JOURNAL

■ 06年10月14日(土)

栗原邸(旧鶴巻邸)・その1[柳沢究]

10日の井上さんの案内にもあった、近代化遺産の全国一斉公開の一環である「栗原邸(旧鶴巻邸)」の一般公開に行ってきました(10月7日)。
設計は本野精吾、1929年竣工(サヴォア邸と同年)。
「中村鎮式コンクリートブロック」と呼ばれるL字形のブロックを組み上げ、その中にコンクリートを充填するという構法でつくられている。外観は装飾も少なく、一見ごく普通のコンクリートブロック造に見えるが、藤森照信によれば、コンクリートをそのまま見せて仕上げに用いた建築としては世界的にみても最も初期の部類に入るものとのこと。

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1. アプローチ。写真がうまく撮れなかったけれど、前庭とアプローチがとてもよい。砂利敷きの上に点々と植物が生え、庭木をかいくぐるようにして、ポーチに到達。

2. 外観のアクセントとなる玄関ポーチ。ビシャンで仕上げられたコンクリートの円柱は大理石にも負けてないぞ。

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3. 写真.2の中。室内の天井から連続する薄い庇、網戸のはいったスチール・サッシュ、雨上がりの陽が差し込む室内。とてもモダーンな雰囲気。
ただし、この部屋の窓を除けば内部はかなり古典的な雰囲気。インテリアはかなり傷んではいるもののほとんど改装がされておらず、往年の雰囲気がほぼそのまま残っていると思われる。しかし戦後、進駐軍にしばらく接収されていたらしく、台所や洗面所は汚くにペンキで塗られていたりする。うーんアメリカ人はペンキ好きだなぁ。

4. 開口部まわり、戸袋のディテール。


少し不思議に感じたのは、京都高等工芸学校(現・京都工繊大)の学長であったという施主が、1929(昭和4)年という時期に、疎水沿いとはいえ何故こんな奥まった不便な(失礼!)敷地を選んだのかという点。当時であれば、市街周辺にはまだまだ土地が残っていただろうに。山科から松ヶ崎は結構遠いぞ。車で通ってたのかな。

・・・というようなことを考えながら、でも当時は松ヶ崎ではなかったのかもしれないぞ、と思い調べてみたら、昭和5年まで京都高等工芸学校は左京区吉田、京大の西側にあったらしい。(「当時、京大と高等工芸の間は狭い道で、その上を樹がうっそうと繁って、昼でも薄暗い所であった」という。この「狭い道」とは現・東大路通り)。
しかも、さらにその西には京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸大)があったとは知らなかった。立命館も寺町広小路(現在の京都府立医大の場所)にあったのだから、寺町今出川の同志社とあわせれば、今出川界隈はまさに大・学生街だったというわけだ。うーむ。


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