JOURNAL
 1  |  2  |  3  |  4  |  5  | ALL

■ 06年01月10日(火)

栗林公園[柳沢究]

年末に3日ほどかけて、香川と岡山をさらりと巡ってきた。
淡路を通り抜けて四国に上陸し、まずは高松市内の栗林公園へ。

こういう庭園の見方って実はまだよくわからない。けれど同じ大名庭園である兼六園などに比べると、全体の印象がモダンというか、個性の強い(悪くいえばゴテゴテした)松や岩をこれみよがしに展覧会風に見せるのではなく、空と芝と池といった面的な「地」をぱきぱきと明快に構成してみせた上に、こぢんまりとした木々や建物を点々と配置している感じが、伸び伸びとしていてとても気持ちがいい。
しかーし、何を血迷ったか写真にある掬月亭の中に入るのを忘れてかえってしまった。あそこが一番の目当てだったのに。暖かくなって花の咲く季節になったらもう一度行かねばならない。

| 柳沢究, 雑感 | PermaLink | trackbacks (0) |

■ 06年01月07日(土)

互礼会[柳沢究]

大学にて教職員一同会しての新年互礼会。
終了後、年末にほったらかしにしていた研究室の片づけをしながら、今年何をやらなくてはならないのか、なんていう新年らしい事を考える。芸工大の任期も来年度いっぱい。今年こそ学位論文の執筆に目処をつけないと、ヤバイ。博士課程に進学してから、神楽岡の活動をはじめ、大学を中退し芸工大に来てはや3年近く。この間、興味のむくままあれこれ目一杯手を広げてきたけれど、そろそろ瓢箪よろしく、きゅッと引き締める頃合いであろうか。

| 柳沢究, 雑感 | PermaLink | trackbacks (0) |

■ 06年01月01日(日)

謹賀新年[柳沢究]

今年もどうぞよろしくお願い致します。

3日は11時から神楽岡前路上にて餅つきを行います。
2時頃からは、畑中&山本さんによるパキスタン地震調査報告スライド会も催します。
京都におられる方は遠慮無く遊びに来てください。

寝正月。早くあったかくならんか。

| 柳沢究, 神楽岡の活動, 雑感, お知らせ | PermaLink | trackbacks (0) |

■ 05年12月18日(日)

追記:研究者の仁義?[柳沢究]

16日の昼間、大学の部屋に畑中久美子さん来訪。1時間ほど話す。

彼女は友人の山本喜美恵さん(なんと来年から滋賀県大・布野研の研究生になるという!!いやはや…)と一緒に、先月までパキスタンの地震復興調査へ行っていた。現地での体験は刺激的だったようだが、思ったよりも普通に生活できたとのこと。現地滞在中に支援する日本側の姿勢が変更になり困ったというが、さもありなん。ほんの少ししか聞けなかったので、またこんど、新年の餅つきの時にでも緊急の報告スライド会をやってもらおうかな。

畑中さんの専門はいわずとしれた「版築」である。版築は最近だいぶん注目されてきて、いろいろ試みている建築家も多いが、彼女は修士研究の頃から取り組んでおり、自ら施工までする荒行をおこなうなど、少なくともデザイン分野ではかなり先駆的な存在だ。
しかし、今年行われたコンペの受賞作に(神楽岡の?)HPに載せている版築作業写真が無断使用されたことが、悩みの種になっているという。
出品者はコンペ前に神戸まで話を聞きに来たので、畑中さんは版築普及になればと自分の研究について親切に解説し、研究報告書もわたした。
しかし秋の発表時には畑中さんの研究にはまったく言及されず、しかもというかそのうえ現地で配布された解説のパンフには報告書の文章が無断で盗用されていたという。抗議しても要領を得ず、たいへん悲しい、と。

人の研究成果を利用するのは、ぜんぜん悪いことではない。むしろドンドン利用して然るべきことなんだが、その場合、どこまでが先行の研究・成果を踏まえたものなのか、どこからが自分のオリジナルなのかを明確に示すことが最低限のルール(特に取り組んでいる人間のまだ少ない萌芽的分野においてはコトサラ)。
人に自分の研究のことを尋ねられて、出し惜しみする研究者はいない。自分だっていろいろな人から教わりながらやってきたんだから。だからこそ、通すべき仁義は通さなければならないはずなのだ。

| 柳沢究, 雑感 | PermaLink | trackbacks (0) |

■ 05年12月16日(金)

「ぽちてっくてん」に酔う[柳沢究]

7日:
芸工大にて修士論文中間発表会。修論ほど、一つのことを考え、調べ、文章にすることにエネルギーを注げることは、多くの人にとってこの先そうある機会ではない。直接指導するわけではないが、頑張って欲しい。

8日:
INVERSIONの会場撤収。展示にはあれだけ苦労したのに、片づけは一瞬だ。早くも来年の日程を予約。一年先の予定なんか入ると、時間の流れが加速する気がする。

10日:
朝から下鴨の現場打ち合わせ。午後から「げのむ」編集打ち合わせ。なんか毎週土曜日はこのパターンが定着してきた。
久住左官の岡君に「親方泥棒」という称号をいただく。「おしゃれ泥棒」みたいだなと思ったが、ぜんぜん違う。なんでも僕が現場に行くと親方(久住氏)と話し込んで(時にはそのままどっかに行って)しまうので、困るんだそうな。いや、そんなこと言われても…。

現場と「げのむ」の合間を縫って、現在改装中の山崎さんの家を覗きに。
なつかしの柿渋の匂い充満してていい感じ。黒く古色された床と天井に漆喰の壁。照明こんなしたら、と無責任発言をしてたら「柳沢さんが入り浸りそうで…」と言われた。うーむ。

晩は若杉荘(=CDL事務所の名前。CDLで名付けたのではなく、もともとこの名前。昔学生の下宿だったかららしいが、なかなかに洒落た命名)にて「地区ビデオコンテスト」開催。
ぼろい木造の建物が傾くんじゃないかというくらいの人が集まり、18作品を上映。不完全双方向システムによる立体上映も試みられ、盛り上がった。

さらにその後、水谷邸で行われていたすき焼き会に合流するも、すでに肉(松坂牛)消滅。ネギと豆腐とキノコのみの晩飯。

11日:
晩にポチテックpotitekの個展「ぽちてっくてん」のパーティへお邪魔する。会場は工繊大出身の槌谷くんや半谷くんが自力改修した、東鞍馬口の町家「ヒガシクラマグチンチ」。
potitek、ぽちてっくてん、ヒガシクラマグチンチ…ネーミングセンスが抜群にいい。
アイリッシュフィドル(映画タイタニックに出てきたようなやつ)の演奏があったりして、戸田さんとこのパーティはいつも、和やかで洒落てて料理が美味しい。人柄なんだろうなぁ。京北でシェーカー家具を製作している方などとお話しし、いい気分で大いに酔っぱらう。

12日:
午前中ふたたび下鴨の現場へ。塗装の色確認など。午後、鴨川河川敷をうろつき、げのむの取材活動。寒くて話しかけづらい雰囲気。

13日:布野修司編の新刊「世界住居誌」が発売になった。僕も南アジアの概要解説や、インドの「ハヴェリ」の項、レクチャー「装飾と住居」などの執筆を担当しています(裏表紙には夏にいった王家大院の写真も載ってる)。これまでになかなか無かったタイプの本なので、興味のある方は是非お手に。

「装飾と住居」執筆の際、参考文献として(勝手に)お世話になった鶴岡真弓先生には、コーラム研究の関係で夏にお会いする機会があり、ケルト紋様の話をいろいろ伺った。僕がこんなこと言うのもなんなんだが、神秘的な雰囲気のするとても魅力的な方でした。

14〜16日:大学にて諸作業。16日夕方は御影にて打ち合わせ。

| 柳沢究, 雑感, 京都げのむ, インド | PermaLink | trackbacks (0) |

■ 05年12月06日(火)

地区ビデオを終え黄表紙還る[柳沢究]

2日:
INVERSION関連の仕事が一息ついて、大学にて諸業務。晩は三宮にて「助手会」。

3日:
10時から下鴨の現場打ち合わせ。この日やってた杉本家でのイベントにも行きたかったが、午後から若杉荘にてCDL&げのむ会議。11月は「ミテキテツクッテ」(作品がアップされています)があったので一時中断していた編集・執筆作業を再起動。2月にむけてそろそろ本腰をいれて取り組まねばならない。10日に開催を控える「地区ビデオコンテスト」出品作品の試写をして上映の順番などを検討する。
晩、水谷邸に忘れ物をとりにいったら、東京から来て現在白川通のバターカップスに作品を展示している熊野さんを囲んで、松崎さんや健太郎らが集まっており、そのまま久々の天楽へ。ドブロクの上澄みを気持ちよく飲んでいたら、取りに来た忘れ物のことを忘れて帰ってしまった。何しにいったんや。

6日:
前日の晩から異様に寒くて、早くも風邪気味。京都は初雪。
御影のプロジェクトの相見積もり結果が出てきた。いずれも少々オーバー気味でこれから調整。10月に投稿したマドゥライの黄表紙の査読結果も今日届く。査読二人がそれぞれ「採用」と「再査読」で、結果「再査読」(原稿を修正してもう一度出しなさい、ということ)。再査読はまあ予想していた結果なので、一人でも「採用」が出た分ちょっとホッとする。「げのむ」の作業といい、年内にやってしまわねばならない宿題が増えてきた。

| 柳沢究, 雑感, 京都げのむ | PermaLink | trackbacks (0) |

■ 05年12月01日(木)

京都ゲノムを探して[柳沢究]

10月に京都新聞に寄稿したコラム。「げのむ」編集長としての執筆だけど、まあ京都のことだし、あんまり眠らせとくのもなんなのでここに載せてみる。字数が少ないのでちょっと説明不足の観もありますが、「京都げのむ」の「京都」に対する姿勢の一端はこんな感じです(そんな「げのむ」に興味を持たれた方は、ぜひご一読を。既刊はこちらで販売中!)。


『京都ゲノムを探して』

京都に関心をもつ大学研究室・学生が集まり京都のまちを調査し提案する、京都コミュニティーデザインリーグ(京都CDL)の活動がはじまってから4年半が経つ。この間、機関誌である「京都げのむ」の編集・制作を通して、京都という都市のあり方をいろいろな視点から眺める機会を得た。京都の価値をアンケートに基づき金額に換算したり、京都のモデルとされる中国・西安の現状を取り上げるなど、様々な角度から京都をとらえなおす記事に取り組みつつ、「げのむ」は現在まで5号が刊行されている。

京都CDLが発足当初から掲げている活動理念の一つは、保存か開発か、あるいは歴史的文化・伝統を如何に現代に活かすか、といった定式化された構図から京都をとらえるのではなく、都市の現場に身を置きながら、ありのままの京都を観察しようというものである。「京都げのむ」という誌名にはそのような活動を通じ、京都を京都たらしめている遺伝子=《京都ゲノム》を探しあてたい、という願いが込められている。

「何が京都を京都たらしめているのか」という問いは、京都でよく耳にする「京都らしさ」論と密接に関わってくる。町家の格子戸や大文字は「京都らしい」と言われるが、京都ホテルなどに見られる格子状のデザインやマンションのエントランスにちょこんと乗せられた瓦屋根は「京都らしい」のか。南区に数多くあるリサイクル工場や山科の山中に隠れた巨大な産業廃棄物処理場は「京都らしくない」とされるが、それらがあるからこそ京都の生活は成り立っているのではないのか。夏の鴨川を彩る床は「京都らしい」が、橋の下にたたずむ段ボールハウスは「京都らしくない」のだろうか。

答の無い問いのようにも思われたが、実はいずれも京都という都市のある一側面を表象しているという事実に違いはない。身も蓋もないようだが、その意味では全てが「京都らしい」と言ってしまえるのではないか、別の言い方をすれば「京都らしい云々」という言葉は(少なくとも京都においては)ものの価値についてほとんど何も説明していないのではないか、というのがこの数年間で得た一つの確信である。

とはいえ《京都ゲノム》を探し求める試みが意味を失うわけではない。京都を見つめる視線から、ようやく「らしさ」というフィルターを取り外すことができたのだと考えたい。「京都らしさ」とはきわめて主観的な概念であり、「らしくない」とされたものを無意識に視界の外へと追いやる危うさをもはらんでいるのだから。誤解を恐れずに言えば、京都は特別な都市なんかではない。歴史とか伝統の毛がちょっと生えた程度の普通の都市。そう考えたときに初めてありのままの京都の姿を、そこにある生活を垣間見る事ができるように思う。

現在編集中の「げのむ」第6号では、「みやこきわめぐり」と題して中心部から外れた様々な境界的領域に注目している。碁盤の目の中だけが京都ではない。町家が軒を連ねた景観は確かに美しいが、観光客が足を踏み入れない場所に広がるいびつな路地、違法建築スレスレに好き勝手な増改築を施された建築群は、おとらず魅力的である。京都ゲノムは「青い鳥」よろしく、身近な街のそこかしこに隠れているに違いない。

(2005/10/24 京都新聞「創発空間」)


…作品に町家再生を連ねてる神楽岡の活動はどうなんだ、という意見が予測されるので、あらかじめ補足しておくが、神楽岡の活動とこの考え方とは決して矛盾するものではない。京都にある伝統や文化のよさを否定したいわけではなく、言いたいのは、何かの縁で京都に腰を据えて活動している以上、「京都らしい」という非常に様式化された視点のみで京都を見つめるのは、たいへん視野の狭いもったいないことではないか、ということ。

| 柳沢究, 雑感, 京都げのむ | PermaLink | trackbacks (0) |

 1  |  2  |  3  |  4  |  5  | All

Copyright (C) 2001-2008 Studio KAGURAOKA
All Rights Reserved

■