JOURNAL

■ 06年04月16日(日)

久々に大嘗祭[井上大藏]

久々に大嘗祭の話。
大正及び昭和の2代にわたる、大嘗宮域の図面を所持している私が研究に取り掛かって早8ヶ月。多くの時間のかかる物件の話が、私のところに届くのだがこれもその一つ。今まで儀式について、さして興味を持たなかった私である。取り掛かりで書籍を調べたが、現在流布している大方の書籍は太古からの由緒と権威及び近世までの古事が中心で国史が多い。大嘗祭及び大嘗宮について書かれた、建築空間系の書籍に出会わないのだ。宮の意味合いや行為については、理解できるのだが・・・・・どうも建築系のメスは難しいようだ。
しかし、「完全の無」という訳でもなくて、例えば伊勢神宮に大嘗宮は存在する。よって、神社建築や神道的見地からのアプローチは存在するのだ。ただ、天皇即位における近代の大嘗宮の解析が、皆無に等しいという事である。
理由は、大筋で把握している。
 1.近代における天皇制について。つまり、神聖儀式である思想的見地。
 2.当時の宮内省における式後の資料処分問題。つまり、式後に速やかな資料処分の指示があり、現存しない資料が存在するという状況。
 3.式に関する公的書籍は発行されているが、儀式の詳細が目的であって建築学的記述が少ない。

この3点から、近代の即位に関する大嘗祭の建築的解析は行えなかったと私は推察している。
という事は、私がこの3点を整理しなければ、研究が進められない事を意味している。

一方で、資料の文化的価値を如何に見定めるのか・・・・これも避けては通れない話だ。当然、これらの話は一人では抱えきれない。よって、相談する相手が必要なのだが、これがまた難しい。相談相手の思想も受ける事になるし、相手が他分野の研究者であればフィールドとする学会内部での力関係にも影響する。返す刀で私にも影響する。慎重に、且つ慎重で大胆に動く事にしよう。


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