JOURNAL

■ 06年03月29日(水)

群馬と栃木行き[井上大藏]

福岡からの帰宅も覚めやらぬ24日夜、群馬・栃木に向けて夜行バスに乗車。
行き先は前橋、それと日光。
前橋では、学会群馬支所主催の講演会 「旧富岡製糸場と世界遺産」に出席した。
実際、去年現地を訪れて私は世界遺産への取り組みについて知りたいと思っていたのだ。
そこに近日になって、東北大学名誉教授の芹沢長介(考古学者)さんの訃報を耳にした。
これは相沢忠洋記念館に行けという事だな・・・と思い立ち、群馬へ。
館長の相沢千恵子氏(故忠洋氏の夫人)と暫し歓談する。

群馬へ行くなら隣の栃木県日光にも・・・と、いう気になった。
日光二社一寺は、小学生の頃から行きたい場所でもあったので約25年の悲願達成である。
日光といえば、やはり東照宮陽明門だろう。
見て愕然としたのは、その小ささである。イメージ以上に華奢で小さい。
しかも、キンキらキンで「派手」をイメージしていたが、実際には輝度が無く明度のみによる綺麗さであった。どうやら、技巧による演出も「派手」のイメージを助長しているようだ。

最後に、嬉しかった事がある。
絶滅していたと(勝手に)思い込んでいた“Dr Pepper”が宇都宮で発売されていた事だ!
20種類以上のフルーツフレバーのブレンド。なんとも言えない、このノド越し。大好きである。
買い溜めして、京都にお持ち帰りしてしまった。

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■ 06年03月22日(水)

九州国立博物館[井上大藏]

京都に戻ってきた。さすがに、ラーメンを暫く遠慮しよう。屋台は基本600円。相場のようだ。

今回の旅では、やはり九州国立博物館(九博)が目を引いた。
まだ、整理が追いつかないので写真のアップはできない。大宰府天満宮の東側に位置して、山をひとつ隔てた場所にある。人道専用のトンネルで繋がっていた。
この見せ方はMIHOミュージアムと似通っている。ただ、九博の方が何というか・・・華やかでる。
いつかはアップしよう。

ちなみに・・・・・
国立とは言っても実際に「国立(国の設置・運営)」ではなく、独立行政法人の付属機関。行政改革で国の元を離れていった他の国立博物館と同枠の施設。国立の名称を使う理由は、基本構想が出来上がった当時、他の国立博物館が文部省直属の付属機関であった事に由来する。現在は、言わば称号のような物なのである。

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■ 06年03月19日(日)

またまた福岡です[井上大藏]

夜の天神を徘徊する。もとい、福岡のラーメン屋を食べ歩く。
とんこつ・細麺・青ねぎ・チャーシュー1〜2枚。これがベースで450円程度。
店によっては、紅しょうがや高菜がカウンターにあった。観察すると、客によってはこれを麺にトッピングしていた。試してみると、わかる気がした。

細麺のように、細く長く体力を維持しつつ今日は歩いた。移動に一番時間がかかったのが吉野ヶ里。着くと午後四時。で、閉館が5時。1時間で面積約 58ha (国営公園約 27ha 、県立公園約 31ha )の内、主要部分をのみを踏破する。それでも資料的価値を失わない収集をしようとすると目一杯だった。
よくよく考えれば、吉野ヶ里はJR佐賀駅(佐賀市)から電車で約12分の距離。それでも、福岡・博多へ帰っていく私。旅行前に佐賀市の観光情報を把握くしての結果である。私には今回縁がなかった。いずれ、有田や唐津には行くであろうから、その時の楽しみにしておこう。

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■ 06年03月18日(土)

いま福岡です[井上大藏]

本日は文章だけ。
今、九州は福岡にいます。何故かと言うと、例の古材の所有権整理の関係で北九州で打ち合わせのため。せっかくだから、福岡まで足を伸ばしました。
朝5時に小倉入り。
3時間ほどミーティングの準備して、9時30分から打ち合わせ。終了したら15時30分だったから約6時間も必要だった。その後、JRで移動しつつ2箇所の重文建築を訪れました。神社建築の香椎宮と筥崎宮の本殿です。詳しい事は帰郷後にしましょう。

で、なぜ福岡かというと・・・九州国立博物館と吉野ヶ里公園を訪れる為です。
以前から訪れたかった吉野ヶ里と、大宰府天満宮・観世音寺と並び開館4ヶ月で100万人突破した九州国立博物館の建物を見に行きたいな・・・と。
あと、20日夜までこちらに居るので博多ラーメンは必ず食べて帰ろうと思っています。

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■ 06年03月12日(日)

中書島の遊郭[井上大藏]

11日、伏見区は大手筋へ。
近年の発掘調査で、伏見城跡(城下町)の状況が判明してきており、その現地説明会に赴く。古くは、約500年前の室町期まで遡れるそうだ。

その帰りがけ、中書島へ。寺田屋・酒蔵の町並み・濠川と、お決まりのコースを歩く。
そういや・・・昔、中書島は遊郭だった・・・と思い出した。
ならんで・・・遊郭の建造物、今は無く・・・との情報もよみがえった。
そういう情緒を感じつつ、何気なしに歩を進める。と、目に写った一軒の建物。

現役の営業は行っていないと思われるが、新地であった頃の風格を漂わせる貴重な存在だ。他面で中書島は、明治43年の京阪電車開通と大正3年の市電の延長により、伏見の南玄関としても発展してゆく。多分、この銭湯はその頃の建物だろう。


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■ 06年03月11日(土)

デジタルカメラ[井上大藏]

建築で写真を撮る行為は欠かせない。当然、小なりともカメラに興味を持つ事になる。
昨年まで私は、キャノン「EOS Kiss 3」にタムロン「AF28-300mm Ultra Zoom XR」の筒を載せていた。当然、一眼レフで28o広角と300oズームを楽しむため。広角は必須。
昨年末、コンデジに切り替える。リコーの「Caplio R3」。R3の問題は置いといて・・・、コンデジでありながら28-200mmが使用可能は大変な魅力。当時、コンデジで28o広角はリコーの独占市場。他は、キャノンの「PowerShot S80」くらいだった。比べて、いまやパナソニックも参入し機種も多くなり、選択に幅が出てきた。
そのような中、今年になって脅威の一台が最近お目見えした。コンデジで23oが撮れるコダックの「EasyShare V570」の出現である。広角では後発のコダックが、23oで切り込んできたのだ。近く、コンデジの広角(28o)は、標準装備になるのではなかろうか。

一眼で鍛えた私の技術は、コンデジの使用方法に少々ギャップがあって使用に悪戦苦闘。幾度も、富士のネオ一眼「FinePix S9000」に寝返ろうかと思いつつ、金銭的に挫折する。右手で支える本体のグリップが6センチ位あって、私に持ちにくかった事も原因の一つ。他方、最近のデジタル一眼では、フィルムカメラのレンズを同じoで転用可能な機種もお目見えした。

そんなこんなで、もう少し「Caplio R3」でがんばろうと思う。ただ、いずれセカンド利用になる事だろう。

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■ 06年03月05日(日)

所有権整理[井上大藏]

いやはや・・・・所有権の整理というものは学ぶべき点が多い。
九州で文化財指定を受けた歴史的建造物の古材の所有権整理の話である。
2年弱前から関わっていて、今年、所有権整理に着手した。
立場が変われば当然理解の方法も異なるのが自然で・・・対極ならまだしも、複数の立場が存在する。どうなることやら。今回の場合、古材を中心に囲んで3者のトライアングル状態になりそう。
こうなると、古材を利用する技術屋とは別で、事務屋の思考回路も必要である。
・・・・でなければ、収まる場所が見えてこない。
主張の折り合い合意ではなくて、整合点の手探り合意。
日本で始めての指定古材の活用も見据えているので、五里霧中の合意点探しともいえる。
先の楽しみな動きが展開できそうだ。

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■ 06年03月04日(土)

旧川上貞奴邸[井上大藏]

先日の名古屋行きでは、久々に白壁地区を歩く。
名古屋城の東南東方面に展開するこの地区に、初めて足を向けたのは約8年前。
年々町がきれいに整備されて、積極的な文化によるまちづくりが感じられる地域である。
この地区の一角に、「文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)」がある。
近年になり、同地区内で移築修理された建物。
大正9年竣工のこの建物は、「日本の女優第1号」と言われた川上貞奴と、「電力王」と言われた福沢桃介が居住していた。

設計と施工は、洋風住宅専門会社の「あめりか屋」。
米国住宅のデザインを採り入れた和洋折衷の建物で、東西に長い建物の東側に洋風建築様式が採り入れられていました。入口から奥の建物西側部分は和風の部屋。
当時はもとより、現代でも眼を引く建物である事はまちがない。

ちなみに、川上貞奴は明治32年(1899)サンフランシスコやパリで女優「貞奴」として初めて舞台に立った人物。フランス政府から勲章を授かる。
また、「オッペケぺー節」で有名な川上音二郎の妻でもある。
オッペケぺー、オッペケぺー、オッペケペッポーペッポーポー♪
高校時代に近代日本史を選択した人は、自由民権運動で一度は耳にしたはず。
福沢桃介は福沢諭吉の娘婿。名古屋を拠点に木曽川水系の電力開発に乗り出した人。

旧川上貞奴邸.JPG

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■ 06年03月02日(木)

名和昆虫博物館[井上大藏]

この形式になって記すのは初めてで・・・。これからもヨロシク。
今年早々、1月に名古屋と岐阜に行ってきた。
主は、名古屋市美術館で開催中の「名古屋近代建築運動史の群像T武田五一」の見学。
他、幾つか名古屋市内を巡って岐阜市に立ち寄るコース。岐阜市では、名和昆虫博物館を訪れた。博物館施設として『記念昆虫館』と『昆虫博物館』があり、設計者は共に武田五一。
『記念昆虫館』は明治40年、『昆虫博物館』は大正8年の設計。
『昆虫博物館』では、大正期の唐招提寺修理で取替えられた柱(古材:オリジナル)が現役の柱として再利用されている。文化財の古材に注目している私は、これを見に行った。
副館長に案内いただくと、古材(柱)は12本譲られているとの事。
あるものは柱に、またあるものは通常非公開の『記念昆虫館』内の白蟻観音六角堂や天皇御座所の化粧材等に使われていた。・・・が、説明を受けた数では12本に至らない。
何処へ・・・と聞き、確かと指差された場所を見ると未整理の資料の中に置かれている姿が。転用されないままの、初心な姿でご対面である。なんとも、意外な新鮮さをかもし出していた。

記念館や博物館でありながら、建物としてはとても小さくて華奢なつくり(木造・煉瓦造)。しかし、もともとのデザイン力が優れているので、「岐阜公園内」というイメージ・環境が加味されても、遜色なく建物を楽しめるのは、やはり武田のパワーであろう。
さながら、『記念昆虫館』は洋風小住宅を思わせる。

記念昆虫館

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