神楽岡工作公司
超ビルディングタイプ論:学校建築を考える、ということ


記:山崎泰寛 (round-about.org)
 
はじめに

今回のスライド会を超ビルディングタイプ論と名づけたのは、十把一絡げに「学校建築」というビルディングタイプで考えることも大事だけど、都市の中の「○○小学校」という個別のビルディングとして、学校を考え抜くとおもしろいんじゃないか、と言いたかったから。
うまく話せたかどうかははなはだ疑問だけど、紹介した学校はその事例になるとぼくは考えた。物件は主に90年代以降の、それも建築家の手による学校建築として有名なものばかり。(余談だが、フロアから「特別な学校ばかりでは」と質問を受けた。だけどよく考えると、そこに通う子供にとっては「普通の」学校なのだとも思う)

御杖小学校





今回スライドで紹介した小学校

1. 大阪教育大学附属池田小学校(大阪府、04年改築)
2. 本町小学校 (神奈川県、83年、内井昭蔵)
3. 育英学園サレジオ小・中学校(東京都、91年、藤木隆男)
4. 打瀬小学校(千葉県、92年、シーラカンス)
5. 白石第二小学校(宮城県、94年、北山恒+芦原太郎)
6. 西戸山小学校(東京都、96年改築、新宿区営繕課+藤木隆男)
7. 御杖小学校(奈良県、98年、青木淳)
8. 博多小学校(福岡県、01年、シーラカンスK&H)
9. 岩出山中学校(宮城県、94年、山本理顕)
10. 公立はこだて未来大学(北海道、00年、山本理顕)
11. 豊郷小学校(滋賀県、37年、ヴォーリズ)




大阪教育大附属池田小学校
(2001年)
事件の中の学校

大阪教育大附属池田小学校を冒頭に紹介したのは、2001年の殺傷事件が起こって間もない時期に、文部省が全面的な建て替えを宣言したのが強く印象に残っていたからだ。結局、南北二棟の校舎のうち北校舎は取り壊し西棟として新築、事件のあった南校舎は部分的に改修して、特別教室などをもつ東棟としたらしい2004年3月に完成。入口は一カ所に限定され、防犯カメラや330個にのぼる非常用ベルの設置、校舎の一部をガラス張りにするなど、セキュリティ対策を向上させるのは予想されたが、どうも、それによって無くなったものもあるようだ。というのは、池田小学校はもともと小高い丘の上に広い敷地を確保しており、緑豊かな学校の敷地を通り抜けるルートは絶好の散歩コースとして地元の人々に愛されていたらしい。しかし建て替えにより入口が一つになったのだから、おそらくこのルートは無くなってしまっただろう。確認してみたい。

ところで、この学校を取り上げたのにはセキュリティ云々ではなく別の意図があった。この校舎、早い話が普通の学校だったのだ。時計台のある、どこにでもあるごく普通の校舎。おそらく、池田小学校の写真を見れば、ほとんどの人はそれが「学校」であることに気づくはずだ。というかおそらく、学校にしか見えないだろう。行ったこともない場所の、見たことのある校舎。どうして私たちは、付属池田小を「学校」だとわかってしまうのだろう?「それを学校だと判断してしまうなにか」の存在。学校の建築を考えるときの根本にある問題のひとつが、この「当たり前の学校」という感覚だ。

もっとも、それは上に挙げた「作品」であっても同様で、きっと多くの「学校建築」は、学校にしか見えない。当たり前のことだと一笑に付されるとしても、ぼくはそのことこそが学校建築のいちばんおもしろいところだと思っている。社会的な共通認識として、その姿がコード化されている、ということだからだ。しかしもちろん、学校に見えなければ良い建築だなどと言いたいわけではない。どうしたって学校に見えてしまう作品なのに、多くの建築家がより豊かな空間を目指して挑戦している。その姿が意味深いと思えるのである。




育英学園サレジオ小・中学校



西戸山小学校


時間の中の建築

さて、今回もっとも紹介したかったのは藤木隆男による二作品。育英学園サレジオ小・中学校と、新宿区立西戸山小学校である。サレジオは東京サレジオ学園(設計:坂倉事務所)という児童養護施設の一角に設けられ、現在は入試によって入学者が選抜されている私立の学校。この学校建築の特色は、まさに「時間のなかの建築」(ムスタファヴィ=レザボロー)であることにつきる。屋根の素材は青く錆びることを踏まえて選ばれている。敷地に広がる緑は、長い蔓末(つるすえ)+葉っぱの大きな木が選ばれており、季節ごとに風を受けてひらひらとひらめく。木が育つのには時間がかかるし、同じ一年の中でも木々の姿は変化する。時間の移ろいを意識した植栽が、この学校建築全体のランドスケープを成立させている。釣り鐘型の屋根と濃い緑の木々のコントラストは本当に見事だ。
小学校部分はひと学年一室ずつ、コテージ風の独立した教室。天井高が通常の倍はあるだろう。そのぶん、規定の3m付近に蛍光灯を仕込んで照度を確保。重い素材をつかった机と椅子は、ものの存在感を実感できるようにとの教育的配慮。中学校棟は片廊下だが、廊下側を開け放せる可動壁。机の椅子の細いラインは小学校用のものと敢えて対照的につくってあるとか。訪問した2001年当時は藤木氏自らによる月例見学会もあったので、機会の許す方はぜひアクセスを。

西戸山小学校は新宿区立の小学校。戦後のコンクリート造学校建築のモデルタイプとして建てられている。特徴は各教室におできのようにくっついた教師用スペース。作業する手元が斜め後ろから子供に見える。このスペース、旧来的な教師と生徒の関係をずらす効果はあるだろう。この、壊すわけではなく、ややずらす感じがぼくは好きだ。

※ ただ残念ながら、現在見学はおそらくできないだろう。かつて見学者が殺到して授業にならなかったというのが理由らしいが、他にも、突然訪問して現場の先生(教頭先生がその役であることが多い)を困らせる学生も少なくなかったと聞く。実は岩出山でも白石でも同様の話を耳にした。突然訪問されて快く見学を許すほど学校はヒマではない。とはいえ、西戸山の校長(訪問当時)が設計者の藤木氏を目の前にして、「見学希望者が後を絶たない。変わったことをされて困っている(どうしてこんなことしたんだ、というニュアンス)」と言ったことも、ぼくは忘れていない。




岩出山中学校
建築としての学校

岩出山中学校も興味深い建築。系統教室型のプログラムで、「3年2組」風ではない教室の配置をどう解くかが課題になりそうだけど、ここでは配置そのものはいたって普通。直方体の教室棟の南側に、すべての教室が配置されている。実際は学年ごとにフロアが違うし。この建築の本質は、教室棟の中央に挿入された生徒のロッカースペースにある。建前上ホームルームを持たない系統教室型の計画では、生徒のプライベートスペース(ホームベースと言ったりする)をどうやって確保するのかがつねに難問である。
岩出山中では、教室棟が南北方向に三層に分かれている。南から、教室部分(東西方向に廊下)、ロッカースペース部分、管理棟へと続く廊下部分。ロッカー部分は渡り廊下で接続されていて、それぞれのロッカーが微妙に見えない関係にある。ガサ入れの時は直前に情報が回るらしいし、先生用のスペースから非常に行きにくくつくってあるのはわざとだと聞いている。なかなかやるなと正直に思う。建築的には、巨大なボックスをひとつつくっておいて、内部に立体的な空間構成を入れ込んでしまう手腕が見事。後年埼玉やはこだてに続く空間のデザイン手法は、岩出山中学校で完全に発露している。




博多小学校










終わりに

学校建築で求められるものはなにか。ここでは二つ挙げておきたい。

ひとつは、時間に対して高い意識をもっているのか、だ。
小学生のことを考えてみよう。小学校は6年間あるが、12才で卒業する時点では、人生の半分を小学校で過ごしたことになる。これはとてつもない長さである。四季も六度過ごすことになる。校舎が劣化するのも計算のうち。変化を受け入れる(というか自らが変化の中にあることに自覚的な)建築が、求められるだろう。サレジオに感じる愛着感は、つまり、時間の変化を積極的につくりだしている結果なのだとぼくは思う。ランドスケープは校舎の竣工と同時には完成しない。木々は成長するし、草だって伸びる。都市の一部として重要な緑地部分だし、ランドスケープの優れた建築は本質的な意味で地域に開かれた学校になるのではないか。

もうひとつは、「開かれた学校」の課題に対してオープンスクール(ここでは壁を取る、という程度の意味)で解答を出すのは、もうダメなのではないか、ということ。
たとえば博多小学校の紹介の時に「現在考えられる最高峰の計画」みたいに表現したのは、特別な存在として「博多小学校」に与えられたプログラムと、実現した博多小学校の空間的な精度が非常にマッチしているという意味においてだ。新築される学校すべてが博多小学校みたいであれば良いと言っているわけではない。あれは、「博多小学校」だからこそ意味のある建築になっているのだと思う。
アルコーブを確保して、壁を取って、教員スペースを教室の近くに……という手法だけが流布しても仕方ない。一般的な学校を考えると、バカ正直に「開く」ことを疑わず、至上命題とすることで、学校の影の部分が消え始めているのも気になる。屋上が消え、体育館の裏が消え(打瀬小学校の弊害?)……すべてが白日の下に晒されることが良いのかどうか、よくわからない。
(ちなみに、岩出山中の屋上は屋根がかけられて、ベンチまで置いてある。訪問時にも地味な雰囲気の女子二人がうち解けた様子でしゃべっていて良い雰囲気だった。あまり触れられないことだが、こんな抜け道づくりのうまさも触れておきたい)

つまり、バカ正直に「開」いている場合なのか、と言いたい。

この点において、今後計画の可能性があるのは、主に中学校の建築だと思う。小学校はつくられる数も多く、地域に密着している分計画への関心も高いと思われるし、高校も、目的が学校ごとにはっきりしている分、案外「名作」をつくりやすいのではないかと思う。だが、中学校ではそうはいかないのではないか。小学校や高校に比べるといまいち位置づけが不明瞭だし、構成員の年齢も上がり思春期を迎えて、ただでさえ様々な問題が浮上しがちである。そんな中学校建築で、いったいなにができるのか。

ここで建築がとるべき方法は、壁の意義をあきらめて外してしまうことよりも、どんな壁があり得るのかを真剣に考え抜くことにあるのではないだろうか。これは言葉遊びではない。空間が絶対的に人間の成長を左右するのかどうか、ぼくにはわからない。ただ、もしこれまでに建てられた壁がすべて間違っているとしたら、今いる大人たちはたいていダメってことになってしまう。いくらなんでもそれはないだろう。だから、ひょっとするとふつうに建っている中学校の完成度も案外高いのかもしれない。個別の学校を、個別の存在として考え、壁を建てていく。今後も学校それぞれの解法が、豊かな空間で実現されるのを見たい。




< 本レポートは04年4月4日の神楽岡会で行われたスライド発表を再構成したものです>


山崎氏の学校建築への取り組みの詳細は【 round-about.org 】へ。


<2004年 8月 16日 (月)>
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