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■ 08年07月27日(日)

土蔵扉の実測と九条山と体力の低下[柳沢究]

4月から設計の仕事に専念しはじめ、現在、京都市内と園部の方で二つの住宅設計が進行中。それなりに忙しい毎日を送っております。

3月までは神戸へ毎日往復4時間かけて通勤していたけれど、それがなくなったため一日が非常に長く感じられるこの頃。それはとても嬉しいことなんだけれど、今のところ動いている現場が無いため、一日中一歩も外に出ず座りっぱなしという日がしばしばあり、身体の鈍りに拍車がかかっていてマズイです。


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そんな中、一昨日は久々に現場に出ました。朝一に久住鴻輔親方から連絡があり、とある土蔵の修復現場で窓周りの実測と、その修復用図面の制作を即日でやったのでした。
京都では時々目にする機会がありますが、土蔵の扉というのは、火事の際に隙間から炎が入りこまないように、窓枠と扉が段状の立体的にかみ合うデザインとなっています。左右の扉相互および枠と扉とのクリアランスは、1〜2分(3〜6mm)。これを漆喰の塗り厚で調整するのもすごいが、防火性を追求するが故に厚さ15cm・重量○十kgもある複雑な形の建具を作ってしまう(しかも広く一般化している)という発想も実は驚くべきことである。

 

メス(入隅)の段になった枠と、オス(出隅)の段になった扉

一昨日やった作業は、傷んだ扉を作り直すための図面を、既存の窓枠の実測寸法をもとに書くというもの。炎天下に土蔵の壁に張り付いて、実測に4時間。家に帰って水風呂を浴び、清書と修復用図面書きをシコシコ9時間で仕上げる。(土蔵の実測図面作成は今回で3回目。1回目は骨組みを、2回目は外側の仕上げ(04/5/22)をとった。そろそろ新築の設計も…)

現場で体を使って汗を流し、事務所で頭を使って図面書き。こんなペースの仕事は気持ちがよい。毎日だともの凄くしんどいと思うけれど。


できあがった図面の一部

昨日の夕方は、打合せで山科にある鈴木健太郎氏の事務所まで行ってきた。バイクで行けばすぐのとこを、少しでも体を動かそうと自転車で九条山を越えて行ってきた。九条山なんて大した山でもないんだが、とてつもなく苦しんだ。途中、自転車で行くのをあきらめ地下鉄に乗りなおそうかと考えたが、あまりに情けないのでそれはしなかった。

生活の中に体を動かすルーチンを作ってかないと、そろそろ、いろんな意味で、危なそうである。

ちなみに蹴上・九条山の一帯には、蹴上インクライン跡の他にも見所が多い。
九条山浄水場とか全和凰美術館(廃墟)とか。オススメは日向大神宮。樋口忠彦のいう「隠国(こもりく)」の構造が連鎖する神社コンプレックス。本殿は京都では珍しい神明造(伊勢神宮と同じスタイルのやつ)であり、天の岩戸などもある。

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鈴木健太郎氏の工務店の倉庫・作業所。宙に浮いた板貼の家形が妙に格好いい


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■ 08年07月09日(水)

神楽岡のスライド会[柳沢究]

この間の日曜、森田一弥氏のスライド会は、今後の活動の広がりを予感させる魅惑的なキーワードも披露された、約2時間にわたる迫力のプレゼンテーションでした。

実に1年4ヶ月ぶりのスライド会とあって、また今ノリノリの森田氏の講演とあって、常連職人メンバーの他、東京からやってきた臼田さん、学芸出版の中木さん、神戸から畑中久美子さん、神戸芸工大院OG・石井さん、安井さん他、様々な方が参加してくれました。ちゃんと話せてない人も多いのだけど、ちょっとご紹介。

まず、布野研の先輩・渡辺菊眞氏、後輩の魚谷繁礼氏。お二人ともすでに建築家として激しく活躍中で、次回・次々回の講師をお願いしている。詳細はまた後日お知らせしますが、とびっきり濃い内容になることは間違いない。

修学院の建築論で学位をとられた京都大学田路研の田中明さんは初参加。今年2月の博士論文公聴会がたまたま僕の公聴会と同日で、その時初対面。発表直前の緊張ピークな時間を共有した関係でもあります。5月になって、SSSで協働している小澤雄樹先生の事務所で、たまたま再会。そんな縁もあって、今回遊びに来てくれました。田中さんのスライド会も企画中です。

他に、チベットやラオスで学校や図書館の自力建設をされている、「建築旅人」(と名刺に書いてある)の鈴木晋作さん。バックパッカーとして同じ匂いを感じます。活動の話を詳しくまた伺いたい。
「宮殿師(「くうでんし」と読む。「宮殿」は厨子など仏像を納めるとこ)」の市原聡志さんも、初めて来てくれた方です。「宮殿師」なんて仕事があったのか、というのが率直な感想です。モノがあれば当然それを作るヒトがいるわけですが、そもそもモノ(「くうでん」)を認識していなかった。そういう風に見過ごしてるものは沢山ありそうです。ちなみに市原さんに頂いた名刺はクスノキ製で、擦ると樟脳の香がします。なんとも。


建築系の講演会にもいろいろありますが、小さなボロい町家を会場に、講演と懇親会がシームレスに繋がりかつエンドレスに続くのが神楽岡のスライド会の特徴です。
そのような場所で、建築家とか設計者だけでなく、幅広く建築に関わる方々とじっくり酒を飲みながら話せるのは、なかなか他では得られない機会であることよと、主催者がいうのも何なんですが、久々のスライド会で改めて実感しました。

こう書くとなんだかすげぇ男臭い会みたいに勘違いされそうで、それもあながち間違いではないのですが一応フォローすると、参加者の半分くらいは女子です。それと、エンドレスで飲んでるのは一部です(僕は最近早々に潰れますが)。大半は終電までに帰ります。怖がらないでください。

そんなスライド会も今年で6年目、今後も息切れしない程度に続けていきたいと思ってますので、興味のある方は、是非気軽に遊びに来てください。
毎回の案内は"What's NEW"のほか、メーリングリストでも配信しています。

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■ 08年04月09日(水)

高野口小学校 その2[柳沢究]

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高野口小学校の敷地の周囲は、このような石積みの生け垣で緩やかに囲われている。
石積みには中腹に段が設けられていて、背の低い子供でも生け垣に手が届くようになっている(実際に生け垣の手入れは生徒達がやっているそうな)。こんな細やかなデザインが、校舎のあちこちに見られて気分がよい。

設計者は当時(1937年)、高野口町に出向していた和歌山県営繕課の人とのこと。昔の役人設計者といえば逓信省などが有名だけど、地方でもいいデザインの仕事をしてたんだなあ。話はずれるが、デザインのできる優秀な建築学生が、役所、特に地方自治体の建築行政にすすまないと日本の街はよくならない、というのは布野修司の「タウンアーキテクト論」。これは、地方に密着して活動する町医者的建築家と連動してはじめて機能する。アトリエ系→スターアーキテクトだけが、建築家の道ではないのだ。

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見学の後、小学校の音楽室で平田氏にこの間の保存・改修運動の流れの簡単なレクチャーを受けた。建物の老朽化に伴い、保存改修でいくか新築にするか、いろいろすったもんだがあったらしいが(そのやりとりの様子はNPOの冊子にまとめられている)、今は改修保存の方向が確定し、実施設計がすすんでいるとのこと。
建築そのものもとてもよいし、この活動はもっとメディアに取り上げられてよいはず。なのに、建築メディアにすらほとんど紹介されてないんじゃないか。

教育委員会に申し込めば、見学を受け付けてくれるかもしれないとのこと。見学者が多く訪れるということは、この小学校が世間から注目されていることを。行政にアピールするという意味ももつので、興味のある人は是非トライを。高野口の街も面白いですよ。

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■ 08年04月08日(火)

高野口小学校 その1[柳沢究]

先月末博士論文が一段落した後、芸工大の助手同僚の水島あかねさんにお誘いいただき、和歌山にある高野口小学校の見学に行ってきた。

現地でご案内頂いたのは、高野口小学校の保存・改修プロジェクトに携わっている和歌山大助教の平田隆行氏(平田さんのサイト構成は広範な活動がそのまま可視化されていて面白いな)。平田氏とは、1999年夏にフィリピンのヴィガンという街の調査に一緒に行って、マニラの安宿で飲んだくれた時以来だから、約9年振りの再会である。

で、高野口小学校。

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前庭と正面玄関(当日カメラをうっかり忘れため、水島さん撮影の写真をもらいました)

1937年建設の木造平屋の小学校。プランは櫛形のいわゆるフィンガープラン(ここの航空写真参照)で、それぞれのフィンガーの北側に片廊下が走り、南側が教室という構成になっている。指の間は中庭で、指の付け根は正面玄関と職員室などの管理部門が集まるという明快な構成。
プランで見るときわめて構成的なため、病院や兵舎・刑務所にも通じそうな堅苦しい雰囲気である。しかし実際には、長手方向の壁がほとんど全て開口部になっているため、教室〜廊下〜中庭とのつながりも密で、そのような印象はまったくなし。のびのびとした心地よい教育空間でした。

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廊下と教室(1間ピッチで並ぶ5寸角の柱。方杖がきいている)
廊下も教室も天井高が高く(3.3mくらい?)、空間としては完全にモダンである。

高野口小学校の空間の「のびのび感」は、厳格な空間構成理念が、住宅にも通じる和風のディテール(天井はなんと竿縁天井である)と木の質感でうまく中和されている点が大きい。ディテールと質感が、理念と人間の距離を埋めているといってよいか。これを鉄骨で白く塗ってやってしまったら、こうはいかないだろう。

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中庭

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■ 08年04月01日(火)

「足の裏の米粒」除去[柳沢究]

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(ヴァーラーナシーでの調査風景:2007年06月)

新年度明けましておめでとうございます。

昨年度よりほぼ、丸一年間、神楽岡の活動を休業してきましたが、4月より復帰です。
そんで、この3月で5年間お世話になった神戸芸術工科大学を退職し、しばらくぶりに京都での設計業務に本腰を入れていきます。
芸術工学研究所特別研究員、また民博の共同研究員として、インド都市研究も継続するんですが。
(テーマとしては、今後、対象とする時代を過去から現在へと漸次スライドさせていく予定。対象地もインドから日本へと関係づけていくのが目標)

この一年半は、積年の課題であった博士論文の執筆に没入でした。
30過ぎたとか、職の任期が切れるとか、所帯持ちになったとか、もろもろで尻に火がボーボーつきながら、同じテーマで科研があたったという追い風や、いろいろな方の助けも受け、何とか走り抜けることができました。

12月の草稿の提出から、1月の論文提出、2月の公聴会、3月の最終判定を経て、先月24日に尾池総長から直々に学位記をもらってきました。論文の中身はさておき、「足の裏の米粒」と揶揄される博士号でも、7年越しのそれはそれなりに感慨深いもので、でも、歓喜というよりは安堵、長いマラソンを完走したような、しみじみあはれな、それです(マラソンしたことないけど)。
在学時と違って大半が孤独な作業であったので、修士論文や卒業設計時には考えもしなかった、相談できる先輩や手伝ってくれる後輩、同じ目標に向けて走る同輩の存在のありがたみも、折りに触れて感じました。

博士号の重みも年々と軽くなってきているらしく、また、博士難民の様子を見ても、これがいつか運転免許証ほどにも役立つのかわかりません。ただ、学位そのものよりも、取得にかかる一連のプロセスをくぐりぬけることこそが、仮にも「研究者」を名乗るために不可欠なイニシエーションであるということは(ノーベル賞の田中さんのような例外はありますが)、誰もが言うことですが、強く実感したことであり、また以前には決して理解できないことでした。

ともあれ、まがりなりにも一つの形に研究をとりまとめると、当然問題点が明らかになるとともに、あれこれ楽しい展開が思い浮かんだりもしているのですが、今はもう、研究・論文からはしばし離れ、思う存分建築の世界に遊びたいというのが正直なところです。

そんなわけで、またぞろよろしくおつきあいお願い申し上げます。

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■ 07年03月20日(火)

中国山西省・大院めぐり[柳沢究]

15〜19日と、中国山西省に調査へ。

 

曹家大院・渠家大院・常家大院・喬家大院という、一連の「○○大院」と呼ばれるこの地方の商人の大邸宅を梯子する。昨年、一昨年と大学院で調査した王家大院との比較のためだ。
「大院」はいわゆる四合院が何十と集合して、ひとつの町のようなスケールでできあがっている。そのためどこをどう歩いても金太郎飴のように、囲われた中庭の風景が反復していくのは、ある種の力強さを持った、気分の悪い空間体験ではある。最後の方はかなり疲弊した。


 

大院めぐりの拠点としたのは平遙の町。世界遺産にも登録されており、2〜300年前くらいから凍結した街並み。城壁に囲まれた、石炭の匂いが立ちこめる暗い湿った(これは季節と天候のせいもある)石と土の町。ここはおすすめです。右の写真は泊まったホテル。

曹家大院にて。すべて「寿」という字のバリエーション。

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■ 07年01月02日(火)

謹賀新年[柳沢究]

よき春をお迎えのこととお慶び申し上げます。
旧年中のご厚誼に感謝を申し上げるとともに、本年もどうかひとつよろしくお願い致します。

さて2001年にスタートした神楽岡という運動というか集団というか場所というかは、今年の春で7年目に突入するそうで。開始当初に生まれた子供ももう小学生というわけで、神楽岡でも結婚したり子どもが生まれたり、独立して仕事を始める人がいれば、海外に飛び出していく人もいるわけです。
多々の反省とともに感慨深いものがあるわけですが、あの頃ぴかぴかの博士課程一年生だった私は、まだ学位論文を完成させていないわけで、そんなことを考えていたら新春早々薄ら寒くなってきました。今年の課題はとにかく論文です。フィールドであるインドにも久々に行きます。

インドといえばこの年末年始で、インド西部での大地震から4年、インド洋津波から2年、パキスタン地震から1年が経ちます。なにも災害に限らずとも、日本におけるインド・南アジアに対する注目はこの数年で飛躍的に高まってきました。島耕作もインドに行き専務になりました。
だからといって私の研究に取り立てて影響があるわけもないのですが、同じインドの都市について考えていても、7年前とは自然と異なった意義を自分で再発見するようになったりします。もうすぐインドの街も日本の高度経済成長期のようにとんでもなく変わってしまうのではないか、急いで論文をまとめなければなどと心配もするのですが、いやいやヴァーラーナシーのベンガリートーラの路地などは、100年後も(100年前からも)たいして変わらずが歩いているのではとも思います。
ともあれ、今年は瓢箪のくびれ2年目です。

(写真はヴァーラーナシー、アッシー・ガートの風景)

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■ 06年12月28日(木)

"Google Scholar"と"Google Book"[柳沢究]

論文モード始動ということで、参考文献・論文をリストアップしては整理するという日々。

ネットで論文検索をかけては、アブストラクトを見たり所蔵図書館を調べたり。PDFファイルで本文がまるまる手に入る場合も多い。インターネットでは大概のことは驚かなくなってきたものの、いやー、世の中便利になったもんだなーと実感しています。ネットでの論文情報の収集のしやすさは、修士論文をやってた頃(5年前)に比べてさえ、すでに隔世の感があります。

中でも最近知って重宝しているのは、Googleの提供する、研究者向け論文検索の"Google Scholar"と書籍内容検索の"Google Book"。

どちらも、現時点でどれだけの範囲をカバーしているのか分からないから、これだけ使えば大丈夫とはいかない。しかし少なくとも英語の文献に限れば、個々の論文・書籍検索サイトの編み目を縫って、かなり細かなところまで拾ってくれるし、PDFの本文情報へのアクセスが明快なところがありがたい(Google Scholarの特徴については、こちらのサイトが詳しい)。
Bookの方は、目次までなら見られる本が多いのは助かる(和書は全然カバーされてないけれど)。著作権切れの本だと、全文が読めるものも結構あって驚く。著作権ありの本は印刷ができないのが困りものではあるが。

それにしても、Google Earthの3D化にせよ、いったいGoogleは何をどこを目指しているのだろうか。全世界の情報のデジタル・データベース化なんだろうけども。その先は?

もう一つの最近知った重宝ツールは、iTune
言わずと知れた音楽プレイヤーであるが、実はPDFファイルも管理できるのだ。Web上で拾い集めたPDFを、MP3ファイルを扱うのと同じ感覚で、一括して整理・分類できるのでとっても便利です。
>> 詳細はこちら

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■ 06年11月25日(土)

龍吟庵の裏[柳沢究]


龍吟庵の裏手の山の方には、手水鉢や石臼が野ざらしで山積みされていました。物供養の一種でしょうか。手水にたまった雨水に水草が群生して、いとをかし。一個くらい分けてくれないだろうか。

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■ 06年11月20日(月)

ミテキテツクッテ伏見稲荷[柳沢究]

18・19日:
京都CDLのミテキテツクッテ・伏見稲荷学区編開催。
昨年と同じくフル参加で、伏見稲荷の街を歩き、設計ワークショップで作品をつくり、翌日は審査員としても参加。去年の敷地である粟田口に比べると、伏見稲荷の街には飛び抜けた面白さは少ないが、それでもじっくり歩き読みんでみると、微地形への対応や道の形などに地区独特の特徴が見えてくるのが面白い。思わず声をあげてしまうような面白い住宅も発見した。
準備したみなさん、ほとんど手伝えなくて申し訳なかったですが、お疲れ様でした。

↑は、もんのすごく狭い路地の最奥部に佇むローテク半透明住宅。「何かきれいでオサレじゃん」とか抽象的な「透明性」とかいったものではなく、物理的な明るさへの切実な想いから(実に切実な)、可能な限りの透明性を追求している。
透明な建築ってほんとはこういう薄暗い場所にこそ必要なのでは?と考えさせられてしまう(ちなみに中を覗くと洗濯物が干してありました)。

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■ 06年11月19日(日)

スペインの日本人建築家[柳沢究]

13日:
後輩の長野君と手がけていた祇園のお店がオープン。四条花見小路の「祇園 ゑん」というお店。豚しゃぶがメインの日本料理店。お酒も美味しいです。

15日:
芸工大大学院にて、スペイン公認建築家・鈴木裕一さんによる特別講義。ヌーヴェルやサンチャゴ・カラトラヴァ、エリアス・トーレス、伊東豊雄など、最近めっぽう熱いスペインの現代建築事情について。伊東豊雄の巻き貝は、設計に現地の技術が追いつかないため、現在工事が中断されている由。スペインの荒涼とした平野に佇む巻き貝の写真がえらくシュール。鈴木さんは石山修武のダムダンにてセルフビルドの修行をして、その後単身スペインに留学、そのまま住み着いて事務所を開設し、スペインでアーキテクトビルダーの実践をしているという。うーん・・・

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■ 06年11月17日(金)

龍吟庵[柳沢究]

映画の帰りに、東福寺・龍吟庵の特別拝観に寄った。
重森三玲の庭が3つある。

  


「龍の庭」は、庭にしては実にわかりやすい庭なんだけど、よく見ていると石の形や配置・砂利の黒/白のバランスなどに緊張感が感じられて面白い。
「無の庭」には疑問符。何も無い庭はそれはそれでよいのだが、手前がからっぽの分、背景の漆喰壁がやけに目立って白々しいのが気になる。
「赤の庭」は文字通りイロモノの感はあるが、雨に濡れた赤い石の色と銅版の屋根や植物の緑色とのコントラストが綺麗で、個人的には一番お気に入り。何故赤なのか分からないが、他の2つの庭もあわせて、重森三玲の実験精神は存分に感じられる。

庭に気をとられてしまいがちであるが、建物の方もなかなかに見応えがある。たしか現存最古の方丈だったはずだ。骨太の構造と、線の細い蔀戸や一本筋の障子などの繊細な組み合わせが綺麗。

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■ 06年11月16日(木)

ヨコハマメリー[柳沢究]

先週末のことだが、みなみ会館にて「ヨコハマメリー」を見た。

高校まで横浜で暮らしていたので、中学校の頃に(伊勢佐木町に遊びに行きだす年頃だ)ごくたまにメリーさんのことが話題に上っていたことは覚えている。ホワイトオバケとか白い婆さんとか呼ばれていたように思う。僕自身も関内あたりの洋館を背景に一度だけ目撃したような記憶があるが、実体験なのか後から捏造されたものなのか判然としない。

様々な証言(舞踏家・大野慶人の振り付きの証言がとりわけ印象的だった)と切り取られた町の風景を織り交ぜ、実態の見えない伝説的存在を、様々な角度から照射し浮き彫りにしていく。そのようなドキュメンタリーの手法は、音声と映像が一体になった映画作品に最もふさわしい手法に思われる。結びそうでなかなか結ばない焦点が、最後になって意外にも当たり前のように結ばれた時、意外にも涙が出た。泣くような映画じゃないと思って見てたんだけれど。これはとっても予期せぬことで、しばらく何故泣いたのか考え込んでしまった。

それはさておき、この映画をみれば誰もがわかるように、これはメリーさん個人を追った映画ではなく、メリーさんが存在したとある時代のとある都市の姿を描いたものだ。メリーさんは、ある時代の横浜という都市の記憶を体現した、一つの現象なんだろう。都市は人が生きてこそ都市なのだという、至極当たり前の事実をあらためて噛みしめる。

僕らが研究対象として都市を扱う時、個々人のライフヒストリーといったあまりに儚いものは捨象せざるをえず、物理的な「形」としてそこにある建物とか道、あるいは史料を通じて都市を見る。文化人類学的アプローチはだいぶん生活にクローズするが、対象としているのはやはりある程度一般化された集団的な人間像であり、個人への接近には限界があるだろう。しかし実のところ都市は、そのような捉えがたい個々人の記憶においてこそ生きられているのであり、そのことを忘れた都市論は虚しい(『京都げのむ』の連載・「京都私的探求」で試みていたのは、そのようなごく個人的眼差しからの京都の発掘であった)。

横浜が懐かしくなると同時に、ヴァーラーナシーの雑踏が思い起こされた。インドにはたぶん、まだ沢山のメリーさんがいる。もちろん京都にも。

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■ 06年11月13日(月)

水引[柳沢究]

先日、国際会議の件でご協力いただいた水引館さんへ、借りていた水引作品の返却とお礼に伺った。


こちらの水引はとんでもないクオリティー。しかも伝統工芸品の範疇におさまらない新しいデザインを次々に創作している。作り手である伊予水宝さんは、とても優しそうな方で、望外にも作品を前にして水引についてのいろいろお話を聞かせてもらいました(伊予水宝(本名:鈴木セツ子)さんの話は、最近出た『京都職人−匠のてのひら−』にも紹介されています)。

水引飾りというのは、ご祝儀袋や結納の際に用いられるように、非常に儀式的・呪術的意味合いが強い。装飾とはすべからくそういうものだが、こういった一見すると意味不明な物事に(なぜご祝儀に「水引」なのか答えられる人、また「水引」という言葉の意味を知っている人がどれだけいるだろう?)、時間と手間すなわちコストを惜しまずかけられるのが、「人間」らしいことなのだなぁと思ってしまうこの頃。

いつかコーラム紋様をモチーフにした水引を作ってもらいたいものです。

そういえば、水引館では後継者の募集もされているようです。たぶんとっても大変だとは思うけど、芸工大や京都の芸大生で誰か、我こそという人がいないかしら。

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■ 06年11月05日(日)

太秦・広隆寺と木嶋神社[柳沢究]

4日は、さすがに休息。

…のつもりだったが昨晩の懇親会の流れで、国際会議に参加していたスリランカの学生2人を長田さんとともに京都案内することになる。

…はずであったが、その2人は今朝になって急に東京に行きたいと言いだし、そのまま新幹線に乗って東京に行ってしまったので、何故か長田さんと一緒に京都観光。

スリランカ人を案内するつもりで、三十三間堂や清水などのベタベタコースを考えていたのだが、長田さんはそれなりに京都経験ありということで、太秦の広隆寺と木嶋神社(蚕の社。三柱鳥居がある)というやや渋めのセレクト。

聖徳太子の建立になる広隆寺は弥勒菩薩像で有名だが、本堂の軒先には大工集団の奉納した額がたくさん掛かっていて面白い。聖徳太子は大工の神様だと思い出した。「曲尺(かねじゃく。差金)を発明したのは聖徳太子」というまことしやかな伝承もあるらしいが、あまり信憑性のある話ではない。
そういえば、屋号によくある「カネ●(『かねさ』とか『かね吉』とか)」の「カネ」の記号はL字形をしているが、あれは差金ではないのかしらん、などと考えながら境内を散歩する。

木嶋神社には「元糺の池」やそこで行われる御手洗祭があり、下鴨神社との関わりが非常に深い。足利健亮によれば、木嶋神社と河合神社(下鴨神社境内にある)はそれぞれ平安京の西と東の境界を示す(鎮護する)施設であり、両社は平安京の成り立ちに関わる極めて重要なスポットである。秦氏・賀茂氏の関わりなど、そこら辺は突っ込みだすと大変おもしろい。
(余談であるが、同じく秦氏創建と伝えられる松尾大社の本殿は比叡山に向けて建てられており、比叡山頂と松尾大社とを結んだ軸線上に木嶋神社と下鴨神社がきれいに重なるのは、一つの興味深い事実である。参考

ところで木嶋神社の向かいには、写真のような水路の上に長ーい屋根のかかった不思議な構造物がある。なんでしょうかこれは。単なる水場にしては、柱ごとに電気照明とスイッチがついているのがモノモノしいのですが。

 

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■ 06年11月04日(土)

コーラム国際会議終了[柳沢究]

3日、国際会議当日。朝6時起床。幸い風邪はやや回復。冷や汗まみれでスライド仕上げて、10時頃出発。電車の中で発表の英語を考える。もういやこんなの。発表はなんとか終了。英語はひどかったが、一応伝えたいことは伝わったのではないか。

他の発表で興味深かったのは、やはりシコウ君の組み紐理論による解析。扱っている問題は、僕と同じく「ある配列点において描きうる一筆書きパターンの総数はいかほどか?」というものだが、僕のやったPERLによる力技での解析と違い、数学的に定式化してスマートに結果を導いている(あんまり難しいので半分くらいしか理解できてないが)。
それでも「理論的には6百億とおり以上存在するパターンのうち一筆書きは約1千万(0.017%。実際には一桁目までちゃんと数字がでてる)しか存在しない」という結果が、両者の解析で寸分たがわず一致したのは幸いというか素晴らしいことであった。

コーラム研究はとりあえずこれで一区切り、と思っていたのだが、こうやって集まって話をするといろいろ面白そうなテーマや課題がどんどん出てくるのは、嬉しいようなムニャムニャ。
形の文化会の論文集に投稿するという宿題も増える。
自分の発表で手一杯で、形の科学会大会の方の発表をあまり聞いている余裕がなかったのは残念。

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■ 06年11月03日(金)

講演会と発表会と国際会議、風邪でダウン[柳沢究]

10月中旬から先週までの業務日誌を、さかのぼって更新しました。

28日:
昼頃からSSS報告書の仕上げに取りかかる。祇園会館でやっていた「ヨコハマメリー」を見に行きたいと思ってたのだが断念。終了翌朝5時。もう少し計画的・効率的にやらねばならないと反省。

29日:
眠気をおして、1ヶ月前から予約していた高校生向け講演会「ゾウの時間 ネズミの時間」を聴きに京大時計台へ。歌う生物学者・本川達雄先生の話。同名の新書は15年ほど前のベストセラー。中学生の頃に読んでたのを覚えている。あれだけ専門的な話を中学生にもわかるように書いているというのは、いま思うと凄いことだ。印象的なフレーズは、「子どもを作らない若い人は、生物学的には全くアウト」「人間の生物的な寿命はちょうど孫ができる35歳くらい」「医療の発達によって誕生した50歳超の人間は、一種の人口生命体」など。
晩からコーラムの英語論文とスライド制作に着手。本番は3日。遅すぎる。

30日:
科研費申請書の手直し、再提出。

31日:
大学院の発表会準備でアタフタ。合間にSSSの件で業者と打ち合わせ。

1日:
朝から7時頃まで大学院総合プロジェクト発表会。今年新築された500人収容の大ホールで行う。学生が主体となった町作り支援の継続的取り組みはすごく画期的なものだと思うのだが、世の中にあまり知られていなさそうなのは残念。といいつつ僕もまだ覗きに行けていないのだが。こんなのです。国際プロジェクトは今年行った河回マウルの共同調査報告。韓国、中国の大学の先生も来日し、来年の調査候補地や成果のまとめについて討議。来年の今頃は恐ろしいことになりそうな予感。
帰京後ほぼ徹夜でコーラムの発表準備。

2日:
朝から風邪気味。昼、大学院の会議。終了後、国際会議の会場準備のため大阪大学へ。長田さん、インドからのロビンソンさんらと若干打ち合わせ。
この日は芸工大で布野研の先輩でもある青井哲人先生のトークセッションがあり、ものすごく参加したかったのだが、時間がどうしても合わなかった。最近、著書である「植民地神社と帝国日本」を読んでいたところだけに残念。この本は青井先生が30歳頃に執筆した博士論文をもとにしているが、フィールドから問題を発見し組み立てていくその視点の鋭さ、論理展開の正確さ、学術的視野の広範さを見て、参考になるとともに、彼我の力量差に暗澹とする。ほんとは一緒に比較する土俵にも立っていないのだが。
夜、風邪が悪化しどうにもダウン。スライド出来上がってないのに。

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■ 06年10月28日(土)

近況とヤモリ[柳沢究]

論文に集中する、と宣言してからというもの、人に会うと「論文進んでる?」とよく聞かれるようになり、たいへんプレッシャーを感じるこの頃です。
目下逃避作業の傍ら、論文以外の仕事を片付けて身辺整理というか環境整備にエネルギーを注いでいます。こんな時に限って設計や講師の話があるのも困ったものです。いや、とってもありがたいんですが。引き受けたい誘惑と激しく戦いながらも、別の方を紹介させてもらいました。
今月後半は、科研費の申請書類とSSSの報告書とコーラムの英語論文の執筆が同時に重なってやってきて、ヒーヒー。コーラムの方はまだ終わってません。提出は金曜日朝です。プレゼンのスライドも作らねばなりません。

その一方で、20日の竹中大工道具館での研究会、21日にスフェラであった永山さんの講演会、22日の稲岡君の神楽岡スライド会など、いろいろな方に会い刺激をたくさんもらっています。なかなかここには書けていませんが。


そんななか心温まる出来事としては我が家にヤモリちゃんが初登場したことでしょうか。パスタを作ろうと鍋を手に取ると、中に小さなヤモリの子っこがいました。どこから入り込んだのかわかりませんが、ステンレスの鍋は滑りがよいため吸盤がくっつかず、脱出不能になっていたようです。もう少し発見が遅ければヤモリの干物ができていたことでしょう。気付かずにそのまま湯を沸かしていたら、茹でヤモリのパスタができあがったことでしょう。よかったです。

鍋の色に合わせて、やや灰褐色の保護色になっています。尻尾をふくめた体長7cmほど。

ヤモリちゃん愛好家は世界に多いようで、こんな動画がありました(ある愛し合うヤモリの悲劇)。

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■ 06年10月27日(金)

スライド会とSSS報告書[柳沢究]

22日:
ホームページから相談のあった内装の仕事の件で、畑中さんとともにお店へ伺い初顔合わせ。今度はロシア関連です。神楽岡にコンタクトをとってくださる方は、インターナショナルな方が多い。晩、神楽岡での恒例スライド会。稲岡氏によるインド、ルーマニア等でのアートインレジデンス体験について。初参加の方が結構多かった。アートイン…は、一昔前のパブリックアート行政のような町おこし的要素が強いのかと勝手な想像を抱いていたが、インドの事例ではアートと「町の住民」との関わりのあり方を真摯に捉え直そうとしている姿勢が感動的ですらあった。

23-24日:
SSSの報告書担当分に着手するも、大学での諸業務で時間が細切れになり、進展せず。行き帰りの電車の中では某本の原稿校正をしているが、酔うのであまりよろしくない。

25日:
大学院にて博士論文予備発表会。自分の論文に引きつけて聞く。岡部憲明先生の空港研究は迫力があった。

26-27日:
SSS報告書にようやく本格的に時間をとる。たった2ページなのだが、この間やってきたことを系統だてて整理するのはなかなか骨が折れる。勉強勉強と念じながら作業を進める。結局図版作製で丸1日かかってしまった。27日晩は、久々の助手会。報告書が終わってたら朝までコースだったけど、やむなく終電で帰京。寝過ごして山科まで行きタクシーで家まで。

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■ 06年10月21日(土)

科研費申請と研究会、永山さん[柳沢究]

18日:科研費申請書の学内〆切だったのだが徹夜して、

19日:朝、申請書を1日遅れで仮提出。11月末の大学院作品展関連の準備や打ち合わせでアタフタして、夕方に湊川であった神戸ビエンナーレのプレイベントに顔出すも眠すぎて途中退席。

20日:
午前中休んで、午後から竹中大工道具館の研究会へ。発表者の清水郁郎さんは京大アジ研以来の数年振り。タイ、ビルマ・ラオス国境のゴールデントライアングル地帯に住み込み調査をしていたというから驚く。フィールドから久しく遠く離れた我が身を省みる。
終了後の懇親会はとても楽しく刺激的。学問的な議論の場に身を置く機会を意識的につくらねばならない。帰りの阪急で寝過ごして気付いたら梅田行き列車に乗っていた。慌てて桂で降りる。

21日:
SSSの報告書、コーラムの英語論文をやらねばと思いつつも進展せず悶々。
晩、スフェラで行われた永山祐子さんの講演会へ。「家の中には誰も入れないような場所をつくりたい」という話に共感。語り口はほんわかしていながら、あきれるほど明晰な設計プロセスに唸る。しなやかな剛腕という印象。アイディアのネタ本(?)の紹介などもあり。
懇親会でボンサイストの川崎仁実さん、馬場さんらとご一緒。布野研の後輩・柳室君にも久々。スイスに行っていたとか。途中からシコウ君も合流。岡山、京都、東京を行ったり来たりで、なんともアクティブ。森田氏は明日早朝からポルトガルへ出発だが荷造りはまだとか。

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■ 06年10月15日(日)

栗原邸(旧鶴巻邸)・その2[柳沢究]

旧鶴巻邸の屋上には、こんな干からびた方がいました。

 

尻尾が切れているので最初はトカゲかな、と思いましたが、このふくよかなお腹と首のくびれ、指の感じからするとヤモリちゃんに間違いない。私はヤモリが大好きです。
カメラのホワイトバランスを間違えて電球仕様に設定していたため、妙に幻想的な写真になりました。
(※ は虫類が嫌いな人は注意→トカゲヤモリの比較)

ひょっとしたら次回の公開(10/28)にも、まだ居るかもしれません。
階段から屋上に出たすぐの足下です。踏みつぶさないように注意。

前の道にはカタツムリのなる木がありました。一本の木に数え切れないほどのマイマイがうじゃうじゃと。樹液を吸っているのか、木の節のあたりにへばりついているので、幹の一部かと間違えそうになるます。久々に蝸牛を見たなぁ。

そんな自然豊かな(?)場所にある旧鶴巻邸、次の特別公開は10月28日(要・申込み)です。

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■ 06年10月14日(土)

栗原邸(旧鶴巻邸)・その1[柳沢究]

10日の井上さんの案内にもあった、近代化遺産の全国一斉公開の一環である「栗原邸(旧鶴巻邸)」の一般公開に行ってきました(10月7日)。
設計は本野精吾、1929年竣工(サヴォア邸と同年)。
「中村鎮式コンクリートブロック」と呼ばれるL字形のブロックを組み上げ、その中にコンクリートを充填するという構法でつくられている。外観は装飾も少なく、一見ごく普通のコンクリートブロック造に見えるが、藤森照信によれば、コンクリートをそのまま見せて仕上げに用いた建築としては世界的にみても最も初期の部類に入るものとのこと。

.1  .2 

1. アプローチ。写真がうまく撮れなかったけれど、前庭とアプローチがとてもよい。砂利敷きの上に点々と植物が生え、庭木をかいくぐるようにして、ポーチに到達。

2. 外観のアクセントとなる玄関ポーチ。ビシャンで仕上げられたコンクリートの円柱は大理石にも負けてないぞ。

.3  .4

3. 写真.2の中。室内の天井から連続する薄い庇、網戸のはいったスチール・サッシュ、雨上がりの陽が差し込む室内。とてもモダーンな雰囲気。
ただし、この部屋の窓を除けば内部はかなり古典的な雰囲気。インテリアはかなり傷んではいるもののほとんど改装がされておらず、往年の雰囲気がほぼそのまま残っていると思われる。しかし戦後、進駐軍にしばらく接収されていたらしく、台所や洗面所は汚くにペンキで塗られていたりする。うーんアメリカ人はペンキ好きだなぁ。

4. 開口部まわり、戸袋のディテール。


少し不思議に感じたのは、京都高等工芸学校(現・京都工繊大)の学長であったという施主が、1929(昭和4)年という時期に、疎水沿いとはいえ何故こんな奥まった不便な(失礼!)敷地を選んだのかという点。当時であれば、市街周辺にはまだまだ土地が残っていただろうに。山科から松ヶ崎は結構遠いぞ。車で通ってたのかな。

・・・というようなことを考えながら、でも当時は松ヶ崎ではなかったのかもしれないぞ、と思い調べてみたら、昭和5年まで京都高等工芸学校は左京区吉田、京大の西側にあったらしい。(「当時、京大と高等工芸の間は狭い道で、その上を樹がうっそうと繁って、昼でも薄暗い所であった」という。この「狭い道」とは現・東大路通り)。
しかも、さらにその西には京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸大)があったとは知らなかった。立命館も寺町広小路(現在の京都府立医大の場所)にあったのだから、寺町今出川の同志社とあわせれば、今出川界隈はまさに大・学生街だったというわけだ。うーむ。

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■ 06年10月03日(火)

論文副作用[柳沢究]

ついに10月から論文執筆を生活の「中心」にすえることを決意したのであるが、そうと決めた途端、それ以外の仕事ばかりが異様にはかどりだすのは、いつものことながら、困ったものである。このJOURNALがいきなり更新されたのもまた、その余波に他ならない。しばらく後にまたも更新が途絶えたなら、ああ論文に集中し始めたんだなと温かく見守って頂ければ幸いである。
とりあえず昨日は机の上を論文仕様に片付け、今日は参考文献を脇に平積みにした。明日はそのページを開くはずである。
文献を横目に、大学の諸業務をしつつ、コーラムの国際会議の件であちこちにメールを送り、SSSの開口部まわりの大見積もりを仕上げ、科研費(!)の申請説明会に出席していたら、休憩を一度も入れないままあっという間に晩。
論文逃避作用による諸業務能率化の効力は、実に端倪すべからざるものがある。

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■ 06年09月07日(木)

ヒツジをこなしているウワバミの図[柳沢究]

『星の王子さま』の冒頭に、「ゾウをこなしているウワバミ」を描いた有名な挿絵がある。しかし、あの詩情豊かな絵が現実の情景として展開されると、まさかこんなことになろうとは…


>> ヒツジをこなしているウワバミの図


あまりの図像に思わず更新。

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■ 06年06月17日(土)

春の遠足4 後楽園と流店[柳沢究]

遠足ラストは後楽園とその中の流店。

 

曲水宴の建築化といえばそれらしいが、要は、建物の中に川流しちゃえという、なんともお大名らしい単純極まりない子供じみた思いつきを、実際にやってしまうことの偉大さ。素直な発想がこんなにも清々しいものを生むのかと驚いてしまう。「流店」という名前もいい。リュウテン。

ところで、このような実際に住んだり使ったりできない建築を、短い訪問時間の間に味わうには、少し想像力がいる。たぶんそれは人それぞれにやり方があるんだろうけど、僕の場合は、月夜の晩にここで酒を飲んだら…というのと、ここで人目を忍ぶ逢瀬を待ったら…という二つのイメージ(妄想)を思い描くことが多い。これをやると、建築をググっと自分の体に引き寄せて感じることができるのです。ぜひお試しを。

そんなこんなで後楽園に日は暮れて、岡山を後に。
帰京後は京大近くの中華料理で打ち上げして解散。とても充実した、実に遠足らしい遠足となったのでした。

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■ 06年06月16日(金)

春の遠足3 吉備津神社[柳沢究]

遠足もそろそろまとめてしまおう。

3つ目は吉備津神社。あいにくと数年にわたる屋根の檜皮葺替え工事中で、本殿には覆いがかけられていたけれど、事前にお願いして現場の中を見せてもらった。これまた貴重な体験である。
吉備津神社は外観からして大艦巨砲の戦艦っぽく、ガンダム心がくすぐられるものがあったが、覆いの内部はまさに兵器製造ドックの趣き(実際に修理ドックなんだけど)。

 

「檜皮がないようだが…」
「あんなの飾りです!偉い人にはそれがわからんのですよ!」

いやいや…


ちょっと真面目な話もしておこう。
吉備津神社の構造形式(比翼入母屋造あるいは吉備津造と呼ばれる)は他に比類のない独特の形状ということだが、何故この形状が生まれたのかというのは、手元の文献を見てみてもよくわからない。
本殿の平面は、三間社流造(下鴨神社のような形で、最も一般的な神社建築様式の一つ)の内陣・内々陣の周囲に、庇が二重にまわった入れ子状の構成をしている。
これを素直に立ち上げ屋根をかけると、やや庇の長い入母屋になると思うのだが、ここでは何故か棟が前後に細胞分裂している。双子だ(奥の棟は内々陣、手前の棟は朱の壇の上部にあるようだから、両者を同等に扱おうとしたのかという想像もできるが、さらにその前方に拝殿がズコーンとくっついてくると、もうよくわからない)。
断面は断面で、拝殿から奥にすすむにつれ床が上がり、その最上段に内々陣があるという、まことにヒエラルキカルな構成をもつ。
つまり吉備津神社は、平面は入れ子状、断面は階段状、そして立面(屋根)は双子の同形並置、というそれぞれ異なった構成原理を組み合わせて空間がつくられているという、何とも不思議な建築なのだなぁ。


檜皮葺き替えの様子。数年かけて材料を調達しながら直していくというのは、あらためて考えると凄いことである。


ガンダムで思い出したけど、岡山にはとんでもないモノがあったようだ。事前に知っていたら絶対遠足に組み込んだのに、残念。
制作者のインタビュー(←インタビュアーの質問が妙にマニアックで面白い)

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■ 06年06月02日(金)

旧大國家住宅について・追記[柳沢究]

なるほど文化財指定にもいろいろ大変な裏側があるようで。
事情はよく知らないけれど、仮にお金が目的で国指定にしたのだとしても、文化財を維持・管理していくためにコストがかかるのは当然のことであって、指定のプロセスにどこぞの審査のような不正や問題がない限りは、少しも非難されるべきものではないですよね。


ところで、旧大國家住宅が文化財として認められた理由というのは、調査報告書によれば、(1) 比翼入母屋造という極めて特殊な屋根形状をもつこと、(2) 創建以来たびたび行われた増改築の経緯を示す資料が豊富に残っていること、の2点である。

(1)の単に他に例を見ない特殊な造形だけでは、珍しいね、というだけで、あまり意味がない。保存や調査に値するとすれば、その特殊な造形がもの凄く魅力的な空間を生んでいるか、あるいは、その特殊性が形成されるに至ったプロセスから一定の一般性を持った知見(当時の社会状況や建築技術、住宅観など)が導き出せる/出せそうな場合のどちらかである。大國家の場合、この点を(2)が保証している。

大國家の空間的魅力に関しては、悪くはないがそれほどでもない、というのが正直なところ。民家としてのプリミティブさであれば箱木千年家に及ばないし、柱梁架構の美しさ・迫力では吉島家日下部家が勝る。
しかし大國家が面白いのは、たび重なる増改築の結果、内部空間がえらく込み入っている点だ。比翼入母屋造という非常に複雑で象徴的な屋根をわざわざ作っているくせに、屋根形状と内部構成が全然対応しておらず、柱があるべきところに無かったり、台形に歪んだ部屋があったりする。母屋の隣にある蔵座敷の一階は、細かに仕切られた部屋が複雑に組み合わされ、まるで畳の迷路空間である。一体何を考えてこんな家をつくったのか、理解に苦しむほどに錯綜している。
大國家の増改築が、当時盛んに信奉されていた「家相」に大きく影響されていることは分かっており、方位等を書き込んだ増改築計画図面が何枚も残されている。しかし前近代の建築を機能性だけで説明することができないのと同じく、実際に住まわれる住居の空間を「家相」だけで読み解くのは現実的ではないだろう。今後、残された資料により詳細な検討が加えられれば、これまでにない当時の住居観や生活像が見えてきそうである。

昔は一軒の家を建てたら、火事で燃えたり地震で崩れてしまわない限り、時々の要求に応えるための増改築を重ねながら、何代にもわたり執念深く住みこなしてきたと考えられる。大国家はその痕跡を今に残す希少な事例という点で、価値ある「文化財」なのだ。
そもそも建築とはそのように増改築されながら使われ続けるものである(かどうか)、という議論はひとまず置いておくとしても、時代を経て複数の人間の手が加えられてきた建築の方が、ある時代に一人の人間が考え完成させた建築よりも、時に魅力的であることはよくある話。新築が難しくなり、今すでにある建物を如何に使うかがテーマになりつつある時代において、旧大國家住宅はなかなか示唆に富む建築ではないかと思うのである。

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■ 06年05月25日(木)

春の遠足2 旧大國家住宅[柳沢究]

旧大國家住宅というのは、閑谷学校からほど近い和気町尺所にある。吉備津神社本殿と同じ「比翼入母屋造」というえらく凝った屋根をもつ、一風変わった民家だ。創建は1760年という。

 →ぐるぐる動く旧大國家住宅

初めて本格的に実測・調査されたのが2003年(広島大学三浦研究室による。←なんだかとても楽しそうな研究室)、その調査報告を受けて国の重要文化財に指定されたのが2004年。このように文化遺産として整備され始めたのがかなり最近のことなので、建物は内外ともほとんど修復されておらず、あちこちに傷みがみられる。しかしそれが逆に、一つの住居が二百数十年の間住まわれ続けてきた(平成14年まで実際に大國家の人が住んでいた)ということの、厳しさ生々しさを直截的に感じさせてくれる。これは綺麗に復原・修理され、一般公開されている民家からは想像しづらいものだから、なかなか貴重な体験であったと思う。

 

ちなみに、旧大國家住宅は通常一般公開はされていないけれど、事前に和気町の教育委員会に申し込めば、見学できたりできなかったり。

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■ 06年05月22日(月)

春の遠足1 閑谷学校[柳沢究]

たいへんご無沙汰しております。
3〜5月前半は「げのむ」の仕上げやら引っ越しやらが重なり、ヒーヒーでした(言い訳)。そんなこともありHPでの案内はできなかったのですが、この間の日曜日に恒例の「春の遠足」を決行しました。今年は閑谷学校、旧大國家住宅、吉備津神社、後楽園を巡る備前・岡山ツアー。滋賀県大・山本先生の飛び入りもあり、総勢20名の賑やかな遠足となったのでした。

まずは、閑谷学校
山間の道を抜けるとスカッと拡がる敷地、備前焼の屋根瓦と眩しいほどに白い漆喰壁が新緑に映え、何とも爽やかな風景。この爽やかさは、小高い山の懐に抱かれた平地というロケーション(風水的に選ばれたと聞く)もあるが、植栽のメリハリによるところが大きい。植物の繁茂しやすい日本では、ふつう建物周りは植物が全然なしの砂利敷か土、あるいは鬱蒼とした木々に囲まれてしまいがちなのだが。建物間の距離をほどよくとり、石塀や火除山、排水溝などの曲線が柔らかくめぐる。この澄明で端正な敷地計画には、ちょっと日本離れした感覚を感じてしまう。これは後楽園をも計画したという津田永忠のセンスなんだろうか。
ちなみに右の写真は昨年の冬に訪れた時のもの。緑の中に浮かぶような春と、周囲にとけ込むような冬。季節が違うと受ける印象はかなり異なるものの、どちらも見事に敷地と呼応していて驚く。

 

ちょうど我々が訪れたとき、地元の中学生と思しき子供らが、講堂に正座して(足の痺れに耐えながら)論語の復誦をやっていた。「子曰わく、過ちて改めざる、是れを過ちと謂う(子曰 過而不改 是謂過矣)」
講堂の床は入れ子になっている母屋の部分だけ、漆が丹念に拭き込まれ、鈍く光っている。火灯窓から外へほわーっと誘い出されるような感覚がある一方で、講堂の中心に意識がぎゅーっと集まるような求心性もあり、開放感と緊張感の同居した、まこと勉学に相応しい環境というべきか。

 

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■ 06年02月14日(火)

旧金比羅大芝居・金丸座2[柳沢究]

舞台裏の中二階部分にある、集中力が高まりそうな役者控え室。
丸太の梁と漆喰壁、そこに差し込む光が、ちょっと出来過ぎ君では。

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■ 06年02月13日(月)

旧金比羅大芝居・金丸座[柳沢究]

年末に行った香川・岡山で、実は一番よかったかもしれない建築。
現存唯一の江戸時代の芝居小屋、琴平の金丸座

 

近年の改修で一部鉄骨で補強されたそうだが、それでも木造柱梁による大空間はちょっと他に類をみない迫力である。現在はもちろん電気照明が入っているが、年一回の公演の際には、高窓からの自然光とロウソクの灯りのみで演じられるという。高窓の外側(屋根の上)には照明係さんが控えており、暗転時にはバタバタと人力で板戸を閉ざすのだそう。
天井は竹を格子状に組んで透かしてある。これだけでも空間に深みがでてカッコいいが、芝居のクライマックスにここから紙吹雪が舞い落ちるという演出もあるという。枡席と舞台の親密な距離感は、現代の椅子式のホールとは大違い。役者は舞台・花道を駆けめぐるし、客席からもヤイヤイと声が飛ぶ。上演時には建築全体が濃ゆい演劇空間となるのだろう。一度味わってみたいものである。

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■ 06年02月12日(日)

土曜日の一日[柳沢究]

恒例の下鴨現場。壁もおおかた仕上がり、木部の塗装も引き締まってきた。今は外構工事が山場を迎えている。かねてから庭を造りたいと意欲を燃やしていた久住氏の指揮のもと、神楽岡の庭師衆が総動員でとりくんでいる。写真は水谷&松崎氏が玄関前の石を据えているところ。形をあわせながら、丁寧に、少しずつ。


午後、学芸の仕事のため、竹原義二氏の全作品資料に目を通す。竹原氏は「住宅特集」登場回数NO.1らしく、なんとも膨大な作品数。一人の建築家の図面をここまでじっくり読み込むのは久しぶりだが、図面を引く機会の少ない今の自分にとって、とてもよい頭の体操になる。

夕方には、芸工大を出て東京の南洋堂に勤める新宮君が京都に帰って来ているというので、漆の東端唯さんのアトリエでの個展打ち上げパーティに一緒に行く。板の間の床に座って、ドンペリとかソーテルヌとかを場末の居酒屋のように飲みながら、曽根造園の若い職人さんや照明作家のムーランさんと話す。いいねぇ。

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■ 06年02月11日(土)

右回り/左回り[柳沢究]

先週3日に高木先生と話していた時、「左回り/右回り」の話になった。

ヒンドゥー教や仏教の巡礼や参拝は、必ず右回り(進行方向に対し右が中心に向くという意味。=右肩回り、時計回り)で行うものとされている。ヴァーラーナシーの巡礼路も四国のお遍路もチベットのマニ車も、みんな右回りである。では何故「右回り」なのか?

諸文化には、たいてい「左/右の優位性」問題があるのだが、おおむね右を優勢(=尊、浄、善)とするところが多い。「人種を問わず右利きが多い」というのは、どうやら統計的に事実らしいので、これが理由であろうかとも思う。しかし、生理的制約や身体の機能性といった観点からすれば、格別右利きが優越である根拠はないそうで、右利きが多いのは実は社会的に矯正・固定された結果という指摘がある(例えば猿の左右の利き腕の差異はかなり流動的という)。ともあれ、人間には「右」を好む文化的傾向が何となくあるようなのだが、興味深いのはRing-Wandering(【独】Ringwanderung)という現象。

Ring-Wanderingとは、目印が何もないところを歩いていると、人間は自然に左回りの弧を描き、最終的に同じ箇所を円環状に巡るという行動現象をいう(たとえば夜に吹雪で視界のきかない原っぱで道に迷った人は、まっすぐ歩いてるつもりがグルグル回っていて、ついに力尽きてしまうというようなこと)。利き足でない方(=左足)が軸になりやすいからとか(陸上のトラックはこの理屈で左回り)、左側にある心臓を内側にするためとかいう説があり、確定的な理由は知らないけれど、人間は身体的には左回りする傾向がある、と考えていいようだ。
ちなみにコリオリの力を受けて北半球で発生する台風や渦が左回りになることとは、ほとんど関係ないらしい(運動速度が小さすぎるからか)。

では宗教儀式などに際して、左回りと右回りどちらの動きが、よりふさわしいということになるんだろう。
左回りが生物として「自然」な動きであるとすれば、右回りに動く事にある種の神秘的な価値を見いだしたのは、人間としてとっても「自然」なことのように思われるのだが。

ところでメッカのカーバ神殿の礼拝は左回りだそうです。
(オチもマトメもないです。すいません)

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■ 06年02月10日(金)

論文終了後の日々[柳沢究]

27日:論文は結局仕上がらないまま、徹夜明けで夕方よりCDL事務局会議。

28日:朝から大阪・森ノ宮へ。学芸の本の仕事で竹原義二氏の事務所へ行き、初顔合わせと簡単なインタビュー。終了後、山崎邸のパーティへ。昼間ということか山崎君の趣味か、コーヒー・紅茶にケーキ、クッキーが並ぶテーブルにたじろぐ。甘いモノばかりでほとんど飲み食いできず。理研で理論物理学をやっているというシコウさんにコーラムのことを話したら興味をもってくれ、組み紐理論(乱れた麻を断つのではなく、如何にほどくか。あるいはどれだけ複雑に絡まっているかを考える理論)を用いてはどうかとアドバイスをもらう。

29日:午後重森三玲邸へ。座敷から眺めると、室内に庭が入り込んでくるような迫力はあるが。年末に見たイサムノグチの庭を思い起こしつつ、「モダン」とは何なのかなどと考える。夕方電器屋めぐり。寺町はさびれつつある。デジカメを5年振りに新調。

  

30日:いまだ終わらぬ論文にとりくみつつも未完でダウン。

31日:修士論文提出。みなさんご苦労様。打ち上げのキムチ鍋会に顔を出すが、論文があるのでと早々に退出。大学院棟の廊下に流れるニンニクの香りに気をとられつつ久々に徹夜。

1日:論文ようやっと仕上がり深夜発送。

2日:神戸市営地下鉄が架線事故とのことで、朝10時頃とまる。学位申請論文発表会。

3日:論文にとりくんでいる間、ほったらかしにしてたメール返信、事務書類書き等で一日終わる。晩は高木先生の部屋でゼミ。久々にヴァーラーナシーについて話した。牛の一日行動調査記録(6頭分)、いつになったら日の目を見ることやら。

4日:午前下鴨打ち合わせ。毎度のことながら壁が仕上がるとぐぐぐっといい感じになる。午後は家の片付け。寒い。ネズミがあちこちを跳梁跋扈している。晩ビューティアム改装の打ち合わせ。のち日知庵HATI-HATIへ。アラックのソーダ割り美味し。

6日:事務処理でほとんど終了。修論発表会の準備。JRまたも遅れる。焦って事故を起こすよりもずっといいけど、新快速が15分くらい遅れるのは日常的になってきた。

8日:一日かけて修士論文・作品発表会。今年はファッションの作品がよかった。

9日:片付けやら採点票の集計やら3時間超の会議やらで疲弊。合間を見てSSSの足場や型枠についての検討。

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■ 06年01月25日(水)

イサムノグチ庭園美術館[柳沢究]

年末の話に戻る。
栗林公園の後はうどんを食って、牟礼のイサムノグチ庭園美術館へ。

往復ハガキで申し込まないといけなくて、でも直前まで日程を決めてなくて、慌てて速達で申し込んで、なんとかいけた。
中は写真撮影禁止なので敷地外からの一枚。この地域でとれる庵治石が円弧を描くように野面積みされていて、旧アトリエはその内側にある。中はちょっと高台になっているので、敷地内に入るとこの石垣によって綺麗に外界から切り離されて、写真奥にある山(庵治石の採石場がある)に向けて空間がひろがっていくのだ。彫刻作品ももちろんいいけど、この石垣に囲まれた屋外作業場(現・彫刻展示場)や、イサム家(居住棟)の庭に漂う柔らかな緊張感が、とても印象的だった。
宇都宮の大谷町もそうだけど、たとえ日本であっても石の産地一帯というのは、完全に石の文化圏ができあがっているように思う。京都なんかでの石の使われ方と、もうまったく感覚が違うのだ。

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■ 06年01月22日(日)

メディアとしてのミュージアム[柳沢究]

新年一発目のスライド会。
夕方から雪が降り出したためか、いつもより若干少な目の人数でしたが、それを補って余りある(むしろ何でこんな日にみんな来ないんだというくらい)面白い内容でした。

この日の講師・図師宣忠氏は京都大学で中世フランス史を専攻し、現在学位論文に取り組んでいる。僕と大学の同級生でもあるのだが、知り合ったのは実は一昨年くらいのこと。ゴリゴリの研究をやる一方で視野が閉じていなくて、自分の研究分野のことも門外の人間にわかりやすくかつ面白く話せるという、研究者だったら当たり前のようでいてなかなかできない事を、さらりとやる。憎い。というわけで、付き合いは短いのだけれど、妙に波長があって最近仲良くしている。

前置きが長くなったが、今回のスライド会は彼のサブ・テーマである「ミュージアムにおける恐竜の展示方法の変遷」をやってもらった。ミュージアムといいながら、建築のことはよくわかりませんといいながら、パノプティコンの絵からスタートするところが、さすが。近代のミュージアムは知識を分類整理し一望監視型の構造にはめ込むところから始まるという話から、近年の結論ではなく過程そのものの展示へ至る道筋を、熱烈な「恐竜愛」とともに語ってくれた。
詳しい内容は後で独立のコンテンツとして書き下ろしてもらう予定なのであまりふれないでおくが、世界をいかに把握し表現するかという方法には、様々な分野にわたって共通する時代的な構図がある。その大枠を意識しながら個別の差異を吟味するのが他分野の事を勉強する面白味の一つなんだと思う。

もうちょっと小さな感想としては、マニアはやっぱおもしれーということ。注いだエネルギーに比例した知識の厚みと熱がある。おかげで話を聞きながら酒がすすむすすむ。すすみすぎて途中からわけのわからなぬ状態に突入してしまったのは反省であるけれど。図師氏や参加していただいた方にはちょっと(だいぶ?)ご迷惑をかけてしまったようでスイマセン。でもそれも彼の話があまりに面白かったためと、寛大なるご容赦を願いたい(いつもはあんなじゃないんです)。

その様子については(自戒の意味も込めつつ)、参加者の一人であるカナヱさんの文章(と写真)をお借りしてお伝えしておこう。

「(スライド会は)二時間以上ノンストップの長丁場で、後半は氏の恐竜への深い造詣と愛を熱く語っておられたのですが、このあたりになると、私の隣で焼酎ビール割りを一人ガンガン飲んでおられた主宰者のQ氏をはじめ、約数名は完全に良い具合となっておりました。笑
Q氏の大きなしゃっくりが響く中、呂律の回らぬ口調で野次とも言える質問を浴びせられ、それに困りながらも一生懸命応える図師さん。彼の純粋な恐竜への思いは、酔っぱらい達の野卑な笑い声にかき消されていくのでした・・・嗚呼・・・。笑


  

写真左:スライド会の様子
写真中:酒盛り中
写真右:恐竜標本に興奮した酔っぱらい要員S氏が披露してくれた骨コレクション」

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■ 06年01月21日(土)

缶詰バー&沢田マンション[柳沢究]

中崎町のコモンカフェで行われる「けんちくの手帖」へ顔を出すために大阪へ。

イベントの前に、堀江にある缶詰バー・kansoへ、ちょっと寄り道。最近よくある「イロモノ店舗」かなと行く前は思ってたけど、酒屋の店先で飲んでるような雰囲気で、なかなかまったりできる。ビニールシートで囲まれたやや寒い屋外スペースで、石油ストーブにあたりながら、牡蛎のスモークとうなぎの肝の缶詰でビールを少々。場所が場所だけに地代は高そうだが、それ以外のランニングコストはかなり押さえられるだろうなぁ。通勤途中にあったら毎日立ち寄ってしまいそうである。

今回の「けんちくの手帖」のテーマは沢田マンション(通称:沢マン)。高知にある有名なセルフビルド・マンションだ。

建物の詳細はこちらの本に出ているので省くとして、面白いなと思うのは、一見行き当たりばったりの無計画な造りでセルフビルドらしいヴァナキュラーな雰囲気を醸しているんだが、そこに使われている建築言語は、ピロティ、屋上庭園、フラットルーフ、屋上まで続くスロープ、ドミノシステム、大量生産の規格化部材などなど、実は近代建築のボキャブラリーそのものじゃないか、ということ。近代建築の「造形」にとらわれず、その「システム」「理念」を融通無碍に用いていったら、こんなこともできてしまうのだという、いい証拠である。少々短絡的かもしれないが、同じように白く塗られたサヴォア邸の発展型として沢マンを位置づけてみると、近代建築の意外と面白い可能性に気づかないだろうか(そういえば吉阪隆正自邸もそんな感じだ)。

もう一つ。セルフビルド建築の楽しさは、ブログや個人サイトの楽しさに似ている。
発信メディアとしてのインターネットの普及は、恐るべき多様さと密度と深さを持った「素人」が、世の中には沢山いるのだということを知らしめた。同じように、もしセルフビルドがもっと手軽で一般的なものになれば、世の中にはもっともっと面白い住まい方や空間感覚を持った人間がいることが、きっと明らかになるだろう。たとえば「TOKYO STYLE」「賃貸宇宙」などの都築響一の仕事からは、インテリアレベルではあるが、そんな可能性の一端がうかがわれる。

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■ 06年01月17日(火)

箱松 - 栗林公園3[柳沢究]

箱松 

栗林公園の名物の一つ、箱松。
盆栽技術を駆使し輪郭を箱形に整えた松の並木。裏から見ると、ねじまがりまくった枝と松葉が綺麗なスクリーン状になっていて、ちょっと他では味わったことのない半透明感。箱松をつくるには数十年かかるということだから、自分の庭に欲しくてもそうできるもんじゃないけど、木の枝葉をスクリーンに使うアイディアはいろいろ応用がききそう。スフェラ・ビルのファサードは、まんまといえばまんまだが、この感じがよくでていると思う。

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■ 06年01月14日(土)

東端唯・個展『+漆』2[柳沢究]

13日深夜から展覧会場へ行って、設営を少しお手伝いする。今回の個展のコンセプト解説の文章を唯さんと一緒に考えたりして、終了1時ころ。

14日晩はギャラリーでのベルニサージュがあり、福原左和子さんが唯さんの作品に囲まれながら琴を奏する。琴の生演奏ってのは初体験だったのだけど、音や曲よりもまず、優雅で激しいその動きに見とれてしまった。会場からあふれんばかりの人が集まり、賑やかに会は進行。唯さんの作品にふさわしく、なんだか気安くも格調高い雰囲気がよかった。いろいろな方が来場していて、「繭」以来いろいろとお世話になっていた建築商会の馬場徹さんに数年振りにお会いした。

会場のASPHODELは祇園の四条縄手を上がったところにある。このあたりはわりとよく歩くんだが、このギャラリーの存在には全然気づかなかった。というのは、9日の地図を間違えた言い訳。すいませんでした。

アスフォーデルasphodelという不思議な響きは何かと思ったら、ユリ科の花の名前らしい(ユリ科アスフォデルス属・アスフォデリーネ属の各種。文学では水仙をさす場合もある)。ギリシャ神話で死者の国に咲くとされる不凋花(散らない花ということか)アスフォデロスasphodelosに由来し、ゆえに古くから墓地に植えられたという。以上むだ知識(参考:研究社英和辞書・リーダーズプラス、平凡社・世界大百科事典)。

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■ 06年01月12日(木)

水際のデザインー栗林公園2[柳沢究]

水際の処理がとても綺麗。
小さな庭でこうやっちゃうと作り物感が強くなりそうでどうかと思うが、このスケールだと風景が引き締まる感じがする。マングローブや葦原のような曖昧な水際もいいけど、こんなキリリとデザインされた水際も気持ちいい。

他に人工的な水際として印象的なのは、やはりヴァーラーナシーのガート。
季節により変動する川の水位にかかわらず、いつでも水面に到達できるように、階段状になっている。だから雨季に水量が増大すると、ガートの階段(時に岸にある建物までも)が、川に沈み込んでいくのだ。

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■ 06年01月10日(火)

栗林公園[柳沢究]

年末に3日ほどかけて、香川と岡山をさらりと巡ってきた。
淡路を通り抜けて四国に上陸し、まずは高松市内の栗林公園へ。

こういう庭園の見方って実はまだよくわからない。けれど同じ大名庭園である兼六園などに比べると、全体の印象がモダンというか、個性の強い(悪くいえばゴテゴテした)松や岩をこれみよがしに展覧会風に見せるのではなく、空と芝と池といった面的な「地」をぱきぱきと明快に構成してみせた上に、こぢんまりとした木々や建物を点々と配置している感じが、伸び伸びとしていてとても気持ちがいい。
しかーし、何を血迷ったか写真にある掬月亭の中に入るのを忘れてかえってしまった。あそこが一番の目当てだったのに。暖かくなって花の咲く季節になったらもう一度行かねばならない。

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■ 06年01月07日(土)

互礼会[柳沢究]

大学にて教職員一同会しての新年互礼会。
終了後、年末にほったらかしにしていた研究室の片づけをしながら、今年何をやらなくてはならないのか、なんていう新年らしい事を考える。芸工大の任期も来年度いっぱい。今年こそ学位論文の執筆に目処をつけないと、ヤバイ。博士課程に進学してから、神楽岡の活動をはじめ、大学を中退し芸工大に来てはや3年近く。この間、興味のむくままあれこれ目一杯手を広げてきたけれど、そろそろ瓢箪よろしく、きゅッと引き締める頃合いであろうか。

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■ 06年01月01日(日)

謹賀新年[柳沢究]

今年もどうぞよろしくお願い致します。

3日は11時から神楽岡前路上にて餅つきを行います。
2時頃からは、畑中&山本さんによるパキスタン地震調査報告スライド会も催します。
京都におられる方は遠慮無く遊びに来てください。

寝正月。早くあったかくならんか。

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■ 05年12月18日(日)

追記:研究者の仁義?[柳沢究]

16日の昼間、大学の部屋に畑中久美子さん来訪。1時間ほど話す。

彼女は友人の山本喜美恵さん(なんと来年から滋賀県大・布野研の研究生になるという!!いやはや…)と一緒に、先月までパキスタンの地震復興調査へ行っていた。現地での体験は刺激的だったようだが、思ったよりも普通に生活できたとのこと。現地滞在中に支援する日本側の姿勢が変更になり困ったというが、さもありなん。ほんの少ししか聞けなかったので、またこんど、新年の餅つきの時にでも緊急の報告スライド会をやってもらおうかな。

畑中さんの専門はいわずとしれた「版築」である。版築は最近だいぶん注目されてきて、いろいろ試みている建築家も多いが、彼女は修士研究の頃から取り組んでおり、自ら施工までする荒行をおこなうなど、少なくともデザイン分野ではかなり先駆的な存在だ。
しかし、今年行われたコンペの受賞作に(神楽岡の?)HPに載せている版築作業写真が無断使用されたことが、悩みの種になっているという。
出品者はコンペ前に神戸まで話を聞きに来たので、畑中さんは版築普及になればと自分の研究について親切に解説し、研究報告書もわたした。
しかし秋の発表時には畑中さんの研究にはまったく言及されず、しかもというかそのうえ現地で配布された解説のパンフには報告書の文章が無断で盗用されていたという。抗議しても要領を得ず、たいへん悲しい、と。

人の研究成果を利用するのは、ぜんぜん悪いことではない。むしろドンドン利用して然るべきことなんだが、その場合、どこまでが先行の研究・成果を踏まえたものなのか、どこからが自分のオリジナルなのかを明確に示すことが最低限のルール(特に取り組んでいる人間のまだ少ない萌芽的分野においてはコトサラ)。
人に自分の研究のことを尋ねられて、出し惜しみする研究者はいない。自分だっていろいろな人から教わりながらやってきたんだから。だからこそ、通すべき仁義は通さなければならないはずなのだ。

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■ 05年12月16日(金)

「ぽちてっくてん」に酔う[柳沢究]

7日:
芸工大にて修士論文中間発表会。修論ほど、一つのことを考え、調べ、文章にすることにエネルギーを注げることは、多くの人にとってこの先そうある機会ではない。直接指導するわけではないが、頑張って欲しい。

8日:
INVERSIONの会場撤収。展示にはあれだけ苦労したのに、片づけは一瞬だ。早くも来年の日程を予約。一年先の予定なんか入ると、時間の流れが加速する気がする。

10日:
朝から下鴨の現場打ち合わせ。午後から「げのむ」編集打ち合わせ。なんか毎週土曜日はこのパターンが定着してきた。
久住左官の岡君に「親方泥棒」という称号をいただく。「おしゃれ泥棒」みたいだなと思ったが、ぜんぜん違う。なんでも僕が現場に行くと親方(久住氏)と話し込んで(時にはそのままどっかに行って)しまうので、困るんだそうな。いや、そんなこと言われても…。

現場と「げのむ」の合間を縫って、現在改装中の山崎さんの家を覗きに。
なつかしの柿渋の匂い充満してていい感じ。黒く古色された床と天井に漆喰の壁。照明こんなしたら、と無責任発言をしてたら「柳沢さんが入り浸りそうで…」と言われた。うーむ。

晩は若杉荘(=CDL事務所の名前。CDLで名付けたのではなく、もともとこの名前。昔学生の下宿だったかららしいが、なかなかに洒落た命名)にて「地区ビデオコンテスト」開催。
ぼろい木造の建物が傾くんじゃないかというくらいの人が集まり、18作品を上映。不完全双方向システムによる立体上映も試みられ、盛り上がった。

さらにその後、水谷邸で行われていたすき焼き会に合流するも、すでに肉(松坂牛)消滅。ネギと豆腐とキノコのみの晩飯。

11日:
晩にポチテックpotitekの個展「ぽちてっくてん」のパーティへお邪魔する。会場は工繊大出身の槌谷くんや半谷くんが自力改修した、東鞍馬口の町家「ヒガシクラマグチンチ」。
potitek、ぽちてっくてん、ヒガシクラマグチンチ…ネーミングセンスが抜群にいい。
アイリッシュフィドル(映画タイタニックに出てきたようなやつ)の演奏があったりして、戸田さんとこのパーティはいつも、和やかで洒落てて料理が美味しい。人柄なんだろうなぁ。京北でシェーカー家具を製作している方などとお話しし、いい気分で大いに酔っぱらう。

12日:
午前中ふたたび下鴨の現場へ。塗装の色確認など。午後、鴨川河川敷をうろつき、げのむの取材活動。寒くて話しかけづらい雰囲気。

13日:布野修司編の新刊「世界住居誌」が発売になった。僕も南アジアの概要解説や、インドの「ハヴェリ」の項、レクチャー「装飾と住居」などの執筆を担当しています(裏表紙には夏にいった王家大院の写真も載ってる)。これまでになかなか無かったタイプの本なので、興味のある方は是非お手に。

「装飾と住居」執筆の際、参考文献として(勝手に)お世話になった鶴岡真弓先生には、コーラム研究の関係で夏にお会いする機会があり、ケルト紋様の話をいろいろ伺った。僕がこんなこと言うのもなんなんだが、神秘的な雰囲気のするとても魅力的な方でした。

14〜16日:大学にて諸作業。16日夕方は御影にて打ち合わせ。

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■ 05年12月06日(火)

地区ビデオを終え黄表紙還る[柳沢究]

2日:
INVERSION関連の仕事が一息ついて、大学にて諸業務。晩は三宮にて「助手会」。

3日:
10時から下鴨の現場打ち合わせ。この日やってた杉本家でのイベントにも行きたかったが、午後から若杉荘にてCDL&げのむ会議。11月は「ミテキテツクッテ」(作品がアップされています)があったので一時中断していた編集・執筆作業を再起動。2月にむけてそろそろ本腰をいれて取り組まねばならない。10日に開催を控える「地区ビデオコンテスト」出品作品の試写をして上映の順番などを検討する。
晩、水谷邸に忘れ物をとりにいったら、東京から来て現在白川通のバターカップスに作品を展示している熊野さんを囲んで、松崎さんや健太郎らが集まっており、そのまま久々の天楽へ。ドブロクの上澄みを気持ちよく飲んでいたら、取りに来た忘れ物のことを忘れて帰ってしまった。何しにいったんや。

6日:
前日の晩から異様に寒くて、早くも風邪気味。京都は初雪。
御影のプロジェクトの相見積もり結果が出てきた。いずれも少々オーバー気味でこれから調整。10月に投稿したマドゥライの黄表紙の査読結果も今日届く。査読二人がそれぞれ「採用」と「再査読」で、結果「再査読」(原稿を修正してもう一度出しなさい、ということ)。再査読はまあ予想していた結果なので、一人でも「採用」が出た分ちょっとホッとする。「げのむ」の作業といい、年内にやってしまわねばならない宿題が増えてきた。

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■ 05年12月01日(木)

京都ゲノムを探して[柳沢究]

10月に京都新聞に寄稿したコラム。「げのむ」編集長としての執筆だけど、まあ京都のことだし、あんまり眠らせとくのもなんなのでここに載せてみる。字数が少ないのでちょっと説明不足の観もありますが、「京都げのむ」の「京都」に対する姿勢の一端はこんな感じです(そんな「げのむ」に興味を持たれた方は、ぜひご一読を。既刊はこちらで販売中!)。


『京都ゲノムを探して』

京都に関心をもつ大学研究室・学生が集まり京都のまちを調査し提案する、京都コミュニティーデザインリーグ(京都CDL)の活動がはじまってから4年半が経つ。この間、機関誌である「京都げのむ」の編集・制作を通して、京都という都市のあり方をいろいろな視点から眺める機会を得た。京都の価値をアンケートに基づき金額に換算したり、京都のモデルとされる中国・西安の現状を取り上げるなど、様々な角度から京都をとらえなおす記事に取り組みつつ、「げのむ」は現在まで5号が刊行されている。

京都CDLが発足当初から掲げている活動理念の一つは、保存か開発か、あるいは歴史的文化・伝統を如何に現代に活かすか、といった定式化された構図から京都をとらえるのではなく、都市の現場に身を置きながら、ありのままの京都を観察しようというものである。「京都げのむ」という誌名にはそのような活動を通じ、京都を京都たらしめている遺伝子=《京都ゲノム》を探しあてたい、という願いが込められている。

「何が京都を京都たらしめているのか」という問いは、京都でよく耳にする「京都らしさ」論と密接に関わってくる。町家の格子戸や大文字は「京都らしい」と言われるが、京都ホテルなどに見られる格子状のデザインやマンションのエントランスにちょこんと乗せられた瓦屋根は「京都らしい」のか。南区に数多くあるリサイクル工場や山科の山中に隠れた巨大な産業廃棄物処理場は「京都らしくない」とされるが、それらがあるからこそ京都の生活は成り立っているのではないのか。夏の鴨川を彩る床は「京都らしい」が、橋の下にたたずむ段ボールハウスは「京都らしくない」のだろうか。

答の無い問いのようにも思われたが、実はいずれも京都という都市のある一側面を表象しているという事実に違いはない。身も蓋もないようだが、その意味では全てが「京都らしい」と言ってしまえるのではないか、別の言い方をすれば「京都らしい云々」という言葉は(少なくとも京都においては)ものの価値についてほとんど何も説明していないのではないか、というのがこの数年間で得た一つの確信である。

とはいえ《京都ゲノム》を探し求める試みが意味を失うわけではない。京都を見つめる視線から、ようやく「らしさ」というフィルターを取り外すことができたのだと考えたい。「京都らしさ」とはきわめて主観的な概念であり、「らしくない」とされたものを無意識に視界の外へと追いやる危うさをもはらんでいるのだから。誤解を恐れずに言えば、京都は特別な都市なんかではない。歴史とか伝統の毛がちょっと生えた程度の普通の都市。そう考えたときに初めてありのままの京都の姿を、そこにある生活を垣間見る事ができるように思う。

現在編集中の「げのむ」第6号では、「みやこきわめぐり」と題して中心部から外れた様々な境界的領域に注目している。碁盤の目の中だけが京都ではない。町家が軒を連ねた景観は確かに美しいが、観光客が足を踏み入れない場所に広がるいびつな路地、違法建築スレスレに好き勝手な増改築を施された建築群は、おとらず魅力的である。京都ゲノムは「青い鳥」よろしく、身近な街のそこかしこに隠れているに違いない。

(2005/10/24 京都新聞「創発空間」)


…作品に町家再生を連ねてる神楽岡の活動はどうなんだ、という意見が予測されるので、あらかじめ補足しておくが、神楽岡の活動とこの考え方とは決して矛盾するものではない。京都にある伝統や文化のよさを否定したいわけではなく、言いたいのは、何かの縁で京都に腰を据えて活動している以上、「京都らしい」という非常に様式化された視点のみで京都を見つめるのは、たいへん視野の狭いもったいないことではないか、ということ。

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