JOURNAL

■ 06年10月20日(金)

今出川界隈はまさに大・学生街[井上大藏]

06年10月14日(土)付けの柳沢氏の文章、「今出川界隈はまさに大・学生街」について少し補足を。

実はあの辺りに大学が集中したのは、京都御苑との関係が深い。大学個々にその動向を記せば、明快なのだが、少々包括的に話をさせていただく事にしよう。
明治維新によって、京都御所の「お上」(天皇の事)が東京へ赴かれると、御所近辺に集住していた公家衆も従って去っていった。主人の居なくなった公家の屋敷を利用して、博物館や学校が設立される。同時に使わない空き家は物騒なので整理事業が開始される。この整理事業が、現在の京都御苑の形成へとつながっていく。

一方、整理事業の経過で屋敷利用の博物館が消え、学校も立ち退く事になっていく。立ち退き先として目をつけたのが、宮家や大名の下屋敷である。下屋敷とはいえ相当の広さを持つし、有力宮家や雄藩ほど御苑に隣接乃至は近郊地に存在しており移転に便利である。また、当時の学校創始者は、東京の薩長族高官との関連が事の外深く、同じ薩長族の京都府知事からも優遇されての場所選定であった。これらの要因から、大学の集中へと繋がっていく。

実は、私の母校(京都府立鴨沂高等学校)も公家の九条家の邸内で産声をあげている。その後、移転するが現在も通りを隔てた「お向かい」が京都御苑である。ちなみに、高校正門と茶室が九条家のものとして現在も伝わっている。


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