神楽岡工作公司
庭師のボチボチ町家改修日記


記:水谷馨

2004年明けて早々、ワンルームマンションからボロ町家(神楽岡工作公司となり)に引っ越してきた一庭師の改修日記。2004/02/11スタート。ぼちぼち更新です。


 ■ 3月30日(火)

いよいよ完成に向けて。仕事から帰ってすぐに色を作りはじめました。

ベンガラをベースに黄色をまぜると、どうしてもベンガラの色が強くなってしまったので、黄色をベースにそこにベンガラを足していきオレンジ色を目指しました。柿渋で溶いていたのでその色も少々加わってなかなか思った色鮮やかなオレンジ色が出来ません。
そんな時、丁稚が帰ってきて開口一番、「昨日の所やり直してもいいですか?」と。丁稚なりのプライドを持っていたようで、ずっと気になっていたそうです。

僕としては「丁稚がやりました」と言う証としてその隙間はとっておきたかったのですが、彼はすぐに剥がしはじめました。流石に大工。二度目はなかなかのものですよ。完璧とは行かないまでも確実にましになっております。

そんな訳で塗装は明日に持ち越しです。



 ■ 3月29日(月)

今日はわたくし独りで昨日の続きを。

半分くらいまで出来ていたので残りを粛々と張っていきました。残り3、4本と言う所で頼れる職人に電話。最後はどのようにはめたらいいのかわからなかったし、最後も口を引いてもらわなければならなかったので職人の御帰宅を待つ事にしました。

その間に床に塗る古色を考えていました。前日(仮)完成と書いたのは並べるだけでは無く色も塗ってやろうと思っていたからです。色も塗って目出たく完成となる訳です。
やっぱりダイニングなので、食欲を増進させる色がいいなと考えて暖色系にと思っていたので基本はベンガラでいくことにしました。でもそれではなんか物足りないので、それにこの間買ってきた「泉(黄色の顔料)」を混ぜてオレンジ色っぽくする事に。

そうこうしていると職人がカブで仕事から御帰宅。休ませる事無く仕上げてもらう事にしました。
でもこれが・・・疲れていたせいか帰ってきたのは職人では無く丁稚でした。鋸で手は切るは、隙間はできるはで散々な目に(僕の方は見ていて口だけ出してましたが)。でもまあなんとか張れて(仮)完成。明日は塗装です。



 ■ 3月28日(日)

今日こそダイニング(仮)完成。

まずは寸三のがたつきを直します。透明の細いホースを買ってきてそれに水を入れ、全体の水平をだし高いところは鉋で削って頂き、低いところは下に寸三を薄く切った物を所々咬ませて水平を出しました。
そしてフローリングを並べます。最初の一枚目と言うのか一本目は健太郎氏が大工の技を見せてくれました。部屋のかたちにあわせて(口を引くと言うらしい)墨をだし、堅い楢樫材を立派な鋸(彼曰く「深沢さん」)で立て引きして頂きました。それを置いてみるとぴったりとおさまり、丁稚卒業、彼はもう立派な職人です。
そしてボンドを塗って釘を打ち、ボンドを塗って釘を打ち、と順々に並べていきました。が、時間が足らず、最後まで張る事ができずに終了。

明日こそ(仮)完成させてやる!



 ■ 3月26日(金)

今日は急に用事が出来て、作業出来ませんでした。で、丁稚にお任せ。実は断熱材まで張れたのは良かったのですが、全く水平が取れておらずフローリング材が張れずに浮いてしまう事が発覚。やっぱり丁稚では今一つ、まだまだ職人では無いですね、彼も(と、他人に責任を押し付ける)。

それを直すために水平を出してもらいました。結構がたがたらしく、「フローリングを張る時はコンパネを張る前に水平を見ておくものですよ。」と丁稚が宣う。このへんがまだまだ・・・

まあ人に押し付ける前にそれぐらい気付けよって話もあるのですが、実際断熱材を張っている時は、どんどん床らしくなっていくのが楽しくてその後の事なんか頭に無く、フローリングをのせてみて初めて気付くというまさに素人改修というところがでてしまいました。

おまけに、まあ古い町家にフローリングを張る事自体難しいのだとは思うけれど(たぶんね)、フローリングを張ると敷居よりも高くなってしまう事も発覚。これはどうしようも無いので見えてない事にしました。まさにこれこそ「素人で良かった」と言う処でしょうか。結構粗が出てきます、反省、反省。



 ■ 3月24日(水)

昨日の続き開始。まずはコンパネを張り、その上にそのままフローリングをと思っていたのですが、方々から、「それでは寒い!隣(神楽岡)で体験してるでしょ!」という貴重な御意見をいただき断熱材を入れる事にしました。近くの「左京製材所」でそこのおじさんに「自分で床張るのか、ほ〜」と出来るのか?というような目で見られはしましたが、そんなことはおかまいなく2坪分¥4500を購入しました。

断熱材とは発泡スチロールのキメの細かい番みたいな物で、値段を聞いた時ちょっと躊躇しましたが、頭の中で「寒いよ〜無いと寒いよ〜」と連呼されてしまっては買う以外選択肢がありません。

それを脇に抱えて自転車で運び、まずコンパネを張りその上に寸三の荒材、断熱材(幅27cm)、寸・・・と交互に敷き詰めて行きました。全て敷き詰め終えて、乗ってみるとたしかに暖かい、町家特有の隙間風も気にならない!とまではいきませんが、いい感じです。これこそ改修作業ですね。



 ■ 3月23日(火)

取りあえずダイニングだけでも直さないと廊下や台所が使えないので、仕事が終わると早速コンパネと寸五の荒材を買いにコーナンへ。

床を直す事が好きになってきたみたいで、疲れも忘れて取りかかりました。
ここの床は後輩の石川君(彼も自宅のマンションを改装中)から楢樫のフローリング材があまっているという事なので、それを買いとって張る事にしました。
フローリングなんて出来るのか不安でしたが、隣には大工で丁稚の少しだけ頼りになる鈴木健太郎氏がテント生活をしているので、彼に聞きつつ作業を。

まず、折れていた根太を取り替えて(このへんはお手のものです)その上にコンパネを張っていきます。大引に根太を咬ませた方がいいという丁稚のアドバイスに従い、鑿を使ってホゾっぽい物を彫り、気分はまさに大工(職人とまではいきませんが)です。今までの床直しとはひと味違います。根太を直し終わり、コンパネをと思ったのですが、大分夜もふけてきたし、今からインパクトでガリガリととは近所迷惑甚だしいので今日は終了。気持ち的にはやりたかったのだけれど。



 ■ 3月22日(月)

今日は平日にもかかわらず仕事は休み。10時頃目覚めると雨がふっていました。昨日の続きをしようと壁を見つめていると、何を思ったのか勢いでやっちゃいました。

壁をほったらかしにして庭師の樋貝氏に電話。「今日、雨降ってるし軽トラ空いてます?」と。
すると仕事休んでるし空いているとの事。その言葉で僕の心は決まりました。
「よし、畳を捨てよう!」なんて、後先考えずダイニングと一階の床の間のある部屋あわせて9枚の畳を東部クリーンセンターへほり投げに行きました。
処理費用¥2400なり。

で、帰ってきて床を見て「やってしまった〜」と少々後悔。二部屋一度にというのは勢いあまってとしか言い様がありません。帰ってきた同居人から「なにやっとんねん!」という冷ややかな目を気にしつつ就寝。



 ■ 3月20日(土)

仕事は休み。どうしようかなぁと思いつつ気がつくと、昨日森田氏に借りた土壁をこそげ落とすヘラみたいな物(名称は知りません)で床の間の壁をごりごりと削り落としておりました。

この壁の下の方に穴が空いていて、最初は左官職人森田氏に穴だけでもうめてもらおうかとも思っていたのですが、がたがたでもいいから取りあえず左官とはどれほどの物かという事を知りたくて、自分でする事に。

実際こそげ落としていくと、鼻の中は真っ黒になるし、独りで寂しく作業していると、だんだん「不安」という輩が押し寄せてきます。「どこまでこそげ落とせばいいのかな?」とか、「落としてしまったら絶対塗らなきゃダメだよなぁ」といったような奴等が・・・

それらを振払い少々びびりながらこそげ落として、荒壁も塗らず(初めの予定では今日中に塗るつもりだった)本日の作業終了。まったくもって進んでおりません。



 ■ 3月16日(火)

今日は一階押入れ横の床の間を直す事に。



床板を支えていた根太(でいいのかな)が折れているらしくそれを直すべく床下に潜り込む事になりました。まさか庭師の僕が床下に潜り込んで作業するなんて考えた事もなかったのですが、実際やってみるとちょっとした冒険気分を味わいました。隣の家から投光器を借りてきて、畳をめくり床板をはずし、いざ洞窟へって感じがして。

やった事といえば仰向けになって根太をインパクトでとめただけなんですがね。でも自分の中では「改修してるよなぁ」という気がして、直った時にはとても満足しました。
ここには足踏み式のシンガーをおいて、その上に我が愛機おろかなる初期imacを置こうと思っています。




 ■ 3月10日(水)

さて今日は改修という程のことではないのですが、まあ書く事が少ないし、整理も改修のうちかなってことで。

仕事から帰ってきてぼ〜としていると何か急に「作業したい」欲がわいてきて、今までほったらかしにしてきた台所の整理を始めました。
まずは、シンクに調理するだけのスペースがないのでその確保のために古い机を代用。でも何かしっくりこないので机の上に180×90×3mmのブリキの板(\1,500くらいだったと思う)を切って張る事にしました。これが見事にはまりました。いかにもキッチンって感じがします。

その後はそこかしこに散らばっている皿やコップ、鍋等を片っ端から水屋や食器棚に入れて整理、整理。全て片付け終わるといっぺんに生活感が醸し出されてきました。前にも書いたけれどやはり台所には雰囲気が大切です。最初の料理何にしようかなぁ。

換気扇はまだ無いのですが、鈴木氏曰く「これだけ隙間あったら換気扇なくても換気できるでしょ」という言葉に妙な納得をして、今は「換気扇無し」の方向に傾いています。

で、今日は満足して就寝。



 ■ 3月8日(月)

今日は仕事が休みだったので、取りあえず材料を買いそろえようと、まずは「井上顔料」へ押し入れに塗る群青を買いに行きました。ここにはいろいろな泥絵具が安く手に入ると聞いてわざわざ車で(といっても山科なんで10分くらいなんですが)出かけて購入してきました。
「舶来コバルト(群青)」ってもの200グラム(\600)と松煙一袋、ついでに使う予定もないのに「泉(黄色)」を手に入れました。

つぎに、古色を塗るのに、色落ちしないよう本来は膠なんかで混ぜるらしいのですが、「柿渋でもいける」(柳沢氏談)ときいて河原町へ。4°の柿渋(4年寝かしてあるってことかなぁ)を購入。

それらを持って家に帰り「さて塗るぞ!」と思ったのですが、なんせ今までに古色で塗装した事なんてないので、少々自信がなくなってきた事と、隣の床の間の壁を塗り直さなければならないし、畳をはずしてフローリングにしようなどなど、まだまだ埃がたちそうな気がしたので、後回しってことになりました。

でもせっかく買ってきたし、水屋の引き出し(ねずみの糞の痕が残っていたので水洗い済み)に柿渋を塗る事にしました。

大変でした。何がって元来柿の大嫌いな僕ですから、あの柿の醗酵したような臭いにはたえられなくて・・・必死の思いで塗り終わり、今日の作業は半ば強制終了。柿渋で顔料のばすのも考えものです、僕にとってはね。



 ■ 3月3日(水)

今日は一階の押し入れを直しました。ん〜最近改修作業してるなって感じです。
今度は1人で行いました。基本的には台所の床と同じ(だと聞いていた)なので出来るだろうと。

日曜日のダメ出しを忘れず、今度は寸五の根太をいれました。
それを支える材は2×4材を使いましたが、水廻りでもないしいいだろうと、少し不安ながらも金銭的に負けてしまい使用。

やっぱり寸五を使うと違います。「丈夫そ〜」って感じが見た目からしても、実際のってみても寸三とは雲泥の差です。

「根太には寸五!」これは鉄則かも知れないです(当然ですっていう話もありますが・・・)。

2回目と言う事もあり作業は流れるように進みました。
広くないというのもありましたが、あっという間に床を張り終えて、壁にコンパネを立てて3時間くらいで丈夫で、(自分なりに)綺麗に出来た押し入れが完成しました。
後は古色(群青の予定)を塗って見ようかなと思っています。

今回はできに満足しております。粗は見ればありますが、僕の目には映りません、絶対に。

あまりにも綺麗に出来たので、押し入れと使うには勿体無くなってきて、今は上から電燈をたらして鉄製の棚でも取り付けようかなと考えています。そんな訳でこの部屋が使えるようになるのは先になりそうです。



 ■ 2月29日(日)

さて今日は今までの中では一番「改修」と呼べる作業をしました。やっと台所の床を直しました。これが思っていた程難しくなく、すいすいとはいかないまでも、(外園君のおかげもあって)滞りなく進みました。

手順としては、土曜日に取りあえず一部板をめくり床下をチェック。

柱の下部が腐っているのは見なかった事にして、取りあえず2×4材(大引の代わりとして)と35mm角(専門的には寸三というらしい)の荒材を買ってきました。

日曜日、まずシンクをどけて床板を全て取り払い、ぼろぼろの床板は破棄して、全体を見てみると、

ちょうどシンク下の大引(どこかの家の柱が代用してありました)が完全に白蟻に喰われていたみたいで、踏んでみたらボロっととれてしまいました。

ヤバいぞ〜これは。

で、まず四方に根太を掛けるための大引を打ったのですが、なんせ築何十年の家ですから水平を取ると、まるで「水平器が壊れてるんじゃあないの」って言うくらい隣の床とずれていました。

仕方がないので水平を取るのは諦めて、隣の床にあわせて高さを出しました。

次に2×4材を大引代わりに立てて数本入れて、柄を立て、その上に寸三の荒材を30cmピッチで置きました。
ここで「なぜ寸五(45mm角)を使わないの」という疑問が出るかと思いますが、それにはそれ相応の理由があるんです。

以前の根太が寸三で、その高さにあわせて大引が打ってあったのですが、一ケ所大引をはずそうとしても釘が錆びついていて頭だけが取れてしまいどうしようもなく、無理に引き剥がそうとすると柱ごと取れてしまいそうな気がしたので、「そのまま、そのまま、そ〜としておこう」と言う事になり、寸三を使う羽目になったという次第です。

なんとか床下らしくなった時には「出来るんだ」って言う感はありましたよ。
でも、その上に以前の床板を張って、完成!とそううまくはいかないんです。床板を一部と言うか3分の1破棄したために当然のことながら足らない訳で、そこかしこにあった板を掻き集めてパズルのごとく張りつけてやっと完成。

しかし、完成まで後少しってところで、森田氏と大工の健太郎氏がのぞきにきて、ダメ出しくらいました。両氏が言うには「寸三じゃぁ弱いよ」とか「水廻りに2×4材を使うと一年で溶ける」だとか、「よくもって2年かなぁ」などやり遂げたと言う達成感を味わう暇もなくどん底に落とされました。

今回は「水廻りに2×4材を使うとどれくらいもつのか」という実験ってことで無理矢理自分を納得させています。

でもコストは安かったです。2×4材なんか400円×6だし、荒材も9本まとめて1000円くらい。ビスは隣からもらって、鋸、インパクト、水平器は森田氏から借りて、残りの道具は置いてあった物を使ったし、人件費は当然のごとく無し。すべての作業、8時間くらいかな。
以上、一年半限定の床なら参考になるでしょうか?ならないだろうな〜。



 ■ 2月25日(水)

何か書く事が毎回同じになってきて嫌になるのですが、とりあえず「改修と呼べる事はしておりません」。ん〜情けない。で、何をしているのかと言うと、夜中1時過ぎまで、下手なギターを近所に響かせております。

料理もしたいのですが、ここでしてしまうと、「なんや、床直さなくても使えるやん!」と必ずなってしまうのが目に見えているのでお湯を湧かす事くらいしかしないようにしています。
最近、風の噂でもう1人同居人に立候補したい人がいるとか・・・
どうする?このままでは「神楽岡荘」になってしまいそう。



 ■ 2月22日(日)

水曜日から今日まで改修と言える事は何もしておりません。そんな訳で書く事はできませんでした。「改修日記」と銘打ったからには日々の取り留めもない事を書く訳にも行かないし、細かい仕事もあまり残ってないので・・・

でも今日は台所の床を直すと言うやっと改修らしい改修を行う予定、だったのですが、外園君は柳沢氏に連れていかれ、僕の方は風邪を引いてしまいダウン。頭がボーとして改修どころではなくなってしまいました。
やっと改修作業ぽいことができると楽しみにしていたんですが、まぁ子供の頃から楽しみな行事(例えば遠足など)の前日は、必ずと言っていいほど熱を出して体質上、仕方がないかなと諦めています。
来週こそは、と今は意気込んでいます。
では。最近微妙に風邪が流行っていそうなので気をつけましょう。



 ■ 2月18日(水)

さて今日も仕事で改修作業は無し。
まぁこれと言って書く事もないんだけれど、ポストを作った事による成果というか効果が少し出たので報告を。

今まであったポストはただの木の箱って感じで、今は取り外した門扉に蓋もなく雨曝しで釣ってありました。だから枯れ葉が入っているだけで、広告などが入っている訳もなく、ただの箱として存在していました。
ところが、新しくポストと呼べるようなものを玄関先に掲げたところ、よく入るようになったんです。その内容がワンルーム時代とはがらりと変わってしまいました。それまでは若い世代に訴えるような(例えばデリバリーとか新しくオープンした店など)広告が主流で、内容も見ずに即ゴミ箱行きでした。
しかし、今度は訴えるべき年齢がアップした広告が主流になったんです。一軒家で古いせいでしょう、例えば「出張 刃物研ぎます」だとか、「手すりをつけませんか?」とか言ったものが入るようになりました。これらも本来即ゴミ箱行きなんですが、物珍しさも手伝ってかついつい読んでしまいます。刃物の広告では「私が研ぎます」と書いてあって、微笑んだその研ぎ師の写真が載っていました。研ぐのにその人の顔なんてあんまり意味がないと思うのですが、「ほ〜こいつが研ぐのかぁ」と妙な感心をしたりしています。
中でも圧倒的に多いのが「骨董高価買い取り致します」のもの。この家なら何か出てくるかもしれない、と考えて入れられたのでしょうか?

そんな物でてきません、と言いたいところなのですが、実は出てきたんですよ、これが!

そこで、高価な物かはわからないけれど、僕が気に入った物を少々挙げると、まず、真鍮製の「錠」。これはあける鍵が変わっていて、合鍵が作れそうにないので使えません。次に「SEIKOSHAの目覚まし時計」。これはネジを巻いて、ポンポンと2、3度たたけば動き出すので少々針の音がうるさいけれど現役で稼働中。次はなぜか蓋に「きも(後から書いた物では無さそう)」と書いてある、小さな陶器。これは見た瞬間に気に入ってしまいました。「きも」の文字はデザインなのでしょうか、そもそも何のために作られたのでしょうか、訳がわかりません。次ぎ、これが一番高価かな、蛇腹式のカメラ。これにあうようなフィルムなんて無さそうだし、完全に飾り物して存在しています。
あと、ちょっと欠けている達磨型の振り子時計(現在修理中)や手のこんだ作りの小箱など、高価な物ではないけれど「お気に入り」として保存している物が多少あります。
まぁこんな感じで部屋中探索しながら毎日を送っています。



 ■ 2月16日(月)

今日は平日だし仕事、仕事。改修費用を稼ぐためにがんばっております。

よく考えると改修、改修と言っている割には改修ぽい事は全くしていなくて、整理ばっかりしてるなぁと改めて思った今日この頃です。どうも住む部屋を確保してから、動きが鈍っています。でもやり出すと仕事帰りからやるには手間が係り過ぎる事が多くて、なかなか。元来やらざるおえない状況にならないと動かない質なのでしかたないんだけれど。

今日の作業は無し、と書くのも寂しいのでちょっとだけやりました。

それは、「ポスト」作成。

作成って言っても、何かが入っていて、いらなくなった「桐」の箱に蝶番をつけて玄関先に釣り下げただけなんですけどね。桐箱のポストなんてちょっと贅沢かも。風雨に弱いなんておかまい無しです。これも僕の中では立派な改修。と言い聞かせて満足しております。

やっぱり住みながら、仕事しながらというのは難しいものがありますね。どうしても生活しにくくなる(廊下がいらないもので埋まってきたり)ので躊躇してしまうんです。すでに現在、廊下の半分はいらないものと置き場に困っている食器で占められてます。生活ゴミとして出しても、なかなか減らないし、次から次へと出てくるしで廊下が通りやすくなった事なんてありません。

お隣さんは研究室の人たちと鍋パーティで盛り上がっているようです。土鍋と包丁貸してあげました。食器類は何でも揃ってる家ですから。ちゃんと返してくれるかなぁ、包丁は長年研いで使ってる(研ぐたんびに切れ味が少しづつ落ちてはいるけれど)愛用の品なんだけど。山田君なら大丈夫でしょう、ぼくに連絡入れずに着払いで荷物預からせるくらいの人だから。

と、まぁそんな下らない事を考えながら今日は就寝。



 ■ 2月15日(日)

今日は日曜日。土曜日の分はどうしたかって?わたくしは蟻のように働いておりました。だから、改修は無し、書く事もなし。

で、今日は両親参観日。京都好きの我が両親が今後京都見物にきた時、宿にできるかどうかの品定めにやって来たと言うわけです。そういうわけで台所の床を直そうかと思ったけれど、やめて前庭の珊瑚樹の垣根を少し剪定しました。

光量確保のためと、近所迷惑を考えて、実行する事にしました。マンションに住んでいた時はそんなこと気にせずに生活できたけれど、一軒家に住むようになって、しかも庭師と言う事が御近所に知れ渡った(引っ越しの挨拶周りをしたもので)ため、ほったらかしにする事は不味いかなぁと。
はじめのうちは伸びた枝だけを切るつもりでいたんだけれど、御近所さんが「やっぱり本職だから手慣れたものね〜」と声をかけてきたので、そのせいと、庭師の血が騒ぎ出して、本格的に鋸まで使って剪定しはじめてしまいました。前にくらべると少し開放的になったんじゃないかな。

それで今日の作業はおしまい。後は両親の相手をしておりました。2階の窓から身を乗り出してみると大文字が見える事にひどく感動しておりました。

帰って暫くすると、同居人2号の松崎氏が風邪を引き連れてやってきました。それからはギターを弾きながら、ビールを飲みながら騒いでいました。途中で同居人1号の外園君も参加してわいわい、がやがやと、本格的に3人同居になったらこんな日が毎日続くのかなぁ・・・相当音が外にもれてるようで。十一時以降はトーンダウンだな。

あっそうそう電子レンジとガスコンロを確保しました。
まぁ今日はそんなところです。



 ■ 2月13日(金)

社会人としては当然だけれど、今日も仕事で改修作業は無し。まぁ作業していないんだし無理して書く事もないんだけれど、続けないと三日坊主以下になりかねないんで、今日はこれからの我が町家の改修計画を少し。

まずは一昨日かかりはじめた台所。ここはとにかく床が抜けそうなんでここから直していくつもり。例の床下収納から少し覗いてみたところ、床板を支えていたのはそこらにあったような細い木でした。まるでつっかえ棒で支えてる感じで、う〜んやばい、やばい。修理の方法を、元同僚で現在全国建築物自転車巡りを行っている見習い大工水野氏に御教授承ったけれど、「根太」ってどれ?「大引き」ってあるの?って感じです。先が思いやられます。でもなんとかなるでしょう。頼もしい隣人もいる事だし。

床が直ったとして次ぎはシンク。今ある物ははっきり言ってダサイ(これって死語?)下の収納扉を取り除けば使えるんじゃない?って話もあるけれどわたくしは満足できません。料理は結構するほうなんで使い易く、かつ料理するって雰囲気が出るキッチンにしたいと思ってます。「料理は愛情より雰囲気から」と思いません?システムキッチンとかはいらないんだけど、それなりに備わってないとダメです。そのうち山科にあるらしい何でも売ってるリサイクルショップに行ってみようと思ってます。予算的に無理ならば何ごともなかったかのように現行の物を使用。

後、細かい事を挙げたら、給湯器と言うのか瞬間湯沸かし器。これはあってもなくてもいいんだけれど、あったら冬の洗い物が助かるので予算次第ですね。それと換気扇。今の換気扇は動かないし、換気扇の扉というのか蓋というのが木の板をひもで引っ張って塞ぐという、これなら蓋いらないんじゃない?ていう換気システムなのでぜひ取り替えを。(予算も含めて)現実不可能な夢としては「料亭の台所」風にしてみたいです。台所はそんな感じ。

次ぎは押し入れ。まぁ見えないところだしコストダウンも考えて2×4材とベニヤ板で直す事にします。でも一階の押し入れは底が抜けているので、しっかりと直さないと。
そして一階廊下のトイレ付近の床が凹んでるんです。ここも修理。全体に畳が引いてあるので、直接は見えないのでコストダウン可能。ゆくゆくは畳を排除して「千本銘木」さんの杉板を使って仕上げてみたいと思ってます。当分先になりそうだけれど。
あと、一階の神楽岡に接する壁。最初は試しに自分で塗ってみようかなと安易に考えていたけれど、箪笥をどけてみると下の方で小さな穴があいていたり、ぷっくりと膨れていたり、凹んでいたりと手に負えなさそうになってきたので、密かに森田氏の手を借りようかなと考えております。

取りあえず家の中はこんなところかな。あと、照明や建具を変えたりして隣に負けないような町家にしていきたいと思っております。あんな2×4材丸見えよりは町家っぽくしたいと思っています。

最後にいよいよ本領発揮、前庭と中庭です(一応、庭師と言う肩書きを持ってますから)。何をしてもいいので前庭は珊瑚樹の垣根を取っ払って、軽自動車がかろうじて止められるスペースを作りたいと思っております。駐車場代も馬鹿にならない程高いので、生活費削減に繋がるかなと。
中庭の方はというと現在、槙の枯れが一本立っているだけなので、これを利用して 1度やってみたいと思っていた庭を作るつもりでいます。ラトナカフェ作庭の時にも持ち上がった案なんですが、お施主さんの方にも勇気がいりそうな感じの案(でも川本さんは少々乗り気だったかも)だったので、行いませんでした。今回は自分の庭なのでやりたい放題好き勝手、ぜひチャレンジと考えてます。思いっきりはまるか、思いっきりはずすかのどちらかで、まぁいいんじゃないと言う事はあり得ない案だと思います。これこそ当分先になりそうですが、できたら皆さんの御評価をいただきたいと思います。
大体こんなところです。予算、暇、膨大するイメージ等々考えるといつ実現するかは全くわかりませんが、ボチボチと俊敏なる亀のごとく進めていきたいと思っております。



 ■ 2月12日(木)

今日は仕事だったので改修はなし。そこで今までの経緯を少し。

僕がこの町家を借りる事になったのは突然だった。それまではオートロックのついたワンルームマンション(ちなみに家賃¥55,000、ケーブルテレビが引かれてた)で生活してた。

隣の町家(通称神楽岡)が存続の危機にさらされた時があって、それを解決?する過程で神楽岡前住人森田氏が、「水谷さん、隣空いてるしもし借りるのなら一緒に交渉してあげようか?」と言われ、軽い気持ちで「それじゃあ安いんだったらお願いします」と頼んだ事がはじまりだった。
「一軒家だしどうせ高いんだろうなぁ」と、あまり期待もせずにいると、僕の知らないところで話が進んでいて「水谷さん、家賃5万で保証金10万で話しついたから」と報告が。本当ですか?と言いながらも内心とても不安でした。今まで一軒家で暮らした事なんかないし、結構古いと聞いてたんで、借りたらこの先どーなるん?で頭いっぱいでした。取りあえずの返事として「まだ一度も中見てないんで、いちど見せてもらっていいですか?」と伝えておきました。それで大家さんが来る日に見せて頂く事に。

入ってすぐの印象は思い描いていたのとはちょっと違ったってこと。京町家と言えば土間があって通り庭があってと思っていたので、これって町家なんかなぁと言う思いがまずはじめでした。
中を見ていくとこれが聞いていた以上に広い。キッチンも入れて8部屋もあるんです。もちろん風呂もトイレもついてる。「へぇ広いですね〜」と大家さんと話してると、テーブルの上にはすでに契約書が用意してありました。あっこれは借りることになってるんだと、その時初めてこの話が僕の中で現実みを帯びてきました。その時森田氏と大家さんとのあいだでは、家の中に残っているゴミをどうするか、なんて話まで進んでいたし、どうしようかなと迷う暇などなく借りる事になりました。

それで、まずはじめの仕事は物の整理。いるものいらないもの、使えるもの使えないもの、と整理する事です。出てくる出てくる、昔の人はほんとに物持 ちがいいと言うか、これでもかってくらい出てきました。昔は下宿みたいな事をしていたので、大量の蒲団が、合計30組み近く出てきたんじゃないかな。これはほとんど処分。
次に食器。これもまた大量に出てきました。大皿小皿、徳利に御猪口、湯のみに急須(なぜか急須は大量にあった)と。それはもう数えきれないくらい出てきました。見なかった事にしたいんだけど、押入に底が抜けるまで詰め込んであったため、やむを得ず取り出す事に。ほとんど取り出すと食器が1部屋占領してしまいました。大家さんに選別してもらって、残りは使わせて頂く事になったけれど、まぁ使いきれないでしょう。これらは後日外園君に手伝ってもらって整理完了したけど、ほぼ1日費やしたね。
そしてお次は布切れと衣服。これも同様に大量。衣服の方は隣の現住人山田氏がある程度物色してお持ち帰りしてくれたけど、そんなんじゃぁ減りません。

すべてのゴミをあわせて2t車で2台捨てたけれど、まだ家の中には1台強のいらない物が残ってます。これは3月くらいに運び出そうと考えてます。これらが1月の終盤に行われ、2月にはれて入居というか無理矢理1部屋だけ整理して住む事になりました。

住んでみるといろいろ問題が発生。 ガスは開けてもどこもつかないし、台所の床は抜けそうでヤバい(これは前もって知っていた事だけれど)し、一階の壁には天井まで届く亀裂が入ってるし、となんだかんだと問題が発生する始末。はじめはどうしようやらなきゃならない事多すぎ〜と思っていたけれど、これも慣れなんですかね、今じゃぁ住むには問題ないし、ぼちぼちとカスタマイズしていこうという気に変わっております。なんせ大家さんからは「何をしてもよい」という御墨付きをいただいたおかげで、困った事にやってみたい事がたくさん浮かぶんです。天井抜いてみたいとか、一部屋は板の間にしてみようとか、現実には大変そうなことばかり浮かんじゃって、たぶんやらないんじゃないかなと今は思っています。

さてここで同居人について少々。昨日同居人1号は外園君と書いたけれど、はじめに決まったのは同僚の松崎って人なんです。名前を「大輔」と言い、あの西部ライ オンズの松坂大輔投手と一字違いの人です。三月に今の部屋を追い出される事になってしまって、「部屋数多いし、次のとこ見つかるまでうちに住む?」なんて冗談で言ってみたところ、これがその気になって決定。今はまだ荷物を少しずつ運んでる最中です。その後外園君が「もし一部屋空いていたら」なんて言ったきたので、こうなりゃ1人も2人もいっしょだぁと少々投げやりな感じでOkを出して同居人1号となりました。今思うと一人では広すぎてちょっと寂しい感じだったし、よかった気がしてます、人助け?になってるし。

まだまだやらなきゃならない事が多々あるので、よりよい居住空間にするために御協力お願いします。



 ■ 2月11日(水)

今日は建国記念日で休日。2月頭に引っ越してきてやっと2部屋を確保しました(外園君=同居人第1号の部屋を入れたら3部屋だけど)。

昨日の夜、ついつい深夜2時まで起きていたせいで、昼の1時頃「腹減った」で目が覚める。起きると隣では中庭の整理をしていました。近くのパン屋で遅すぎる朝食と言うか時間通りの昼食をすませて、「さて台所でも整理するか」と思いつつだらだらしてる(なんせ30年くらいほったらかしの台所なんで、先がとても思い遣られるんです)と外園君が「何か手伝う事ありますか〜?」と御帰宅。「二人ですればなんとかなるか」という少しでもらくをしようというあま〜い考えが浮かんで、ちょっとやる気が出てきました。まずは2つある食器棚からとりかかることに。

1つはちょっと昔の食器棚、もう一つは所謂水屋とか言う良さげな仕事のしてあるもの。実はこの食器棚というか台所が曲者で、30年近くほったらかしだった、当然調味料なんかも当時のまま寝かしっぱなし。

先週、ビン・缶の日にシンクの下を少し整理したところ、一升瓶の醤油や料理酒、酢など程よく醗酵していると言うより固まっている物体が出てきたという、なかなか一般の人にはできない経験をしており、その再現はさけられそうもない感じでした。

おそるおそる取りかかると、あった、あった、ありました。

先ずは30年物の「梅干し」。それはもう真っ白い塩を羽織った年代物。梅干し自体苦手な僕は見るのも嫌で取りあえず脇へ。大小あわせて4つくらい発掘しました。次は缶詰め。オニオンスープだとか、蒲焼きだったりとかすべて開けずに処分。ゴミ業者さんごめんなさい、中身はすっごく気になるのですが、僕にはそれを開ける度胸は持ち合わせていませんでした。

そして、はちみつ。皆さん知ってました?はちみつって30年もたつとそこらの鈍器と何の遜色ない立派な凶器になるんですよ!

次ぎから次へといろんな物が出てきてちょっとした逆宝箱です。ワ〜ギャ〜二人で言いながら何とか全て中身を取り出すと、後は(たぶん)ねずみの糞だけが残ってそ れを掃除機で吸い出してやっと終了。
ふぅ〜と一息ついたとたん、見つけてはいけない物を発見してしまった。それは直すつもりの床にひっそりと、申し訳無さそうにある取っ手。俗に言う床下収納への扉。

「開けたくね〜」と思いつつもさけては通れないもの。恐る恐る取っ手を引っ張ると、金具だけがとれてしまった。不吉な予感が・・・それで少し弱気に、変な臭いもしたしね。
開けてはいけないと言う神の御意志に逆らって御開帳!するとそこには期待通りの怪しい、袋に包まれた大きなビンが4つほどと空き瓶が転がっていました。

空き瓶はいいとして問題はしっかりと袋に包まれたビンです。恐る恐る一つ目の袋をあけるとビンのふたには「五五年」と赤色で書かれたぼろぼろの紙が張ってありました。他は「五四年」ともう一つ「五五年」、後な何にも張ってなかったかな。

さて中身はと言うと実はこれが好きな人にはお宝かも、お気付きの方もおられるでしょう床下にはよくあると言う、そう「梅酒」です。「チョーヤの梅酒」なんて問題にならない(と思う)位の香しい香り。一つを除いて神々しいまでに琥珀色に染まった液体は、見る者を引き付けて止まない、長い年月だけがつくり出す事のできる時の産物です。
今まで出てきた宝物のなかでは一番、後日皆で飲む事にします。飲むかな〜?つまみは梅干しで(実は外園君が食べてみたところいけるそうです)!

結局今日はここでおしまい。掃除機をかけて一応綺麗にしました。燃えるもの、ビン、缶ゴミ袋につめて8つくらい捨てるのもあったけれど、それなりに使える物も出てきたんですよ。新品のミキサーやホットプレート。南部鉄器のすき焼き鍋や土鍋など、たくさんとは言えないけれどそこそこありました。
まだまだ「なんちゃってブルジョワ風町家」にするには先が長いけれど少しずつ楽しみながら進めていくつもりです。最大の難関はたぶん突破したと思うし。


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