神楽岡工作公司
イラク旅行報告


記:松井健 (神戸芸術工科大学大学院)

■ 戦争の陰と陽

戦争は私達をどこへ導くのか、それとも追いやるのか。

私はこんな疑問を抱えて2003年11月末から12月初頭にかけてイラクのバグダッドを訪れた。
私が入国したのは日本大使館員が殺害せれた時期、とお伝えした方が皆さんにはわかりやすいかと思われる。

日本でブラウン管から流される報道を視聴していた私は、バクダッドには破壊のイメージを持っていた。しかし、訪れて確かにバクダッドは破壊都市であったが、全壊はなく半壊とでも言うような光景であった。それは物質的崩壊、精神的崩壊の中景ともいえる状況であり、戦争という行為すべてを否定できないのである。建築を学ぶ私は、破壊された建築を見て悲しい光景と思うだけではなく、この破壊がイラク建築の発展機会のように見えた。

街中で出合う人やタクシードライバーなどと話をすると「戦争が僕らを解放した」と言う。彼等にとって戦争は自由を手にしたものとして捉える者もいる。しかし「戦争ではなく他の選択肢があった」との意見も聞かれる。

戦争は必要だったか、それとも間違っていたかという結論を出せないにしても、彼等は生活をしている。
積極的にであれ消極的にであれイラクの復興を望んでいる人は多い。
それは物質的復興に限らず、生活をも含めた精神的復興でなければならない。
他にも多数の取り上げるべき問題もあるだろうが、今後、上記に述べたことを軸として復興を考えていきたいと思う。





■ スライド

◎ バグダッドの中心に位置する電波塔付近

イラクの中心部には政府機関や生活の要となる建物が多数存在している。そのような機関の建物は爆撃の対象とされたために、バグダッドの中心地の建物は、爆撃されたもの、爆風を受けたものなど、筒抜けの状態のものが多数ある。



◎ イラクの人々の姿を撮影したもの

現在、イラクでは戦争によって職を失った人が多数いる。街中には一日をどう過ごすのかという彷徨い状態の光景が見られる。子供にとっても学校どころではない。私に銃を向けているのは「イタズラ」ではあるが、このような行為は子供の心の内へと入り込んだリアルな世界の表れのように感じる。




◎ サダムタワーを訪れた時の写真

バグダッドの象徴ともいえるこの建物は爆撃されて、現在はアメリカ軍の基地として敷地が使われている。イラクではアメリカ軍の行動や行為を撮影することは禁止されているらしく、アメリカ軍がイラクに何をしようとしているのか不明である。


◎ 建設現場の写真

建設の方法までは聞き取れなかったが、写真を見ればなんとなく理解できるのではないだろうか。
爆撃によって被害を受けた建物の利用の仕方も非常におもしろい。例えば三階建ての建築で、最上階の三階が被害にあったとなると、三階を全て取除いてしまい屋上として利用している。二階が被害を受けた場合は、二階を空洞のままにして水平な中庭のように建物を利用する。


◎ モスクを訪れた際

彼らイスラムの人達は戦争であろうと神へのお祈りは欠かさない。
私がモスクを訪れた時、アメリカ軍が戦車の銃口をモスクに向け巡回に来た。そしてラッパを鳴らして道を空けさせ、80キロぐらいの速度でモスクの直前まで進んでゆく。
このような行為はイスラム教の人達の怒りへと繋がり、外国人である私は多くの人達の罵声をあびることとなった。悲しい現実である。アメリカ軍が撮影を禁止する理由が少しわかったのもこの時である。






◎ 博物館を訪れた時

バグダッドの公共施設は、全てがアメリカ軍、イラク軍、警察などが管理しており立ち入ることができない。入ろうとすると銃口が向けられる。私はタバコを渡し仲良くなり、敷地内へと入れてもらった。銃はどこにいても目にするが、銃口が自分に向けられた時は驚きであった。恐怖と言うより反応勝負の世界である。日常の喧嘩でも銃声の聞こえるときがある。どう生きるか、どう考えるか、自分でその判断を下すことを常に求めてられている世界である。


◎ チグリス川を渡った地域

写真をみてもわかるように中心地とは違い荒れ果てている。高速が通っているだけで、砂漠のような荒野が一面に広がっている。高速道路では走っている車が襲われることが多々あり、アンマンとバグダッド間のバスは照明を消し、カーテンを閉め、ずっと走る。車内は闇のようである。それに20時間ほど乗っているので、体はかなりの苦痛である。



< 本レポートは04年1月25日の神楽岡会で行われたスライド発表に基づいたものです>



<2004年 3月 4日 (木)>
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