ透きが目立たないのはかなり寝かせた土なのであろう。荒いすさのまわりに溶けた細かいすさが見える。凝ってないけど、志の高さ、技術の高さが伝わるいい建物だと思う。その後、藤井厚二の聴竹居と大山崎山荘を見て帰る。

レアな物件を扱う不動産屋として有名なルームマーケットから、総額100万円のリフォームの話あり。約9坪の平屋の長屋。銀閣寺の住宅改修の150万に続く激安リフォーム物件。おそらく我々のリノベーションワークの極北をなすこと間違いない。木造の軸組が改修に耐える状態ならば、請けるとするか?

ラトナカフェは「住宅建築」の表紙になった。編集の中村謙太郎さんは「表紙にしてください」という図々しい申し出に「それはちょっと・・・」と暗に断っておられたが、粋な人だ。何の賞をもらうよりもうれしい、というのが実感。載ってた他の作品には、「もっとがんばれよ」と思ってしまった。喜多見の壁を塗ってくれる勝又さんも紹介されていたけど。

一乗寺の集合住宅、10日間でとりあえず施主さんにプレゼンできるよう、まとめなくてはいけない。個人的に色々アイデアはあるが、コンペ同様オープンに進めるつもりなのでどんどん参加して欲しい。





柳沢究

銀閣寺の家について思案、作業。看板の件についてこんぶにFAX送る。

夜、バイトの家庭教師。なんとこの期に及んでまだやっているのだ。高校生の数学を週二回。現在欧米での収入事情は、一つの収入に頼るのでなく(というかそれができないから)、小規模の収入を複数もつのが主流だという(マルチ・インカムだっけ?)。なんとすでに先端をいってるではないか。スケールはさらに小さいけれど。そのやり方は閉塞した職場環境にしばられない点で大いによいし、個人的に好みなのだが、頭の切り替えがなかなかたいへんではある。


What's NEW/JOURNAL/WORKs/PROJECTs/REPORTs/FELLOWs/About Us
■