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■ 06年11月24日(金)

遠足、行きたいけど・・・[井上大藏]

遠足の日が近づいてきた。一旦申し込んだものの、所要で参加できなくなった。とても残念でならない。湖東三山はとても行ってみたかったので、大変心残りである。次の機会あるかな・・・。ともあれ、無事に堪能してきてください。ではでは。

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■ 06年10月20日(金)

今出川界隈はまさに大・学生街[井上大藏]

06年10月14日(土)付けの柳沢氏の文章、「今出川界隈はまさに大・学生街」について少し補足を。

実はあの辺りに大学が集中したのは、京都御苑との関係が深い。大学個々にその動向を記せば、明快なのだが、少々包括的に話をさせていただく事にしよう。
明治維新によって、京都御所の「お上」(天皇の事)が東京へ赴かれると、御所近辺に集住していた公家衆も従って去っていった。主人の居なくなった公家の屋敷を利用して、博物館や学校が設立される。同時に使わない空き家は物騒なので整理事業が開始される。この整理事業が、現在の京都御苑の形成へとつながっていく。

一方、整理事業の経過で屋敷利用の博物館が消え、学校も立ち退く事になっていく。立ち退き先として目をつけたのが、宮家や大名の下屋敷である。下屋敷とはいえ相当の広さを持つし、有力宮家や雄藩ほど御苑に隣接乃至は近郊地に存在しており移転に便利である。また、当時の学校創始者は、東京の薩長族高官との関連が事の外深く、同じ薩長族の京都府知事からも優遇されての場所選定であった。これらの要因から、大学の集中へと繋がっていく。

実は、私の母校(京都府立鴨沂高等学校)も公家の九条家の邸内で産声をあげている。その後、移転するが現在も通りを隔てた「お向かい」が京都御苑である。ちなみに、高校正門と茶室が九条家のものとして現在も伝わっている。

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■ 06年10月10日(火)

近代化遺産の全国一斉公開[井上大藏]

井上です。10月20日は、「近代化遺産の日」だそうです。ご存知でしたか?私は知りませんでした。その日の前後に、全国の近代化遺産の一斉公開が計画されています。場所によっては、既に始まってますね。ホントに数多くの場所で開催されていますので、お気軽に訪問されてはいかがでしょう。少々寒いけど、秋なので美味しい物目当てに出向きつつ訪れるのも一興だと思いますョ。

詳しくは、下記HPまで。
近代化遺産全国一斉公開2006

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■ 06年09月22日(金)

写真のデータ化[井上大藏]

最近、一寸した時間で今までに撮り貯めていた建築の写真群をデータ化しいる。35ミリのフィルムカメラで撮ったものを、ドキュメントスキャナでPCに取り込んでいるのだが、これが以前に見学した建物の思い起こしと連動して、結構いい刺激になっている。「ほほう〜!、こんな写真とっていたのか・・」とか、「ここへ行ってたんだ」なんて事、自分で驚いている始末。いつしか、アップできたらいいな。

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■ 06年07月06日(木)

忘れられない一冊[井上大藏]

誰にでも、忘れられない一冊というものがあるようで。私の一冊はこれ。
「京」まちかどの西洋館(京都市交通事業振興公社、1983年発行、¥500)

16年前に購入した書籍だ。しかも当時、市営地下鉄の御池駅に設置されていた自動販売機での購入。その当時は、まだ建築界に足を踏み入れておらず、単に西洋の建物って面白いなーくらいの感覚だった。買った動機は、歴史が好きで西洋館がかもし出す不思議さが面白かったから。
自販機だから手にとって参考に見る事ができず、買わないと中が見れないというドキドキ感もあって手が出てしまった。今思えば、焼失した物・移築された物・解体された物・似て非なる建物に改修された物等、幾多の変遷をみる建物が数多く掲載されている。同時に、当時の建物保存に関する動向を、一般向けに理解しやすく記しているのでこの点でも大変ありがたい。
・・・・・でも何で、何で交通事業者の発売なんだ!!!わからん!

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■ 06年07月05日(水)

第2回古財展のご案内[井上大藏]

(門司・古材倶楽部 代表 井上 大藏)

 昨年に引き続き、今年もまた北九州市の門司港レトロ地区で古財展を開催致します。今回は、門司・古材倶楽部が保管している旧門司三井倶楽部の古材の目録をみんなで作る参加型の企画といたしました。
 前回のように古材をただ眺めてみるだけではなく、実際に手に触れながら、古材一つ一つについて「戸籍」を作ります。
皆様のご参加をお待ちしております。
【 日 時 】 平成18年7月28日(金) am10:00〜pm3:00
【 場 所 】 北九州市 門司港レトロ地区の旧大阪商船ビル1階
【参加定員】 10名程度
【参 加 費 】 1000円
【連 絡 先 】 090-8571-4414(井上)
【プログラムの概要】
・古材調査に関する説明
・古材調査
・古材の利活用について

〜 門司・古材倶楽部とは 〜
 住民の街、門司を住みよい街にしてゆくこと。この実現には、豊かな門司の文化を育てる事が必要です。私たちは、これまで門司が継承してきた様々な歴史文化の中から、特にこの街の建築と建築古材に関わる事により、門司の建築文化の発展と継承を目指して以下の項目を掲げる団体です。
 1.歴史的建造物の古材の保存と活用を通じて、門司の建築文化振興資源としての可能性を確立する。
 2.門司の歴史的建造物と建築文化の継承に寄与し、発展を目指す。
今後とも、門司・古材文化倶楽部の活動にご声援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

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■ 06年06月12日(月)

文化財の修理報告書[井上大藏]

ここ数日、文化財の修理報告書に目を通しているけど、マニアックな世界だとつくづく感じる。

人によっては、修理報告書その物を目にする事も少ないし、目撃してもA4版で厚さ2cmもあれば読む気が失せるだろう。そもそも、建築の分野を基礎的に知っておかないと理解に苦しむ事になる。それでも僕が「読みたいな」と思う理由は、「綺麗に改修される前の段階を知る事で、(学問ではなくて)当時の現場での修理実態や思想を読み取りたい」と思うからである。

民家園などに赴くと、報告書を販売している事がよくある。いい値段することもあるし、時には何で?と思う位にギョっとする場合すらある。専門者向けの物を用意する事は学問として必要だけど、民家園は博物館だから300円〜500円程度で、一般の人でも理解できるような修理の解説冊子みたいな物があってもいいと思うのだが、これが無い。報告書を冊子レベルで作ると、以外に売れるような気がするが、如何だろうか。

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■ 06年06月07日(水)

生い立ちと文化[井上大藏]

少々、私の生い立ちを。
私は、生まれてこの方、三十数年間ずっと京都に住んできた。そこに両親がいて、他府県への引越しが無かったから、少なくとも高校卒業までは、自然に任せてと言えるだろう。自宅から徒歩5分程度に銀閣寺があり、大文字の送り火を見る事は何でもない毎年の出来事だった。水路閣がある南禅寺は沢蟹取りの名所であったし、平安神宮や北野天満宮は「神社って、こういうのが普通だ」というようなイメージがあった。人物との関わりでは、小学校の同級生に林屋辰三郎氏と養子縁組関係を持った者がいる。母方の実家は、南区羅生門町。そう、平安京の羅生門のあった場所。父方の実家は麩屋町二条。これは京都市役所の北側で、京町家の仕舞屋。これが私にとっては、自然の環境。ごく普通の事。しかし、これを話すとき、一方では妬まれる事もある。『文化が傍にあっていいね』と。

歴史好き・考古好きが転じて建築にきた。建築で伝統に興味を持った時、京都が特異な存在である事を再認識する事になった。一般論として"日本で伝統文化のあることろ”と問えば、やはり京都や奈良と言われるだろう。私個人の感想を言えば、"日々伝統文化に接して小学校時代を過ごしていました”と言うのは苦笑いでしかない。それ程、自然の事でした。

文化や文化財制度に接して、理解すればする程、際立って京都・奈良や東京が特別視されている事がわかります。これは、文化財の指定件数という数値によっても表現できるし、指定制度においても同様なのです。これらの思考は、『文化財学』という学問に類しています。関東で生まれた学問です。これを少しかじりつつ、大阪・泉佐野の物件や福岡・北九州の文化財古材の話、岡山の古民家の制度の話へと展開されています。

ここ数日のジャーナル文章で、私の寸足らずな表現が要らぬ誤解を生んだようで申し訳ない気持ちで一杯です。大建築界の、小さな文化財分野の、隅っこで展開されている話の一端と捕らえて頂ければ幸いです。

おまけですが・・・
私は、文化財の制度や応用に関しては、「京都だからできる事と、京都だからできない事」の2つが常に存在してると考えています。

文化や文化財の制度を創設するのは、京都(奈良・東京)の方が作りやすいでしょう。理由付けができますから。しかしそれを応用する段階になると、京都では伝統のイメージが付き過ぎていて難しい。
私が、北九州の文化財古材についての展開を契機と考える理由は、“京都だからできない事”故なのです。

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■ 06年06月05日(月)

今日は制度的な話[井上大藏]

今日は制度的な話。

指定の制度は、単純な様で複雑です。文化庁での審議会を経て、審議結果を文部科学大臣に答申し、官報による告示で指定が完了する。構図としては単純なのだが、実は審議会に上るまでが大変なのだ。例えば"確認申請を行う”時と同じような話である。施主と話し、工務店と打ち合わせ、行政と摺り合わせて『これでいけるだろうという状態』の上で確認を出す。同じように、建物を実地調査し、近郊において類似した項目の指定物件が無い事を確認し、建物においての特異性を建築学的に評価して文章化し、附帯資料を収集し、所有者の同意を得つつ、都道府県の担当部署や市町村などの地域行政と連携した歩調で、中央官庁と打ち合わせる。その中で、『これでいけるだろうという状態』になった時、審議会に挙げるのだ。
これらを一度に同時に行う事は難しい。だから、まず都道府県や市町村の文化財に指定し、『都道府県等の指定文化財』である事実を基礎にして、中央の審議会に挙げる。これを、指定者が変更される為 都道府県 → 国 への「指定替え」と言う。

今回の旧大国家住宅は、この「指定替え」により、国の重要文化財になった建物である。
実地見学による平面構成の複雑さや細部の造作が痕跡などが目視できる事、文献や家相図等の基礎資料の多くが残存している事、更にはこの家の先祖が該当地方において名の通った画家である事なども大事な情報の一部です。これらの情報+報告書により審議・指定されているのは大前提です。

建物を"文化財”にする制度はこれで十分です。
が、しかし今、問題視されているのは、指定後の運用と維持そのものです。

調査を行い、審査の後に指定される。このプロセスには問題はありません。
一方で、文化財の調査と審議は、その関連する方々の立場によっては、単に行政手続の1段階でしかない場合もあります。これも行政的には問題ないでしょう。手続きは段取りです。

今回、旧大国家住宅は未修繕の段階での見学でした。私は、未修繕の文化財指定の家をいくつも見ています。中には民家園に移築されたはいいけれど、その後の手入れが無い物すらあります。報告書を作り、頑張って指定にまで持ち上げた物件です。さればこそ、(如何なる再生法を採用するかはさておき)放置せざる得ない現状を芳しく思わない人の感情は少なくないと察しがつきます。
一方で、昨今の社会は、文化財の保存と活用を試行錯誤して方法を見出そうとする動きもあります。

私が記しておきたいのは、指定後の運用と維持が後に行政に委ねられる事が前提(乃至は推測されやすい)の場合その方策を事前に練り上げておく必要があるのではないか・・・という事であり、活用と維持の方策を盛り込んだ指定制度のあり方を検討する事が必要ではないかと言う事です。

その中で、建物としての特徴を文化財として表現できるならば御の字だと思います。

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■ 06年05月29日(月)

私から見た大国家住宅[井上大藏]

遠足からの帰宅直後、体調を崩した。最近になって特に悪くなり、持病ともいえる喘息が治まらない。今日は少々気分が良いので記すことにしよう。

柳沢氏も記している大国家住宅についてである。今回は制度について。この住宅について、広大の三浦研により調査報告書が作成されているのは柳沢氏の前述のとおり。
現在、この住宅は国指定重要文化財である。
平成11年に和気町の指定文化財となり、平成12年には岡山県の指定文化財に昇格している。
その後、所有は個人から和気町に移っている。これらの状況を総合すると、当初の予定としては岡山県の文化財で落ち着かせる予定だったのだろう。ところが、県指定の予備調査の結果で『国指定も可能かも』という感触と、所有が公有となった為に将来の修理維持費の県や町負担が増大する事から、国指定を目指す事になり、三浦研の本調査に至った可能性が非常に高い。当然、活用の為の基礎資料としても調査されている。
裏付けは簡単で、平成16年2月の調査報告書発行・・・・同年7月に国指定重文となっている。調査報告書の発行を待って国指定を行った感が非常に高いのだ。
こう記すと、指定が単純な行政判断と事務的方法によって行われているように写るかもしれない。しかし小さな行政にとって、所有する文化財への経費の支出は実は頭痛の種であり、それが現状なのだ。

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■ 06年05月13日(土)

フェリーの貯水量[井上大藏]

久しぶりに書き込み。フェリーに初めて乗った事は以前に記した。
その時に思った事は、フェリーの貯水量について。
私が乗った門司行きの船は、総トン数約9800トンで旅客営業定員は697人。+αで航海関係者がいる。とすると、700人強の人員は乗船するわけでだ。この人数の水の使用量と貯水量が気になった。一体ぐらいの量を積んでいるのだろう?もちろん、男女別の大浴室完備。お湯はスーパー銭湯のような気軽さで使える。時間も17時〜24時と6時〜8時の2回設定されている。また、レストランの厨房は、旅客定員にも対応できる広さと能力を備えているとしたら、洗浄の為の上水も相当量の確保が必要なはずだ。他、調理用や便所・洗面の水量、飲料用の確保も考える相当量になるはずだ。循環浄化もあるのかな?
更には、汚水用の水槽も必要な訳で・・・。
いやはや、実はフェリーの機能に驚いて乗船していた次第である。

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■ 06年05月01日(月)

フェリーにて[井上大藏]

29日の夜、初めてフェリーに乗った。大阪南港〜新門司港間。12時間の旅。
時間的に余裕がある場合は、夜行バスよりも確実に快適。お風呂もあるし。普通の食事もできるし。船内では、市との協議の最終チェックを行った。いざ寝ようとしたところ、同行連れが「今後の活動について話し合おう」と声を掛けてきたので受ける。気がつけば午前0時。もう瀬戸内は真っ暗。気が張り詰めているセせいか、眠れない。思案に耽りながら、デッキに出て風を受けつつ時を過ごした。思えば、建築の分野は幅が広い。こういう事で九州を頻繁に訪れようよは、人生で思いもつかない事だった。

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■ 06年04月29日(土)

あ〜っ、緊張する![井上大藏]

あ〜っ、緊張する!
文化財古材の件に関し、これから九州に行って明日行政当局と調整を行うのだが、むちゃくちゃ緊張している。自分自身に、とてもとても余裕が無いのが丸わかり。ここ暫くの間、この状態が続いている。
こういう時は、どうすりゃいいんだ?

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■ 06年04月23日(日)

エルビスの住宅[井上大藏]

世の中、便利になったものだ。
新聞社が、ニュースをネット配信してくれる。しかも、読みたい関連記事のみをセレクトできる。
大変ありがたい。
そんな記事に、目を通しているとエルビス・プレスリーの話が出ていた。
エルビスが1年間過ごした、米テネシー州メンフィス住宅が競売に出品され、愛好家のユリ・ゲラー氏も競りに参加したようだ。勝てなかったみたいだが。

私としては、家がオークションに出品される事にも驚いたが、“文化とは一体何ぞや?”と自問自答が始まってしまった。

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■ 06年04月20日(木)

門司・古材倶楽部[井上大藏]

 月末の日曜日、私は指定文化財の古材活用に関し、一つの重要な決断を下す事になるであろう。私は門司・古材倶楽部の代表として、北九州市と折衝を行う予定である。戦後の文化財行政の中で、民間の活動団体が指定文化財の古材活用を行う事は、唯一無二の状況で稀有の事態なのだ。今後の指定文化財の活用展望が、私の決断と双肩に掛かっていると言ってよい。
私の後ろに学識系指導者はいない。最終的責任は、私にある。

これに関わり、早2年が過ぎた。
某大学の先生より「知人の相談を受けてほしい」との連絡があり、受諾したのが切欠である。
出会いとは、不思議なものだと思う。

本音を記す事は出来ない。
ただ、・・・本件を考える時、いずれも急に息が苦しく体の全体が過敏になったりダルクなったりする。眠れない。動悸も起こるし、熱っぽくなる。だから、一方で必要以上に考えないように、自分の意思を不自然にコントロールしている。

 先にあるのは、行政ではない。反響の全て、想定外も含めた文化財の文化に関する全てである。・・・その為に代表は、出来る限り最大限の“考察”しておく必要がある。

私は、別件で山田氏にこの事を話した事がある。その時は、“配慮”(=考察)という言葉を使用した。意は伝わったかどうか不明だが、私よりは若年の敬への助言であった。

私に、今回の動機を決心させたのは、実は山田氏の一言である。
氏の「あなたは何がしたいのか」という問いかけは、“結果を残せ”との意味を含んでいた。
結果、私の背中を押す事になる。この場を借りて、山田氏に感謝の意を表しておく。

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■ 06年04月19日(水)

「Red Bull」と旧閑院宮邸[井上大藏]

今、「Red Bull」を飲みながら書いてる。
言われているような健康被害の話は、多量の服用を行わなければ大丈夫なので心配していない。ただ、単純に味に拘るなら関西人には受け入れられないだろう。私自身は、この味OKであるが。先行というよりは、試行発売だな。

「Red Bull」を飲んで眠気が覚めたので、もう一分張り。
最近、京都御苑内の旧閑院宮邸が修理・竣工した。開所にあたり修理結果の説明会に参加したが再生事例としてはもう一つ気概に欠ける感がぬぐえなかった。御苑の展示施設としての宮邸は、なかなかの力の入れようで、従来の歴史資料館や博物館とは確実に切り口の異なる京都御苑解説があって、大変好評である。私自身が知りたい内容も含まれていたし満足。
御所の一般公開の影響もあって、大変な人波。驚いていたのは、環境省と国民公園協会の職員。何を目指して是ほど人が来るのか・・・と、思惑以上の人並みに大変驚いていたのが印象的だった。

ふむ・・・空になっても、においはスゴイぞ!

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■ 06年04月18日(火)

どうでもいい事かも知れないけど・・・[井上大藏]

 どうでもいい事かも知れないけど、ふと書棚を見つめると「「京」まちかど西洋館」(1983年5月発行)という全50ページの冊子に目がとまった。実は、この冊子を18年前に京都市営地下鉄:御池駅の自動販売機で500円で買っている。忘れもしない、この一冊。この一冊から、私の歴史好きは建築物という具体例を意識しだしたと言ってよい。現在となっては、焼失している物・移築された物・名称が変更された物・所有者が変わった物・・・等々、流転以前の状態がそこに記されている。
 赤レンガに興味があって、自動販売機で書籍を売るスタイルに興味があって、ボタンを押したこの一冊が、まさかここまで長い付き合いになろうとは・・・当時思いもしなかった。
 月日が経って、薄く黄ばんだA4白黒版の冊子である。現在発行されている同分類の書籍からすると、いかにも貧弱で見る影なしのものである。しかし、私にとっては内容以上に、存在する事が嬉しい一冊なのだ。不思議なものである。この冊子を手にすると、何故か今もワクワクするのだ。

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■ 06年04月17日(月)

神戸地方裁判所[井上大藏]

私の机のすぐ脇に、「写真集 神戸地方裁判所」という書籍がある。
神戸地方裁判所。一時、よくテレビに映る事があった。その時、いつもこう思っていた。
何だ、この皮のようにへばり付いた外観は・・・・・と、いう個人の感想である。
http://www.courts.go.jp/kobe/index.html

そこで気になったのが昔の状態。探してみると、なかなかこれが見つからない。
ある時、神戸元町を歩いていて(三宮センター街だったと思うが)、古本屋を見つけた。
ふと入って目にしたのが「写真集 神戸地方裁判所」の文字。発行は神戸新聞社。見てびっくり。大変立派な建物である。戦時の空襲で屋根が落ちた為、見た目少々貧弱であるが、元は明治33年の竣工。明治の気骨が感じられる建物だ。そのなってくると、現代のものは容積確保の為としか思えない。多分、事実だろう。

書籍の編纂も面白かった。編集は神戸弁護士会。建築とは、かけ離れた方々。しかし・・・仕事場である裁判所を記録にとどめたい・・・との動機から発行に至っている。その為、「写真集」の域を超えて、れっきとした建築作品の作品集に仕上がっている。残念な事に2000部の限定発行。
しかも、バーコードではないので、流通範囲は狭いだろう。
気になった建物に対して、このような形で出会えた私は果報者といえよう。

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■ 06年04月16日(日)

久々に大嘗祭[井上大藏]

久々に大嘗祭の話。
大正及び昭和の2代にわたる、大嘗宮域の図面を所持している私が研究に取り掛かって早8ヶ月。多くの時間のかかる物件の話が、私のところに届くのだがこれもその一つ。今まで儀式について、さして興味を持たなかった私である。取り掛かりで書籍を調べたが、現在流布している大方の書籍は太古からの由緒と権威及び近世までの古事が中心で国史が多い。大嘗祭及び大嘗宮について書かれた、建築空間系の書籍に出会わないのだ。宮の意味合いや行為については、理解できるのだが・・・・・どうも建築系のメスは難しいようだ。
しかし、「完全の無」という訳でもなくて、例えば伊勢神宮に大嘗宮は存在する。よって、神社建築や神道的見地からのアプローチは存在するのだ。ただ、天皇即位における近代の大嘗宮の解析が、皆無に等しいという事である。
理由は、大筋で把握している。
 1.近代における天皇制について。つまり、神聖儀式である思想的見地。
 2.当時の宮内省における式後の資料処分問題。つまり、式後に速やかな資料処分の指示があり、現存しない資料が存在するという状況。
 3.式に関する公的書籍は発行されているが、儀式の詳細が目的であって建築学的記述が少ない。

この3点から、近代の即位に関する大嘗祭の建築的解析は行えなかったと私は推察している。
という事は、私がこの3点を整理しなければ、研究が進められない事を意味している。

一方で、資料の文化的価値を如何に見定めるのか・・・・これも避けては通れない話だ。当然、これらの話は一人では抱えきれない。よって、相談する相手が必要なのだが、これがまた難しい。相談相手の思想も受ける事になるし、相手が他分野の研究者であればフィールドとする学会内部での力関係にも影響する。返す刀で私にも影響する。慎重に、且つ慎重で大胆に動く事にしよう。

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■ 06年04月12日(水)

大谷石[井上大藏]

グウタラな我輩が、比較的にマジメに取り組んでいるのが写真の整理。
今だ続いている栃木・日光の整理だが、実は宿泊地は宇都宮であった。宇都宮に着いて、まず目に付いたのが「餃子」の文字。しかも"宇都宮餃子”の多いこと。どうも、宇都宮が餃子の発祥の地らしい。餃子で町おこしを行っている行政にも微笑ましさを感じた。
もう一つ目に付いたのが、大谷石の話。ライトの帝国ホテルに使用された大谷石の出産地が、実は宇都宮なのだ。駅の観光案内所に行って思い出したのだ。案の定、大谷石に関する資料館が採掘場に存在しており、急遽予定に組み込んだ。・・・その為、予定より1泊多くと泊まる事になったが。

どうも、大谷は徳川幕府の影がチラツク。実は、大谷は日光街道の筋に当たる。当然、先の日光には家康の東照宮が存在する。また、大谷の集落内にある阪東三十三カ所の札所(大谷寺)は、徳川家康の長女・亀姫という後ろ盾がいた。更には、大谷石の利用した確実な記録が1600年代初期まで遡れるという事実も無視できない。何やら徳川幕府との見えない繋がりがありそうだ。

宇都宮へ行く機会があれば、ギョウザ店へ行くといい。もとい、大谷資料館へ行くとよい。
なぜなら、そこに小規模ながら石造の町並みが垣間見れるからである。

写真は、大谷石で作られた瓦

ちなみに・・・・宇都宮2泊の間、食べ物は全て餃子!
餃子6個(ライス付き)で320円。実に、これがよく売れてる。こっちで言う牛丼屋感覚なのだ。

おまけ・・・・ドクターペッパーあったーーーー!! 感激。

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■ 06年04月09日(日)

写真の整理[井上大藏]

資料の整理で、最近特に気にかかること。それは写真の整理だ。
先日の資料収集で、デジカメを使った。私は、その後ファイル名に場所・年月日・掲示内容を書き込んで整理を行っている。多くの人はフォルダ名で行っている作業だが、私はファイル名で行っている。
・・・数百枚撮影できるデジカメだが、これは大した手間ではない。むしろ、現地では気がつくかなかった細部にこの時点で気がつくことが多いからだ。これは大変重要な要素なのだ。

私が気にしているのは、むしろフィルムカメラで撮影した写真である。これを何とかデジタル化したいのだ。ただ単にデジタル化するのは、たやすい事。私が希望するのは、"使える”写真で残す事である。写真を撮り始めた頃の写真は、技術が未熟で絵が見切れていたり斜めになっている"使いにくい”絵が多いのだ。これを使える絵にして残したいと思っているのだから、無謀かもしれない。皆は、どうしているのだろうか・・・?

どこかのメーカーが、現像写真を高速でスキャンする機種を発売していた筈だが、当時は高くて手が出せなかった記憶がある。何かいい手は無いものかな〜と思いつつ、今日も日光の整理を行っている次第である。

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■ 06年04月05日(水)

でかい注連(しめ)縄[井上大藏]

今日は、何故か気分が大変いい。
先日の九州行きで、福岡県の宮地嶽神社に立ち寄った。
そこに民家苑があるのだが、その前に参拝したところ・・・・・でかい注連(しめ)縄が目に飛び込んできた。
出雲大社(長さ8m、重さ1.5トン)も大きかったが、比ではなかった。
なんと、直径2.5メートル、長さ13.5メートル、重さ5トンの日本一。

横から見ると、こんな感じ。
十分に安全である事は言うまでもないが、見ようによっては命懸けの祈願だったりして。

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■ 06年03月29日(水)

群馬と栃木行き[井上大藏]

福岡からの帰宅も覚めやらぬ24日夜、群馬・栃木に向けて夜行バスに乗車。
行き先は前橋、それと日光。
前橋では、学会群馬支所主催の講演会 「旧富岡製糸場と世界遺産」に出席した。
実際、去年現地を訪れて私は世界遺産への取り組みについて知りたいと思っていたのだ。
そこに近日になって、東北大学名誉教授の芹沢長介(考古学者)さんの訃報を耳にした。
これは相沢忠洋記念館に行けという事だな・・・と思い立ち、群馬へ。
館長の相沢千恵子氏(故忠洋氏の夫人)と暫し歓談する。

群馬へ行くなら隣の栃木県日光にも・・・と、いう気になった。
日光二社一寺は、小学生の頃から行きたい場所でもあったので約25年の悲願達成である。
日光といえば、やはり東照宮陽明門だろう。
見て愕然としたのは、その小ささである。イメージ以上に華奢で小さい。
しかも、キンキらキンで「派手」をイメージしていたが、実際には輝度が無く明度のみによる綺麗さであった。どうやら、技巧による演出も「派手」のイメージを助長しているようだ。

最後に、嬉しかった事がある。
絶滅していたと(勝手に)思い込んでいた“Dr Pepper”が宇都宮で発売されていた事だ!
20種類以上のフルーツフレバーのブレンド。なんとも言えない、このノド越し。大好きである。
買い溜めして、京都にお持ち帰りしてしまった。

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■ 06年03月22日(水)

九州国立博物館[井上大藏]

京都に戻ってきた。さすがに、ラーメンを暫く遠慮しよう。屋台は基本600円。相場のようだ。

今回の旅では、やはり九州国立博物館(九博)が目を引いた。
まだ、整理が追いつかないので写真のアップはできない。大宰府天満宮の東側に位置して、山をひとつ隔てた場所にある。人道専用のトンネルで繋がっていた。
この見せ方はMIHOミュージアムと似通っている。ただ、九博の方が何というか・・・華やかでる。
いつかはアップしよう。

ちなみに・・・・・
国立とは言っても実際に「国立(国の設置・運営)」ではなく、独立行政法人の付属機関。行政改革で国の元を離れていった他の国立博物館と同枠の施設。国立の名称を使う理由は、基本構想が出来上がった当時、他の国立博物館が文部省直属の付属機関であった事に由来する。現在は、言わば称号のような物なのである。

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■ 06年03月19日(日)

またまた福岡です[井上大藏]

夜の天神を徘徊する。もとい、福岡のラーメン屋を食べ歩く。
とんこつ・細麺・青ねぎ・チャーシュー1〜2枚。これがベースで450円程度。
店によっては、紅しょうがや高菜がカウンターにあった。観察すると、客によってはこれを麺にトッピングしていた。試してみると、わかる気がした。

細麺のように、細く長く体力を維持しつつ今日は歩いた。移動に一番時間がかかったのが吉野ヶ里。着くと午後四時。で、閉館が5時。1時間で面積約 58ha (国営公園約 27ha 、県立公園約 31ha )の内、主要部分をのみを踏破する。それでも資料的価値を失わない収集をしようとすると目一杯だった。
よくよく考えれば、吉野ヶ里はJR佐賀駅(佐賀市)から電車で約12分の距離。それでも、福岡・博多へ帰っていく私。旅行前に佐賀市の観光情報を把握くしての結果である。私には今回縁がなかった。いずれ、有田や唐津には行くであろうから、その時の楽しみにしておこう。

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■ 06年03月18日(土)

いま福岡です[井上大藏]

本日は文章だけ。
今、九州は福岡にいます。何故かと言うと、例の古材の所有権整理の関係で北九州で打ち合わせのため。せっかくだから、福岡まで足を伸ばしました。
朝5時に小倉入り。
3時間ほどミーティングの準備して、9時30分から打ち合わせ。終了したら15時30分だったから約6時間も必要だった。その後、JRで移動しつつ2箇所の重文建築を訪れました。神社建築の香椎宮と筥崎宮の本殿です。詳しい事は帰郷後にしましょう。

で、なぜ福岡かというと・・・九州国立博物館と吉野ヶ里公園を訪れる為です。
以前から訪れたかった吉野ヶ里と、大宰府天満宮・観世音寺と並び開館4ヶ月で100万人突破した九州国立博物館の建物を見に行きたいな・・・と。
あと、20日夜までこちらに居るので博多ラーメンは必ず食べて帰ろうと思っています。

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■ 06年03月12日(日)

中書島の遊郭[井上大藏]

11日、伏見区は大手筋へ。
近年の発掘調査で、伏見城跡(城下町)の状況が判明してきており、その現地説明会に赴く。古くは、約500年前の室町期まで遡れるそうだ。

その帰りがけ、中書島へ。寺田屋・酒蔵の町並み・濠川と、お決まりのコースを歩く。
そういや・・・昔、中書島は遊郭だった・・・と思い出した。
ならんで・・・遊郭の建造物、今は無く・・・との情報もよみがえった。
そういう情緒を感じつつ、何気なしに歩を進める。と、目に写った一軒の建物。

現役の営業は行っていないと思われるが、新地であった頃の風格を漂わせる貴重な存在だ。他面で中書島は、明治43年の京阪電車開通と大正3年の市電の延長により、伏見の南玄関としても発展してゆく。多分、この銭湯はその頃の建物だろう。


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■ 06年03月11日(土)

デジタルカメラ[井上大藏]

建築で写真を撮る行為は欠かせない。当然、小なりともカメラに興味を持つ事になる。
昨年まで私は、キャノン「EOS Kiss 3」にタムロン「AF28-300mm Ultra Zoom XR」の筒を載せていた。当然、一眼レフで28o広角と300oズームを楽しむため。広角は必須。
昨年末、コンデジに切り替える。リコーの「Caplio R3」。R3の問題は置いといて・・・、コンデジでありながら28-200mmが使用可能は大変な魅力。当時、コンデジで28o広角はリコーの独占市場。他は、キャノンの「PowerShot S80」くらいだった。比べて、いまやパナソニックも参入し機種も多くなり、選択に幅が出てきた。
そのような中、今年になって脅威の一台が最近お目見えした。コンデジで23oが撮れるコダックの「EasyShare V570」の出現である。広角では後発のコダックが、23oで切り込んできたのだ。近く、コンデジの広角(28o)は、標準装備になるのではなかろうか。

一眼で鍛えた私の技術は、コンデジの使用方法に少々ギャップがあって使用に悪戦苦闘。幾度も、富士のネオ一眼「FinePix S9000」に寝返ろうかと思いつつ、金銭的に挫折する。右手で支える本体のグリップが6センチ位あって、私に持ちにくかった事も原因の一つ。他方、最近のデジタル一眼では、フィルムカメラのレンズを同じoで転用可能な機種もお目見えした。

そんなこんなで、もう少し「Caplio R3」でがんばろうと思う。ただ、いずれセカンド利用になる事だろう。

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■ 06年03月05日(日)

所有権整理[井上大藏]

いやはや・・・・所有権の整理というものは学ぶべき点が多い。
九州で文化財指定を受けた歴史的建造物の古材の所有権整理の話である。
2年弱前から関わっていて、今年、所有権整理に着手した。
立場が変われば当然理解の方法も異なるのが自然で・・・対極ならまだしも、複数の立場が存在する。どうなることやら。今回の場合、古材を中心に囲んで3者のトライアングル状態になりそう。
こうなると、古材を利用する技術屋とは別で、事務屋の思考回路も必要である。
・・・・でなければ、収まる場所が見えてこない。
主張の折り合い合意ではなくて、整合点の手探り合意。
日本で始めての指定古材の活用も見据えているので、五里霧中の合意点探しともいえる。
先の楽しみな動きが展開できそうだ。

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■ 06年03月04日(土)

旧川上貞奴邸[井上大藏]

先日の名古屋行きでは、久々に白壁地区を歩く。
名古屋城の東南東方面に展開するこの地区に、初めて足を向けたのは約8年前。
年々町がきれいに整備されて、積極的な文化によるまちづくりが感じられる地域である。
この地区の一角に、「文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)」がある。
近年になり、同地区内で移築修理された建物。
大正9年竣工のこの建物は、「日本の女優第1号」と言われた川上貞奴と、「電力王」と言われた福沢桃介が居住していた。

設計と施工は、洋風住宅専門会社の「あめりか屋」。
米国住宅のデザインを採り入れた和洋折衷の建物で、東西に長い建物の東側に洋風建築様式が採り入れられていました。入口から奥の建物西側部分は和風の部屋。
当時はもとより、現代でも眼を引く建物である事はまちがない。

ちなみに、川上貞奴は明治32年(1899)サンフランシスコやパリで女優「貞奴」として初めて舞台に立った人物。フランス政府から勲章を授かる。
また、「オッペケぺー節」で有名な川上音二郎の妻でもある。
オッペケぺー、オッペケぺー、オッペケペッポーペッポーポー♪
高校時代に近代日本史を選択した人は、自由民権運動で一度は耳にしたはず。
福沢桃介は福沢諭吉の娘婿。名古屋を拠点に木曽川水系の電力開発に乗り出した人。

旧川上貞奴邸.JPG

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■ 06年03月02日(木)

名和昆虫博物館[井上大藏]

この形式になって記すのは初めてで・・・。これからもヨロシク。
今年早々、1月に名古屋と岐阜に行ってきた。
主は、名古屋市美術館で開催中の「名古屋近代建築運動史の群像T武田五一」の見学。
他、幾つか名古屋市内を巡って岐阜市に立ち寄るコース。岐阜市では、名和昆虫博物館を訪れた。博物館施設として『記念昆虫館』と『昆虫博物館』があり、設計者は共に武田五一。
『記念昆虫館』は明治40年、『昆虫博物館』は大正8年の設計。
『昆虫博物館』では、大正期の唐招提寺修理で取替えられた柱(古材:オリジナル)が現役の柱として再利用されている。文化財の古材に注目している私は、これを見に行った。
副館長に案内いただくと、古材(柱)は12本譲られているとの事。
あるものは柱に、またあるものは通常非公開の『記念昆虫館』内の白蟻観音六角堂や天皇御座所の化粧材等に使われていた。・・・が、説明を受けた数では12本に至らない。
何処へ・・・と聞き、確かと指差された場所を見ると未整理の資料の中に置かれている姿が。転用されないままの、初心な姿でご対面である。なんとも、意外な新鮮さをかもし出していた。

記念館や博物館でありながら、建物としてはとても小さくて華奢なつくり(木造・煉瓦造)。しかし、もともとのデザイン力が優れているので、「岐阜公園内」というイメージ・環境が加味されても、遜色なく建物を楽しめるのは、やはり武田のパワーであろう。
さながら、『記念昆虫館』は洋風小住宅を思わせる。

記念昆虫館

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■ 05年12月07日(水)

大嘗祭について[井上大藏]

久しぶりにHP見てみたら、柳沢氏の連載。
漬物みたく、チョコと記します。

今夏、昭和天皇と大正天皇の大嘗祭に関する原図を含めた図面や手記を入手した(・・・事は以前に記したかもしれない)。まず、大嘗祭って何?と、言う事から初めて先賢の著書を探しては読んでみた。
祭りの構造については、理解ができたけど、こと大嘗祭に関し肝心の建築空間構成について書籍が皆無に等しいのに驚いた。当代一度きりだし、関連書類は焼却処分されるので、原則図面が世に出る事はないからだ・・・当然資料は少なくなる。
建築史学として、この方面に手が伸びてないのも素直な状況だ。

考えてみれば、究極の仮設建築物だ。
昭和の場合を例にすると、書籍によれば回廊なども含めた大小殿舎20棟程度が、祭りの7日前に建て始め、3日前に作り終え、終了後は直ちに解体されている。数字上、4日間で建てている事になる。昭和天皇は、祭りの14日後に東京に向かわれているので、最短命で17日の存在。しかも当然国費なので、ふんだんの材料と資金を使っている。

とても、特異な建物と言わざる得ないようだ。

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