JOURNAL
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■ 06年11月19日(日)

スペインの日本人建築家[柳沢究]

13日:
後輩の長野君と手がけていた祇園のお店がオープン。四条花見小路の「祇園 ゑん」というお店。豚しゃぶがメインの日本料理店。お酒も美味しいです。

15日:
芸工大大学院にて、スペイン公認建築家・鈴木裕一さんによる特別講義。ヌーヴェルやサンチャゴ・カラトラヴァ、エリアス・トーレス、伊東豊雄など、最近めっぽう熱いスペインの現代建築事情について。伊東豊雄の巻き貝は、設計に現地の技術が追いつかないため、現在工事が中断されている由。スペインの荒涼とした平野に佇む巻き貝の写真がえらくシュール。鈴木さんは石山修武のダムダンにてセルフビルドの修行をして、その後単身スペインに留学、そのまま住み着いて事務所を開設し、スペインでアーキテクトビルダーの実践をしているという。うーん・・・

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■ 06年11月17日(金)

龍吟庵[柳沢究]

映画の帰りに、東福寺・龍吟庵の特別拝観に寄った。
重森三玲の庭が3つある。

  


「龍の庭」は、庭にしては実にわかりやすい庭なんだけど、よく見ていると石の形や配置・砂利の黒/白のバランスなどに緊張感が感じられて面白い。
「無の庭」には疑問符。何も無い庭はそれはそれでよいのだが、手前がからっぽの分、背景の漆喰壁がやけに目立って白々しいのが気になる。
「赤の庭」は文字通りイロモノの感はあるが、雨に濡れた赤い石の色と銅版の屋根や植物の緑色とのコントラストが綺麗で、個人的には一番お気に入り。何故赤なのか分からないが、他の2つの庭もあわせて、重森三玲の実験精神は存分に感じられる。

庭に気をとられてしまいがちであるが、建物の方もなかなかに見応えがある。たしか現存最古の方丈だったはずだ。骨太の構造と、線の細い蔀戸や一本筋の障子などの繊細な組み合わせが綺麗。

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■ 06年11月16日(木)

ヨコハマメリー[柳沢究]

先週末のことだが、みなみ会館にて「ヨコハマメリー」を見た。

高校まで横浜で暮らしていたので、中学校の頃に(伊勢佐木町に遊びに行きだす年頃だ)ごくたまにメリーさんのことが話題に上っていたことは覚えている。ホワイトオバケとか白い婆さんとか呼ばれていたように思う。僕自身も関内あたりの洋館を背景に一度だけ目撃したような記憶があるが、実体験なのか後から捏造されたものなのか判然としない。

様々な証言(舞踏家・大野慶人の振り付きの証言がとりわけ印象的だった)と切り取られた町の風景を織り交ぜ、実態の見えない伝説的存在を、様々な角度から照射し浮き彫りにしていく。そのようなドキュメンタリーの手法は、音声と映像が一体になった映画作品に最もふさわしい手法に思われる。結びそうでなかなか結ばない焦点が、最後になって意外にも当たり前のように結ばれた時、意外にも涙が出た。泣くような映画じゃないと思って見てたんだけれど。これはとっても予期せぬことで、しばらく何故泣いたのか考え込んでしまった。

それはさておき、この映画をみれば誰もがわかるように、これはメリーさん個人を追った映画ではなく、メリーさんが存在したとある時代のとある都市の姿を描いたものだ。メリーさんは、ある時代の横浜という都市の記憶を体現した、一つの現象なんだろう。都市は人が生きてこそ都市なのだという、至極当たり前の事実をあらためて噛みしめる。

僕らが研究対象として都市を扱う時、個々人のライフヒストリーといったあまりに儚いものは捨象せざるをえず、物理的な「形」としてそこにある建物とか道、あるいは史料を通じて都市を見る。文化人類学的アプローチはだいぶん生活にクローズするが、対象としているのはやはりある程度一般化された集団的な人間像であり、個人への接近には限界があるだろう。しかし実のところ都市は、そのような捉えがたい個々人の記憶においてこそ生きられているのであり、そのことを忘れた都市論は虚しい(『京都げのむ』の連載・「京都私的探求」で試みていたのは、そのようなごく個人的眼差しからの京都の発掘であった)。

横浜が懐かしくなると同時に、ヴァーラーナシーの雑踏が思い起こされた。インドにはたぶん、まだ沢山のメリーさんがいる。もちろん京都にも。

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■ 06年11月13日(月)

水引[柳沢究]

先日、国際会議の件でご協力いただいた水引館さんへ、借りていた水引作品の返却とお礼に伺った。


こちらの水引はとんでもないクオリティー。しかも伝統工芸品の範疇におさまらない新しいデザインを次々に創作している。作り手である伊予水宝さんは、とても優しそうな方で、望外にも作品を前にして水引についてのいろいろお話を聞かせてもらいました(伊予水宝(本名:鈴木セツ子)さんの話は、最近出た『京都職人−匠のてのひら−』にも紹介されています)。

水引飾りというのは、ご祝儀袋や結納の際に用いられるように、非常に儀式的・呪術的意味合いが強い。装飾とはすべからくそういうものだが、こういった一見すると意味不明な物事に(なぜご祝儀に「水引」なのか答えられる人、また「水引」という言葉の意味を知っている人がどれだけいるだろう?)、時間と手間すなわちコストを惜しまずかけられるのが、「人間」らしいことなのだなぁと思ってしまうこの頃。

いつかコーラム紋様をモチーフにした水引を作ってもらいたいものです。

そういえば、水引館では後継者の募集もされているようです。たぶんとっても大変だとは思うけど、芸工大や京都の芸大生で誰か、我こそという人がいないかしら。

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■ 06年11月05日(日)

太秦・広隆寺と木嶋神社[柳沢究]

4日は、さすがに休息。

…のつもりだったが昨晩の懇親会の流れで、国際会議に参加していたスリランカの学生2人を長田さんとともに京都案内することになる。

…はずであったが、その2人は今朝になって急に東京に行きたいと言いだし、そのまま新幹線に乗って東京に行ってしまったので、何故か長田さんと一緒に京都観光。

スリランカ人を案内するつもりで、三十三間堂や清水などのベタベタコースを考えていたのだが、長田さんはそれなりに京都経験ありということで、太秦の広隆寺と木嶋神社(蚕の社。三柱鳥居がある)というやや渋めのセレクト。

聖徳太子の建立になる広隆寺は弥勒菩薩像で有名だが、本堂の軒先には大工集団の奉納した額がたくさん掛かっていて面白い。聖徳太子は大工の神様だと思い出した。「曲尺(かねじゃく。差金)を発明したのは聖徳太子」というまことしやかな伝承もあるらしいが、あまり信憑性のある話ではない。
そういえば、屋号によくある「カネ●(『かねさ』とか『かね吉』とか)」の「カネ」の記号はL字形をしているが、あれは差金ではないのかしらん、などと考えながら境内を散歩する。

木嶋神社には「元糺の池」やそこで行われる御手洗祭があり、下鴨神社との関わりが非常に深い。足利健亮によれば、木嶋神社と河合神社(下鴨神社境内にある)はそれぞれ平安京の西と東の境界を示す(鎮護する)施設であり、両社は平安京の成り立ちに関わる極めて重要なスポットである。秦氏・賀茂氏の関わりなど、そこら辺は突っ込みだすと大変おもしろい。
(余談であるが、同じく秦氏創建と伝えられる松尾大社の本殿は比叡山に向けて建てられており、比叡山頂と松尾大社とを結んだ軸線上に木嶋神社と下鴨神社がきれいに重なるのは、一つの興味深い事実である。参考

ところで木嶋神社の向かいには、写真のような水路の上に長ーい屋根のかかった不思議な構造物がある。なんでしょうかこれは。単なる水場にしては、柱ごとに電気照明とスイッチがついているのがモノモノしいのですが。

 

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■ 06年11月04日(土)

コーラム国際会議終了[柳沢究]

3日、国際会議当日。朝6時起床。幸い風邪はやや回復。冷や汗まみれでスライド仕上げて、10時頃出発。電車の中で発表の英語を考える。もういやこんなの。発表はなんとか終了。英語はひどかったが、一応伝えたいことは伝わったのではないか。

他の発表で興味深かったのは、やはりシコウ君の組み紐理論による解析。扱っている問題は、僕と同じく「ある配列点において描きうる一筆書きパターンの総数はいかほどか?」というものだが、僕のやったPERLによる力技での解析と違い、数学的に定式化してスマートに結果を導いている(あんまり難しいので半分くらいしか理解できてないが)。
それでも「理論的には6百億とおり以上存在するパターンのうち一筆書きは約1千万(0.017%。実際には一桁目までちゃんと数字がでてる)しか存在しない」という結果が、両者の解析で寸分たがわず一致したのは幸いというか素晴らしいことであった。

コーラム研究はとりあえずこれで一区切り、と思っていたのだが、こうやって集まって話をするといろいろ面白そうなテーマや課題がどんどん出てくるのは、嬉しいようなムニャムニャ。
形の文化会の論文集に投稿するという宿題も増える。
自分の発表で手一杯で、形の科学会大会の方の発表をあまり聞いている余裕がなかったのは残念。

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■ 06年11月03日(金)

講演会と発表会と国際会議、風邪でダウン[柳沢究]

10月中旬から先週までの業務日誌を、さかのぼって更新しました。

28日:
昼頃からSSS報告書の仕上げに取りかかる。祇園会館でやっていた「ヨコハマメリー」を見に行きたいと思ってたのだが断念。終了翌朝5時。もう少し計画的・効率的にやらねばならないと反省。

29日:
眠気をおして、1ヶ月前から予約していた高校生向け講演会「ゾウの時間 ネズミの時間」を聴きに京大時計台へ。歌う生物学者・本川達雄先生の話。同名の新書は15年ほど前のベストセラー。中学生の頃に読んでたのを覚えている。あれだけ専門的な話を中学生にもわかるように書いているというのは、いま思うと凄いことだ。印象的なフレーズは、「子どもを作らない若い人は、生物学的には全くアウト」「人間の生物的な寿命はちょうど孫ができる35歳くらい」「医療の発達によって誕生した50歳超の人間は、一種の人口生命体」など。
晩からコーラムの英語論文とスライド制作に着手。本番は3日。遅すぎる。

30日:
科研費申請書の手直し、再提出。

31日:
大学院の発表会準備でアタフタ。合間にSSSの件で業者と打ち合わせ。

1日:
朝から7時頃まで大学院総合プロジェクト発表会。今年新築された500人収容の大ホールで行う。学生が主体となった町作り支援の継続的取り組みはすごく画期的なものだと思うのだが、世の中にあまり知られていなさそうなのは残念。といいつつ僕もまだ覗きに行けていないのだが。こんなのです。国際プロジェクトは今年行った河回マウルの共同調査報告。韓国、中国の大学の先生も来日し、来年の調査候補地や成果のまとめについて討議。来年の今頃は恐ろしいことになりそうな予感。
帰京後ほぼ徹夜でコーラムの発表準備。

2日:
朝から風邪気味。昼、大学院の会議。終了後、国際会議の会場準備のため大阪大学へ。長田さん、インドからのロビンソンさんらと若干打ち合わせ。
この日は芸工大で布野研の先輩でもある青井哲人先生のトークセッションがあり、ものすごく参加したかったのだが、時間がどうしても合わなかった。最近、著書である「植民地神社と帝国日本」を読んでいたところだけに残念。この本は青井先生が30歳頃に執筆した博士論文をもとにしているが、フィールドから問題を発見し組み立てていくその視点の鋭さ、論理展開の正確さ、学術的視野の広範さを見て、参考になるとともに、彼我の力量差に暗澹とする。ほんとは一緒に比較する土俵にも立っていないのだが。
夜、風邪が悪化しどうにもダウン。スライド出来上がってないのに。

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■ 06年10月28日(土)

近況とヤモリ[柳沢究]

論文に集中する、と宣言してからというもの、人に会うと「論文進んでる?」とよく聞かれるようになり、たいへんプレッシャーを感じるこの頃です。
目下逃避作業の傍ら、論文以外の仕事を片付けて身辺整理というか環境整備にエネルギーを注いでいます。こんな時に限って設計や講師の話があるのも困ったものです。いや、とってもありがたいんですが。引き受けたい誘惑と激しく戦いながらも、別の方を紹介させてもらいました。
今月後半は、科研費の申請書類とSSSの報告書とコーラムの英語論文の執筆が同時に重なってやってきて、ヒーヒー。コーラムの方はまだ終わってません。提出は金曜日朝です。プレゼンのスライドも作らねばなりません。

その一方で、20日の竹中大工道具館での研究会、21日にスフェラであった永山さんの講演会、22日の稲岡君の神楽岡スライド会など、いろいろな方に会い刺激をたくさんもらっています。なかなかここには書けていませんが。


そんななか心温まる出来事としては我が家にヤモリちゃんが初登場したことでしょうか。パスタを作ろうと鍋を手に取ると、中に小さなヤモリの子っこがいました。どこから入り込んだのかわかりませんが、ステンレスの鍋は滑りがよいため吸盤がくっつかず、脱出不能になっていたようです。もう少し発見が遅ければヤモリの干物ができていたことでしょう。気付かずにそのまま湯を沸かしていたら、茹でヤモリのパスタができあがったことでしょう。よかったです。

鍋の色に合わせて、やや灰褐色の保護色になっています。尻尾をふくめた体長7cmほど。

ヤモリちゃん愛好家は世界に多いようで、こんな動画がありました(ある愛し合うヤモリの悲劇)。

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■ 06年10月27日(金)

スライド会とSSS報告書[柳沢究]

22日:
ホームページから相談のあった内装の仕事の件で、畑中さんとともにお店へ伺い初顔合わせ。今度はロシア関連です。神楽岡にコンタクトをとってくださる方は、インターナショナルな方が多い。晩、神楽岡での恒例スライド会。稲岡氏によるインド、ルーマニア等でのアートインレジデンス体験について。初参加の方が結構多かった。アートイン…は、一昔前のパブリックアート行政のような町おこし的要素が強いのかと勝手な想像を抱いていたが、インドの事例ではアートと「町の住民」との関わりのあり方を真摯に捉え直そうとしている姿勢が感動的ですらあった。

23-24日:
SSSの報告書担当分に着手するも、大学での諸業務で時間が細切れになり、進展せず。行き帰りの電車の中では某本の原稿校正をしているが、酔うのであまりよろしくない。

25日:
大学院にて博士論文予備発表会。自分の論文に引きつけて聞く。岡部憲明先生の空港研究は迫力があった。

26-27日:
SSS報告書にようやく本格的に時間をとる。たった2ページなのだが、この間やってきたことを系統だてて整理するのはなかなか骨が折れる。勉強勉強と念じながら作業を進める。結局図版作製で丸1日かかってしまった。27日晩は、久々の助手会。報告書が終わってたら朝までコースだったけど、やむなく終電で帰京。寝過ごして山科まで行きタクシーで家まで。

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■ 06年10月21日(土)

科研費申請と研究会、永山さん[柳沢究]

18日:科研費申請書の学内〆切だったのだが徹夜して、

19日:朝、申請書を1日遅れで仮提出。11月末の大学院作品展関連の準備や打ち合わせでアタフタして、夕方に湊川であった神戸ビエンナーレのプレイベントに顔出すも眠すぎて途中退席。

20日:
午前中休んで、午後から竹中大工道具館の研究会へ。発表者の清水郁郎さんは京大アジ研以来の数年振り。タイ、ビルマ・ラオス国境のゴールデントライアングル地帯に住み込み調査をしていたというから驚く。フィールドから久しく遠く離れた我が身を省みる。
終了後の懇親会はとても楽しく刺激的。学問的な議論の場に身を置く機会を意識的につくらねばならない。帰りの阪急で寝過ごして気付いたら梅田行き列車に乗っていた。慌てて桂で降りる。

21日:
SSSの報告書、コーラムの英語論文をやらねばと思いつつも進展せず悶々。
晩、スフェラで行われた永山祐子さんの講演会へ。「家の中には誰も入れないような場所をつくりたい」という話に共感。語り口はほんわかしていながら、あきれるほど明晰な設計プロセスに唸る。しなやかな剛腕という印象。アイディアのネタ本(?)の紹介などもあり。
懇親会でボンサイストの川崎仁実さん、馬場さんらとご一緒。布野研の後輩・柳室君にも久々。スイスに行っていたとか。途中からシコウ君も合流。岡山、京都、東京を行ったり来たりで、なんともアクティブ。森田氏は明日早朝からポルトガルへ出発だが荷造りはまだとか。

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