神楽岡工作公司
大ちゃん紀行「函館・札幌編」
1.  概要でおます! 4.  北大構内にて
2.  函館〜はこだて〜! 5.  終わりかい!
3.  札幌じゃん!! 6.
札幌じゃん!!(東京人風)
 「いかめし」をたいらげて、札幌駅に着いた。初めて会う“彼女”の事については概要に記した通りである。地元札幌で建物の保存・活用運動を主宰している彼女は、第一印象として小柄ながらも活発な感じを受けた。いい感じである。明日は、彼女の活動(NPO法人旧小熊邸倶楽部)拠点にしている旧小熊邸を見に行く事から始まる。北大の生協で、食事を試みるが時遅し。閉店時間が早い。少し離れている『すすきの』に繰り出して、いわゆる“さっぽろ”ラーメンをすする事にする。


 翌朝、いつものように散歩に出かける。北大近辺と構内(特に南方)を制覇する。朝食を生協で済まして、宿に戻り荷物を整理して再び北大正門へ。彼女や“彼女の知人”と合流し、いざ見学を開始する。車に乗り込みまずは“旧小熊邸”へ赴く。


旧小熊邸(外観)


 いかにもメルヘンチックなこれは、F・L・ライトの弟子で田上義也の作品である。メルヘンチックになったのには訳がある。概要を話すと、解体される事が決まりこれを惜しんだ市民有志が声を上げ、時の市長を動かして移転保存が決まる。しかしながら、移転地で構造材が新材になる等、従来の材料は1割程度の利用となってしまった。これが大きく影響している事は否めない。この出来事を決起に、再度建物を見直そうと活動を始めたのが上記団体である。今は喫茶店としても活用されているその場所で、3人でお茶しながら建物の改修・保存利用・本土と札幌の違い・住民意識・技術・建物形状・維持の仕方等について話し込む。時間を掛けた、ゆっくりした話ができた事が、大変うれしかった。


旧小熊邸(右:玄関と左:階段) 旧小熊邸(邸内の装飾)


 根本的に乗り越えられない、京都と札幌の違いは“時間”である。これは『千年のみやこ』とか言うある種の想像ができない『おばけ』が相手なのではなく、明治維新以降の『百数十年』という『実物』が相手なのである。だから、彼女たち曰く「食べる事が先だから、住む事(建物)はその後なの。」しかも時間に“実感”がある訳で「普通のもの・大した事ないものという意識が“特に”強い」との話である。だから、表現が適切でないかも知れないが「執着心がない」と言っている。これは我輩の推測だが、『ある種の恒久的仮設住宅(どっかで聞いたフレーズ!?)感』を住民は持ちえていそうだ。これは、通常の本土の町並みにある民家とは少し意を異にするように思う。


 昼になり、彼女達が「珍しい寿司屋がある」と言ったので、そこに行く事にする。行ってみると回転寿司であった!確かに珍しいネタもあったし、店も広かった。しかし・・・しかし、である。それ以外に何も無い。よくよく考えてみると、回転寿司が札幌にあるのが珍しい。北海の幸の多い北海道では、やはり本場の寿司屋が主流なのは当然の事で、高級品店のイメージは少ない。と言う事は、回転寿司の入り込むスペースは少ない。だから珍しい。珍しいから客が入るという訳だ。今後の動向が個人的に気になった。


 軽く、琴似屯田兵屋と札幌時計台について触れておこう。共に札幌をイメージさせる建物である。概要に外観を記したこの2件は、明治期の札幌を代表している。
 琴似屯田兵屋は、明治7年(1874年)に屯田兵例則の制定と同時に設営された。10間×15間の(150坪)に208戸建設される。1戸17.5坪の平屋である。4.5帖・8畳・居間兼台所の板間・土間・押入の構成である。座敷に天井は無い。屋根は柿葺き・外壁は板葺き。暖を取るのは板間のみという状況である。これではサブイ!サブ過ぎる!外壁内部側は土壁といっても、限度がある。当時の北海道のサブサは、現代の比ではないであろう。想像できない。


琴似屯田兵屋:内部(天井なし) 琴似屯田兵屋:内部(小屋組)


 札幌時計台は、正式名称「旧札幌農学校演武場」と言う。明治11年(1878年)に竣工したこれは、実は使用目的の時代毎に外壁塗装が変更されているようだ。大変驚いた!白の塗装はライトブルーやライトオレンジに、屋根は屋根も茶色やグレーになった時期があった。パネル展示された変遷を確認すると5つの外装が存在する。さらには、その塗装の折り重なった断面を科学の目で解析した断層パネルが展示されていて、大変興味深い。平成7年より約4年を掛けた保存工事による調査結果であるが、大変意味のある展示だ思う。小屋組みも特殊なようで、洋小屋組に属しタイバーという引張材を用い締張小屋と呼ぶ系統の小屋組みとの事。これは勉強になった。こんな形で、『修復』に触れられるとは思ってもみなかった。


札幌時計台:現在の周辺状況 札幌時計台:明治期の周辺状況


 街中を案内してくれている、彼女達にはホント感謝した!最近の札幌の若者達の動向も伺う事ができて、とてもいい刺激を受けた。当然の事ながら洋館やレンガ造の多い町である。空いているレンガ造の建物を利用してライブや劇場を運営している場所がある。写真がその倉庫で、外観と内部である。この日も、内部で準備作業をされていた。


倉庫の外観 倉庫の内部


 実は、我輩にとってこの旅は、大変重要な物であった。『建築やめちゃお〜かな〜』と思っていた時期の一部と重なるのである。真剣!その中でこの建物と出会った。秋野総本店薬局・蔵と出会った。函館編で記したように、『洋館ばっかりなんだろ!?っていう“確認”する感じ』のイメージと言う感情をこの建物が崩してくれたばかりではないのだ。私に『建築にもう少し留まれよ〜』と物言わず、そこに居ていてくれた感じを受けた。根付くと言う事が如何いう事なのか・・・。存在する事が如何いう事なのか・・・。この時期、何とか踏ん張れたのには、この建物の影響が大きい。ホントに感謝している。


秋野総本店薬局・蔵


 札幌の中心部にあって札幌時計台にも程近いこれは、明治の建物として旧北海道庁等の超有名な建物を除いて大変貴重な存在となっている。庶民の中で、街を見続けてきた建物である。だからこそ、力強いのかも知れない・・・。我輩が受けた影響力は、何処に存在するのか?我輩はやはり、『何としても根付くぞ!!』っていうその意地が嬉しかった。風雪に耐え、洋風・和風両方に属す事が許されないこの存在は、ここしか居場所が無かったのだと思う。ギリギリの瀬戸際に会ったのだろうな〜。後に戻れない・・・。それと歴史的背景やその住人等もそうであろうが、やはり『実態あるもの物』には適わない。その意味でも、直接、『訴えかけて説き伏せてくれた事』に感謝している。


 夕刻より、旅の目的の一つである北海道庁の役人や都市計画の仕事をされる方と面会する。詳しい内容を話す事はできないが、要は建物リサイクルや材料に関する内容である。当時、建設リサイクル法の適用に関し建物解体やリサイクルについて、どこも頭を悩ましていた時期である。古材バンクの会で活動していた事が注目されるのは、当然の事である。それなりに楽しい話ができた。その後、サッポロビール園で彼女達やその仲間と楽しい一時を過ごした。「幌の夜景を見に行こう」と言う事になり、夜のドライブへ皆と出発する。そして、札幌の夜は更けてゆくのでした・・・・・

資料として次の書籍を記しておく。札幌の建物見学には丁度いいと思う。
札幌の建築探訪」(編:北海道近代建築研究会)発行:北海道新聞社 監修:角 幸博



その4
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