JOURNAL

■ 06年06月07日(水)

生い立ちと文化[井上大藏]

少々、私の生い立ちを。
私は、生まれてこの方、三十数年間ずっと京都に住んできた。そこに両親がいて、他府県への引越しが無かったから、少なくとも高校卒業までは、自然に任せてと言えるだろう。自宅から徒歩5分程度に銀閣寺があり、大文字の送り火を見る事は何でもない毎年の出来事だった。水路閣がある南禅寺は沢蟹取りの名所であったし、平安神宮や北野天満宮は「神社って、こういうのが普通だ」というようなイメージがあった。人物との関わりでは、小学校の同級生に林屋辰三郎氏と養子縁組関係を持った者がいる。母方の実家は、南区羅生門町。そう、平安京の羅生門のあった場所。父方の実家は麩屋町二条。これは京都市役所の北側で、京町家の仕舞屋。これが私にとっては、自然の環境。ごく普通の事。しかし、これを話すとき、一方では妬まれる事もある。『文化が傍にあっていいね』と。

歴史好き・考古好きが転じて建築にきた。建築で伝統に興味を持った時、京都が特異な存在である事を再認識する事になった。一般論として"日本で伝統文化のあることろ”と問えば、やはり京都や奈良と言われるだろう。私個人の感想を言えば、"日々伝統文化に接して小学校時代を過ごしていました”と言うのは苦笑いでしかない。それ程、自然の事でした。

文化や文化財制度に接して、理解すればする程、際立って京都・奈良や東京が特別視されている事がわかります。これは、文化財の指定件数という数値によっても表現できるし、指定制度においても同様なのです。これらの思考は、『文化財学』という学問に類しています。関東で生まれた学問です。これを少しかじりつつ、大阪・泉佐野の物件や福岡・北九州の文化財古材の話、岡山の古民家の制度の話へと展開されています。

ここ数日のジャーナル文章で、私の寸足らずな表現が要らぬ誤解を生んだようで申し訳ない気持ちで一杯です。大建築界の、小さな文化財分野の、隅っこで展開されている話の一端と捕らえて頂ければ幸いです。

おまけですが・・・
私は、文化財の制度や応用に関しては、「京都だからできる事と、京都だからできない事」の2つが常に存在してると考えています。

文化や文化財の制度を創設するのは、京都(奈良・東京)の方が作りやすいでしょう。理由付けができますから。しかしそれを応用する段階になると、京都では伝統のイメージが付き過ぎていて難しい。
私が、北九州の文化財古材についての展開を契機と考える理由は、“京都だからできない事”故なのです。


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