JOURNAL
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■ 11年05月07日(土)

5/29,日暮雄一さんスライド会[柳沢究]

スライド会、今月もやります。

講師は、西アフリカの魅力的な土の建築を撮り続けている写真家の日暮雄一さん。
日暮さんが行う東日本大震災へのチャリティ・スライド会の一環として、
東京からお越しいただくことになりました。

内容については案内の写真を見ていただければ、説明不要かと思いますが…

地面が隆起したかのごとき土の建築群、
そのバックグラウンドとなる風土や人々の生活、建設技術、
撮影時のエピソードなどなどなど、伺えるのがほんとうに楽しみです。

どうぞ奮って、またはお気軽にお越し下さい。


詳細は下記よりご確認ください。

>> スライド会「美しき土の造形(たてもの)」

こちらも是非御覧ください。
>> 2004年の日暮さんスライド会のダイジェスト

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■ 11年04月20日(水)

「南ドイツで見たこと考えたこと」畑中さん[柳沢究]

4/17(日)の久しぶりのスライド会は、参加人数20名強で、ほぼ会場のキャパシティいっぱい。満員御礼です。

常連のメンバーに加え、初めての方では、トヨダヤスシさん、啓明社の戸田都生男さん、棲咲舎の荒井圭一郎さん、滋賀県大や京都建築専門学校の学生さんなど。畑中さんがドイツで知り合い、現在京都で日本語を勉強しているというドイツ青年ウリさんも遊びに来てくれました。
山田協太氏も久々の登場。

講師はなんと7年ぶり(!)2回目の登場の畑中久美子さん。

タイトルは「南ドイツで見たこと考えたこと」


前回は僕が神戸芸工大に着任してすぐの頃、キャンパス内に不思議な土の建築をつくっていた畑中さんに出会ったのがきっかけです。
その後、畑中さんはコツコツと版築の研究に取り組みつつ、同時に祝島の練り塀や篠山での灰屋ワークショップなど、「土」を軸とした幅広い活動を展開していきます(「地域再生としての『土』」)。

スライド会では、そうしたこれまでの取組みから始まり、昨年度彼女が文化庁芸術家派遣制度で訪れたドイツの環境建築設計事務所の話、現地でみた建築についてなど、2時間にわたりお話しいただきました。

神楽岡のスライド会は、質問タイム無しの会場からの即時ツッコミ方式なので、面白い話にはどんどん質問が飛びます。今回は、ドイツでの仕事経験もある久住鴻輔氏がヒートし、話題を展開しました。畑中さんの下宿先の壁の構造からマイスター制度、設計事務所所員の給料まで。
畑中さんと同時期にドイツの工房へ修行にいっていたマエダ木工の前田くんも、話に厚みを加えてくれました。

個人的に印象深かったのは、めちゃくちゃ忙しいと言いつつ17時にはキッチリ仕事を切り上げる事務所のスタイルや、ひろく社会的に共有されている(と思われる)環境意識、「地域熱源」という仕組み、版築の上にコンクリートスラブを積んでしまうという(ホントか?)Martin Rauch邸の話など。

畑中さん、ありがとうございました。

神楽岡スライド会、しばらく続く予定です。
次回・次々回と、写真家の日暮雄一さん、トヨダヤスシさんのスライド会を計画中。

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■ 11年04月02日(土)

4/17,畑中久美子さんスライド会[柳沢究]

ひさしぶりのスライド会、やります。

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講師は、昨年度、文化庁新進海外芸術家派遣による
ドイツでの一年の研修を終えられた畑中久美子さん。
神楽岡でのスライド会は2004年以来の2回目となります。

ドイツの環境共生建築の話はもとより、
事務所での仕事のスタイルや、旅のおはなしなど
さまざまな興味深い話題が伺えると思います。

どうぞ奮って、またはお気軽にお越し下さい。

詳細は下記よりご確認ください。

>> スライド会「ドイツで見たこと考えたこと」

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■ 09年08月09日(日)

報告:佐藤敏宏さんワイワイ会[柳沢究]

8/7(土)8時より(実際にはフライングして7:30から飲み始めた)、佐藤敏宏さんを囲むワイワイ会+プチレクチャー「お前の家は俺の家!」が開催されました。
オフィスビルの中にブルーシートを敷いた会場に、佐藤さんにインタビューされたメンバーを中心に30人超が集まる賑やかな会となりました。飲み物・食べ物持ち込み制だったので、ほとんど花見宴会状態。


オフィス最上階を貸し切った特設会場


レクチャー前のワイワイ


プチレクチャー開始


佐藤敏宏とは何者か、「ことば閲覧」とは何ぞやという話から、「建築は路上だ」を実践した温泉街パフォーマンスの話、建ててから25年経って初めて話したという自宅のこと、「1000」という形のプランをした予算一千万の千万屋、日の丸をモチーフにしたというRCの住宅の話、「お前の家は俺の家!」実践である星座型居住の話などなど。
たぶんこれまでにどこでも話されたことのない(本人がそう仰ってたので)貴重なトピック満載でした。

佐藤さんは建築作品を語る時に、妙にダジャレ的な発想や説明を強調するのだけれど、いずれのプランも、軽薄さとはほど遠い厳格な構成的プランで、遺跡のような建築的魅力がたっぷりという印象。たぶん構成の発想が先というか核にあるに違いないのだけど、それをもっともらしい理屈で「正当化」するのを避けるために、あえてダジャレにするというのが、佐藤さんの人柄なんだろうと理解しました。

レクチャーの最後には「ことば閲覧 in 京都」の被インタビュー者が順番に、それぞれ言葉を閲覧された感想述べる。ふだん理路整然としたコンセプトをビシッと語る若手建築家が、佐藤さんに躱され梳かされした感想を素朴に話している様子が面白かった。
感想タイムを設けようとしたら、「そんなの二次会できくよ〜」ということで、そのまま20人くらい連れだって二次会へ。一部の人は、そのまま朝まで。

佐藤さん、インタビューを受けたみなさん、お疲れ様でした(佐藤さんはこれからばりばり文字お越しでもっと疲れそうですが)。

「ことば閲覧 in 京都」の記録やワイワイ会の様子・感想は、佐藤さんのサイトに、続々とアップされています。

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■ 09年07月18日(土)

佐藤敏宏さんワイワイ会[柳沢究]

ひさかたぶりの企画、やります。

RADさんと合同開催で、福島の建築家・佐藤敏宏さんを囲む、スライド会ともレクチャーとも飲み会ともつかぬ会、「ワイワイ会」です。


>> 神楽岡+RAD合同企画: 佐藤敏宏ワイワイ会+プチレクチャー『建築とか』


佐藤敏宏さんは建築家なんですが、ホームページを見てもらうとわかる(わからない?)ように、きわめてユニークな建築活動=生活を展開されていて、今回はその一つ「ことば閲覧」のインタビューで京都に来られます。

柳沢もいちおうインタビュー対象に入っていて、本企画の主催の一人でもあるんですが、実は佐藤さんには未だお会いしたことがありません。どうなるんでしょう。

会はきっと、いろんな意味で、面白いことになりそうです。
是非遊びに来てください。
飲み物・食べ物は「持ち寄り制」です。

あと、会場もなかなか面白い場所です。
今回はいつもの神楽岡ではなく(注意!)、五条河原町にあるオフィスビル最上階をまるまる貸し切ってやります。

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■ 09年03月18日(水)

ちょっとご挨拶[柳沢究]

神楽岡の活動、現在あれこれ企画を温め中ですが、今後も京都における建築・ものづくりに関わる人々の結節点となるような、公式・非公式のイベントを不定期に開催していく予定です。

こちらのブログ(JOURNAL)については、これまで主に代表・柳沢の活動報告を発信してきましたが、今後は主にイベント企画時の案内と結果報告を中心として更新していきます。
また、神楽岡主催でなくても何か興味深いイベントがあれば、随時情報を載せていきたいと思ってます。

神楽岡の常連たちは今や多くが一人親方となり、各方面で活躍の場を広げています。その詳細については、是非、FELLOWsのプロフィール(およびこのページの右側のリンク欄)からリンクしている各氏のオリジナルサイトやブログをご覧ください。

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■ 09年01月07日(水)

謹賀新年2009[柳沢究]

新年あけましておめでとうございます。

今年はインド牛写真を活躍させる12年に一度の大チャンス!と、年賀状製作には個人的にたいへん気合いが入りました。年末進行のさなか、牛写真の選定に数時間を費やしたにもかかわらず、結局連れ合いの意見に押し切られ、昨年産まれた娘の写真がメインに採用。インド牛は、宛名側に小さく載るだけに(こんなの)。

さて、サイトでの報告がすっかりご無沙汰ですが、神楽岡では、年末の忘年会・新年の餅つきと、恒例行事を執り行いました。

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こちらでも、子供の存在感が増してきています。忘年会会場、ラトナ・カフェの一画には授乳コーナーが開設されていました。3人はあたりまえ、4人目、という人もちらほら。

神楽岡も8年目ということで、私自身も含め、独立開業をしている人が大多数となりました。幸いなことに(?)、超実体経済に即した小規模事業主なので、大不況の波を直接に体感することは少なく、少子化問題もどこ吹く風。

そんな子供ばっか作って大丈夫なんかという不安もないではないですが、物体の質量は大きい方が安定して運動する、という力学の法則を信じて頑張りたいものです。
(加速度を増すためにはより大きな力が必要となりますが、それが「頑張り」の問題)

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■ 08年08月07日(木)

土嚢建築のマンダラ[柳沢究]

スライド会再会第二弾(暑さ対策として、急遽近所の氷屋さんに頼み氷柱を導入!)、渡辺菊眞氏による「土嚢から建築へ」のスライド会は、流麗かつ怒濤・特濃、「立て板に土石流」という感じの2時間でした。

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スライド会の様子


土嚢シェルター開発者(カリーリNader Khaliliというイラン系アメリカ人建築家)のアイディアとその限界性について評価を加えながら、8年にわたる土嚢建築の試み、さらなる建築的展開への構想を、惜しみなく披露していただきました。また、技術面を担われた天理の河口さんによる試行錯誤の話は、現場の中で技術が育っていく様が生き生きと感じられるものでした。
(土嚢建築の写真などは、Dのサイトでたっぷり見ることができます)

渡辺菊眞氏は僕にとっては、布野研の先輩であり、また京都CDLの運営委員長として、僕の建築に対する考え方に、とても大きな影響を及ぼしてくれた方です。
(以下、不遜を承知で書きますが、)渡辺菊眞氏の建築が発する迫力は、独特の造形言語はもとより、恐るべき稠密さで構造化された空間構成によるところが大きく、さらにその空間構成の徹底ぶりは、「建築の中にマンダラを内蔵させることが自分の職能だ」と自ら断言するように、建築空間を宇宙的秩序(あるいはもう少し身近な言葉で言えば、「認識のレベルが一段上がった場所」)へ接続する回路として実現しようとする、強固な意志に基づいています。(マンダラとは、端的にいえば「宇宙的秩序と人間との媒介装置」であるから、その意味では「建築をマンダラ化する」と言い換えてもいいと思う。そう言ってたかも)。
このような考え方自体は古くからある建築観でもあるし、僕も大いに「共感」もし「憧れ」もするのですが、実践するのはなかなかに難しいこと。
渡辺菊眞氏のすごいのは、この信念というか姿勢というか立脚点が、活動に具体的に活かされつつ、かつほんとうにブレるところがない点です(時々に変奏はあるようですが)。
足下いまだおぼつかない僕なんかは、それを見るといつも、頭が下がるやら背筋がのびるやらの思いで一杯になるのです。


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冷房用の氷柱と門藤氏

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■ 08年07月09日(水)

神楽岡のスライド会[柳沢究]

この間の日曜、森田一弥氏のスライド会は、今後の活動の広がりを予感させる魅惑的なキーワードも披露された、約2時間にわたる迫力のプレゼンテーションでした。

実に1年4ヶ月ぶりのスライド会とあって、また今ノリノリの森田氏の講演とあって、常連職人メンバーの他、東京からやってきた臼田さん、学芸出版の中木さん、神戸から畑中久美子さん、神戸芸工大院OG・石井さん、安井さん他、様々な方が参加してくれました。ちゃんと話せてない人も多いのだけど、ちょっとご紹介。

まず、布野研の先輩・渡辺菊眞氏、後輩の魚谷繁礼氏。お二人ともすでに建築家として激しく活躍中で、次回・次々回の講師をお願いしている。詳細はまた後日お知らせしますが、とびっきり濃い内容になることは間違いない。

修学院の建築論で学位をとられた京都大学田路研の田中明さんは初参加。今年2月の博士論文公聴会がたまたま僕の公聴会と同日で、その時初対面。発表直前の緊張ピークな時間を共有した関係でもあります。5月になって、SSSで協働している小澤雄樹先生の事務所で、たまたま再会。そんな縁もあって、今回遊びに来てくれました。田中さんのスライド会も企画中です。

他に、チベットやラオスで学校や図書館の自力建設をされている、「建築旅人」(と名刺に書いてある)の鈴木晋作さん。バックパッカーとして同じ匂いを感じます。活動の話を詳しくまた伺いたい。
「宮殿師(「くうでんし」と読む。「宮殿」は厨子など仏像を納めるとこ)」の市原聡志さんも、初めて来てくれた方です。「宮殿師」なんて仕事があったのか、というのが率直な感想です。モノがあれば当然それを作るヒトがいるわけですが、そもそもモノ(「くうでん」)を認識していなかった。そういう風に見過ごしてるものは沢山ありそうです。ちなみに市原さんに頂いた名刺はクスノキ製で、擦ると樟脳の香がします。なんとも。


建築系の講演会にもいろいろありますが、小さなボロい町家を会場に、講演と懇親会がシームレスに繋がりかつエンドレスに続くのが神楽岡のスライド会の特徴です。
そのような場所で、建築家とか設計者だけでなく、幅広く建築に関わる方々とじっくり酒を飲みながら話せるのは、なかなか他では得られない機会であることよと、主催者がいうのも何なんですが、久々のスライド会で改めて実感しました。

こう書くとなんだかすげぇ男臭い会みたいに勘違いされそうで、それもあながち間違いではないのですが一応フォローすると、参加者の半分くらいは女子です。それと、エンドレスで飲んでるのは一部です(僕は最近早々に潰れますが)。大半は終電までに帰ります。怖がらないでください。

そんなスライド会も今年で6年目、今後も息切れしない程度に続けていきたいと思ってますので、興味のある方は、是非気軽に遊びに来てください。
毎回の案内は"What's NEW"のほか、メーリングリストでも配信しています。

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■ 08年06月19日(木)

スライド会再開など[柳沢究]

神楽岡スライド会、一年半ぶりの再起動。
今月からはしばらく、京都を中心に活動する若手建築家シリーズとしてお送りする予定です。

再開第一弾は、スペイン帰りでますます絶好調のラテン系、森田一弥氏によるスペイン建築事情の報告です。
どうぞふるってご参加下さい。

>> 「08年07月06日 スライド会:スペインの建築事情から左官技術まで

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■ 07年03月26日(月)

スライド会の様子[柳沢究]

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3/25のスライド会の様子。

鈴木健太郎氏所有の丸太が山積みになっているため、いつにも増して密度が高い神楽岡。そこへ30人超の来場がありたいへん賑やかな状態に。
土間・床・丸太と三段階の床レベルからなる立体的な観賞空間となりました。

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■ 07年01月04日(木)

餅つき[柳沢究]

3日:恒例企画となった餅つき。
今年はご近所の方やちびっ子達やスイスからの留学生(町家の保存を研究)も含め、20人くらいが集まりました。

路上にイスを並べ、一斗缶のコンロに2×4材の薪をくべ、羽釜で米を蒸し、代わる代わるに餅を搗く。そのかたわらで、ちびっ子たちは神楽岡裏庭にある露天風呂(製作:樋貝・山田両氏)にフリチンで飛び込み、しばらく裸でそこら中を走り回っていた。その時あたり一帯には「昭和」の雰囲気が実に濃厚に漂い込めており、通りがかりの人々も思わず足を止め、引き込まれていったのでした(黒豆やお焼き、抹茶の差し入れを頂きました。ごちそうさまです)。

餅の出来映えはなかなかよし。一昨年→去年のような革命的前進(前日から米を水に浸すことの発見)は無かったものの、着実に進歩している。

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■ 06年12月27日(水)

秋の遠足5・百済寺[柳沢究]

12:00
1時間半近くも見ていたのに、全然時間足りず。門藤氏なぞは自転車を借りて公園内を走ろうよー、などと言う。そんなことをしてたら、今日の遠足はここで完結ではないか。
名残惜しくも、青年の城を出発。
走り初めてすぐ、車の一台のタイヤに故障が発生したため急遽ガソリンスタンドにピットイン。近所の回転寿司で食事。

14:00
第三目的地、湖東三山の一・百済寺に到着。
紅葉の名所ということでもの凄い人出でした。

 

百済寺は、まず参道がよかった。
なだらかーに登り、緩やかーにくねる、土の道。両脇に木々が並び、程よいスケールの石垣が道に沿う。これまでに見てきた中でも、ワンノブザベスト参道である。


そんな参道を登ること20分。息が上がりかけてきたところで、本堂につく。石段の突き当たりから一旦曲がり、一段上がって境内に入るアプローチがにくい。


庭園。池を中心とした庭園が建物と築山によって囲いこまれていて、箱庭に入ったような空間感覚が独特であった。水谷氏は手入れが悪すぎると酷評。とにかくすごい人出で落ち着けなかったのは残念だったけれど、まるでベルトコンベアーのごとく人の流れる様に、「回遊式」庭園の真価(?)を垣間見たのでした。

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■ 06年12月26日(火)

秋の遠足4・青年の城2[柳沢究]

論文モードのエンジンはようやく暖気されてきた感じです。
遠足報告はだいぶ間が空いてしまった。年内完結を目指して駆け足で行こう。


 

左:飛び出した3階部分からピロティに舞い降りる螺旋階段。
  こういうの学生の頃作りたかったんだよなぁ。
右:ちょんぎられた青年のシンボル=「青年の塔」


  

左:トイレ。トップライトに注目。ピンクなのは女子用だから。
中:廊下
右:螺旋の階段室。螺旋の中心の吹き抜け部分に蛍光灯を配したポールが吊られている。
  とっても簡素で経済的なデザインなのだが、実に格好いい。
  のぞき込むとこんな感じ


飛行機のジェット・エンジンを彷彿とさせるエントランス。
脇にはさりげなくあの人が佇む。さすが滋賀。


丸窓に群がり喜々としてカメラのシャッターを連射する一行。ほとんどアイドル撮影会。
職員の方の怪訝な視線も気にせずに。

時代のデザイン傾向をあまりに濃厚に反映しすぎたがゆえ、「青年の城」を眺める目には、昔の記念写真アルバムを開く時のような、ある種の「笑い」がつきまとわざるを得ない。建設から40年も建っていることだし、塔の解体に代表される設計上の破綻も少なからず目に付く。
とはいえ、そのデザインの密度には目を見張るばかりである。時代がかった細部のデザインに目が行きがちであるが、平面計画もとてもよく練られている。
「青年の城」という施設は如何なる建築であるべきかを問い、それに対して、「使い手にまかせます」とかいうスタンスではなく、設計者自らが徹底してデザイン的に答を出していくという姿勢は、(たとえそれが誤答であったとしても)敬意を表してしかるべきものだと思うのである。

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■ 06年12月24日(日)

忘年会2006[柳沢究]

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23日、2006年の神楽岡忘年会を恒例のラトナカフェにて開催。
初めての方からお久しぶりの方まで、いろいろ忙しい年末に皆様お集まりいただきありがとうございました。今年は何やら目出度いことも多く。2001年からやってるから今年で神楽岡は6年目というわけですが、さて来年以降どうなっていきますか。

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■ 06年12月04日(月)

秋の遠足3・青年の城[柳沢究]

9:20
近江神宮を出発。寝坊した庭師・水T氏は、二日酔いで完全にグロッキー。僕の運転だと酔って吐きそうだから、自分で運転するとのことで運転手交代。実は僕も二日酔いだったのでありがたい。
途中、石山寺付近に鮒寿司の名店があるとの情報を元に商店街をさまようが、結局発見できず。なんのこっちゃ。

10:40
そうして第二目的地、青年の城に到着。あらかじめ見学の申込みをしていたら、職員の方がわざわざ資料を用意して配ってくれた上に、たいへん丁寧に館内を案内してくれました。

「青年の城」は、「滋賀県希望が丘文化公園」内の一施設である。
頂いた資料(「希望が丘文化公園:建設の記録」滋賀県企画部発行、1976年)によれば、この公園は1968年の京大西山夘三研による報告書「滋賀県における文化公園の構想に関する基本調査研究」に基づいて計画された。東海道新幹線や名神高速の開通などにともない激変しつつある国民の生活様式、それにふさわしい新たなるレクリエーション施設とは如何なるものか、というのがその研究テーマである。報告書では3つの敷地についてケーススタディが行われ、その中から現在の希望が丘地区が選定され、実施に移されたのである。具体的な敷地計画、施設設計は、当時京大助教授であった上田篤の指導のもと、都市科学研究所(中島龍彦)が行っている。竣工は1972年。
以上、基本情報。

青年の城を訪れると、まずはその敷地の広大さに驚く。琵琶湖の東南にある丘陵部の山麓・谷間部に830haにおよぶ広大な敷地が広がっている。すぐ北に東海道新幹線、すぐ南に建設当時は計画中であった名神高速道路が走っており、ここらへんが敷地選定に際して大きな決定要因となったのではと推測される。実際、車であれば大津から30分もかからない。高速を使えば京都からもすぐだ。敷地は山に囲まれ、広大な芝生が文字通り見渡す限り広がっていて、なかなかに贅沢な場所。

 

玄関から入ったホール(と、そこに何故かそびえたつダビデ像)。設計主旨の文章によれば、この2層の吹き抜けとなった線状の空間が「みち」、そこに接続する研修室や宿泊室などの諸室が「いえ」とされ、全体が「まち」に見立てられる。だから照明も街灯風だし、空のように明るいガラス屋根で覆われている。空に浮かんでるロケットみたいなのは、たぶん空調の吹き出し口。

 

左:
この吹き抜けにある、高さ10m近くはあろう巨大な鉄製の防火扉。たとえ法律上防火区画を設けなければならなくとも、決してこの「みち」を塞ぎたくはなかったと見える。制度と強固な意志の衝突から生み落とされる規格外のデザイン。
右:
かつてあった「青年の塔」へと登る入り口。なんだか可愛らしい顔をしている。塔は昨年10月に解体されたばかり。その理由は、老朽化(コンクリートの剥落があったとか)の他に、風で塔が揺れた時の振動がガラス屋根に伝わって、ガラスが割れてしまうことがあったのだとか。

うーん、いかん。この調子で書いてると終わりそうにないぞ。

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■ 06年11月30日(木)

秋の遠足2・近江神宮2[柳沢究]

 

一番下の段にある手水舎と二段目にある旧大津裁判所本館車寄(現在の名前は「自動車清祓所」ということだから、車のお祓いをする場所になっているようだ。車路もそのまま残っている。かつての形態と移転先の事情を融合させた見事なコンバージョンではないか)。
どちらも四隅に3本の柱がL字形に配されているのが目を引く。このような柱の造形は寺社では初めて見た。スケールに比して妙にマッチョな印象はあるが、なかなかに格好よい。


外拝殿の袖部分。モデルは桃子嬢。柱の足下をつなぐ横材(部材名を何と言うんだったか、腰長押?)の高さが、腰をかけるのに丁度よい高さになっている。アンコールワットの窓も似たようなスケールを持っていたが、こういう使い手にフレンドリーなさりげない設計配慮は嬉しいものです。近寄りづらいイメージの寺社建築だとなおさら(ツンデレ効果)。

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■ 06年11月29日(水)

秋の遠足1・近江神宮[柳沢究]

2006年11月26日(日)に決行された、神楽岡秋の遠足(KAE)シガテラ・ツアーの報告です。春秋あわせて6回目の遠足。秋はこれまでの2回とも奈良でしたが、今回は矛先を滋賀に転じました。
さて行く先を検討してみると、意外といっては滋賀の方に怒られますが、見所満載。さしあたり今回は大津近辺と湖東にターゲットを絞りました。

8:00
出町柳に集合。天気は泣きべそ寸前の大曇天。
約一名が寝過ごしたのを除き、皆さんパンクチュアルに集合。今回の参加者は11名。2台の車に分乗し出発。途中、銀閣寺にて寝坊した庭師を拾い、山中越え経由で滋賀をめざす。


8:40

 

滋賀は近い。早くも第一目的地・近江神宮に到着。
近江神宮は皇紀2600年にあわせて造営された近代神社。祭神は大化の改新の立役者にして、飛鳥から近江への遷都を行った天智天皇。なるほど。
設計は明治神宮や平安神宮など近代神社の主要作の多くを手がけた角南隆と谷重雄。琵琶湖に面した山麓斜面を敷地を活かして、境内が階段状に構成されており、階段を上る毎に次の建物の門がせり上がってくるシーンの展開が参拝気分を高める。内拝殿から本殿にかけても同様の段状構成となっているらしいが、残念ながら通常参拝者はそこまでは見られない。
(写真は外拝殿の見上げと、外拝殿から内拝殿とその先の本殿を見る)


とはいえ外拝殿と内拝殿の間にある中庭も、宗教的空間として興味深い。
四方を建築に囲まれその奥に山を臨むこの空白地は(何らかの儀式に使われるという機能的な側面もあるだろうにせよ)、山中他界観的な聖地の原型を思い起こさせる。くだけて言えば、ここから天に向かって昇ってしまうような(あるいは、山の上から何かが降り立ってきそうな)垂直性を感じさせる場所、ということだ。中庭から一段と上がった内拝殿とさらに奥へと上がる登廊が、その感覚を煽る。周囲の廻廊は山中の木々の建築化と見なせよう。このような中庭をもった神社が他にあるかは詳しくないが、実に意識的に構成された聖性の演出手法である(ソーラーパネル付きの照明はご愛嬌)。
単に白川砂を敷き詰めただけの何もないスペースでも、こうすれば場に力が宿る。先だって見た龍吟庵の「無の庭」と比較すると面白い。

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■ 06年10月09日(月)

10/22のスライド会について[柳沢究]

 

たそがれは風を止めてちぎれた雲がまた一つになるような、すっかり秋の気配の京都ですが、いかがお過ごしでしょうか。

気がつけば早いもので、次回22日のスライド会は今年最後のスライド会となってしまいました。
(11月は恒例の秋の遠足、12月は忘年会)

今回の講師・稲岡稔氏は、京都工業繊維大学建築学科在学中にパリ・ラ・ヴィレット建築大学に留学し、卒業後は個性派ものづくり集団・三角屋にて勤務しつつ、各国でアート制作活動を行ったりと幅広く活躍されている方です。

スライド会では、アーティスト・イン・レジデンスで滞在したインド、ルーマニアでの日々を振り返り、自身のインスタレーション作品や制作の周辺状況、現地の現代アート事情などについてお話いただきます。

>> 詳細はWhat's NEWをご覧下さい。

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■ 06年06月17日(土)

春の遠足4 後楽園と流店[柳沢究]

遠足ラストは後楽園とその中の流店。

 

曲水宴の建築化といえばそれらしいが、要は、建物の中に川流しちゃえという、なんともお大名らしい単純極まりない子供じみた思いつきを、実際にやってしまうことの偉大さ。素直な発想がこんなにも清々しいものを生むのかと驚いてしまう。「流店」という名前もいい。リュウテン。

ところで、このような実際に住んだり使ったりできない建築を、短い訪問時間の間に味わうには、少し想像力がいる。たぶんそれは人それぞれにやり方があるんだろうけど、僕の場合は、月夜の晩にここで酒を飲んだら…というのと、ここで人目を忍ぶ逢瀬を待ったら…という二つのイメージ(妄想)を思い描くことが多い。これをやると、建築をググっと自分の体に引き寄せて感じることができるのです。ぜひお試しを。

そんなこんなで後楽園に日は暮れて、岡山を後に。
帰京後は京大近くの中華料理で打ち上げして解散。とても充実した、実に遠足らしい遠足となったのでした。

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■ 06年06月16日(金)

春の遠足3 吉備津神社[柳沢究]

遠足もそろそろまとめてしまおう。

3つ目は吉備津神社。あいにくと数年にわたる屋根の檜皮葺替え工事中で、本殿には覆いがかけられていたけれど、事前にお願いして現場の中を見せてもらった。これまた貴重な体験である。
吉備津神社は外観からして大艦巨砲の戦艦っぽく、ガンダム心がくすぐられるものがあったが、覆いの内部はまさに兵器製造ドックの趣き(実際に修理ドックなんだけど)。

 

「檜皮がないようだが…」
「あんなの飾りです!偉い人にはそれがわからんのですよ!」

いやいや…


ちょっと真面目な話もしておこう。
吉備津神社の構造形式(比翼入母屋造あるいは吉備津造と呼ばれる)は他に比類のない独特の形状ということだが、何故この形状が生まれたのかというのは、手元の文献を見てみてもよくわからない。
本殿の平面は、三間社流造(下鴨神社のような形で、最も一般的な神社建築様式の一つ)の内陣・内々陣の周囲に、庇が二重にまわった入れ子状の構成をしている。
これを素直に立ち上げ屋根をかけると、やや庇の長い入母屋になると思うのだが、ここでは何故か棟が前後に細胞分裂している。双子だ(奥の棟は内々陣、手前の棟は朱の壇の上部にあるようだから、両者を同等に扱おうとしたのかという想像もできるが、さらにその前方に拝殿がズコーンとくっついてくると、もうよくわからない)。
断面は断面で、拝殿から奥にすすむにつれ床が上がり、その最上段に内々陣があるという、まことにヒエラルキカルな構成をもつ。
つまり吉備津神社は、平面は入れ子状、断面は階段状、そして立面(屋根)は双子の同形並置、というそれぞれ異なった構成原理を組み合わせて空間がつくられているという、何とも不思議な建築なのだなぁ。


檜皮葺き替えの様子。数年かけて材料を調達しながら直していくというのは、あらためて考えると凄いことである。


ガンダムで思い出したけど、岡山にはとんでもないモノがあったようだ。事前に知っていたら絶対遠足に組み込んだのに、残念。
制作者のインタビュー(←インタビュアーの質問が妙にマニアックで面白い)

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■ 06年06月06日(火)

6/25のスライド会[柳沢究]

今月のスライド会には、建築家+左官屋=森田一弥氏が久々の登場です。
森田氏がつい先月訪れた、モロッコはマラケシュでの熱い体験を数々のスライドともにお話いただきます。

■日時:
2006年6月25日(日)19:00〜

■テーマ:
「モロッコの左官職人 〜石で磨くマラケシュの漆喰技術〜」


詳しくはWhat's NEWをご覧下さい。

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■ 06年06月02日(金)

旧大國家住宅について・追記[柳沢究]

なるほど文化財指定にもいろいろ大変な裏側があるようで。
事情はよく知らないけれど、仮にお金が目的で国指定にしたのだとしても、文化財を維持・管理していくためにコストがかかるのは当然のことであって、指定のプロセスにどこぞの審査のような不正や問題がない限りは、少しも非難されるべきものではないですよね。


ところで、旧大國家住宅が文化財として認められた理由というのは、調査報告書によれば、(1) 比翼入母屋造という極めて特殊な屋根形状をもつこと、(2) 創建以来たびたび行われた増改築の経緯を示す資料が豊富に残っていること、の2点である。

(1)の単に他に例を見ない特殊な造形だけでは、珍しいね、というだけで、あまり意味がない。保存や調査に値するとすれば、その特殊な造形がもの凄く魅力的な空間を生んでいるか、あるいは、その特殊性が形成されるに至ったプロセスから一定の一般性を持った知見(当時の社会状況や建築技術、住宅観など)が導き出せる/出せそうな場合のどちらかである。大國家の場合、この点を(2)が保証している。

大國家の空間的魅力に関しては、悪くはないがそれほどでもない、というのが正直なところ。民家としてのプリミティブさであれば箱木千年家に及ばないし、柱梁架構の美しさ・迫力では吉島家日下部家が勝る。
しかし大國家が面白いのは、たび重なる増改築の結果、内部空間がえらく込み入っている点だ。比翼入母屋造という非常に複雑で象徴的な屋根をわざわざ作っているくせに、屋根形状と内部構成が全然対応しておらず、柱があるべきところに無かったり、台形に歪んだ部屋があったりする。母屋の隣にある蔵座敷の一階は、細かに仕切られた部屋が複雑に組み合わされ、まるで畳の迷路空間である。一体何を考えてこんな家をつくったのか、理解に苦しむほどに錯綜している。
大國家の増改築が、当時盛んに信奉されていた「家相」に大きく影響されていることは分かっており、方位等を書き込んだ増改築計画図面が何枚も残されている。しかし前近代の建築を機能性だけで説明することができないのと同じく、実際に住まわれる住居の空間を「家相」だけで読み解くのは現実的ではないだろう。今後、残された資料により詳細な検討が加えられれば、これまでにない当時の住居観や生活像が見えてきそうである。

昔は一軒の家を建てたら、火事で燃えたり地震で崩れてしまわない限り、時々の要求に応えるための増改築を重ねながら、何代にもわたり執念深く住みこなしてきたと考えられる。大国家はその痕跡を今に残す希少な事例という点で、価値ある「文化財」なのだ。
そもそも建築とはそのように増改築されながら使われ続けるものである(かどうか)、という議論はひとまず置いておくとしても、時代を経て複数の人間の手が加えられてきた建築の方が、ある時代に一人の人間が考え完成させた建築よりも、時に魅力的であることはよくある話。新築が難しくなり、今すでにある建物を如何に使うかがテーマになりつつある時代において、旧大國家住宅はなかなか示唆に富む建築ではないかと思うのである。

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■ 06年05月25日(木)

春の遠足2 旧大國家住宅[柳沢究]

旧大國家住宅というのは、閑谷学校からほど近い和気町尺所にある。吉備津神社本殿と同じ「比翼入母屋造」というえらく凝った屋根をもつ、一風変わった民家だ。創建は1760年という。

 →ぐるぐる動く旧大國家住宅

初めて本格的に実測・調査されたのが2003年(広島大学三浦研究室による。←なんだかとても楽しそうな研究室)、その調査報告を受けて国の重要文化財に指定されたのが2004年。このように文化遺産として整備され始めたのがかなり最近のことなので、建物は内外ともほとんど修復されておらず、あちこちに傷みがみられる。しかしそれが逆に、一つの住居が二百数十年の間住まわれ続けてきた(平成14年まで実際に大國家の人が住んでいた)ということの、厳しさ生々しさを直截的に感じさせてくれる。これは綺麗に復原・修理され、一般公開されている民家からは想像しづらいものだから、なかなか貴重な体験であったと思う。

 

ちなみに、旧大國家住宅は通常一般公開はされていないけれど、事前に和気町の教育委員会に申し込めば、見学できたりできなかったり。

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■ 06年05月22日(月)

春の遠足1 閑谷学校[柳沢究]

たいへんご無沙汰しております。
3〜5月前半は「げのむ」の仕上げやら引っ越しやらが重なり、ヒーヒーでした(言い訳)。そんなこともありHPでの案内はできなかったのですが、この間の日曜日に恒例の「春の遠足」を決行しました。今年は閑谷学校、旧大國家住宅、吉備津神社、後楽園を巡る備前・岡山ツアー。滋賀県大・山本先生の飛び入りもあり、総勢20名の賑やかな遠足となったのでした。

まずは、閑谷学校
山間の道を抜けるとスカッと拡がる敷地、備前焼の屋根瓦と眩しいほどに白い漆喰壁が新緑に映え、何とも爽やかな風景。この爽やかさは、小高い山の懐に抱かれた平地というロケーション(風水的に選ばれたと聞く)もあるが、植栽のメリハリによるところが大きい。植物の繁茂しやすい日本では、ふつう建物周りは植物が全然なしの砂利敷か土、あるいは鬱蒼とした木々に囲まれてしまいがちなのだが。建物間の距離をほどよくとり、石塀や火除山、排水溝などの曲線が柔らかくめぐる。この澄明で端正な敷地計画には、ちょっと日本離れした感覚を感じてしまう。これは後楽園をも計画したという津田永忠のセンスなんだろうか。
ちなみに右の写真は昨年の冬に訪れた時のもの。緑の中に浮かぶような春と、周囲にとけ込むような冬。季節が違うと受ける印象はかなり異なるものの、どちらも見事に敷地と呼応していて驚く。

 

ちょうど我々が訪れたとき、地元の中学生と思しき子供らが、講堂に正座して(足の痺れに耐えながら)論語の復誦をやっていた。「子曰わく、過ちて改めざる、是れを過ちと謂う(子曰 過而不改 是謂過矣)」
講堂の床は入れ子になっている母屋の部分だけ、漆が丹念に拭き込まれ、鈍く光っている。火灯窓から外へほわーっと誘い出されるような感覚がある一方で、講堂の中心に意識がぎゅーっと集まるような求心性もあり、開放感と緊張感の同居した、まこと勉学に相応しい環境というべきか。

 

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■ 06年02月27日(月)

3/19のスライド会[柳沢究]

3月の神楽岡の案内を載せました。
詳細はこちらをば。

テーマは「ヨーロッパにおける“森”と“庭”の意味の変遷─整形式庭園からエコロジカル・プランニングまで」。
ヨーロッパの庭園史からランドスケープ・デザインの最新動向までを踏まえながら、「森」や「庭」というものが人間にとってどのような存在であったのか、またこれからどのような関わり方があるのか、というような話をしてもらいます。講師は神戸芸工大の同僚でもある九州男児・上原三治氏です。

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■ 06年01月26日(木)

22日の反響[柳沢究]

22日のスライド会については、コメントの他にも、

「絵に描いたような酔っぱらいが見られて楽しかった。…色んな意味で、稀に見る非常に楽しく興味深いスライド会でした」
「過去最高と絶賛のスライド会に酔っぱらいは絡むは、骨マニアは絡むは、絡む絡む。それらみんな含めてとても楽しかった」
「冷静に淡々と語る講師と、会場の乱れ具合のギャップがおもしろかった。 あんな、コントに出てきそうな酔っ払い、初めて見ました。いろんな意味で貴重な会を、ありがとうございました」

などなど、いろいろな方から温かい感想(フォロー?)を頂きました。ありがとうございます。とはいえ、そもそも自分が何をやってたかという記憶が断片的なので、あんま喜んでもいられないのですが。とにかくいい会になったということで…

…というような、普段書かないことを書いているのは、今月中に仕上げねばならない論文から逃げているから。あぁもう。

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■ 06年01月22日(日)

メディアとしてのミュージアム[柳沢究]

新年一発目のスライド会。
夕方から雪が降り出したためか、いつもより若干少な目の人数でしたが、それを補って余りある(むしろ何でこんな日にみんな来ないんだというくらい)面白い内容でした。

この日の講師・図師宣忠氏は京都大学で中世フランス史を専攻し、現在学位論文に取り組んでいる。僕と大学の同級生でもあるのだが、知り合ったのは実は一昨年くらいのこと。ゴリゴリの研究をやる一方で視野が閉じていなくて、自分の研究分野のことも門外の人間にわかりやすくかつ面白く話せるという、研究者だったら当たり前のようでいてなかなかできない事を、さらりとやる。憎い。というわけで、付き合いは短いのだけれど、妙に波長があって最近仲良くしている。

前置きが長くなったが、今回のスライド会は彼のサブ・テーマである「ミュージアムにおける恐竜の展示方法の変遷」をやってもらった。ミュージアムといいながら、建築のことはよくわかりませんといいながら、パノプティコンの絵からスタートするところが、さすが。近代のミュージアムは知識を分類整理し一望監視型の構造にはめ込むところから始まるという話から、近年の結論ではなく過程そのものの展示へ至る道筋を、熱烈な「恐竜愛」とともに語ってくれた。
詳しい内容は後で独立のコンテンツとして書き下ろしてもらう予定なのであまりふれないでおくが、世界をいかに把握し表現するかという方法には、様々な分野にわたって共通する時代的な構図がある。その大枠を意識しながら個別の差異を吟味するのが他分野の事を勉強する面白味の一つなんだと思う。

もうちょっと小さな感想としては、マニアはやっぱおもしれーということ。注いだエネルギーに比例した知識の厚みと熱がある。おかげで話を聞きながら酒がすすむすすむ。すすみすぎて途中からわけのわからなぬ状態に突入してしまったのは反省であるけれど。図師氏や参加していただいた方にはちょっと(だいぶ?)ご迷惑をかけてしまったようでスイマセン。でもそれも彼の話があまりに面白かったためと、寛大なるご容赦を願いたい(いつもはあんなじゃないんです)。

その様子については(自戒の意味も込めつつ)、参加者の一人であるカナヱさんの文章(と写真)をお借りしてお伝えしておこう。

「(スライド会は)二時間以上ノンストップの長丁場で、後半は氏の恐竜への深い造詣と愛を熱く語っておられたのですが、このあたりになると、私の隣で焼酎ビール割りを一人ガンガン飲んでおられた主宰者のQ氏をはじめ、約数名は完全に良い具合となっておりました。笑
Q氏の大きなしゃっくりが響く中、呂律の回らぬ口調で野次とも言える質問を浴びせられ、それに困りながらも一生懸命応える図師さん。彼の純粋な恐竜への思いは、酔っぱらい達の野卑な笑い声にかき消されていくのでした・・・嗚呼・・・。笑


  

写真左:スライド会の様子
写真中:酒盛り中
写真右:恐竜標本に興奮した酔っぱらい要員S氏が披露してくれた骨コレクション」

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■ 06年01月03日(火)

餅つき[柳沢究]

神楽岡として第2回目となる新年餅つき大会を決行。
道具は水谷さんがはるばる三重から運んできたケヤキ製の立派な臼と杵である。
昨年は餅米を前日から水に浸しておくのを忘れ、当日朝にあわてて水に浸したために、できそこないのおこわのような固いモチになってしまった。今年は準備万端整え、トッピングもきな粉、あんこ、ゴマ、大根おろし、納豆、バター醤油など、充実のラインナップで、完璧な出来映えであった。

終了後はパキスタン調査報告スライドを見ながら、まったりと飲み続ける。
実に正月らしい一日。

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■ 06年01月01日(日)

謹賀新年[柳沢究]

今年もどうぞよろしくお願い致します。

3日は11時から神楽岡前路上にて餅つきを行います。
2時頃からは、畑中&山本さんによるパキスタン地震調査報告スライド会も催します。
京都におられる方は遠慮無く遊びに来てください。

寝正月。早くあったかくならんか。

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■ 05年12月17日(土)

神楽岡忘年会2005[柳沢究]

例のごとく、朝は下鴨の現場から。
ここに来たときは毎週、この近所にあるしみずにて昼食。カレーうどんが定番メニューだが、関東出身でうどんを食べ付けない僕は、いつもカレーとじ丼を注文。カレーライスとは一味違う甘みと辛みで週一の楽しみ。

晩、ラトナカフェにて恒例の忘年会。

-42度の寒波大接近といわれていたが、ラトナの河本夫妻特製スパイス料理のおかげで、文字通り体ポカポカ。土間&吹き抜けの店内でもほとんど寒さを感じなかったほど。カレー4種に加え、トルコのニンニク入りヨーグルトやキョフテ、サンバル(南インドのやや酸味の効いたカレー)などを満喫しました。
メンバーはいつもの常連組のほかに、ダンメンの吉永さん(今度テレビに出演するそうな)、round-about(京都店)の山崎さん夫妻、コイズミの吉村くん、長岡京の植木職人・マツウラさん、日建のタクちゃん、芸工大OB・肥山くん等、えらい久しぶりの人も含め、30人強で店内ぎっしり。途中からポチテックの一行も加わり、二次会は奇天屋(戸田さん作の机がある)へ。ここは初めてだったが、かなりイイ。

忘年会の席では、ミクシィの話が結構でた。みんな活用してるんだなぁ。
そういえば、RSSの利用が浸透しつつある昨今、このジャーナルも遅まきながらMTを使ってブログ化しようと目論んでいる。試行錯誤のカスタマイズ作業は、論文や設計の合間の気分転換(逃避とも言う)に丁度いい。

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