神楽岡工作公司
大ちゃん紀行「東北編」
その1:ことはじめ / その2:中尊寺とみちのく民俗村 / その3:秋田行き


実は昨年、2度東北を訪れている。

1度は、この仙台・北上訪問であるが、もう1度の東北、それは秋田である。
時期は仙台・北上訪問の2月程前であろうか。
きっかけは、恩師の白神山地訪問に同行したものであるが、この付録として個人的に秋田の重要文化財を中心とした民家訪問と函館・札幌訪問も同時に行ったのである。

現在では、太平洋側を表日本、日本海側が裏日本と表現される事が多いが江戸期まではそうではなかったようだ。運輸海路としての発達と、朝鮮との通商交易にそれを照らせば一目瞭然であろう。なぜ日本海側が裏日本と表現されるに至ったかについては、今回の本題から外れるので割愛しよう。

この時に訪れた秋田県の重文指定民家は、4件になる。うち2件について、印象が深いので記してみようと思う。


1.嵯峨家住宅について

4件の指定のうち、現在も隣接地に住居棟を建て、子孫が直接維持管理しているのは1件である。嵯峨家がそれである。この家出特筆すべき事柄は構造や間取りもさる事ながら、やはり奥座敷にある龍や虎の鏝絵(こてえ)であろう。外壁にこれが存在する家は幾度か目にしたが、室内のそれも重要な奥座敷でこれを見たのは初めてであった。何も知らずに一歩奥座敷に入ったとたん圧倒される、色栄えと躍動の立体感に感嘆せざるを得なかった。一見の価値に値する。これを彫塑壁と言う。

嵯峨家の奥座敷

嵯峨家の鏝絵(龍)




2.奈良家住宅について

秋田平野の北部は、八郎潟に至るまで低い山々が点在し、低地には男潟・女潟等の湿地帯が広がっている。我輩はこの時初めて“潟”を見た。小学校で習って以来初めてである。この男潟・女潟より数分歩いた所に秋田県立博物館があって、この付属施設として存在する。大型民家であり、外観の屋根を大きく厚くしている事が目に付く。両中門造りである。着いて早々に受け付けを済ますと、家の玄関にカモシカが悠然と前を通りすぎた。驚いて職員に尋ねると、“ごく普通の事”だそうだ。なんとも言えない安らぎを覚えた。

旧奈良家住宅

旧黒澤家住宅(中庭より)


付録であるが、民家と言っても町家も武家住宅もこれに含まれる。
町家を見る機会は多いが、整った武家住宅を目にする機会はそう多くない。
門のみの現存であるか、若しくは付属建物や一部の室が欠損している場合が多い。ないしは全くの復元のケースである。ところが秋田市にある旧黒澤家住宅は上級武士の家であり、完全な形で江戸期の形を整えて残っている。非常に珍しいケースである。



最後に・・・

我輩の場合、行き当たりバッタリで建物を見つける事が多い。事前に下調べをする事もあるが、実物を見るとまた違った感動を受けるものである。これが楽しくてならない。「大ちゃん東北紀行」はこれで終わろう思うが、また違う場所の寄稿を行おうと思っている。その時、再び自分が感動した建物の事を書ければ幸いである。



What's NEW/JOURNAL/WORKs/PROJECTs/REPORTs/FELLOWs/LINK/BBS/SITE MAP
■