JOURNAL

■ 06年02月27日(月)

3/19のスライド会[柳沢究]

3月の神楽岡の案内を載せました。
詳細はこちらをば。

テーマは「ヨーロッパにおける“森”と“庭”の意味の変遷─整形式庭園からエコロジカル・プランニングまで」。
ヨーロッパの庭園史からランドスケープ・デザインの最新動向までを踏まえながら、「森」や「庭」というものが人間にとってどのような存在であったのか、またこれからどのような関わり方があるのか、というような話をしてもらいます。講師は神戸芸工大の同僚でもある九州男児・上原三治氏です。

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■ 06年02月21日(火)

「怖い京都」アンケート[柳沢究]

現在編集中(なかなか終わらない…)の「げのむ」第6号にて、下記のようなアンケートに基づく記事を作成しています。
是非ともご協力下さい!
(ちなみに質問1の回答例は僕自身の体験です)


京都げのむ・アンケート「怖い京都」


…なぜ『怖い京都』という設問なのか?

ここでも何度も書いてますが、6号のテーマは「境界」。
「境界」とはある領域と領域の狭間であり、双方に属しているようでもあり、どちらにも属さない場所であるともいえる。それゆえ「境界」は様々な束縛やルールから比較的自由な場所であり、領域の「内部」では起こりにくいような興味深い事象が発生しやすい。これが境界に注目する理由。

では、眼に見える境界・地図に現れる境界は分かりやすいが、そうでない境界を発見する有効な手法はあるのだろうか? 新たな境界を発見することは、都市をみつめる視線の深化につながるのだから、これはあながち意味の無い問いではない。

ところで、やや一般化して言えば「境界」とは「日常」のルールが通じない場所である。そしてそんな場所で生起する事柄は、「非日常」=「ここではない世界」=「異界」のものであり、我々がそれを体験した時におぼえる感覚は、「驚異」あるいは「恐怖」と呼ばれるものであろう。

つまり逆に考えると、常識や日常感覚を超越する「怖い」「おそろしい」体験を誘発しやすい場所や事物があるとすれば、そこには何らかの境界性が見いだされるのではなかろうか?、という仮説がたてられる(実際、多くの怪談話は川や橋、辻、現代でいえばトンネルなど、都市の境界部分を舞台とするのである)。

…というのが、少々大げさになりましたが、このアンケートの意図です。けれどもまぁ、あまり深く考えずに気軽にお答えいただければ幸いです。


アンケートを元にして、↓こんな記事ができる予定。

「京都午前零時〜夜は何でできているか?」
(『京都げのむ』創刊号所収)

P1-2.  P3-4.

※画像ちょっと重いです。

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■ 06年02月17日(金)

パキスタン仮設住宅提案[柳沢究]

版築の畑中さんとKstudioの田島喜美恵さんが、昨秋に行ったパキスタンでの調査および仮設住宅提案の展覧会とシンポジウムを行うそうです。
東京は来週から、大阪は4月とのこと。大阪会場はなんと中之島公会堂だ(田島さんの企画の速度と実行力にはいつも驚かされる)。

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■展覧会「写真と仮設住宅提案からみるパキスタン地震 ―“1+αtemporary housing”の可能性」
震災発生1ヶ月後にパキスタンへ向かい、パキスタンの住形式と地域性に沿った仮設住宅プラン“1+αtemporary housing”を提案した。本展は仮設住宅提案から見えてくるパキスタンをメディアとは違う側面でとらえ伝える。
・会場:大手町カフェ(東京メトロ大手町駅すぐ/千代田区大手町1-6-1大手町ビル1F)
・期間:2/20(月)〜2/25(土)

■連動企画シンポジウム「大震災からの復興への道のり」
・会場:大手町カフェ
・開催日:2/25(土)14:00〜16:00(1:30受付開始)/当日先着順100名
・講師:田島喜美恵(Kスタジオ・滋賀県立大学)、畑中久美子(畑中久美子デザイン室)、松川淳子(生活構造研究所代表)、渡辺斉(長岡市復興管理監)
・参加費:1000円(ソフトドリンク付き)

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■ 06年02月14日(火)

旧金比羅大芝居・金丸座2[柳沢究]

舞台裏の中二階部分にある、集中力が高まりそうな役者控え室。
丸太の梁と漆喰壁、そこに差し込む光が、ちょっと出来過ぎ君では。

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■ 06年02月13日(月)

旧金比羅大芝居・金丸座[柳沢究]

年末に行った香川・岡山で、実は一番よかったかもしれない建築。
現存唯一の江戸時代の芝居小屋、琴平の金丸座

 

近年の改修で一部鉄骨で補強されたそうだが、それでも木造柱梁による大空間はちょっと他に類をみない迫力である。現在はもちろん電気照明が入っているが、年一回の公演の際には、高窓からの自然光とロウソクの灯りのみで演じられるという。高窓の外側(屋根の上)には照明係さんが控えており、暗転時にはバタバタと人力で板戸を閉ざすのだそう。
天井は竹を格子状に組んで透かしてある。これだけでも空間に深みがでてカッコいいが、芝居のクライマックスにここから紙吹雪が舞い落ちるという演出もあるという。枡席と舞台の親密な距離感は、現代の椅子式のホールとは大違い。役者は舞台・花道を駆けめぐるし、客席からもヤイヤイと声が飛ぶ。上演時には建築全体が濃ゆい演劇空間となるのだろう。一度味わってみたいものである。

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■ 06年02月12日(日)

土曜日の一日[柳沢究]

恒例の下鴨現場。壁もおおかた仕上がり、木部の塗装も引き締まってきた。今は外構工事が山場を迎えている。かねてから庭を造りたいと意欲を燃やしていた久住氏の指揮のもと、神楽岡の庭師衆が総動員でとりくんでいる。写真は水谷&松崎氏が玄関前の石を据えているところ。形をあわせながら、丁寧に、少しずつ。


午後、学芸の仕事のため、竹原義二氏の全作品資料に目を通す。竹原氏は「住宅特集」登場回数NO.1らしく、なんとも膨大な作品数。一人の建築家の図面をここまでじっくり読み込むのは久しぶりだが、図面を引く機会の少ない今の自分にとって、とてもよい頭の体操になる。

夕方には、芸工大を出て東京の南洋堂に勤める新宮君が京都に帰って来ているというので、漆の東端唯さんのアトリエでの個展打ち上げパーティに一緒に行く。板の間の床に座って、ドンペリとかソーテルヌとかを場末の居酒屋のように飲みながら、曽根造園の若い職人さんや照明作家のムーランさんと話す。いいねぇ。

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■ 06年02月11日(土)

右回り/左回り[柳沢究]

先週3日に高木先生と話していた時、「左回り/右回り」の話になった。

ヒンドゥー教や仏教の巡礼や参拝は、必ず右回り(進行方向に対し右が中心に向くという意味。=右肩回り、時計回り)で行うものとされている。ヴァーラーナシーの巡礼路も四国のお遍路もチベットのマニ車も、みんな右回りである。では何故「右回り」なのか?

諸文化には、たいてい「左/右の優位性」問題があるのだが、おおむね右を優勢(=尊、浄、善)とするところが多い。「人種を問わず右利きが多い」というのは、どうやら統計的に事実らしいので、これが理由であろうかとも思う。しかし、生理的制約や身体の機能性といった観点からすれば、格別右利きが優越である根拠はないそうで、右利きが多いのは実は社会的に矯正・固定された結果という指摘がある(例えば猿の左右の利き腕の差異はかなり流動的という)。ともあれ、人間には「右」を好む文化的傾向が何となくあるようなのだが、興味深いのはRing-Wandering(【独】Ringwanderung)という現象。

Ring-Wanderingとは、目印が何もないところを歩いていると、人間は自然に左回りの弧を描き、最終的に同じ箇所を円環状に巡るという行動現象をいう(たとえば夜に吹雪で視界のきかない原っぱで道に迷った人は、まっすぐ歩いてるつもりがグルグル回っていて、ついに力尽きてしまうというようなこと)。利き足でない方(=左足)が軸になりやすいからとか(陸上のトラックはこの理屈で左回り)、左側にある心臓を内側にするためとかいう説があり、確定的な理由は知らないけれど、人間は身体的には左回りする傾向がある、と考えていいようだ。
ちなみにコリオリの力を受けて北半球で発生する台風や渦が左回りになることとは、ほとんど関係ないらしい(運動速度が小さすぎるからか)。

では宗教儀式などに際して、左回りと右回りどちらの動きが、よりふさわしいということになるんだろう。
左回りが生物として「自然」な動きであるとすれば、右回りに動く事にある種の神秘的な価値を見いだしたのは、人間としてとっても「自然」なことのように思われるのだが。

ところでメッカのカーバ神殿の礼拝は左回りだそうです。
(オチもマトメもないです。すいません)

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■ 06年02月10日(金)

論文終了後の日々[柳沢究]

27日:論文は結局仕上がらないまま、徹夜明けで夕方よりCDL事務局会議。

28日:朝から大阪・森ノ宮へ。学芸の本の仕事で竹原義二氏の事務所へ行き、初顔合わせと簡単なインタビュー。終了後、山崎邸のパーティへ。昼間ということか山崎君の趣味か、コーヒー・紅茶にケーキ、クッキーが並ぶテーブルにたじろぐ。甘いモノばかりでほとんど飲み食いできず。理研で理論物理学をやっているというシコウさんにコーラムのことを話したら興味をもってくれ、組み紐理論(乱れた麻を断つのではなく、如何にほどくか。あるいはどれだけ複雑に絡まっているかを考える理論)を用いてはどうかとアドバイスをもらう。

29日:午後重森三玲邸へ。座敷から眺めると、室内に庭が入り込んでくるような迫力はあるが。年末に見たイサムノグチの庭を思い起こしつつ、「モダン」とは何なのかなどと考える。夕方電器屋めぐり。寺町はさびれつつある。デジカメを5年振りに新調。

  

30日:いまだ終わらぬ論文にとりくみつつも未完でダウン。

31日:修士論文提出。みなさんご苦労様。打ち上げのキムチ鍋会に顔を出すが、論文があるのでと早々に退出。大学院棟の廊下に流れるニンニクの香りに気をとられつつ久々に徹夜。

1日:論文ようやっと仕上がり深夜発送。

2日:神戸市営地下鉄が架線事故とのことで、朝10時頃とまる。学位申請論文発表会。

3日:論文にとりくんでいる間、ほったらかしにしてたメール返信、事務書類書き等で一日終わる。晩は高木先生の部屋でゼミ。久々にヴァーラーナシーについて話した。牛の一日行動調査記録(6頭分)、いつになったら日の目を見ることやら。

4日:午前下鴨打ち合わせ。毎度のことながら壁が仕上がるとぐぐぐっといい感じになる。午後は家の片付け。寒い。ネズミがあちこちを跳梁跋扈している。晩ビューティアム改装の打ち合わせ。のち日知庵HATI-HATIへ。アラックのソーダ割り美味し。

6日:事務処理でほとんど終了。修論発表会の準備。JRまたも遅れる。焦って事故を起こすよりもずっといいけど、新快速が15分くらい遅れるのは日常的になってきた。

8日:一日かけて修士論文・作品発表会。今年はファッションの作品がよかった。

9日:片付けやら採点票の集計やら3時間超の会議やらで疲弊。合間を見てSSSの足場や型枠についての検討。

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