「繭」は大正末期に建てられた建物で築後約70年を経ている。敷地は間口約6m、奥行き約50mという「ウナギの寝床」状の細長い形状であり、典型的な京町家の敷地である。しかし再生前のこの町家は事務所として改築に改築が重ねられかつての面影はなく、空間的な魅力は全く失われていた。増築部分の解体後は既存の柱、梁以外ほとんど使い物にならず、まさに骨組みだけの状態であった。
「町家」の跡形も残っていないボロボロの駆体は、古建具や古土、古瓦等よそで廃棄されたモノを寄せ集めて再生された。様式やスタイルとしての町家の再生ではなく、文字通り「町家の残骸」をつぎはぎした結果として現れたのが現代の町家「繭」である。
再生工事は可能な限り伝統的な工法に則って行った。土壁の技術の危機が叫ばれる中、現在ではほとんど行われない高度な左官技術に若手職人が挑戦している。また建築を学ぶ学生など多くの人々が、竹の壁下地編みや伝統的な顔料による塗装作業の作業に参加している。モノだけでなく、貴重な技術の伝承の場として現場は運営された。
| 2003.05.20 |