年末に行った香川・岡山で、実は一番よかったかもしれない建築。
現存唯一の江戸時代の芝居小屋、琴平の金丸座。
近年の改修で一部鉄骨で補強されたそうだが、それでも木造柱梁による大空間はちょっと他に類をみない迫力である。現在はもちろん電気照明が入っているが、年一回の公演の際には、高窓からの自然光とロウソクの灯りのみで演じられるという。高窓の外側(屋根の上)には照明係さんが控えており、暗転時にはバタバタと人力で板戸を閉ざすのだそう。
天井は竹を格子状に組んで透かしてある。これだけでも空間に深みがでてカッコいいが、芝居のクライマックスにここから紙吹雪が舞い落ちるという演出もあるという。枡席と舞台の親密な距離感は、現代の椅子式のホールとは大違い。役者は舞台・花道を駆けめぐるし、客席からもヤイヤイと声が飛ぶ。上演時には建築全体が濃ゆい演劇空間となるのだろう。一度味わってみたいものである。
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恒例の下鴨現場。壁もおおかた仕上がり、木部の塗装も引き締まってきた。今は外構工事が山場を迎えている。かねてから庭を造りたいと意欲を燃やしていた久住氏の指揮のもと、神楽岡の庭師衆が総動員でとりくんでいる。写真は水谷&松崎氏が玄関前の石を据えているところ。形をあわせながら、丁寧に、少しずつ。
午後、学芸の仕事のため、竹原義二氏の全作品資料に目を通す。竹原氏は「住宅特集」登場回数NO.1らしく、なんとも膨大な作品数。一人の建築家の図面をここまでじっくり読み込むのは久しぶりだが、図面を引く機会の少ない今の自分にとって、とてもよい頭の体操になる。
夕方には、芸工大を出て東京の南洋堂に勤める新宮君が京都に帰って来ているというので、漆の東端唯さんのアトリエでの個展打ち上げパーティに一緒に行く。板の間の床に座って、ドンペリとかソーテルヌとかを場末の居酒屋のように飲みながら、曽根造園の若い職人さんや照明作家のムーランさんと話す。いいねぇ。
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先週3日に高木先生と話していた時、「左回り/右回り」の話になった。
ヒンドゥー教や仏教の巡礼や参拝は、必ず右回り(進行方向に対し右が中心に向くという意味。=右肩回り、時計回り)で行うものとされている。ヴァーラーナシーの巡礼路も四国のお遍路もチベットのマニ車も、みんな右回りである。では何故「右回り」なのか?
諸文化には、たいてい「左/右の優位性」問題があるのだが、おおむね右を優勢(=尊、浄、善)とするところが多い。「人種を問わず右利きが多い」というのは、どうやら統計的に事実らしいので、これが理由であろうかとも思う。しかし、生理的制約や身体の機能性といった観点からすれば、格別右利きが優越である根拠はないそうで、右利きが多いのは実は社会的に矯正・固定された結果という指摘がある(例えば猿の左右の利き腕の差異はかなり流動的という)。ともあれ、人間には「右」を好む文化的傾向が何となくあるようなのだが、興味深いのはRing-Wandering(【独】Ringwanderung)という現象。
Ring-Wanderingとは、目印が何もないところを歩いていると、人間は自然に左回りの弧を描き、最終的に同じ箇所を円環状に巡るという行動現象をいう(たとえば夜に吹雪で視界のきかない原っぱで道に迷った人は、まっすぐ歩いてるつもりがグルグル回っていて、ついに力尽きてしまうというようなこと)。利き足でない方(=左足)が軸になりやすいからとか(陸上のトラックはこの理屈で左回り)、左側にある心臓を内側にするためとかいう説があり、確定的な理由は知らないけれど、人間は身体的には左回りする傾向がある、と考えていいようだ。
ちなみにコリオリの力を受けて北半球で発生する台風や渦が左回りになることとは、ほとんど関係ないらしい(運動速度が小さすぎるからか)。
では宗教儀式などに際して、左回りと右回りどちらの動きが、よりふさわしいということになるんだろう。
左回りが生物として「自然」な動きであるとすれば、右回りに動く事にある種の神秘的な価値を見いだしたのは、人間としてとっても「自然」なことのように思われるのだが。
ところでメッカのカーバ神殿の礼拝は左回りだそうです。
(オチもマトメもないです。すいません)
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27日:論文は結局仕上がらないまま、徹夜明けで夕方よりCDL事務局会議。
28日:朝から大阪・森ノ宮へ。学芸の本の仕事で竹原義二氏の事務所へ行き、初顔合わせと簡単なインタビュー。終了後、山崎邸のパーティへ。昼間ということか山崎君の趣味か、コーヒー・紅茶にケーキ、クッキーが並ぶテーブルにたじろぐ。甘いモノばかりでほとんど飲み食いできず。理研で理論物理学をやっているというシコウさんにコーラムのことを話したら興味をもってくれ、組み紐理論(乱れた麻を断つのではなく、如何にほどくか。あるいはどれだけ複雑に絡まっているかを考える理論)を用いてはどうかとアドバイスをもらう。
29日:午後重森三玲邸へ。座敷から眺めると、室内に庭が入り込んでくるような迫力はあるが。年末に見たイサムノグチの庭を思い起こしつつ、「モダン」とは何なのかなどと考える。夕方電器屋めぐり。寺町はさびれつつある。デジカメを5年振りに新調。
30日:いまだ終わらぬ論文にとりくみつつも未完でダウン。
31日:修士論文提出。みなさんご苦労様。打ち上げのキムチ鍋会に顔を出すが、論文があるのでと早々に退出。大学院棟の廊下に流れるニンニクの香りに気をとられつつ久々に徹夜。
1日:論文ようやっと仕上がり深夜発送。
2日:神戸市営地下鉄が架線事故とのことで、朝10時頃とまる。学位申請論文発表会。
3日:論文にとりくんでいる間、ほったらかしにしてたメール返信、事務書類書き等で一日終わる。晩は高木先生の部屋でゼミ。久々にヴァーラーナシーについて話した。牛の一日行動調査記録(6頭分)、いつになったら日の目を見ることやら。
4日:午前下鴨打ち合わせ。毎度のことながら壁が仕上がるとぐぐぐっといい感じになる。午後は家の片付け。寒い。ネズミがあちこちを跳梁跋扈している。晩ビューティアム改装の打ち合わせ。のち日知庵とHATI-HATIへ。アラックのソーダ割り美味し。
6日:事務処理でほとんど終了。修論発表会の準備。JRまたも遅れる。焦って事故を起こすよりもずっといいけど、新快速が15分くらい遅れるのは日常的になってきた。
8日:一日かけて修士論文・作品発表会。今年はファッションの作品がよかった。
9日:片付けやら採点票の集計やら3時間超の会議やらで疲弊。合間を見てSSSの足場や型枠についての検討。
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年末の話に戻る。
栗林公園の後はうどんを食って、牟礼のイサムノグチ庭園美術館へ。
往復ハガキで申し込まないといけなくて、でも直前まで日程を決めてなくて、慌てて速達で申し込んで、なんとかいけた。
中は写真撮影禁止なので敷地外からの一枚。この地域でとれる庵治石が円弧を描くように野面積みされていて、旧アトリエはその内側にある。中はちょっと高台になっているので、敷地内に入るとこの石垣によって綺麗に外界から切り離されて、写真奥にある山(庵治石の採石場がある)に向けて空間がひろがっていくのだ。彫刻作品ももちろんいいけど、この石垣に囲まれた屋外作業場(現・彫刻展示場)や、イサム家(居住棟)の庭に漂う柔らかな緊張感が、とても印象的だった。
宇都宮の大谷町もそうだけど、たとえ日本であっても石の産地一帯というのは、完全に石の文化圏ができあがっているように思う。京都なんかでの石の使われ方と、もうまったく感覚が違うのだ。
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新年一発目のスライド会。
夕方から雪が降り出したためか、いつもより若干少な目の人数でしたが、それを補って余りある(むしろ何でこんな日にみんな来ないんだというくらい)面白い内容でした。
この日の講師・図師宣忠氏は京都大学で中世フランス史を専攻し、現在学位論文に取り組んでいる。僕と大学の同級生でもあるのだが、知り合ったのは実は一昨年くらいのこと。ゴリゴリの研究をやる一方で視野が閉じていなくて、自分の研究分野のことも門外の人間にわかりやすくかつ面白く話せるという、研究者だったら当たり前のようでいてなかなかできない事を、さらりとやる。憎い。というわけで、付き合いは短いのだけれど、妙に波長があって最近仲良くしている。
前置きが長くなったが、今回のスライド会は彼のサブ・テーマである「ミュージアムにおける恐竜の展示方法の変遷」をやってもらった。ミュージアムといいながら、建築のことはよくわかりませんといいながら、パノプティコンの絵からスタートするところが、さすが。近代のミュージアムは知識を分類整理し一望監視型の構造にはめ込むところから始まるという話から、近年の結論ではなく過程そのものの展示へ至る道筋を、熱烈な「恐竜愛」とともに語ってくれた。
詳しい内容は後で独立のコンテンツとして書き下ろしてもらう予定なのであまりふれないでおくが、世界をいかに把握し表現するかという方法には、様々な分野にわたって共通する時代的な構図がある。その大枠を意識しながら個別の差異を吟味するのが他分野の事を勉強する面白味の一つなんだと思う。
もうちょっと小さな感想としては、マニアはやっぱおもしれーということ。注いだエネルギーに比例した知識の厚みと熱がある。おかげで話を聞きながら酒がすすむすすむ。すすみすぎて途中からわけのわからなぬ状態に突入してしまったのは反省であるけれど。図師氏や参加していただいた方にはちょっと(だいぶ?)ご迷惑をかけてしまったようでスイマセン。でもそれも彼の話があまりに面白かったためと、寛大なるご容赦を願いたい(いつもはあんなじゃないんです)。
その様子については(自戒の意味も込めつつ)、参加者の一人であるカナヱさんの文章(と写真)をお借りしてお伝えしておこう。
「(スライド会は)二時間以上ノンストップの長丁場で、後半は氏の恐竜への深い造詣と愛を熱く語っておられたのですが、このあたりになると、私の隣で焼酎ビール割りを一人ガンガン飲んでおられた主宰者のQ氏をはじめ、約数名は完全に良い具合となっておりました。笑
Q氏の大きなしゃっくりが響く中、呂律の回らぬ口調で野次とも言える質問を浴びせられ、それに困りながらも一生懸命応える図師さん。彼の純粋な恐竜への思いは、酔っぱらい達の野卑な笑い声にかき消されていくのでした・・・嗚呼・・・。笑
写真左:スライド会の様子
写真中:酒盛り中
写真右:恐竜標本に興奮した酔っぱらい要員S氏が披露してくれた骨コレクション」
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中崎町のコモンカフェで行われる「けんちくの手帖」へ顔を出すために大阪へ。
イベントの前に、堀江にある缶詰バー・kansoへ、ちょっと寄り道。最近よくある「イロモノ店舗」かなと行く前は思ってたけど、酒屋の店先で飲んでるような雰囲気で、なかなかまったりできる。ビニールシートで囲まれたやや寒い屋外スペースで、石油ストーブにあたりながら、牡蛎のスモークとうなぎの肝の缶詰でビールを少々。場所が場所だけに地代は高そうだが、それ以外のランニングコストはかなり押さえられるだろうなぁ。通勤途中にあったら毎日立ち寄ってしまいそうである。
今回の「けんちくの手帖」のテーマは沢田マンション(通称:沢マン)。高知にある有名なセルフビルド・マンションだ。
建物の詳細はこちらの本に出ているので省くとして、面白いなと思うのは、一見行き当たりばったりの無計画な造りでセルフビルドらしいヴァナキュラーな雰囲気を醸しているんだが、そこに使われている建築言語は、ピロティ、屋上庭園、フラットルーフ、屋上まで続くスロープ、ドミノシステム、大量生産の規格化部材などなど、実は近代建築のボキャブラリーそのものじゃないか、ということ。近代建築の「造形」にとらわれず、その「システム」「理念」を融通無碍に用いていったら、こんなこともできてしまうのだという、いい証拠である。少々短絡的かもしれないが、同じように白く塗られたサヴォア邸の発展型として沢マンを位置づけてみると、近代建築の意外と面白い可能性に気づかないだろうか(そういえば吉阪隆正自邸もそんな感じだ)。
もう一つ。セルフビルド建築の楽しさは、ブログや個人サイトの楽しさに似ている。
発信メディアとしてのインターネットの普及は、恐るべき多様さと密度と深さを持った「素人」が、世の中には沢山いるのだということを知らしめた。同じように、もしセルフビルドがもっと手軽で一般的なものになれば、世の中にはもっともっと面白い住まい方や空間感覚を持った人間がいることが、きっと明らかになるだろう。たとえば「TOKYO STYLE」「賃貸宇宙」などの都築響一の仕事からは、インテリアレベルではあるが、そんな可能性の一端がうかがわれる。
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栗林公園の名物の一つ、箱松。
盆栽技術を駆使し輪郭を箱形に整えた松の並木。裏から見ると、ねじまがりまくった枝と松葉が綺麗なスクリーン状になっていて、ちょっと他では味わったことのない半透明感。箱松をつくるには数十年かかるということだから、自分の庭に欲しくてもそうできるもんじゃないけど、木の枝葉をスクリーンに使うアイディアはいろいろ応用がききそう。スフェラ・ビルのファサードは、まんまといえばまんまだが、この感じがよくでていると思う。
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13日深夜から展覧会場へ行って、設営を少しお手伝いする。今回の個展のコンセプト解説の文章を唯さんと一緒に考えたりして、終了1時ころ。
14日晩はギャラリーでのベルニサージュがあり、福原左和子さんが唯さんの作品に囲まれながら琴を奏する。琴の生演奏ってのは初体験だったのだけど、音や曲よりもまず、優雅で激しいその動きに見とれてしまった。会場からあふれんばかりの人が集まり、賑やかに会は進行。唯さんの作品にふさわしく、なんだか気安くも格調高い雰囲気がよかった。いろいろな方が来場していて、「繭」以来いろいろとお世話になっていた建築商会の馬場徹さんに数年振りにお会いした。
会場のASPHODELは祇園の四条縄手を上がったところにある。このあたりはわりとよく歩くんだが、このギャラリーの存在には全然気づかなかった。というのは、9日の地図を間違えた言い訳。すいませんでした。
アスフォーデルasphodelという不思議な響きは何かと思ったら、ユリ科の花の名前らしい(ユリ科アスフォデルス属・アスフォデリーネ属の各種。文学では水仙をさす場合もある)。ギリシャ神話で死者の国に咲くとされる不凋花(散らない花ということか)アスフォデロスasphodelosに由来し、ゆえに古くから墓地に植えられたという。以上むだ知識(参考:研究社英和辞書・リーダーズプラス、平凡社・世界大百科事典)。
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水際の処理がとても綺麗。
小さな庭でこうやっちゃうと作り物感が強くなりそうでどうかと思うが、このスケールだと風景が引き締まる感じがする。マングローブや葦原のような曖昧な水際もいいけど、こんなキリリとデザインされた水際も気持ちいい。
他に人工的な水際として印象的なのは、やはりヴァーラーナシーのガート。
季節により変動する川の水位にかかわらず、いつでも水面に到達できるように、階段状になっている。だから雨季に水量が増大すると、ガートの階段(時に岸にある建物までも)が、川に沈み込んでいくのだ。
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